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参百八拾   記録メディア(2008/12/6)
参百七拾九  農業再生、途遠し(2008/11/29)
参百七拾八  MDの無駄遣い(2008/11/23)
参百七拾七  お粗末な田母神論文(2008/11/15)
参百七拾六  4度目の技能五輪(2008/11/7)
参百七拾五  医療の崩壊(2008/10/25)
参百七拾四  経団連の暴論(2008/10/19)
参百七拾参  三浦和義被告の死(2008/10/12)
参百七拾弐  リキテンシュタイン(2008/10/4)
参百七拾壱  終末期の日本(2008/9/27)
参百七拾   スティーブン・キングの最高傑作(長編を除く)(2008/9/20)
参百六拾九  明るいネットカフェ(2008/9/13)
参百六拾八  七人の侍五度(2008/9/6)
参百六拾七  アフガニスタンの不幸は永遠に(2008/8/30)
参百六拾六  星野ジャパンとは何だったのか(2008/8/23)
参百六拾五  夏の祭典(お盆特別回)(2008/8/15)
参百六拾四  北京オリンピック(2008/8/9)
参百六拾参  フロスト気質(2008/8/2)
参百六拾弐  無敗コット沈むか(2008/7/26)
参百六拾壱  ショーシャンクの空に(2008/7/19)




参百八拾  記録メディア(2008/12/6)
 現在、マイPCのHDDの空きは100GB程度になっています。800GB(500GB+300GB)準備したものの、2時間番組の録画で4GBを費消するので、なんらかの対処を考えなくてはいけません。

 現行PCの購入時には、BDでの保存を考えていましたが、今はBDに対して疑問を持っています。映画メディアのBDへの移行は、意外に進んでいません。レンタルでのラインアップは貧弱です。DVD時代は当分続きそうです。

 記録メディアとしては、BDは中途半端です。通常の音楽や画像データの保存には、CD-Rで十分です。まして、DVD-Rがあれば、まずことが足ります。ハイビジョン動画の保存にはBDが必要でしょうが、BDを大容量と呼ぶには中途半端です。なにせ、1TBのHDD価格が1万円を切っていますから。

 識者は、大切なデータは複数の記録方式で保存しておくべきとしています。光メディアの信頼性が低いための対処法でしょう。たしかにCDやDVDは、経年変化で読み取りできなくなる可能性が高いでしょう。ポリカーボネートは光や熱に極めて弱く、簡単に変質してしまいます。
 同じ光メディアでも、MOの信頼性はかなり高いとされています。でも、MOドライブは、もはや繋いでさえいません。

 経年変化、容量、価格の3点を考慮すると、結局HDDに落ち着きます。年末にもう1台購入しようと思っていますが、内蔵でいくかUSB接続でいくか迷っています。便利なのはUSBですが、貧乏性の私は内蔵をタイプを選択するでしょうね。

 今はHDDの残容量が少ないため、録画を控えています。はやく本格的な録画ライフを開始したいです。
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参百七拾九  農業再生、途遠し(2008/11/29)
 NIKKEI NETの記事によると、農水省は農地借用の自由化を推進する模様です。

 
農林水産省が検討している農地制度改革の概要が明らかになった。農地法を改正して農地の借用を原則自由化し、株式会社でも借りられるようにする。戦後続けてきた農地を持つ自作農が作物を作るとの原則を見直し、利用しやすさ重視の方針に転換。企業参入を促進し、大規模化で効率を高める。日本は農家1戸あたりの生産性が低いうえ、食料自給率の低迷が深刻になっている。政府の経済財政諮問会議でも成長戦略の柱と位置付け、競争力の強化につなげる。

 農水省が近く政府の経済財政諮問会議に示し、来年の通常国会で農地法などの改正法案を提出する。諮問会議の民間議員も28日、農業の体質改善などを柱とした成長戦略を提案する。


 農業従事者の高齢化による離農は、待ったなしの地点にまで至っています。休耕田の面積は、1県の面積ほどもあるそうです。伝聞ですけど。

 私の家はもちろん、周辺の方々も田圃を貸しています。が、今はそれさえ難しくなってきています。借り手がギブアップし始めているのです。いずれも高齢者で、70代ですから仕方ありません。米でさえそんな状況とあって、麦ともなれば作付けは僅かです。
 他方、50〜60代の農家の方は頑張っています。米以外にも玉葱やニンニクを作ったりで、農業の担い手の中心となっています。その方々も、いずれは離農せざるを得ません。農水省の制度改革は、将来を睨んで必要なものではあります。

 で、問題は、資本を持った企業が参入したところで、果たして肝心の作業を担う人間がいるかどうかです。農産物価格はどうしても安価なため、従業員の給与はやはり抑えざるを得ないでしょう。であれば、個人営農に比べてのメリットが感じられないのではないか。少なくとも、自営で切り盛りするような遣り甲斐はないでしょう。
 また、非正規雇用やら季節労働者としての扱いやらの問題が起こりそうな予感がします。しかも、営農には結構な資材やらの投下が必要になりますから、農産物価格の国際変動によって、倒産なんてことも頻繁に起こりそうですし。国際的な競争のために、アメリカにしろEUにしろ、補助金やら輸入制限やらの政治的下支えを持ち込んでいます。企業が参入しても、やはり農業は難しいでしょうね。

 他にも、日本の国土では、大規模営農が根本的に難しいという事情もあります。広い平野部を持つ北海道でさえ、大規模営農で利益を出すのが難しいくらいですから。まして、山間部の休耕田など、誰も手を出さないでしょう。


 一方、メリットとして考えられる点は、農家の嫁問題です。今の個人営農に嫁す女性には、厳しい面があります。すべての農家がそうではないにしろ、現代の人権意識から乖離した状況があります。このサイトの記載には、若干の悪意が滲んでいますが、一面の真実もあります。まあ、難しい家族、家庭の問題は農家に限ったことではなく、サラリーマン家庭にもある話ですから。

 メスを入れるべきは、家族で営農に取り組んでいるケースで、嫁には決して所得の分け前を渡さないことです。これが企業組織の従業員であれば、働く者に等しく賃金として支給されますから、農家に嫁すというより、農業法人に勤める感覚に転換できます。


 農業法人が参入したところで、やはり一番大切なのは農業後継者の育成です。個人営農であろうが、従業員であろうが、農業に魅力を持って貰うのがポイントです。で、この点が難しいところです。私自身、とてもよう人に勧められません。じゃあ、お前がやれと言われたら、返答できませんもん。
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参百七拾八  MDの無駄遣い(2008/11/23)
 イージス艦「こんごう」から発射されたSM3が迎撃実験に失敗しました。斎藤隆・統合幕僚長が個人的見解として「システム全体としては許容範囲」と宣い、MD計画全体への影響は少ないという見方が省内では強いそうです。

 まあ、そう言うしかありませんわな。MDの信頼性など、当るも八卦、当らぬのも八卦などと本当のことを喋ったら、政局も含めて大混乱になるでしょうから。でも、当るも八卦の言が真実です。
 いや、既に迎撃実験16回中14回も成功しているじゃないか、と反論される方もいるでしょう。そういう方は軍事オンチなのです。この記事というか、防衛省の発表には、肝心な点が抜け落ちています。

 模擬ミサイル、つまり弾道弾を模したミサイルの速度が発表されていません。識者は、状況想定の半分の速度と推測しています。いえ、米軍及び防衛省が真実を語らない限り、本当のところは分かりません。
 でも、半分程度との読みには頷かされます。対弾道弾の迎撃実験発表は、30年ほど前からずっと嘘が混ざっていましたからねえ。

 さて、一体どの程度の速度で実施していたか、大いに興味があります。多分、スカッド・クラスに毛の生えた程度じゃないかなあ。少なくともノドン・クラスをかなり下回っていたことでしょう。
 アメリカ軍及び防衛省当局に言いたい。テポドンとは言わないから、せめてノドン・クラスを打ち落としてから、成功と位置づけろよな。

 俗に、弾道弾迎撃の難しさは、弾を弾で撃ち落すことに例えられます。これは大げさでなく、実はもっと困難なのです。分かりやすく説明します。弾といえば、20mmバルカン砲の初速が1,000m/秒(マッハ3弱)、主力戦車の120mm滑空砲の初速が1,800mm/秒(マッハ5強)なのです。ちなみに、1998年に発射されたテポドン1型が宇宙圏を飛翔する速度は、6,900m/秒ですから、次元が異なっています。飛翔中のロケットを迎撃するなんて話は、漫画の世界でのみ有効なのです。迎撃が可能なのは、再突入の時点です。で、これがマッハ15とかで、テポドン2型はマッハ20を超えるそうです。こんな話を聞くと、MDが税金の無駄遣いだというのが良く分かるでしょう。

 今のところ、MDのターゲットが北朝鮮だからまだましなのです。これがロシアの新型ミサイルともなれば、B29を竹槍で迎え撃とうとした先人と同レベルの構図になります。あ〜馬鹿らしい。
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参百七拾七  お粗末な田母神論文(2008/11/15)
 本日も疲れ気味ですが、表題の件を放置したくないため、こうして書いています。

 航空幕僚長の要職にありながら、あまりにお粗末な作文です。日本が日中戦争に巻き込まれた理由として、コミンテルンの陰謀であるとかの論は、まともな歴史検証から外れています。偏った認識であり、懸賞論文選考者がまともであれば、本来一次選考で皆まで読まずに捨てられるところでしょう。

 選考委員があの渡部昇一氏ですから、推して知るべしです。渡部氏は決して嫌いでないにしろ、保守反動のためなら、歴史の重箱の隅をつついて、僅かな輝点を捉えて大宣伝に転換します。そのような氏にとって、田母神氏の肩書きは好都合だったのでしょう。
 すべての原因をコミンテルンの責に帰す言説は昔からありました。もちろん、こんなのはまともな歴史検証とは無縁の妄想です。田母神氏はあろうことか、張作霖爆殺までコミンテルンの仕業と匂わせています。馬鹿丸出し。田中義一内閣の総辞職をどう考えているのでしょうか。
 古くから否定的見方をされているソ連特務機関の犯行説を、まるで新たに発見された事実のように匂わせています。それも原典に当らず、一般向け読み物を参考図書とするお粗末さです。そんなので歴史を語るなよです。


 私自身、「無主の地」で述べていることですが、日本がインフラ整備などで、南満に投資した資金が莫大であったのは事実です。でも、だからといって満州制圧が侵略でなかったなんて、とてもよう言いません。

 朝鮮出身の洪思翊中将らの名を挙げて、朝鮮や台湾の内政化をことさら述べ立てるなど、底が浅すぎます。じゃあ、インド人たちがイギリス軍に編入されていたから、イギリスによるインド経営は、侵略でなかったといえるのか。同様の事情は、列強各国でも同じです。先の例で以って、日本の植民地経営は例外などと、心で思っていても口に出してはいけません。まして公務員、それも自衛隊の要職にある人間が公表していいことではありません。


 実は、自衛隊内部において、このような教育ははるか昔から為されていました。私の知人に少年自衛官出身の方がいまして、学校時代の教育内容を聞かされたことがあります。その内容というのが、まさに田母神論文の世界なのです。曰く、日本はアジア諸国を欧米列強から解放しただの、あの戦争は自存自衛の戦争であっただの世迷言です。もちろん歴史は多面的であり、前説にも一面の真理があります。でも、前面で語って持ち堪えられる筋の話ではありません。

 田母神論文の意義は、未だ自衛隊内部で、こんな浮世離れした歴史教育が行われていることを世間に明かした点でしょう。それだけです。
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参百七拾六  4度目の技能五輪(2008/11/7)
 この1ヶ月間は激務でした。休日もなく、身体はガタガタです。

 10月24日から26日にかけて、第30回 アビリンピック(全国障害者技能競技大会)が開催されました。また、10月31日から11月3日にかけては、第46回 技能五輪全国大会が開催されました。

 この両大会へ出場する選手たちの合同結団式の準備に始まって、結果報告やらなんやらで忙殺されました。特に技能五輪については、私自身が世話係兼取材係として、千葉に5日間滞在していました。ですから、先週はコンテンツのアップができなかったのです。このサイトを開始して7年目、初めてのサボリになりました。

 会場は職種ごと、数ヶ所に別れていて、メインは幕張メッセです。下図がそれです。広い会場ですから、一部しかフレームに納まりません。



 下図の彼ら、彼女らが当県の代表選手たちです。10職種に出場しました。残念ながら、敢闘賞3名に留まり、皆さんショック気味です。なかでも、美容職種に出場したKさんは、密かに金賞を狙っていただけに消沈していました。全般的にレベルが上がっていて、引き離された格好でした。

 最優秀県は愛知県で、今や不動の地位を築いています。なにせ、トヨタグループやらデンソーやらがありますから、他の都道府県では、到底太刀打ちできません。



 技能五輪は、ゴールデンタイムのニュースになることがありません。でもね、何度も言いますが、スポーツ五輪よりはるかに意義深いものだと思います。彼らは日々仕事に追われながらも、目的意識を持ってスキルアップに取り組んでいます。
 この大会で優勝すれば、来年のカルガリー(カナダ)大会へ日本代表として選出されるのです。そりゃあ、意気込みも違ってきますわな。ただ、選出されても、皆さん自腹(会社持ち)での出場となります。

 スポーツ五輪の恵まれた予算とは別世界でしょう。北京大会終了後、団長だったかが、予算が少ないとかほざいていましたが、世間知らずもいいとこです。


 3連休もなく、帰るなり今週は某審議会の準備に忙殺されました。で、本日無事開催できました。私の業務としては、こちらの方が本番です。今は一段落して、やっと一息つけたところです。

 で、明日からの休日は、溜め込んでいた別の仕事を片づけなければいけません。正直、参っています。一体いつになったら休めることか。
 断っておきますが、すべてサービス残業とサービス出勤です。
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参百七拾五  医療の崩壊(2008/10/25)
 救急救命病院の受け入れ拒否によって妊婦が死亡しました。この件について、病院や医師を非難するのはお門違いもいいとこです。救急救命を受け持つ3次救急は、打つ手なしの状況です。

 入院や手術が必要な2次救急が飽和状態のため、これらの患者が3次救急に流れ込んでいます。その結果として、3次救急が崩壊に陥っている模様です。

 さらに大元を見ていくと、1次救命の問題があります。1次救命は軽い症状に対応するためのものですが、そのリソースを馬鹿親たちが食い潰しているのです。夜間救命の医療体制は、少数の医者と看護師が受け持っています。そもそも、救急医療目的なので最小限の体制なわけです。でありながら、昼間と同じ感覚で診療を受けに来る患者が多いのです。

 熱が出たから、腹が痛いから、気分が悪いから、はなはだしいのは、とげ抜きのために診療する馬鹿がいます。
 私には、風邪をひいたからといって医者にかかる感覚が理解できません。私は、風邪で病院へ行ったことがありません。多分、大多数の方はそうでしょう。風邪をひいたなら、暖かくして寝ることです。
 あるいは打撲なら、湿布しておとなしくすればいいし、擦り傷なら消毒して包帯をすればいいことです。今はその程度のことでも、医者にかかるのが当たり前なのでしょうかねえ。

 これでは医療現場が崩壊するのは自明です。昼間は込むから夜間診療を受けるというエゴイストどもは、重石をつけて太平洋に○めてしまいたいなあ。


 いずれ日本の医療制度は壊滅するでしょう。まず、産科を選択する医者がいなくなるでしょう。もはや銭金の問題ではありません。
 保険診療のことは知りませんから適当なことを書きます。私が産科医なら、保険診療はしない、全額患者負担の看板を掲げます。制度上、可能かどうかは知りませんけど。で、十分な医療は行うが、高額な負担を受け入れる者だけを相手にします。これなら、コンビニ感覚の患者を相手にしなくて済みますよ。
 無知な人間の戯言ですけど、日々消耗を続ける医療関係者がこう考えない方がおかしいのではないでしょうか。参考までに「救急医療崩壊Q&A」を紹介しておきます。
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参百七拾四  経団連の暴論(2008/10/19)
 日本経団連が14日に、提言書を発表。移民の受け入れを推進すべきとの内容だそうです。ここのところの経団連の提言は、まったく同意できないものばかりです。賃金を低廉に据え置くこととか、非正規雇用の推進だとかに加え、今回はこれですもん。

 そんな経団連の要職にある方々が、同時に名誉も欲するなんて許せません。彼らにとっては、利益の追求こそが使命であるというなら、守銭奴としての立ち位置を明言して欲しいです。マスコミを前にして、我々は金のためにやっているのだ。そのために人件費を徹底的に押さえ込みたい。従業員の生活が成り立とうが野垂れ死のうが知ったことじゃない。日本人相手にそれを言うと問題があるので、移民受け入れを推進して欲しい。
 ここまではっきっり言い切れば、私は文句を言いません。当然、社会的な指弾を受けるでしょうから。


 移民を受け入れる前にやるべきことがあるはずです。人口縮減による労働力不足は、むしろチャンスです。経団連に認識を改めさせるためには、それくらいの荒療治が必要かもしれません。
 人間を雇用するということは、被雇用者の生活を保障し、将来設計を与えるということです。この当たり前のことを無視しているのが、現在のありようです。非正規雇用の若者たちは、その日暮らしを強いられ、年収200万円にも満たないケースが珍しくもありません。経団連は、200万円さえ高いというのでしょうね。そんな企業家たちに大きな顔をさせていいものでしょうか。

 海外労働力といっても、移民ともなれば、それは日本人なのです。日本人に対するのとまったく同じ公共サービスを提供しなければいけません。そのコストはとてつもなく高くつきそうです。電気・水道なんかは大したことではありません。
 問題は、教育と治安です。これにかかるコストは見当がつきません。アメリカでも中米からの不法移民が多い州では、取締りではどうにもならず、結局、公教育の場でのメキシコ語導入に踏み切りました。
 今でさえ、警察はあまりに忙しく、手をつけられない事案が山積しています。このうえ、なにができるというのか。

 経団連の戯言は放っておき、むしろ労働者を人間として扱い、若者たちが将来設計を描けるような待遇をするように注視しましょう。
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参百七拾参  三浦和義被告の死(2008/10/12)
 ロス疑惑の被告人である三浦和義氏がアメリカの拘置所で自殺しました。
 私は司法制度、ましてアメリカの制度に無知なので、理解できないことばかりです。まず、どうして保釈金を払わなかったのかということです。三浦氏であれば、保釈金くらい手配できそうに思えるのですが。

 半年くらい拘留されていたのですから、金がなかったのでしょうかねえ。アメリカの不潔な拘置所に半年もいたら、そりゃあ精神的に参るでしょう。精神的にタフな三浦氏でも、さすがに耐え切れなかったとみえます。

 ロス銃撃事件の真相は、私には分かりません。でも、無罪となった以上、罪人扱いはひどいと思います。日本のマスコミが三浦氏から名誉毀損で訴えられ、片端から敗けたのは当然でしょう。事件の事実はともかく、法廷で決着のついた、いわゆる真実は、無罪なのですから。

 日本の司法制度に見られる人権上の問題は、アメリカにおいても似たようなものだということでしょうか。聞くところによると、9.11がらみで拘束されたアラブ人は、なんの罪もないのに未だに拘留されているそうですし。


 三浦氏には、公判まで頑張って欲しかったです。アメリカの陪審制度の元で、とても公判が維持できるとは思えません。新たな証拠が出てきたはずもないし。
 その三浦裁判であれば、日本のマスコミも大挙して報道するだろうから、きっと報道を通じて、アメリカの司法制度が解説されたことでしょう。私はこれを楽しみにしていたので、残念なのです。裁判の中身そのものは、しょうもない展開だったでしょうが。

 ロス疑惑の無罪判決を批判する方々には、むしろ日本の司法のまともさを評価して欲しいです。あれで有罪になれば、暗黒裁判というものです。証拠もなしに、自白に頼る捜査方法の怖さを感じていただきたいものです。
 事件の事実はともかく、長期拘留と警察の取調べに耐え抜いたのは立派です。似た方に、戸塚ヨットスクールの校長や指導員がいます。彼らも不当な長期拘留に耐え抜きました。あの事件も良く分からない点があります。マスコミはいい加減なことを書き飛ばしましたが、事実はずいぶん違っていた模様です。例えば、女子生徒が指導員からセクハラを受けたとか報道されましたが、そんな事実はまったくなく、当該生徒は拘留中の指導員に手紙を書いて報道の嘘を謝って、激励さえしています。

 私はそのようなマスコミ報道が不快だし、無定見に拘留を続ける司法制度が嫌いです。ですからケーススタディとして、三浦氏には頑張っていただきたかったのです。
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参百七拾弐  リキテンシュタイン(2008/10/4)
 今、これを書いているモニタ画面の脇で“美の巨人”を流しています。今回はロイ・リキテンシュタインをテーマに「ヘア・リボンの少女」を採り上げています。

 この絵は、東京都現代美術館が6億円で購入して物議を醸しました。購入金額が相場より相当高かった点は問題ですが、この絵の価値については、疑義を差し挟む余地はありません。都議会で問題になったとき、議員に対して美術の見識を期待しても仕方ないと思いました。問題は、「漫画を購入」とか書きたてた新聞です。新聞社の文化面を担当している記者がこれでは馬鹿すぎます。


 リキテンシュタインの絵の中でも、「ヘア・リボンの少女」の完成度の高さは格別です。恥ずかしながら、その理由をこの番組で初めて知りました。

 リキテンシュタインはこの絵を描く際に、絵を回転させながら、その都度バランスを確認して構成したそうです。な〜るほど、納得しました。
 試しに、Photoshop で45°回転させたものを掲示します。

         

  

  

 見事なものでしょう。どの角度でもバランスが取れています。なかなか、こんな絵はありませんぜ。正直言って、リキテンシュタインを見直しました。

 60年代から70年代初頭にかけ、世界を席巻したアメリカンのポップ・アートは好きなジャンルで、一番惹かれたのはピーター・マックスです。多感な時期、彼の作品をリアルタイムで観ることができた私は幸せ者です。
 一方で、リキテンシュタインの絵を軽薄と感じていたものですが、まったく認識不足でした。この「ヘア・リボンの少女」の構成はパーフェクトです。お見それしました。
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参百七拾壱  終末期の日本(2008/9/27)
 麻生新政権の舵取りは、小泉改革路線の向きを変える模様です。さてさて、これが本当に日本のためになるか疑問です。赤字国債もさらに増えそうですし、将来のことなんかどうでもいいみたいですね。

 少子高齢化による労働力人口の削減は怖いまでです。生産人口が大幅に縮小するのが分かっていながら、彼らに対する借金を拡大しようというのです。
 舛添大臣が後期高齢者医療の見直しを言い出したのも同類です。マスコミはこの制度に対して批判的ですが、正直に言って欲しいです。医療制度は、若年者と老齢者の間に対立関係があると。後期高齢者医療制度は必然というか、制度の趣旨であるところの“高齢者の保険料と支え手である現役世代の負担の明確化、公平化を図ることを目的として”を否定できるものではないでしょう。お年寄りがどうとか言ってるマスコミや政治家には、高い負担を強いられている若年者に対する説明責任があります。
 低賃金に喘ぎ、資産形成の見込みもなく、将来の展望を持てない若者に負担させながら、高齢者が医療費の3分の1を食い潰す現状を改めなくてよいのか。この疑問に明確に答えるべきです。
 この件に関しては、世代間闘争の視点を持ち込むべきです。そうすれば、マスコミや政治家の不公平な態度が明らかになります。


 今の日本に余分の金はありません。まあ、無駄遣いをなくすのが地道な取り組みでしょう。無駄遣いの最たるものは、MD(ミサイル防衛システム)です。こんな実効性のないものに、1兆円も投入するなんて馬鹿げたことです。とんでもない税金の無駄遣いで、日本の将来なんて本当に考えていない証拠です。

 日本の将来人口の推計では、2055年には約3,800万人減少し、65歳以上の高齢者が総人口の40.5%を占めるとされています。後期高齢者医療制度といい、財政改革といい、この現実を前にすれば、必要なものであるのは自明です。

 過疎の限界集落が話題に上り始めています。地方の人口減少に加え、就職先を求めての市街への集中を背景にしてのことです。山間部や離島の閑散とした集落であっても、最低限の公共サービスは提供しなければいけません。疲弊した地方にとっては、これによる負担も厳しくなっています。ややもするとマスコミの限界集落に対する報道姿勢は感傷的に過ぎます。限界集落に残った老人たちを集中統合することも、今後は求められるでしょう。居残るのは自由だが、電気・水道の公共サービスの提供は打ち切るとかも、いずれはやらざるを得なくなるのではないかなあ。

 日本の将来像については、そのような厳しい状況を想像してしまいます。でも、政治家にとっては、日本の将来より、目先の票の方が大切なのでしょうね。
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参百七拾  スティーブン・キングの最高傑作(長編を除く)(2008/9/20)
 スティーブン・キングの最高傑作はと問えば、人それぞれの思い入れがあるでしょう。私は「シャイニング」を挙げます。あるいは「呪われた町」もまたお気に入りです。これら長編とは別に、中篇ではありますが「霧」にも惹かれます。

 キングのアイデアや展開には、プロ作家でさえ感動する模様です。「呪われた町」へのオマージュとして、ロバート・マキャモンは「奴らは渇いている」を書き、小野不由美は「屍鬼」を著わしています。さらに、中篇「霧」を元ネタに、菊地秀行は「領海侵犯」を書いています。
 いずれ劣らぬ傑作ばかりです。それもこれも、キングの原作が素晴らしい故でしょう。


 で、新作映画「ミスト」を観ました。キングの「霧」が原作とかで、非常に楽しみにしていた作品です。かなり原作に忠実な仕上がりです。となれば、面白くないわけがありません。異次元から流れ込んでくるモンスター、スーパーという空間に閉じ込められた人間たちの極限状況、外界との隔絶による疑心暗鬼などが見所です。

 私は原作を読んでいたため、先が見えるものだからドキドキ感はありませんでした。原作を知らない方がこれを観たら、もう画面から目が離せないでしょう。その点は保証できます。

 ただ、ラストシーンのアレンジだけは不愉快です。皮肉を利かせたどんでん返しを意図したのでしょうが、断然原作が勝っています。原作は救いのない世界の終末を描いていますが、わずかな“希望”の余韻で締めくくられています。キングもこんなラストを、よくも許したものです。

 「霧」をキング本の上位に位置づける方は多いものです。残念ながら、映画からは、そこまでの支持を得る理由が伝わらないかもしれません。でも、面白さは十分満足レベルです。ご安心を。
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参百六拾九  明るいネットカフェ (2008/9/13)
 当地のような田舎にも、ネットカフェはたくさんできています。以前はたまに利用していたのが、最近は頻繁に出入りしています。

 ネットカフェは喫茶店代わりに重宝します。ただ、暗くて狭いのが不満だったところ、明るい店が開店しました。一般的な個室はあります。パーテーションで仕切られた狭っ苦しいやつですね。で、個室とは別に、オープンスペース席が充実しています。しかも、2階の大きなガラス窓のある空間なので明るいこと。

 こういう造作は、全国的にも珍しいのではないでしょうか。おかげでいきつけの喫茶店に縁遠くなってしまいました。なにせ、格安ですから。いきつけの喫茶店のコーヒー代は400円、対するネットカフェの料金は100円/15分です。しかも飲み放題ですから、もう勝負になりません。だけでなく、電動マッサージ機やら、充実した雑誌類やら至れり尽くせりです。


 今日も連休初日とて、2時間ほどのんびりさせてもらいました。実は私の指定席が準備されています。窓際のひときわ明るい特等席です。そこは、いつも空席というか、そもそもオープン席を利用する方がいないのです。
 不思議なことに他の客は、いずれも暗くて狭い個室に潜んでいます。一体これって何なのでしょうか。どう考えても、広くて身体を伸ばせる方が寛げると思うのですが。

 個室から出入りする連中を見ていると、ゴキブリを連想してしまいます。彼らのメンタリティが理解できません。プライバシーの確保といっても、背の低いパーテーションではとても得られるものではないでしょう。むしろ、広いオープンスペースを独り占めしている私の方が、よほどプライバシーを確保できています。なにせ、誰一人足を運んできませんから。静かで広大な空間を、15分当たり100円で買えるというのは、破格の贅沢といっていいでしょう。
 まあ、ゴキブリのような連中が多いおかげで助かっているわけですけど。
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参百六拾八  七人の侍五度(2008/9/6)
 今、BSで「七人の侍」が放映されています。この映画を観るのは5度目です。でありながら、やはり引き込まれてしまいます。この映画こそ、世界映画史上の最高傑作でしょう。

 いくら「七人の侍」が素晴らしいシナリオといえども、リニューアルの話はありませんね。それも当然で、原作を超えるのは、いえ並ぶことさえ不可能でしょう。
 まず、役者を揃えるのが無理です。50年以上前の映画で、当時年配の役者さんたちは、普段から和服で生活していたことでしょう。ですから、和服に合った挙措動作が身についています。歩き方を見ても摺り足だし、座るときの袴の折込み方がごく自然に為されています。 若い侍役の木村功だけは、あえて現代風の身のこなしです。多分、これは監督があえてそうしたものと思われます。

 画面サイズは4:3の狭さですが、すぐに気にならなくなります。狭い画面でもスペクタクル感は抜群です。それにワイド感がない代わりに、上下の空間というか奥行き感が深いです。最近の映画は2.5:1とかのワイドさですが、代わりに奥行きがありませんね。人物が横に並んだ絵が多いのはそのためです。奥行きを出す場合は、必然的にロングの絵になってしまいます。この映画では、縦(前後)に人物が並んだ構図が多用されています。

 もう一点、町並みの汚れ加減や農家の襤褸さ加減の表現はただごとではありません。そんなの大したことじゃないと思われるむきも多いでしょうが、白黒映像の中で汚れを表現するのは難しいものです。そんな風に、改めて黒澤監督の手腕に感心させられました。

 映画が面白いものですから、これを書きながら観劇するのは無理ですぅ。後は観る方に集中します。
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参百六拾七  アフガニスタンの不幸は永遠に(2008/8/30)
 NGO団体「ペシャワールの会」職員の伊藤和也さんが殺されました。伊藤さんの志と生き様には頭が下がる思いです。アフガニスタンの再興は、農業振興以外にありません。ところが地道な農作業を嫌い、銃を振りかざして征服者として振舞おうとする輩が多すぎます。一度そのような味をしめた人間は、鋤を持って一日中畑仕事で汗を流すことをしません。

 アフガニスタンの人心を荒廃させた原因はアメリカの介入です。アミン政権に対するソ連の軍事介入(侵攻)に対して、武器や資金を投入し、反政府ゲリラ活動を支援しました。サウジ出身のビン・ラディンらだけでなく、多数の部族がアメリカの援助を受けました。支援額は2,000億円とも言われています。このようなアブク銭に染まった輩たちは、もはや泥水を啜る貧しい生活に戻ろうとしません。

 皮肉にも911を引き起こしたイスラム過激派は、アメリカが生み出したものであり、その掃討戦をアメリカが行うというのも皮肉な話です。アフガニスタンの一般国民にとっては、皮肉とかで済むことではありません。その一般国民という定義が難しいところです。部族で固まった集団ごとに勝手なことばかり言い合い、協力を嫌い、自分たちの利益のみを追求します。海外からの援助にしても、自分たちが貰うのはよいが、他の部族が貰うのは許さない。武力で以って排除するという勝手さです。

 日本の幕末にも似たような面がありました。各藩それぞれが自分たちの利益を追求し、視野狭窄に陥った極端な意見に引きずられたテロが横行したりしました。また、勤皇の浪士たちは働くことを厭い、暴力と寄生でアブク銭にありつこうとしました。
 それでも最終的には、戊辰戦争を経て統一国家建設にこぎ着けました。で、アフガニスタンが統一国家建設にこぎ着けられるかというと、これは無理でしょう。イランやパキスタン、ウズベキスタンなんかと国境を接し、各派が支援を受けられる状態では、決着のつけようがありません。

 タリバンを支援したのはパキスタンだし、タリバンの制圧下で治安回復を得ていたのを再混乱に陥れたのは、またもやアメリカです。アメリカという国は世界の警察でなく、世界の破壊者です。

 もしアメリカがアフガニスタンの再構築を実施するなら、責任を以って当たってほしいところです。多分、地上軍30万人ほどを投入すれば可能でしょう。これを支援する海空軍やロジステックの確保のための人員も含めると40万人以上は必要でしょう。
 各部族の戦闘部隊を壊滅させたうえ、さらに全土から武器のクリーニングを行って、政府軍のみに武器を集中させなければなりません。やるならそこまでやってください。秀吉の刀狩りや維新政府による武器の徴収は治安回復のために必須だったのです。
 アフガニスタンではこれが為されないため、いつまで経っても平和が来ません。多分、私の存命中に本当の平和がくることはないでしょう。


 ところで、射殺された伊藤さんには、国民栄誉賞を差し上げませんか。オリンピックの金メダリストに授与するより、はるかに意義深いことだと思います。
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参百六拾六  星野ジャパンとは何だったのか(2008/8/23)
 日本は4位という意外な順位でした。アメリカ代表は3A選抜だし、キューバのナショナル・チームが強いとはいえ、アマチュア全日本じゃあるまいし、プロ選抜が負けちゃあ恥ずかしいかぎりです。

 韓国には連敗しました。そもそも韓国の野球人口は、日本の数十分の一程度です。韓国の高校で野球をやっているのは、約50校だそうです。ちなみに日本は約4000校もあります。しかも年二回の全国大会は、郷土の代表として晴れがましい栄誉に彩られています。
 その高校野球で活躍すれば、1億円の契約金も夢でなく、将来が約束される舞台でもあります。これほどの土台の違いがありながら、連敗したのでは言い訳のしようもありません。


 ストライクゾーンの違いとかボールの違い、ピッチャーマウンドの高さの違いなんかを云々する向きがありますが、それは大きな問題ではないでしょう。国内試合でも、球団によって質の異なったボールが使われています。ストライクゾーンにしても、審判によって違いがあります。それどころか、同じ審判でも日によって微妙に異なっていますし。
 試合を観ていると、審判の技量にも問題がありました。同じコースでありながら、ストライクを取ったり、ボールをコールしたりでぶれていたように思います。

 今回のチームの問題点は、合同練習期間がなかったことでしょう。本当に優勝を目指すなら、最低でも1ヶ月くらいの合宿をすべきでしょう。また、そのなかで五輪ルールに慣れればいいのです。


 個人的には、勝ち負けはどうでもいいです。むしろ、アマチュア選抜で闘って欲しかったです。野球は北京五輪が最後になるそうですが、それも仕方ありません。野球という球技は、未だ世界的なスポーツになっていません。五輪競技としての発展を望むなら、今は普及時期です。そのような過程にありながら、普及の中心を担うべき先進国がプロを出場させるなんて、考え違いも甚だしいところです。野球は一番普及が難しいスポーツです。試合場にしても最もスペースが必要ですし、試合時間も一番長いんじゃないかな。

 せっかく育ち始めた野球の芽を、日本やアメリカ、韓国が潰してしまった図に見えます。せめて日本には見識を示して欲しかったです。目先のメダルに目が眩み、あげくに負けてしまったという、情けなくも浅ましい星野ジャパンでした。
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参百六拾五  夏の祭典(お盆特別回)(2008/8/15)
 北京オリンピックが佳境に入ってきました。日本の成績は上出来でしょう。お粗末な競技もありますが、実力がないのですから仕方ありません。
 例えば、男子サッカーは予選敗退ですが、FIFAランキング35位なのですから当然の結果です。いえ、35位なんておまけもいいところでしょう。実力は50位くらいじゃないの。私はサッカーに無知ですから勝手な想像ですけど。


 柔道は残念ですね。山岸選手の雄姿を見たかったです。谷選手の出場は納得できません。実績重視なんてふざけた言い分です。実績を重視すると、必然的に年配の選手が優先されます。これじゃあ若い芽が摘まれてしまいますから。選考試合で勝った者が代表になるべきです。山岸選手の胸のうちはいかほどでしょうか。

 柔道試合は年月を経るに従って、レスリングに近づいています。さしずめジャケット・レスリングというべきです。今のルールだと、タックルの練習は必須でしょう。タックルを仕掛けるスピードや相手の脚を引きつける腕力を鍛えなければいけません。同時に、相手のタックルを切って押しつぶす練習も必須です。今大会でもタックルを何度か見ましたが、下手糞でした。やるならやるで、レスリング並みのタックルを磨き上げましょう。中途半端な技は見苦しいです。

 でも、日本柔道界にレスリング化は望みません。柔道はあくまで“柔能く剛を制す”です。今回も愚かな意見を見聞きしました。曰く「日本柔道は国際ルールに慣れていない」だの「ルールに合わせた練習ができていない」だの、本当に愚かです。
 今のルールに合わせた練習だと、それはもう柔道ではありません。日本柔道界は国際試合での負けを恐れずに、あくまで柔道を追及してください。レスリングは他国に任せればいいのです。
 もちろん叶うことなら、現行の歪なルールが改正されることを願って已みません。改正されるべきポイントは、ジャケットの袖幅の細さです。袖幅が細くなったのは20年ほど前だったと記憶しています。このおかげで袖を取っての投げができなくなりました。日本選手の投げを封じるための措置です。

 以前にグローバリゼーションなんてやめてで書いたとおり、柔道という競技が国際化した以上仕方ないことです。世界の趨勢に合わせるか、あくまで柔道の本質を歩み続けるかです。
 似た話は空手にもあります。空手もフルコンタクト試合において同じ懊悩を抱えています。フルコンタクト・ルールで闘うためには、ボクシングテクニックとタイ式テクニックが必須です。そのようななかにおいて、ある空手師範がいみじくも言っていました。
 「キックボクシングが有効だからといって、キックをやるなら、もはや空手ではない」
 まったくそのとおりです。柔道界も勇気を持って、信ずる道を歩んでください。
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参百六拾四  北京オリンピック(2008/8/9)
 歳を取るにしたがって、世間の動きに対する興味が湧かなくなったように思われます。昨日から北京オリンピックが開催されていますが、あんまり見たい気も起こりません。ロス五輪を最後に、オリンピックへの興味がなくなっています。ついでに、先週から開催中の甲子園大会にも無縁で、地元の代表校さえ知りません。

 それでなくても、北京五輪は問題が多すぎます。そもそも紛争を抱えている国で開催するのは、五輪の趣旨から外れています。かつてモスクワ五輪は、アフガン侵攻で西側のボイコットを受けています。中国だって、チベット族やらウィグル族やら東トルキスタンなんかの問題を抱え、対外的にはスーダン紛争への武器売却と石油輸入での介入が問われています。これで五輪開催国として認められるというのが、そもそものボタンの掛け違いだったのでしょう。IOCなんて、世界最大のスポーツマフィアというべきです。本当にろくなもんじゃないです。開幕直前の北京のスナップがTVでも紹介されてましたが、自動小銃を抱えた兵士が街中に溢れている光景は五輪開催資格の有無を如実に表しています。

 ここで注意しなければならないのは、スーダンの人道問題に関して、日本も加害者である点です。スーダンの石油を輸入することが、政府軍の武器購入原資となり、国民虐殺につながっているのです。中国のように石油輸入に加えて、武器売却まではやってませんけど。
 関西電力と九州電力を除いた電力会社は、人権意識のかけらもないというか、中国を非難できるものではないのです。


 北京五輪については、聖火リレーを始めとして、食品の安全性などの問題がありました。加えて、日本代表選手についてもすっきりしません。
 柔道の谷選手って、選考会で負けたんじゃなかったっけ。実績とかいうなら、そもそも選考会なんてうたわなければいいのにね。かつてロス五輪で、男子マラソン代表選考を兼ねた競技会で優勝した選手が、実績云々を理由に代表から外されたことがありました。代わって選ばれた瀬古選手は、試合を放棄しましたっけ。

 野球の代表にも釈然としません。イチロー選手の主張が一番の正論だと思います。
 曰く、「オリンピックは、アマチュアのものである」
 星野さんがTVで得々と語るのを見ていると、アマチュア関係者がどんな思いで見ているか、考えてみろと突っ込みたくなります。


 あと、五輪報道で不満なのは、ボクシングの試合が放映されないことです。日本選手が弱いこともあっての無視なのでしょう。ボクシングを放映してくれれば、興味も湧くのですが。
 ソウル五輪のボクシング競技は無茶苦茶でした。韓国関係者の傍若無人ぶりや審判買収やらのハプニング続出だったのが、日本では放映されなかったのです。
 後世にも語り継がれているインチキ判定試合 “ロイ・ジョーンズJr. vs 朴時憲” です。興味のある方はご覧になってください。ライト・ミドル級決勝戦、ロイは2度のダウンを奪い、パンチのヒット数でも圧倒しながらも、負けにされたのです。勝利者コールを受ける朴選手がうろたえています。笑っちゃいますけど。
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参百六拾参  フロスト気質(2008/8/2)
 イギリスのミステリ作家R.D.ウィングフィールドの人気シリーズに、ロンドン近郊の田舎町デントンを舞台にしたジャック・フロスト警部シリーズがあります。「クリスマスのフロスト」「フロスト日和」「夜のフロスト」に次ぐ新作「フロスト気質」が発売されました。

 数日前に発売されたものの、忙しくてやっと今日のこと買えました。前作が2001年発売ですから、7年待ちました。私に限らず、ミステリファンはもう待ちくたびれていました。ミステリー関係の掲示板は、もう喜びの声で溢れています。

 本作も文句なしの傑作です。今年のNO.1間違いないでしょうね。内容は相変わらずのフロスト節満載で、何度もにやりとさせられました。署長をおちょくるユーモアも加速していますし、超多忙で過酷な勤務もお約束のとおりです。

 毎回、野心溢れる部下がゲストで登場します。上昇志向の部下は、フロストのがさつ、いいかげん、無責任さに反感を持つものの、やがてフロストの透徹した洞察力や警察官としての生き様に共感してゆくパターンが描かれます。今回は、そのような野心溢れる部下が2名登場し、うち1名はフロストと同じ警部(代行)という複雑な人間模様を構成しています。

 ミステリファンなら読まずに死ねるかの面白さですね。私、今読んでる途中なので、ここまでにさせていただきます。パソコンの前にいる場合じゃありません。
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参百六拾弐  無敗コット沈むか(2008/7/26)
 いよいよ明日のこと、WBA、IBF世界ウェルター級王座統一戦がラスベガスにおいて開催されます。ミゲール・コットとアントニオ・マルガリートが激突するのです。

 コットは無敗で、この試合に勝てば、フロイド・メイウェザーとの対戦が実現するかもしれません。一方のマルガリートは、その圧倒的な攻撃力が評価されながらも、ビッグマッチに恵まれませんでした。もしコットに勝てば、間違いなくスパースター路線を歩めるでしょう。両者共に相手の力量は承知しています。そのうえでの対戦なのですから、互いに負ける気がしないのでしょうね。

 この試合の予測がつきません。前回のコット vs モズリー戦はそれなりに展開が読めましたが、今回は無理です。一応、両者のスタイルを説明します。コットは高いガードでブロッキングしながら、強いジャブからダブルのボディ・フックを放ちます。マルガリートはガードが低めです。そのかわり、右クロスと左ボディ・アッパーの対角コンボを打てるだけ打ちます。どちらも左によるボディ攻撃をベースにしているのです。
 さてさて、そこから先の展開がどうなるか。ガードのいいコットが有利かと考えますが、マルガリートは抜群の打たれ強さと無尽蔵のスタミナを誇っているのです。マルガリートは未だスタミナ面で底を見せたことがありません。また、相手のパンチを受けて怯んだこともありません。それだけに試合の主導権がどう傾くか読めないのです。

 マルガリートは長身で、リーチはそれなりです。で、ひたすら前進し、距離を詰めて連打を振るうスタイルです。決して後退することがありません。そのようなボクシング・スタイルは、ディエゴ・コラレスを髣髴させます。コラレスの得意パンチはフックでしたけど。そのコラレスは自動車事故で亡くなりました。淋しい私としては、ついついマルガリートを応援してしまうのです。

 試合結果と内容は、Web情報で速く知ることができるでしょうから、結果を受けてこの続きを書きたいと思います。


追加(27日13:10):マルガリート圧勝

 マルガリートが11R、TKOで勝ちました。このラウンド、マルガリートのいいショート・アッパーをもらったコットは、顔が浮いたところに左フックを受け、致命的ダメージとなりました。一度のダウンから立て直そうとしたものの、マルガリートの猛攻は止まず、自分からコーナーに蹲ってTKO負けとなりました。

 序盤のマルガリートのボディ・アッパーで、コットのボクシングは崩れたように思われます。ボディを嫌ったコットは、腰を引いて嫌がっていました。
 コットのパンチは相当数マルガリートの顔面を捉えていましたが、マルガリートは一切怯みません。それにコットのパンチは速くてシャープだけど、その分フォロースルーがありません。マルガリートのパンチと対照的です。マルガリートのパンチはフォロースルーたっぷりで、ボディ・アッパーなんか強烈でした。

 コットにしてみれば、いくらパンチを当てても全然効かないわけですから、打ち合いを続けるわけにはいかなかったのでしょう。中盤からはアウトボクシングに切り替えました。これはいい戦法ですけど、引き換えに得意のボディへのフックがまったく打てませんでした。ボディ攻撃なしでは、コットのボクシングは中途半端です。

 いくら逃げても、ひたすら追い続けるマルガリートの勢いは止まりませんでした。ロープやコーナーに詰まった際には、ショートの顔面アッパーをもらっていました。マルガリートの方が10cmも背が高いため、アッパーが有効でした。肩を支点に少し突き上げるだけで、十分なフォローが得られるわけですから。

 11Rは劇的でした。ダウンから盛り返そうとしたコットですが、調子づいたマルガリートの攻撃はより苛烈さを増し、諦めたように自ら座り込みました。


 劇的な主役交代でした。コットは言い訳もできないでしょう。もう、スーパースター路線も無理でしょうね。替わって、マルガリートがウェルター級の主役に躍り出ました。カーミット・シントロンを破り、コットを倒した次の課題はポール・ウィリアムズとの雪辱戦です。前回の試合は僅差の判定でしたから、再戦すればマルガリートが勝つんじゃないかな。すると3団体統一王者ですから、メイウェザーとのNO.1決定戦に持ち込めるかどうか。夢が膨らみます。
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参百六拾壱  ショーシャンクの空に(2008/7/19)
 連休とあって久しぶりにDVDを借りてきました。最近は仕事が大変で、休日といえど気持ちに余裕がありません。おかげでレンタルにはご無沙汰でした。

 今回借りたのは、新作の「ZODIAC」「スウィーニー・トッド」と懐かしい「ショーシャンクの空に」です。「ショーシャンクの空に」は今まで何度も観ていますが、またまた借りてしまいました。この作品は何度観てもいい後味を味あわせてくれます。

 原作はスティーブン・キングの「刑務所のリタ・ヘイワース」です。キングの作品は、そのほとんどが悲惨な展開や悲劇的な結末に彩られていますが、本作は珍しく爽快な結末なのです。それもあって、沈みがちな気分を慰めるために借りたものです。


 「ショーシャンクの空に」は、原作にかなり忠実です。原作が160ページ程度の中篇なので、映画にぴったりなのでしょう。それでも若干のアレンジが為されています。

 一番気になるのは、若い受刑者トミーの死です。トミーはこそ泥で、高校を出ていません。主人公のアンディは、トミーが高校資格を取れるように、欠課単位を通信教育に申し込んで指導します。で、アンディに好意を持ったトミーは、アンディの無実を証する証言を行います。ところが不正蓄財に励むリタ・ヘイワース刑務所長は、不正経理を手伝わせているアンディを手放したくありません。そこでトミーを脱獄に見せかけて射殺してしまいます。これって不自然でしょう。なんぼなんでも射殺は無理があります。ちなみに原作では、所長はトミーと取引をします。軽い受刑者向けの開かれた刑務所へ異動させたのです。

 また、細かいことを言うと、刑務所長は原作では3人が交代しています。暴力的な看守のハドリーも途中で退職します。それとタイトルにもなっている、脱獄用抜け穴を隠すポスターの女優も違っています。小説では、まずリタ・ヘイワース、次がマリリン・モンロー、ジェーン・マンスフィールド、ヘイゼル・コート、ラクエル・ウェルチ、最後がリンダ・ロンシュタットです。映画では下線を引いた女優だけですね。

 私が原作で一番好きなシーンは、屋根にタールを塗る労役の場面です。その最中、アンディは看守に相続税節約のアドバイスをしてやり、報酬として囚人一人につき缶ビール3本を要求します。相続税を払わなくてすんだ看守は、囚人たちにビールを奢り、彼らは作業を中断してビールを呷ります。
 このシーンを映像でどう表現しているかが楽しみだったのです。まあ、それなりですが、いい味を出しているんじゃないかな。



 美味そうにビールを飲んでいますね。ただし、原作と違って瓶ビールですけど。

 映画を観た方は、囚人に個室があてがわれていることに疑問を持ったでしょう。原作では、相部屋を一般的としています。アンディは個室を得るために所長と取引し、さらに長年月にわたる穴掘りを維持するため、同一の部屋に住み続ける苦心を描いています。

 そんな具合に原作は、脱獄に向けての地道な取り組みを丹念に描いており、説得力が抜群なのです。でも、映画も十分以上に面白かったです。きっと、数年後にもう一度見たくなるでしょうね。
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