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弐百六拾  困ったことども(2006/8/27)
弐百五拾九 最近の世相(2006/8/20)
弐百五拾八 靖国は日本側に問題あり(お盆特別回)(2006/8/13)
弐百五拾七 亀田戦とジャッジ(2006/8/5)
弐百五拾六 よく分からない富田メモ(2006/7/29)
弐百五拾五 十六歳の夏(2006/7/22)
弐百五拾四 人権啓発テキスト(2006/7/15)
弐百五拾参 半島情勢は複雑怪奇(2006/7/9)
弐百五拾弐 時代遅れのカセット録音(2006/7/2)
弐百五拾壱 チャーリーとチョコレート工場(2006/6/24)
弐百五拾  権力は腐敗する:ジミー・ホッファ(2006/6/17)
弐百四拾九 マッチメイク(2006/6/11)
弐百四拾八 「世界がもし100人の」と「おしん」(2006/6/3)
弐百四拾七 オーディオ完了間近(2006/5/27)
弐百四拾六 稲田千賢、海外奪取なるか(2006/5/20)
弐百四拾五 フランク・ロイド・ライト(2006/5/13)
弐百四拾四 ホリエモン保釈(2006/5/6)
弐百四拾参 日本海波立たず、米軍移転は暴力団の立退きか(2006/4/29)
弐百四拾弐 やはりエージング(2006/4/20)
弐百四拾壱 marantz SA-11S1 購入(2006/4/15)




弐百六拾  困ったことども(2006/8/27)
Outlook Express
 不調です。「メッセージルール」の「禁止された送信者の一覧」に、スパムメールを片端から登録していました。多分、一万件近く達したかと思います。すると「メッセージルール」を開けなくなりました。開こうとすると、ハングして終了してしまいます。つい昨日、Windowsそのものまでが終了してしまいました。再起動すると、「メッセージルール」が開けたのですが、登録した一覧が消えていました。そのうえ、登録できなくなりました。登録しても、Outlook Expressを再起動すると初期化されるのです。FAQのどこにも、この症状の記述はありません。
 再インストールもややこしいんですね。レジストリを書き換えないとできないはずです。もしドツボにはまったら、Windowsそのものの再インストールをやらなければいけません。もう諦めています。

壁リフォーム
 築100年以上になる我が家の納屋の壁を修理しています。土壁(内壁)の下部がふいています。その駄目になった部分を除き、モルタルを流し込んだり、塗ったりしています。素人の造作ですからひどいものです。写真ではとても見せられません。まあいいんです。格好は気にしませんから。それに、漆喰で仕上げをする予定ですから、きっと分からなくなるでしょう。
 先週から取り掛かったリフォームですが、来週には完成できるかなといったところです。

首長選挙
 今日は知事選の投票日です。先日の長野もそうでしたが、人材不足の感を否めません。田中康夫氏は論外としても、県民にとって、“政治を付託できるに足る”信頼を寄せることのできる人間がいないのでしょう。当地においても県民はしらけています。
 私自身、投票したい候補者がいません。一応がとこ投票はしますし、名前も書きますけど、力の入らないこと夥しい。

アナログプレーヤー
 オークションで幾度か入札しました。で、全部負けました、というか降りました。まあ気長にやります。今夜もひと勝負する予定です。今回はちょっと本気です。
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弐百五拾九 最近の世相(2006/8/20)
靖国
 首相の靖国参拝は過半数の国民に支持されました。マスコミの激しい批判攻勢に晒されながら、なおこれほどの支持を得たということは、肯定者の実態はより多数でしょう。参拝後のアンケート結果は、一部マスコミにとって我慢ならなかったみたいです。さかんに「危険なナショナリズムの台頭」だの「若者の歴史認識が問題」だのと訴えていました。
 苦し紛れのコメントですね。日本人のナショナリズムなんて可愛いものじゃありませんか。外国人排斥運動が起こっているわけでないし、他国籍人の存在を問題視する党是を謳った政党があるわけでないし。他国に自領を占領されても、表立った抗議をしません。また、日本史の汚い部分を自ら教科書にまで書いています。まさに猫のような国家です。犬のように吠えつく国家が周辺を取り囲んでいながらです。

 近隣協調というのは、なにも相手の言いなりになることではありません。隣国同士が問題を抱えているのは世界の常識です。そんななか、「中国の意を迎えることが友好の証である」とする世論形成が30年間にわたって行われてきました。この磐石ともいえる空気に対し、小泉政権は楔を打ち込み続けました。小泉首相の手法は、危機的な状況を生みかねないとしてきた一部マスコミや文化人、政治家はがっかりしてるでしょう。中国は舵取りの修正を迫られています。靖国を政治問題化すると、中国自身のためにならないという新しい時代に突入したのです。

 従来の朝貢外交に戻そうとする勢力の巻き返しはあるのか、あるいは小泉路線が定着するのか。この点は極めて重要な岐れ目です。


北方領土
 漁船銃撃事件は同情できません。彼らは覚悟のうえでやってたはずです。ロシアの国益を真っ向から犯していたのですからね。多分、威嚇射撃が図らずも命中してしまったのでしょう。
 問題の漁業組合の漁民がやってたことは、日本の国益をも犯すものです。彼らには、むしろ謝罪して欲しいです。家族も同情を引くようなコメントばかり喋っていたけれど、ひとこと「違法操業をしたために、皆様に迷惑をかけて申し訳ありません」といって欲しかったです。まるで、違法操業を当然のこととし、日本漁民に迷惑をかけている韓国漁民と変わるところがありません。

 以前、北方2島返還が領土問題の最終決着地点であると書きました。この線で話を進めておけばよかったのにと、あらためて思いました。
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弐百五拾八 靖国は日本側に問題あり(お盆特別回)(2006/8/13)
 8月10日の読売新聞に次の記事がありました。

 中国の江沢民・前国家主席(前共産党総書記)が在任中の1998年8月、在外大使ら外交当局者を一堂に集めた会議の席上、「日本に対しては歴史問題を永遠に言い続けなければならない」と指示し、事実上、歴史問題を対日外交圧力の重要カードと位置付けていたことが、中国で10日発売された「江沢民文選」の記述で明らかになった。

 日中国交回復以来の関係を眺めると、中国側のこのような外交姿勢は当然でしょう。ユダヤ関係団体のホロコーストに対する姿勢は、日中問題どころではありません。ヨーロッパにおいては、ナチによるジュノサイドの数を学術的に検証することさえ許されません。近現代史を専攻する歴史家が、純粋に歴史検証を行っただけで大学を追われたケースさえあります。不当な言論弾圧だと思いますが、政治勢力の力関係によっては現実に起こりうることなのです。

 このように異常な関係を正常に戻すのは、ひとえに当該者の努力しかないでしょう。内政干渉と非難しても無駄というものです。そのような段階はとうの昔に通り過ぎています。ものごとは最初が肝心とはよく言ったものです。サッチャーのように、最初の時点で原則で以って峻拒しておけばよかったのです。

 で、日本側の姿勢そのものが混乱しています。野党関係者のように党利で以って“靖国参拝反対”を訴える勢力があり、中国の意に添う報道を心がけるマスメディアがあり、相手にするのも馬鹿らしい市民団体もあります。
 民主党の小沢氏は自民党幹事長時代、「首相の靖国参拝は問題なし」の発言をしていたはずです。
 また、市民団体の方々には、金日成元主席の霊廟に献花した土井さんや村山氏も同様に非難して欲しかったなあ。あるいはチベット侵略を実行した毛沢東を、国家の偉人として祀るのは不当であるとして、ぜひとも中国大使館にデモ抗議して欲しいです。

 そしてなにより、靖国神社の趣旨とか姿勢そのものがぶれています。靖国神社は教学上、A級戦犯の“分祀”は不可能だと主張しています。これって本当でしょうか。靖国神社の神道教義実践は、相当にあやしいのではないでしょうか
 イラク派遣部隊に殉職者がでた場合、合祀が可能かどうかの確認に対して、靖国側は戦死でないので合祀はできないと回答しています。ね、矛盾してるでしょう。刑死した戦犯や消火活動で死んだ方が祀られているのは、公務死として厚生省にリストアップされたからです。神道教義や戦死の定義と関係なしに祀っておいて、自衛隊の戦地活動での殉職を含めないというのです。

 それともう一点、昔ならいざ知らず、今は個人の権利意識を勘案して合祀を考えるべきです。そもそも信教は個人の自由であり、他から強いられるものではありません。ならば、合祀するかどうかは神社や国家が決定すべき事項ではないはずです。もっと言えば、遺族が口出しすべきことでさえないと思います。あくまで個々人が決定すべきであり、自衛隊隊員には殉職の際に祀って欲しいかどうか応諾を確認しておくべきです。


 靖国問題は日本人が考えて結論を出しましょう。中国の政治攻勢に左右されるべきではありません。もし、近隣協調をのたまうのであれば、中国の侵略下で喘ぐ人々のことをきっちり持ち出して、そのときの国家指導者を聖廟から排除するように強く主張しましょう。
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弐百五拾七 亀田戦とジャッジ(2006/8/5)
 今週行われたWBA世界L.フライ級タイトルマッチ:フアン・ランダエタ(1位) vs 亀田興毅(2位)戦の判定は物議をかもしました。2-1の僅差で亀田選手が王座を獲得しました。で、この判定に大半の視聴者が納得できなかったのです。

 ボクシングの判定は“10ポイント・マスト・システム”によって為されます。海外での運用では、僅差の場合でもできるだけ10-9の優劣をつけることが指示されています。その結果、採点が割れることが多々起こります。先日の亀田戦でも、優劣のはっきりしないラウンドがかなりありました。ですから、115-113、114-113、112-115と三者三様のジャッジとなったわけです。
 ただ、やはり問題があります。韓国人ジャッジは12Rを亀田選手に振っています。その結果としての115-113(亀田の勝ち)なのです。12Rは完全にランダエタが取っていました。亀田はいいパンチを貰って顔が上がったり、ふらついたりしました。ご覧になった方は皆ご存知でしょう。もし、このジャッジが12Rをランダエタに与えていたら、ドローで亀田の戴冠はありませんでした。

 ジャッジを招くのはプロモーターです。交通費、宿泊費、手当はもちろんのこと、食事の接待も行います。ジャッジによっては、主催者側寄りの判定をすることはままあることです。きっと、この韓国人ジャッジも気を使ったのでしょう。亀田選手の商品価値の高さを熟知していて、さらには有形無形の圧力があったのかもしれません。

 スター選手に判定が傾きがちなのは世界的な傾向です。フリオ・セサール・チヤべス vs パーネル・ウィティカーの試合も、なんでドローなの、ってなもんでした。チャべスのパンチは一発も当たっていないにもかかわらずです。この不当なジャッジは、その当時無敗であったチャべスのステータスを汚さないためだったのでしょう。
 逆に、どちらが勝ってもおかしくない五分の試合で、自国スター選手が敗けることもあります。このケースはアメリカでの試合に限ります。アメリカ以外ではありえません。
 オスカー・デラ・ホーヤ vs フェリックス・トリニダード戦は、スパー・スターであるデラ・ホーヤがパンチを当てていて、トリニダードの顔は腫れていました。当然のこと、デラ・ホーヤの勝ちは動かないだろうと思われました。それが勝利者コールで「リコ」とアナウンスされたものだから、一瞬信じられませんでした。

 今回の韓国人ジャッジと似たような方が日本にもいます。森田健さんという世界的に有名なジャッジです。この森田氏がジャッジを務めると、僅差の判定の場合、必ずといっていいほどチャンピオン(スター選手)側に勝たせています。東京ドームでマイク・タイソンがジェームス・ダグラスに10R KOで敗れた試合が有名です。あの試合のタイソンは手足がバラバラでボクシングになっていませんでした。よれよれのタイソンだったのに、森田氏はKO前までのラウンドをタイソンの勝ちにしていたのです。この件は世界中のボクシングファンを呆れさせました。

 亀田戦のあまりフェアともいえない判定に対して、ボクシングファンはブーイングを集めています。これもネットのおかげでしょう。昔なら押し殺されていたサイレント・マジョリティが、マスメディアを圧倒してさえいるのですから。TV局や興行関係者も今回の不始末を戒めとして、選手が正当に報われる運営を心がけて欲しいです。
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弐百五拾六 よく分からない富田メモ(2006/7/29)
 7月20日の日経新聞に掲載された故・富田朝彦元宮内庁長官のメモが物議を醸しました。私にも理解し難い点がいろいろあります。なにより一番に、他人がメモを取ってるような場面で、あのようなことを口にするだろうかということです。特に個人名を挙げての誹謗はとても納得できません。

 田中義一内閣時代に起こった張作霖爆殺事件の原因究明は、陸軍の反対にあって放棄されました。もともと陸軍軍人であり、末は陸軍大将間違いなしといわれていた田中義一は、陸軍の機密費を原資に立憲政友会総裁に就任し、若槻内閣後に組閣しました。もともと大陸政策での強硬派であった田中は、陸軍の意を迎えるのに否やはなかったのでしょう。結果、天皇の田中に対する非難が内閣を総辞職に追い込み、さらには田中を死に追いやりました(その死の本当の原因は不明)。この事件は先帝にとって極めて重大な転換をもたらしました。この反省から以後、天皇は政治に対して指示的なコメントを控えるようになりました。
 さてさて、本当にメモを取っている人間がいる前で、あのようなことを喋ったのでしょうか。それでなくても靖国参拝が外交問題化している状況下、より問題を深刻化させかねない『A級が合祀され、その上松岡、白取(白鳥)までもが』などという発言をするかどうか、私は大いに疑問を感じます。


 『A級が合祀され、その上松岡、白取(白鳥)までもが』の趣旨は理解できます。天皇は靖国の沿革を熟知していたでしょうから、このようないいかげんな取り扱いに納得し難いものを感じていたのではないでしょうか。靖国が祭る人士は、あくまで政府の指示を受けてのことです。厚生省(当時)の管轄下、恩給法と戦傷病者戦没者遺族等援護法で「公務死」と認められた者が「祭神名票」に記載され、靖国側に通知され、神社側はこれをもとに合祀するわけです。 松岡洋右と白鳥敏夫は軍属ではないし、軍歴もありません。天皇が尊敬する乃木希典でさえ祭られていないのになんで、ってなもんでしょう。ちなみに乃木は、戦死ではありません。
 民間人であっても、戦難死であれば合祀されているみたいです。ただ、良く知らないのですが、都市への爆撃で死んだ市民は祭られているのでしょうか。もし、祭られていないのなら、松岡や白鳥の合祀は承服しかねます。「祭神名票」の見直しをして欲しいところです。


 ところで、富田メモですが、本当に天皇の喋ったことでしょうか。
 『それが私の心だ』
 先帝が私なんて言いますかねえ。そもそも先の天皇に“私”は存在しません。なんか、まともに取り合うのが馬鹿くさいんですけど。
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弐百五拾五 十六歳の夏(2006/7/22)
 夏は技能検定の季節です。今年の「広告美術検定」の課題は“刷毛塗り”による課題が選択されました。ここのところ、現場の実状に合わせて“粘着シート”が選ばれていました。それが、10月に行われる技能五輪の課題に合わせての変更でした。技能五輪への出場候補選手が決定し、選手の推薦のための検定となったのです。

 候補者選びには苦労があったみたいです。出場資格は23歳以下です。となると、普通の経験者は該当しません。まず、五輪向けに若者を養成しなくては間に合いません。屋外広告業界には若者がいません。そこで現役の学生を養成するしかないのです。幸いなことに、屋外広告業組合会長の友人関係から、某グラフィックデザイナーの娘さんが高校一年生で、絵を描くことに興味があるということで打診すると、応諾を得られたそうです。
 それからが大変です。まったくの素人さんですから、一から指導したそうです。担当したのは、隠居状態の看板描きのベテランさんだそうです。さすが十代の人間の吸収力には目を見張るものがあり、数回の指導で経験者並みのレベルまで到達しました。

 我々検定委員一同も、実技検定をハラハラしながら見守りました。なんとしても実技検定に合格し、晴れて五輪への出場資格を得て欲しいからです。まあ不合格の場合には、職業能力開発協会推薦という枠があるにはあります。でもやはり、正式に合格者を選手としたいですからね。下図は仕上がった検定作品です。



 見事なものです。制作時間は5時間が標準で、30分の延長(減点対象)を以って打ち切りです。複雑な工程を要するため、最善の手順が求められます。彼女は現場経験者と見まがうほどの手際と正確さで完成させました。脱帽です。まったくの素人にここまでやられたら、業界関係者は頭を下げざるを得ません。
 委員一同の感想は、「やはり、親の血を引いてんだなあ」です。ちなみに合格発表は10月3日なので、結果は書けません。

 16歳の人間がこの検定を受けるのは前代未聞です。全国でも聞いたことがありません。こんなに若くして、技能の世界に触れた感想はどのようなものなのでしょうか。きっといい思い出になるとともに、ものづくり世界の楽しさも味わっていただけたのではないしょうか。関係者一同、日本の若者の頼もしさに意を強くさせられました。

 10月22、23日に実施される五輪本番が楽しみです。期待しています、F嬢。
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弐百五拾四 人権啓発テキスト(2006/7/15)
 セクハラ告発映画「スタンドアップ」を観ました。実話を元にしているそうで、なかなかによくできた映画でした。暴力夫と別れた子持ち女性が、生活のために北部の鉱山に勤務し、職場のひどいセクハラ被害に退職を余儀なくされます。すべてを失った主人公は、ひとりで会社の告発に踏み切る内容です。1989年のできごとで、全米で最初にセクハラ訴訟に勝った裁判だそうです。なんか、もっと前からその手の訴訟での勝訴はあったような気がするんですが。1991年には有名な、最高裁判事を被告としたセクハラ訴訟がありました。そのニュースを聞いたとき、「なんだまたか」との感をもった記憶があります。

 いずれにしても、よくできたシナリオです。これなら人権啓発テキストに使えそうです。私どもの施設でも、人権啓発活動は必須として求められています。同和教育関係であれば、あらゆるところに啓発VTRが準備されています。しかし、同和以外の分野については、特に準備されていません。そこで、私は普通の映画を啓発活動用に利用しています。ただし、著作権上問題がある話なので、大きな声では言えないんですけど。

 まず、人種関係であれば、黒人問題を題材にした映画がアメリカでたくさん制作されています。私が利用するのは「ミシシッピー・バーニング」や「ジョージアの風」、「アラバマ物語」です。前者は60年代の公民権運動を下敷きにした実話です。映画そのものの面白さも第一級です。ジーン・ハックマンが渋い。

 また当然のことですが、人種問題は黒人問題に限りません。グレゴリー・ペック主演作で「紳士協定」があります。多分、ユダヤ人差別を最初に採り上げた作品でしょう。かつてのハリウッドは、こういう本格的社会派作品も制作していたんだなあ。

 他にも人権啓発として取り組むべき点として、障害者問題があります。その場合には、アメリカのTVドラマの「心の瞳で」を観せます。この作品は、私自身とても好きなドラマです。裕福な家庭に育った全盲の女性が、同情を嫌って自立した生活を築き上げる物語です。同じ境遇の男性と文通から知り合い、全盲同士で結婚し、農場経営から、建築事業、子育てまで二人だけで成し遂げていく話です。同じテーマの日本製ドラマだと、やたらにじめじめしたり、世の中を恨んだり、悲観したりの愁嘆場を見せられますね。「心の瞳で」には、そのようなシーンはでてきません。むしろ誇り高い生き様をこそ主張します。

 また、知的障害分野については、NHKが制作した「ランタナの花の咲く頃」を利用します。この作品も、変にじめじめした鬱陶しさがありません。むしろ、知的障害を抱える主人公を笑いのめしてさえいます。それであればこそ、ラストの純真さが迫ってくるのですが。


 などといったラインアップを人権啓発活動向けに準備しています。で、これからは女性差別問題用に「スタンドアップ」を活用しようと思います。ただ、このような話題作だと、「え〜、私、この映画観たことある〜」となってしまうのが辛いところです。
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弐百五拾参 半島情勢は複雑怪奇(2006/7/9)
 かつて「欧州情勢は複雑怪奇なり」として、内閣を総辞職したのは平沼騏一郎でした。平沼内閣の件は、あえて総辞職する話でもないと思うのですが。ドイツがソ連に攻め入ったのだって、平沼内閣のせいでもないし。

 北朝鮮のミサイル発射は理解に苦しみます。いえ、合理的理由を探そうとするから理解できないのでしょうね。アメリカに二国間協議を受け入れさせるために、できうることといったらミサイルを飛ばすことくらいしか手段が残されていないのでしょう。一昨年の核実験を偽装した大爆発も、通常火薬によるものと見透かされましたし。

 完全にアメリカの出方を見誤っています。今日び素人でさえ、脅しに対してアメリカが妥協しないのは当然のこととしています。それを北朝鮮指導部は読めていないのでしょうか。そこまで馬鹿とも思えないのですが。
 ミサイル発射を受け、韓国は肥料や食糧援助を中止するそうですし、日本も限定的制裁に踏み切りましたし。一体何を得たのでしょうか。


 などと書いていると、TBSの「ブロードキャスト」でミサイル迎撃について語っています。相も変わらず中途半端な解説です。SM3の問題点として、日本配備のタイプは多弾頭の識別ができないと語っていました。結局、それだけです。迎撃を語るなら、弾道ミサイルの突入速度が問題なのです。現在の技術水準では、中距離弾道弾を確実に迎撃するのは不可能です。それともう一点、防御範囲がポイントです。読売新聞は「PAC3の防護範囲は数十キロ」と記述していましたが、こんな明白な矛盾に気づかないのでしょうか。PAC3の射程は25km前後でしょう。弾道ミサイルはほぼ垂直に落下してきます。仮に射程が30km以上あっても、なんで防御範囲が数十キロに拡がるのか。読売新聞の記者のセンスを疑います。TVでも、まともな解説を聞いたことがありません。


 以前、MDの怪談にも書きましたが、弾道ミサイルの性格について、きちんとした解説をして欲しいものです。
 私は素人ですが、誤解を恐れずに解説します。SM3にしろ、PAC3にしろ、ノドン・クラスを対象に開発された迎撃システムです。しかしながら、確実に迎撃できるのはスカッド・クラスまでです(確実というより、性能的にクリアしているというべき。当たるかどうかは神頼み)。ノドンに対しては、当たれば幸い程度の命中率です。ましてテポドン2ともなれば、迎撃は不可能というのが事実です。


 北朝鮮のミサイル発射に対して、中国は「強硬な対処をすべきでない」旨の発言をしました。結構なことです。せっかくこう言ってくれているのですから、今後は東シナ海に発射すればいいんですよ。きっと、許してくれますよ>金正日将軍。
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弐百五拾弐 時代遅れのカセット録音(2006/7/2)
 私はホイットニー・ヒューストンが好きです。とはいえ、ファンってほどのものではありませんから、もっぱら中古ソースばかりを集めています。ただ、映画の「ボディガード」の主題歌である「I Will Always Love You」だけは中古で出てきません。で、やむなくレンタルのディスクを借りました。

 ホイットニー・ヒューストンのディスクは、いずれも優秀な録音です。素直なリミックスで、Dレンジも広く、鮮度も高めです。特にデビュー・アルバムの「そよ風の贈りもの」はポップス系として極上レベルで、たまたまアナログを手に入れることができました。



 オーディオ的快感を充分に堪能させてくれます。これがハードオフで200円だったのですから笑いが止まりません。冒頭の「恋は手さぐり」のドラムは超低域まで延びています。残念なことに、サブソニック・フィルタをオンにしている現在は、超低域の再現が少し弱くなっています。
 で、「I Will Always Love You」です。これは名曲でしょう。ドリー・バートンの原曲も一度は聞いてみたいです。また、リンダ・ロンシュタットも泣きの効いたカバーをしているそうです。
 さて録音をどうするか。できるだけいい音で残しておこうと思い、カセットを取り出しました。「え〜、今どきカセット・テープだって」などと言わないでください。高性能カセット・デッキの音は文句のつけようがありません。



 VictorのTD-V931の実力は素晴らしいものです。このデッキで録音するのは6年ぶりくらいでしょうか。キャプスタン一式を交換したとき、確認のための試し録音をして以来です。今のカセット・テープは相当に高性能ですから、レベルをかなり高くできます。デッキの表示する標準レベルを大幅に超えても問題ありません。おかげでヒスノイズさえ気にしなければ、CDと区別できないほどの高音質で再生されます。CD-Rに録音するより、テープの方がよく聴こえるのです。多分、気のせいでしょうけど。


 私のオーディオ・システムは完成しました。スーパー・ツィーターのエージングも進んだ模様で、MONITOR2000と渾然一体のサウンドを提供してくれます。帯域バランスの不満も完全に払拭されました。
 導入当初のmarantz SA-11S1は、高解像と引き換えに線の細さがありました。それが今は適度な厚みや拡がり感も出てくるようになりました。微細な粒立ちといい、中級以下のCDプレーヤーの中では出色のプレーヤーでしょう。

 上にも書きましたが、アナログ・プレーヤーの超低域のハウリングが気になっています。実は、アナログ・プレーヤーの更新を考え始めています。どの口でオーディオ・システムは完成したなどとほざいているのか。家族の非難が怖い。
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弐百五拾壱 チャーリーとチョコレート工場(2006/6/24)
 「チャーリーとチョコレート工場」は一年前の映画です。それを今頃ってなもんです。お子様向けかと思って見る気もなかったのですが、いやいや大したものです。

 5人の子供集めのシーンは「7人の侍」風です。それぞれの子供が個性的なので、その特質や特技を生かした展開になるかと予想しました。予想は半分当たって、半分外れでした。単に、落伍ゲームの場面づくりに援用されただけでした。それはそれで面白かったですけど。

 主人公を除く他の子供たちが落伍するネタはまあまあかな。ただ、下図のリスの怒りを買うシーンは秀逸でした。リスが我儘娘の脳味噌をチェックするのには笑わされました。全編満載のCG中でも、このリスは見事です。毛の質感表現が可能になったのは10年前くらいでしょうか。それまでの毛の表現は、実物に程遠いのっぺりしたものでした。このリスの毛は、生きた動物のそれと見分けがつきません。
(C) Warner Bros


 子供が落伍するたび、小人のウンパ・ルンパのミュージカルシーンが挿入されます。これもCGです。周辺の実写と見比べると、同じ質感の影がちゃんと落ちていました。ついついこういうところに目がいってしまいます。



 下図は、ウィリー・ウォンカの回想が過去に及ぶときの画面効果です。このスパイラル・フィルタの構図は、「タイムトンネル」のパロディでしょう。「タイムトンネル」が分かるということは、私の年がばれちゃいます。



 この転送シーンは、言わずと「2001年宇宙の旅」のパロディですね。転送を始めるときのBGMが「ツァラトゥストラはかく語りき」だったので、こうなるんじゃないかと想像しましたけど。



 ストーリーは荒唐無稽というより、かなりアナーキーなものです。あるいはブラックというべきか。主人公と家族の情愛の深さを語る一方で、他の登場人物に対しては徹底的に非人間性をカルカチュアライズしています。この点には不満が残りますけど。



 画質はA級でしょう。場面によって彩度の度合いを変えています。工場内の映像には、上図のように彩度の高い原色を多用してファンタジー性を強調しています。この映画は劇場での観劇より、ブラウン管で観るのが正解でしょう。今の劇場はコントラストが低く、鮮やかな色彩再現は無理ですから、この映画の原色が描き出す雰囲気が伝わらないと思います。
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弐百五拾  権力は腐敗する:ジミー・ホッファ(2006/6/17)
 レンタル店で「ホッファ」を借りて観ました。これは見たかった映画ですが、なかなかDVDに出会えず、今日のことついに我慢しきれずにビデオを借りた次第です。ホッファについては以前にも「アメリカよ」で触れています。

 ジミー・ホッファは全米(国際)トラック運転手労組委員長(IBT)を務めた黒い紳士です。IBTはアメリカの労働組合のなかでも異彩を放っています。というか、IBTは全米労組連合から腐敗を理由に除名されています。IBTの腐敗の凄まじさは、ネタが多すぎて書く気も起こらないほどです。

 で、映画の「ホッファ」です。ホッファたち幹部の腐敗、マフィアとの一体化、組合員たちの年金や保険金の恣意的運用など、IBTの実態に触れているかと楽しみにしていたのですが、肩透かしをくわせられました。IBTの腐敗については、おざなり程度の演出でした。そのために、ラストのホッファ失踪(殺人)に至る経緯が弱いものになっています。ホッファ失踪の理由については、あらゆる推論が立てられています。ホッファの腐敗があまりに多岐にわたっているため、失踪に繋がる要因がやたら多いのです。あまりに複雑すぎて、とても説明しきれません。作家の枝川公一氏が ジミー・ホッファはほんとうに殺されたのかにまとめていますので紹介しておきます。読んでいただければ、その凄まじさに圧倒されるでしょう。ちなみにラスベガスのホテルビジネスを隆盛に導いたのは、IBTからの還流資金だそうです。いうまでもなく、ラスベガスを仕切っているのはマフィアで、ホッファと一体化していたわけです。

 IBTの幹部が“労働貴族”と呼ばれるように、アメリカ最大の寄付協会(正確な名称は失念)の幹部もまた腐敗にまみれています。昔、この組織のレポートを読みました。たしか会長は移動に専用ジェットを使うそうです。あらゆる組織や団体は、ここからの寄付が欲しいため、絶対に逆らえないそうです。

 IOCの理事連中と似たようなものですね。彼らもまた“五輪貴族”と称され、世界を見下した特権意識に染まっています。日本も他人事ではありません。長野五輪誘致では官民挙げて接待にこれ努めました。シンクロの小谷さんなど、お気の毒なことに着物での接待を強いられましたっけ。ロンドンでの接待では没落貴族の邸宅を借りきって、女性まであてがったはずです。


 日本でも地下経済が表の世界を席巻した例があります。イトマンをめぐる経済の闇もIBTを髣髴させるものです。イトマン及び周辺に群がった企業や関係者の面子には驚かされます。さすがに怖くて書けませんけど。

 ところで、本文中で紹介している枝川公一氏のコラムに、「小生意気なガキも納得? アメリカ外交問答」があります。まあ読んでみてください。大笑いしますから。
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弐百四拾九 マッチメイク(2006/6/11)
 アメリカでは、ボクシングファンの見たい試合がすんなり実現することがあります。また、ありえないような意外なカードが提供されもします。

 今春実現した、ザブ・ジュダ− vs フロイド・メイウェザー(IBFウェルター級)戦には痺れました。この試合なんか、ボクシングファンは実現しないんじゃないかと諦めてたカードです。
 私が今まで観戦した、ボクシングのみならずあらゆる格闘技、いえ、あらゆるスポーツの中で、最速の身体能力を見せつけられた試合でした。この試合のVTRは永久保存します。

 メイウェザーの体捌きは人間離れしており、ハンドスピードは相手が反応できないほどのものです。またステップ・ワークの瞬発力とスピード、方向転換のクイック能力は異次元のマトリックス・ワールドです。数多のスピード・ボクサーが、いずれもそのスピードについてゆけず、一方的に敗れ去りました。
 一方のジュダーもまた、現役ボクサー中で五本の指に入るスピードを誇っています。ですから、世界中のファンがこのカードを期待していました。で、今春のことあっさり実現してしまったのです。

 試合内容は、エッセンスが濃く凝縮されていました。あのメイウェザーがスピード負けしたのです。ジュダーがサウスポーであることも影響していたのでしょう。メイからの右クロスは、少し遠目になります。そのわずかな寸毫の間を衝いて、左アッパー、左フックを合わせました。また、メイ得意の左フックを、右に回り込んでかわしながら右フックのカウンターを取りました。これらは目にも留まらぬ瞬速の攻防でした。およそ人間の為しうるスピードではありません。
 スピードで優位に立てないメイは、ブロック戦法に切り替えました。距離を詰めての細かいパンチでポイントを積み重ねました。結局スタミナ切れを起こしたジュダ−は、守勢に追い込まれて敗れました。

 ボクシング史上最速対決であり、今後もこれを上回る試合は観ることができないでしょう。


 今日のこと、アメリカのアトランティック・シティーでアントニオ・ターバー vs バーナード・ホプキンス(IBO L.ヘビー級タイトルマッチ)が行われます。
 この試合は意外も意外、誰も予想できなかった組み合わせです。ホプキンスはミドル級の選手で、体重苦もなく、計量はいつも余裕でしたから。それを相手のターバーは2階級上の、それも長身サウスポーという難敵です。いくらなんでも無謀です。

 ホプキンスはクレバーな選手なので、勝算があってのことなのでしょう。ターバーは手数が少なく、相手をじっくり見ながら闘うタイプです。そこをいきなりの右やカウンターで迎え撃とうという計算なのでしょう。ターバーの左ストレートに対して、左ダックしながら右クロスをカウンターで合わせる戦法を取るでしょう。これが通じなかったら、ホプキンスに勝ち目はありません。
 互いに手数の少ない、若干しょぼい試合になりそうな予感がします。ホプキンスにしてみれば、手数の多いカルザゲよりはつけ込む余地がありそうですけど。


 7月2日には、マニー・パッキャオ vs オスカー・ラリオスの試合が予定されています。これはメジャー・タイトル試合でなく、WBCの下部タイトルです。でもそんなの関係ありません。あくまで対戦カードの内容です。まったくパッキャオには感心します。バレラ、ファン・マルケス、モラレスとここのところ強敵ばかりと対戦しました。そして今回のラリオスですから。まあ、モラレスさえ一方的に退けたパッキャオにとって、ラリオスは楽な相手なのかもしれません。試合会場はフィリピンとのことですから、さぞかしフィリピンは盛り上がることでしょう。実況中継中は、フィリピン人の誰もが仕事はもちろんのこと、遊びさえも手につかないでしょうね。フィリピン全土を覆う熱狂振りが目に見えるようです。私もですけど。


6/11 16:25 追加
 ホプキンスの判定勝ち(118-109×3)だそうです。
 意外だったなあ。ダウンを奪っての判定勝ちということは、ターバーが取ったのは、2つのラウンドだけということになります。ほぼ一方的な試合だったのでしょう。想像では、ターバーは相手を見すぎて手が出なかったのかなあ。
 WOWOWの放映は7月31日だってさ。待たせすぎ (-_-メ)
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弐百四拾八 「世界がもし100人の」と「おしん」(2006/6/3)
 今、フジTVの番組で「世界がもし100人の村だったら4」を放映しています。大して興味も湧かないので、別の用事を片づけながら音声だけ聴いています。

 ガーナの兄弟が幼くして労働に従事している様子が伝えられています。スタジオでは、日本が何をしてあげられるかを論じています。皆、ずいぶん偽善的な言辞を弄しています。ゲストの安倍(官房長官)氏は、政治家なので否応もなくきれいごとを話さなければならないでしょう。でも、ほかのゲストにはもっと小ましなコメントを喋って欲しいものです。

 子供が労働に従事するのは、世界的に珍しいことではありません。日本でも、昭和40年代までは、当たりまえに見られた光景です。それに、6歳と11歳の男の子の労働にしては、楽な仕事ですよ、あれは。私自身、ガキの頃やった田植えの辛さは未だに記憶に残っています。子供時代、農繁期になると休日が嫌でたまりませんでした。学校や勉強は嫌いながらも、休日はもっと嫌いでした。ですから、このガーナの兄弟が学校へ行きたい気持ちはよく分かります。
 学校へ通えない家庭の事情や貧困というものは、かつての日本でも普通に見られた光景です。無着成恭氏の「やまびこ学校」にも、子供が労働力として必須であった山村の貧しさが描かれています。なかでも祖母と二人、わずかな畑でどうやって生計を立てていくかを綴った作文には胸が熱くなった記憶があります。
 ところで、この兄弟のケースは、他国の人間が援助だなんだと気を揉むケースでしょうか。むしろ言うなら、「ガーナ政府は、児童の就学援助に留意すべき」でしょう。やたら安易に、日本政府の取り組みに話を短絡しすぎですよ。


 ナディアが13歳で出産し、子育てするのもまた生き方の自由の話でしょう。ドラマチックに仕立て上げるほどのことでしょうか。多分、取材に応じることについて、過分の謝礼が払われているのでしょう。


 ウクライナのスラワの言動には、出来過ぎの感を得ました。音声を聴いていただけですが、まるでシナリオを読んでいる雰囲気を感じました。あの子はもしかして劇団の子役じゃないの。


 無責任な感想ばかり書きました。この年になると、どうにも素直にものごとを受け入れられません。そういえば、NHKの「おしん」を思い出しました。あの物語中、関東大震災で零落した旦那と佐賀の里に帰り、旧家のあざとい仕打ちにおしんが耐える場面がありました。
 私はあれを見ながら「なんでこれが耐えるほどのことなの」との違和感をもちました。田舎ではあんなの当たりまえというか、おしん(田中裕子)がやってた農作業は軽作業ですよ。あんな作業で農業の辛さを語るなよ、ってなもんでした。
 その頃つきあってた女性が老人ホームで働いていまして、老人たちは「おしん」に夢中になっていたそうです。で、おばあさんたちは口々に“おしん”を馬鹿にしていたそうです。当時の農家に嫁した女性たちが、家事と農作業で虐げられた苦労は、とうてい「おしん」の及ぶところではありません。「おしん」のシナリオを書いたライターは、きっと都会育ちだったのでしょう。

 いずれにしても、今の日本は平和で安楽な幸せに満ちています。それだけに、「世界がもし100人の村だったら」式構成の番組が成り立つのでしょう。本当は、今回のようなケーススタディを1万件持ち寄っても、スーダン一国の現状にさえ及ばないのですがねえ。
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弐百四拾七 オーディオ完了間近(2006/5/27)
 MONITOR 2000 のツィータのクロスは4KHzです。受け持ち帯域の低い方の音圧は高く、10KHz超は低いと思われます。そのため高域が耳につきやすく、うるさく感じることがありました。そこで緩和するため、レベルを下げてバランスを取っていました。当然のこと倍音成分が寂しく、ニュアンス不足を招いてしまいました。

 解決策としてスーパー・ツィータ導入を考慮し、あちこち物色したところ、U-Statiuon21で Pioneerの PT-R4 を購入しました。かつて憧れであったリボン型です。2年前にMONITOR2000 を買ったときには、まさかここまでやるとは予想もしていませんでした。
 セッティングはとりあえず下図のとおりです。

 ツィータと同軸上で、振動板の前後位置を合わせています。まだ細かい煮詰めはやっていません。

 SPケーブルはS&TのOMNI-8Nの4芯の外被を剥き、2芯を2セットとしました。幸いアンプが2系統出力に対応しているので、A+Bで使っています。ネットワークが内蔵されていて、HPF(ハイパス・フィルター)が20kHzと30kHzで切り替えできます。またレベルが高すぎる場合、ATTで3dB(20kHz)減衰できます。上の写真のとおり、背面の切り替えスイッチで選択できます。

 スーパー・ツィータだけ出力すると、か細くかすかに鳴っているだけです。それでも一緒に鳴らすと明らかな変化が表れます。繊細でまろやかな音になります。また、以前は聴き取り難かった響き成分を明瞭に付加してくれます。
 Marantz の SA-11S1 とスーパー・ツィータの相乗効果で、かなり美音系の音に変貌しています。若い頃であれば、シャープで繊細な切れ込みが好きだったので、きっと食い足りなく感じることでしょう。でも今はゆったりした穏やかさが好みです。やはり年のせいかなあ。といいながらも、ガツンとくる低音や透明なハイスピード・サウンドは欠くことのできないものですけど。

 位置決めやフィルタ・ポジションの選定はこれからです。現状で特に不満はないので、あえていじる気も起こりません。まあ、気長につきあっていきます。確定してしまったら、もはやオーディオは完了してしまいます。それが若干寂しくもあり、わざと課題を残しておこうかなあっと。
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弐百四拾六 稲田千賢、海外奪取なるか(2006/5/20)
 日本ボクシング史において、海外でメジャータイトルを獲得した選手は5名しかいません。
  • 1968年 WBA フェザー級 西条正三(協栄)
  • 1981年 WBA Jr.ミドル級 三原正(三迫)
  • 1992年 WBA S.ライト級 平仲明信(沖縄)
 あと、柴田国明氏と上原恒康氏も王座奪取に成功しています。

 三原選手の戴冠は、レナードが王座を返上したことによる決定戦によるものです。レナードにしろ、その前のアユブ・カルレにしろ、三原選手が到底勝てる相手ではありません。こういっためぐり合わせも大切です。

 平仲選手も、下り坂のエドウィン・ロザリオが相手だったから勝てたのでしょう。私は強い頃のロザリオを知っているだけに、まさか平仲選手が勝てるとは思ってもみませんでした。

 西条選手は文句なしに素晴らしいボクサーでした。一階級上の小林弘選手とのエキジビション・マッチは今も憶えています。小林選手のパワーに対して、スピードで互角に闘いました。左右の動きと出入りのステップワークは今でも通用するものでしょう。

 明日、6人目の海外戴冠王者が誕生するかもしれません。ロサンゼルスにおいて、WBC世界ライト級暫定王座決定戦で、稲田千賢(ちかし)がメキシコのホセ・A・サンタクルスと闘います。稲田選手も運のいいことです。本来であれば、WBCの王者はディエゴ・コラレスであり、その強さは圧倒的です。昨年のカスティージョとの対戦において、カスティージョが体重超過で勝ったためにややこしい話になりました。私もそのあたりのルールがよく分かりません。いずれにしても稲田選手にとっては、千載一遇のチャンスです。

 もし勝てば、日本人ボクサーによる14年ぶりの海外での王座獲得となります。稲田選手の試合は一度しか見ていません。背が高く、リーチの長さを生かしたワンツー攻撃を主体にしたボクサー・タイプです。あまり力強さは感じません。フックにも一発必倒のキレはありません。ただ、クレバーな印象を受けました。
 対戦相手が未知なので、試合展開の予測がつきません。それだけに勝敗の予測がつき難く、興味がより高まっています。WOWOWは実況生中継を行うので、明日の午前中はTVの前を動けません。

5/21 11:10 追加
 今、試合が終わりました。6R TKO敗です。
 完全に力負けしていました。早くから軽めに仕上がっているとの情報から、パワー不足の危惧はあったのですが。パンチは弱々しいし、ブロックも相手のパンチを殺せていませんでした。左で試合を組み立てるにしては、ジャブが鈍かったです。あのジャブで相手をコントロールするのは無理です。加えて、上体の防御動作も反応が鈍かったです。残念ですが、完敗です。



 一昨日、嬉しい知らせがありました。数年前の教え子が快挙を為したのです。その卒業生は小さな代理店に勤めています。ルーチンワーク的な安い仕事をこなしている家族的な会社です。そのなかにあって、ある娯楽イベントのポスターの仕事を獲得したのです。
 充実した企画スタッフを抱える大手印刷会社数社を相手取って、見事コンペに勝ったそうです。もともと洒落たセンスのイラストを描く力を持っていました。今回の仕事は、大胆でシンプルな線のイラストをあしらったデザインです。そのポスターと中吊り広告が全国に展開されるそうです。会社をあげて喜んでいるそうです。まあ、そうでしょうね。さぞかし金額も大きいことでしょうし、予想外の収益ですから。
 コンペ形式の発注方式だと、このようなことが起こります。大手相手に、フリー・デザイナーや零細事務所が勝つことも多いのです。発注側にしてみれば、会社規模は関係ありません。あくまでデザインの面白さや訴求効果こそが肝要ですからね。

 そのポスターと中吊りは一部頂いていますが、まだ張り出されていないので公開できません。おめでとうございます、Mさん。
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弐百四拾五 フランク・ロイド・ライト(2006/5/13)
 この連休中に、二人の天才建築家の足跡に触れることができました。WOWOWで記録映画「フランク・ロイド・ライト」が、NHKで「アントニオ・ガウディの建築群」が放映されました。

 ライトとガウディの二人は、奇しくも私の最も好きな建築家です。両者ともに近代から現代への橋渡しをした建築家であり、未だこの二人を超える建築家は現れていないと思っています。さらに両者のうちでも、ライトの感性により魅せられています。

 下図は1,900年のブラッドリー邸です。私はこの邸宅にも見られる、保守的でありながら、アメリカの自然に溶け込む新しさが好きです。


 20世紀初頭にイリノイ州に建てた「ユニティ・テンプル」です。この内壁、内装はライト以外の何ものでもありません。この意匠からは、十数年後のアール・デコと同じ香りがしてなりません。


 1,939年に完成したジョンソン・サン本社ビルです。柱と採光の工夫であまりにも有名です。この柱の耐荷重性に疑義が呈され、憤慨したライトは公開加重実験を行い、5倍(だったかな?)の耐荷重性を備えているのを実証してみせました。映画では、その貴重な実験映像も見せてくれました。


 多分、知らぬ人間はいないであろうベアランのカウフマン邸、別名「落水荘」です。映画では屋内を含め、あらゆる角度から邸宅の魅力を見せてくれました。あるいは夜間の光景にはため息が出そうでした。郊外の静寂の中、滝のせせらぎだけが響いてくるのです。ご存知ない方のために説明すると、この邸宅は滝の上に建てられています。つまり、床の下を水が流れているのです。


 映画では、他にもニューヨークのグッゲンハイム美術館の設計から完成までを丹念に紹介してくれました。2時間弱の映画の間中、私は幸せ一杯でした。なにせ、私は7歳のときからライトのファンだったのです。父親が買ってくれた平凡社の百科事典を眺めるのが好きで、休日など朝から晩まで頁を捲って好奇心を満たしていました。その百科事典の“建築”の項目に添えられていた写真がライトの「落水荘」と「ロビー邸」だったのです。未だに建築家=フランク・ロイド・ライトという、ほとんどパブロフの犬状態です。
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弐百四拾四 ホリエモン保釈(2006/5/6)
 毎年、連休最後の行事は、田植えに向けてのいで浚えです。明日の本番に備え、つい今しがた自宅横の水路のいで浚えを終えたところです。本番を前に腰がイテェ〜

 自宅横には2本の水路があり、その1本は川下の住民の担当です。ところが油断してると、ほったらかしにされます。そこで、念をいれ、余計な奉仕労働をやった次第です。田舎の人間は面白いものです。私がジョウレン鍬でゴリゴリ清掃をやっていると、近所のおじさん連中は我慢できなくなってか、スコップを持って同じように自宅横の清掃を始めました。都会の方々には持ち合わせていないメンタリティでしょう。


 堀江氏が保釈されました。この保釈は基本的に歓迎すべきことです。保釈請求に対し、裁判所は内容のある検討をしたうえで、その可否を公平に決定して欲しいものです。

 現実には、極めて不公平で人権を無視した拘置期限の延長が日常的に行われています。日本における刑事訴訟法の運用は、明らかに先進国のそれではありません。自白に頼る捜査方法を改めない限り、いつまで経っても克服できない課題でしょう。
 拘置期限は最長20日間(再逮捕は40日間、再々逮捕は60日間)で、起訴されると保釈請求できます。ところが問題なのは否認した場合、証拠隠滅や国外逃亡の恐れがあるとして、公判で検察側立証が終わるまで保釈が認められないことが多いのです。その結果、いつまで経っても自由の身になれないことがあります。で、捜査陣は取り調べの際に、罪を認めれば自由になれるのだからと意に添う供述を強いるわけです。冤罪の温床がここにあり、大昔から批判の対象になっていながら、未だに改めることのできない大きな課題です。拘置所が代用監獄と呼ばれる所以であり、刑務所以上に自由が制限されています。

 日米地位協定における犯罪米兵の日本側への引渡しが上手くいかないのも無理のない面があります。米軍側から見れば、日本の司法制度は欠陥だらけで、アメリカ国民をそのような非人間的なシステムに委ねるわけにはいかないのでしょう。

 堀江氏の保釈は歓迎すべきことですが、これがOKなら他のケースにもきちんと敷衍して欲しいものです。TVのニュース解説によると、裁判制度の改革に合わせての変化だろうなどと呑気なことを言ってましたね。絶対そんなの嘘です。自白に頼る捜査方を改めない限り、あり得ないことです。
 堀江氏の保釈が認められたのは、本人の自白がなくてもいけると踏んでのことでしょう。けど、本来そのようなことで可否を決定していいものではありません。あくまで法に適うかどうかで決定すべきです。堀江氏保釈の陰で、何年も拘置されつづけている人間もいるはずです。仮令、証拠隠滅や国外逃亡に無縁の人間であってもです。


 明日は早朝からいで浚え。それが終われば、デラホーヤ vs マヨルガのWBC/S.ウェルター級タイトルマッチの衛星生中継です。久々のデラホーヤです。ホプキンスに無惨なKO負けをくらって以来のリングです。相手は難敵マヨルガ、勝敗の行方は判りません。やはり生中継だと昂奮します。録画だと結果が判っているので、ひりつくような刺激を味わえませんから。
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弐百四拾参 日本海波立たず、米軍移転は暴力団の立退きか(2006/4/29)
 海上保安庁の竹島海域海洋調査騒動はおもしろい見ものでした。日本も味なことをやるもんです。

 ドイツ会議において、韓国が韓国名提案を上程する動きに合わせての牽制でしたね。大統領周辺は自分で自分の首を締めた格好になりました。本当に考えなしのお馬鹿さんです。無視するか、「日本側の動きを見守る」式の対応をしていたら、ドイツ会議での提案は可能だったでしょう。それが受け入れられるかどうかは別にしてですが。

 それを例によって瞬間湯沸し器のような反応を示したものだから、妥協せざるを得なくなりました。海保の船を拿捕なんてできるわけありません。そんなことをやれば、それこそドイツ会議で非難を浴びて国際的な後退を余儀なくされるでしょうから。結局、韓国政府は大統領の無思慮な発言のおかげで選択オプションを狭められてしまったのです。拿捕や威力妨害は、国際法上ぜったいできません。かといって安穏と見守っていれば、激昂した国民の反発を招いてしまいます。で、日本側提案に対して妥協せざるを得なくなったわけです。まさか盧武鉉大統領は日本への便宜を図ってくれているのかしらん。

 金大中氏といい、盧武鉉大統領といい、目先の人気取りだけを考えて、日韓双方が長年月かけて築き上げてきた関係をぶち壊してしまいました。かつての朴正熙氏や全斗煥氏は、反日を声高に叫ぶことはありませんでした。むしろ、国民の中に蔓延している反日気運を徐々に緩和しようとさえ取組んでいたように見受けられました。次期大統領には、現大統領の轍を踏まないように、あるいは他山の石として欲しいものです。

 加えて、韓国内の拉致被害者がDNA鑑定で特定されましたね。今まで、親北政策の都合上、拉致被害者について冷淡な態度を取り続けてきたつけは、次期大統領選挙での爆弾になるかもしれません。


 沖縄海兵隊のグアム基地移転について、日本側が59%で60.9億ドル(約7,100億円)を負担することになったそうですね。とんでもなく非常識な話です。それでなくとも、日本は米軍駐留のために毎年6,000億円くらい負担しているはずです。米軍は世界中に軍隊を駐留させていますが、基地提供側が経費負担しているのは日本だけでしょう。

 本当であれば、日本は軍隊を駐留させるについて、大金を要求できる立場なのです。かつての冷戦時代、NATO正面を受け持つドイツと極東展開を支える日本の地政学上の価値は極めて高いものでした。というか、この両者がなければアメリカの対ソ戦略は存在し得なかったのです。そのNATOも役割を変質させています。ヨーロッパ正面戦略はもはや消滅しています。そのため、現在のドイツと日本の価値を比較すると、日本の果たす役割が相対的に大きなものになっています。
 そもそも日本を利用する米軍が、どれほどの世界戦略のエリアをカバーしているか。西太平洋からインド洋、及びインド洋経由で中東までカバーしているのです。つまり世界戦略の半分のエリアを日本が支えてきたのです。
 日本は強い立場にあり、本来であれば高額な基地提供料を要求できる話です。ところが、情けないことに駐留経費を負担するばかりでなく、今回は立退き料まで払うというのです。基地の解体、土壌改良などは使用者が責任を持って始末すべきことです。
 日本側が米軍の立退きを希望している以上、負担するのは当然だというのがアメリカの主張でしょう。でもこれ、日本に対してだけ言ってることだし、この主張はどこかで聞いた台詞ですね。そう、暴力団が居座って、消えて欲しかったら金をよこせというあれですね。

 今回の責任の一端は、橋本政権時代に敷かれた路線故という説があります。橋本氏といえば、湾岸戦争のときの戦費負担の件や普天間沖埋立ての件もそうです。他にも対中利権といい、国家を身内で食い物にしています。私は小泉首相のアメリカべったり政策は嫌いですが、少なくとも利権漁りをやらないだけ、他の人間よりましだと思っています。
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弐百四拾弐 やはりエージング(2006/4/20)
 SA-11S1が届いてより、一週間が経ちました。毎日鳴らしつづけたおかげでかなりの変化がありました。

 中古なので、車でいうところの慣らし運転は終えています。しかし、エージングはそれだけではありません。私の環境への適応としてのエージングが進んだみたいです。

 2〜3日前、やけに高域が大人しくなり、こもったような鳴り方でした。それが昨日から再びレンジが拡がりました。しかも刺激的な音を一切出さなくなったのです。
  • ボーカルの子音を粒立ちよく再現する。発声にまつわる細かいニュアンスまで微細に描き出すようになった。
  • 低域の延びはそのままに、量感も豊かになった。
  • 全域にわたって、深みが出てきた。おかげで私好みの陰影のある音である。
  • そのかわり、すっきりした透明感は後退した。
 この変わりようは、いったいなんなのでしょうか。エージングについては理解しているものの、その変化は想像以上です。
 多分、CDプレーヤーだけでなく、3週間前にネットワークを更新したスピーカーのエージングも重なっているのでしょう。確認のためにアナログを鳴らすと、ボーカルについてはCD同様に穏やかさが増していました。


 ちなみに私はSACDを一枚も持っていません。SACDを聴いたのは、某オーディオショップで CLASSE の SACD2 を聴いたときだけです。このプレーヤーは見事なものでした。透明でしなやかで極上の滑らかさでした。SA-11S1 と比較するのは無謀ですが、いい線をいっている部分もあります。SA-11S1 の試聴はCDということもあり、CLASSE の美点に遠く及びません。ただ、粒立ち感と低域のレンジ感は優っているように思われます。

 前回、SONYのX7ESDを評価したのを訂正します。SA-11S1は立っている土俵が違います。17年間の技術の進歩は確かなものでした。もう元へは戻れません。
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弐百四拾壱 marantz SA-11S1 購入(2006/4/15)
 先日、レコードを大音量でかけたら、音がひどく歪みました。見ると、ウーファが大きく揺さぶられていました。すぐに演奏を止め、ハウリング・チェックを行いました。案の定、ハウリング・マージンが大きく低下していました。無音のハウリングだったので、可聴帯域外の超低周波が悪さをしていることになります。
 対策として、プレーヤー台のブロックの上下に防振ゴムを挟んでみました。ほとんど効果なしです。さてどうしたものかとSYΛ-88Uを見やると、ちゃんとありました。入力セレクタに PHONO SUB(サブソニック・フィルタ)があったのです。助かりました。ハウリングはもう起きていません。

 原因を考えるに、スピーカー台にしているブロックの向きの変更しか思い当たりません。私の耳も捨てたもんじゃないです。およそ50Hz以下の領域だけが上昇したように聴き取れていたからです。重低音域から超低域にかけての音圧の上昇ぶりは、まさに本物だったわけです。


 ハウリング対策として、アナログ・プレーヤーにやたらと防振ゴムを使用しています。様子を見て、不要であれば除きます。また、SYΛ-88Uの入力セレクタがサブソニック・ポジションにセットされています。

 上図のとおりCDプレーヤーを更新しました。いつもお世話になっているU-STATION21 にmarantz の SA-11S1 が展示されていたのです。ちょうど欲しかった機種なので、渡りに舟でした。内容は極上といっていい中古ですが、外装に汚れがあったため廉くなっています。私ゃ、質実剛健タイプでして、格好は気にしませんからOKです。

 セッティングしての音出しは、最初こそレンジが狭かったものの、やがて温まってくると本領を発揮し始めました。
  • レンジが広く、高分解能である。
  • 透明感が際立っている。かといって、デジタルにありがちなツルピカ感ではない。
  • 低域はすっきりしていて、エネルギー感は少な目である。しかし、レンジそのものは低い方まで気持ちよく延びている。音調も極めて明瞭に再生する。
  • 中域も低域同様にすっきりしている。これは賛否両論だと思う。私自身、どちらがいいともいえない。基本的にはいいバランスだと思う。変にふっくらさせたり厚みを持たせると、人の声が胴間声になりがちである。おかげでボーカルの音像が小さく定位する。中低域にまろやかさが欲しいときは、「Filter2」を選べば若干の変化が得られる。
  • 高域は繊細で滑らかなので、きつさが剥き出しになることがない。しかし、所詮デジタルなので微粒子のような粒立ちは望めない。
 まず、想像どおりの音でした。と、同時に X7ESD の優秀さも再認識しました。後継機種の X77ES も聴いたことがありますが、新しいくせに平板な音だったと記憶しています。おかげで捨て難く感じています。
 端的に言って、X7ESD はウォーム・タッチで、SA-11S1 はクール・タッチでしょう。音のフォーカスは、後者が一枚も二枚も上手です。いえ、輪郭がカッチリしているという意味ではありません。エッジはありません。でありながら音像が明確なのです。巧みな音づくりというべきです。というか、このような音はなまなかにつくれるものではないでしょう。この機種が大人気なのも頷けます。

 デザインには異論ありです。フロント・パネルの操作ボタンが小さく、配置場所が悪いため、押しにくい仕様となっています。このデザインをした方は馬鹿です。落とし込んだ狭いエリアにスイッチを配置するなんて、まともな判断力をもっているとは思えません。スタッフの誰も指摘しなかったのでしょうかねえ。人間工学などという大げさな話でなく、普通の体験から気づくべきことです。
 また、ディスク・トレイが途中までしか開かないのも問題です。CDを上から置くことができず、奥に滑らせて格納する要領になります。今どき、こんな使い勝手の悪いままで商品化されるというのが信じられません。


 CDの試聴を散々やった後で、口直しにアナログを再生しました。
 もう次元が違います。やはりCDでは決して到達できない音の世界を演出してくれます。私のアナログシステムは、いいとこ中級レベルです。プレーヤは20数年前の安物です。プリアンプも高級品とはいえ、20数年前の中古です。カートリッジとヘッドアンプは中級品です。でありながら、評判のCDプレーヤーを一蹴して、近づけもしません。

 ところで、SYΛ-88Uはあらためて言うのも変ですが、とてつもないプリ・アンプです。レンジの広さは限界知らずです。特に低域方向へは、なんのストレスもなく延びきります。しかも圧力とかエネルギー感は格別です。高域方向にも、天井知らずの延びをみせます。さらに私がこのアンプを評価するのは、色づけのないニュートラルな音調だということです。国産アンプのニュートラル・サウンドを味気ないという方もいます。しかし、ニュートラル・サウンドなればこその、得がたい感動も存在します。
 目をつむってこのアンプの音を聴くと、エネルギーの充満した怪物を想像させられます。薄い外観からは、とてもイメージできません。Λコンデンサが生きている限り、可愛がってやります。
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