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八拾    試験問題は精選せよ(2003/5/18)
七拾九  ○○ザさんと道行き(2003/5/10)
七拾八  エヴァンゲリオン初見(2003/5/4)
七拾七  Opteronの逆襲(2003/4/27)
七拾六  テロリスト(2003/4/20)
七拾五  国民性?(2003/4/13)
七拾四  人事異動(2003/4/6)
七拾参  仮想戦記がぶり返す(2003/3/30)
七拾弐  帝国主義復活(2003/3/22)
七拾壱  産経新聞の度胸(2003/3/16)
七拾    電器店チラシ(2003/3/9)
六拾九  イベントやテーマパークのことども(2003/3/2)
六拾八  故障率(2003/2/23)
六拾七  哀しみのスパイダーマン(2003/2/16)
六拾六  スペース・シャトルとイラク空爆(2003/2/9)
六拾五  ルイス・C.ティファニー(2003/2/2)
六拾四  亡国の言論人(2003/1/26)
六拾参  縮小の嵐(2003/1/19)
六拾弐  私儀(2003/1/12)
六拾壱  新春の心構え(2003/1/1)




八拾    試験問題は精選せよ(2003/5/18)
 文部科学省の学力調査を受けて、先生方の学力低下が書かれています。自分で分析するのが面倒なため、他人の書いたものを引用させていただきました。

 私自身、試験問題を日常的に作成しています。ときには間抜けな問題を作ってしまい、後で後悔することがあります。生徒から指摘され、まずったなあと反省させられます。でも、入試問題に関しては、まずったで済む話でないので慎重に討議を重ねます。一時は入試問題作成にも関わっていました。通常のテストの採点は生徒自身にやらせます。各自の間違いを自覚させるのと、採点を通じてさらに指導できるメリットがあります。問題そのものの不備にも対処できますしね。本音では、採点の煩わしさから逃げる手抜きです。
 で、この筆者の分析するところの“試験問題から曖昧さを排除すべし”は大賛成です。私自身、解答者が迷うような曖昧な出題をしないように自戒しています。もし、出題意図の捉え方によって、解答が複数考えられるような場合はすべて正解とします。そもそも、そのような曖昧さを最初から排除しておけばいいのですが。


 次の文章中のかなを漢字で書けという問題は、現実に当方で入試に出題したものです。私、このときは試験問題作成に関わっていませんでした。
 「しょうひんを買った。」
 『商品 / 賞品 / 小品』−このいずれも正解ですね。前後の文脈から制限しようにも、特定できません。このケースでは、すべてを正解にしなければなりません。採点のとき、全パターン正解を強く主張しました。

 で、大学入試でも同様の曖昧な問題が氾濫しています。丸谷才一さんが「桜もさよならも日本語」で大学入試問題を俎上にあげています。東大の現代国語の問題など、例文の作者(中村雄二郎氏)がうんうん唸って迷うような問題です。作者にさえ判別できないことを他人に問うなっちゅうんじゃ。慶応大学の問題がまた凄い。小林秀雄氏の『様々なる意匠』を例文に使っています。
 「‥‥神が人間に自然を与えるにさいし、これを命名しつつ人間に明かしたということは、おそらく神の叡智であったろう。また、人間が火を発明したように人類ということばを発見したことも尊敬すべきことであろう。しかし人々はその各自の内面論理を捨てて、ことば本来の素晴らしい社会的実践性の海に投身してしまった。‥‥」
 こんな意味不明、論旨不明の文章から解答を選び出すというのは、馬券選びと変わるところがありません。

 国語ばかりを例に引きますが、こじつけが多いのではないでしょうか。ことさらに意味づけをして、書いていないことまでを読解させようとする傾向があります。
   鰯雲人に告ぐべきことならず
 加藤楸邨の『寒雷』の名句です。これを山本健吉氏は「季語と主観的感懐との強引な衝撃」と評しています。句が名句なら、評も名評です。この難解派と称される言葉のぶつかり合いは、今日では珍しくもありません。糸井重里氏の「おいしい生活」「ロマンチックがしたい」も同脈です。本来繋がらない言葉を紡ぐことによって、新鮮なコピーが生まれたわけです。
 ところが、国語の指導書では「ここでいう『人に告ぐべき』ことではないという自問自答の内容は、具体的には軍国主義に急傾斜していく国への批判であり、そういう言は慎まねばならない時代でもあった。(後略)」としています。こんな紋切り型であれ、ことさらに読解してみせるのが現代国語のあり様です。その延長線上で試験問題が作られるのですから、学生もたまったものではありません。
 参考:谷沢永一「あぶくだま遊戯」

 私が試験問題の出題サイドに文句を言うのは、私自身が嫌な思いをした経験があるからです。
 中学時代の社会科の試験問題に、次のようなものがありました。
 「元寇のときの鎌倉幕府の将軍の名を記せ」
 この出題は明らかに先生の単純ミスでした。「北条時宗」は執権ですから。正解は「惟康親王」です。私は、「北条時宗」と書けば○が貰えるのを承知で「惟康親王」と書きました。返ってきた答案を見ると×をくらっていました。まあ、承知のうえですから文句を言う気もありませんでした。

 高校時代にも似たようなことがありました。世界史の問題で「三国時代の魏呉蜀それぞれの初代皇帝の名を記せ」というやつです。正解は、魏(曹丕)、呉(孫権)、蜀(劉備)ですね。で、案の定、先生は魏(曹操)を正解としていました。さすがにこのときは指摘しました。でも取り合ってくれませんでした。この件で少し頭にきていたので、後日同じ先生の問題で「匈奴の頭目の名を記せ」の問題にひねた答えを書きました。教科書に載っていた王の名は「冒頓単于」です。それを「呼韓邪単于」と書いて、先生の反応を試しました。結果、見事に×をくらいました。先生にも採点をしながら疑問をもって欲しかったです。もしかすると、このような人物がいたのかしらと。そこで少し調べれば判ったことです。それでなくても、王昭君がらみで呼韓邪単于の方が一般的には有名でしょうし。アッ、私のことを博識などと誤解しないでください。たまたま中国文学にはまっていただけのことです。たまたまです。


 私は今回の文部科学省の学力調査の正答率を見て、むしろいい数字に思えました。文部科学省は表現力や思考力が十分身についていないとの見解を示しています。日常的に最近の若者と接している身にとっては、何を今さらの観です。
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七拾九  ○○ザさんと道行き(2003/5/10)
 前回、アニメ業界について軽く触れました。コラム中のリンク先を読んだ方の感想はいかがなものでしょうか。
 今から8年前の教え子で、アニメータ志望の青年がいました。無口で、他人とのコミュニケーションを拒絶した男性でした。卒業後の進路として、アニメーション・スタジオを考えていました。私は思いとどまらせようとしました。しかし、本人は大真面目で、スタジオ見学もして、業界事情も理解したうえでの志望でした。東京で生活するとなるとアパートを借りなければなりません。敷金/保証金/礼金、当座の生活費も必要です。卒業後、彼は東京へ出るための軍資金を得るために、ローソンでアルバイトを始めました。その後、彼がどうなったかは知りません。罪作りな業界です。
 私が彼を止めたのは、描くスピードに問題があったからです。絵を描く力はありました。でも、スピードがなければ食っていけませんから。
 ここまで余談です。


 私の好きなサイトに“狂う!奇人の会”があります。管理人さんの三宣氏は、私と思考回路が酷似しています。“長谷川慶太郎、お願いだから死んでくれ”“地獄で待っとれ、日下公人!”“僕が埋め立てに反対する理由”これらのコラムを読むと、私の書いたものとほとんど同じです。アッ、書いて後から気づいたんですよ。で、“ファイル019 サムソンの笑える事件ファイル/file004 区営サウナ事件”を読んだときのことです。「ああ、俺もおんなじ経験があるぞ」と、ある情景が浮かんできました。


 私が大学一年の春休み、先輩と同輩の三人で萩方面へ旅行に行きました。焼き物に凝っていたこともあっての萩旅行です。本当は益子へ行きたかったのですが、貧乏学生ですから近場を選択しました。旅行費用は、地元の「春の陶芸展」のアルバイトで稼ぎました。楽焼実演コーナーを友人と担当しました。お客さんに絵付けをしてもらって、それをその場で焼く仕事でした。アドバイザーとして、県下の著名陶芸家が日替わりで担当しました。おかげであらゆる陶芸家と知り合いになれ、なにより各人のテクニックを盗めました。釉薬のかけ方も人それぞれです。大家たちも暇でしたから、技能を惜しまずに伝授してくれました。
 その中には、後に覚醒剤使用で逮捕された若きホープのNさんもいました。少々短気な人でした。この方は筆(刷毛)を用いた釉薬がけを教えてくれました。筆を使う場合、下絵が十分乾いていないと絵が掠れることがあります。で、友人がやってしまったのです。わずかな瑕疵だったのですが、客のお婆さんは頑固で、頑として新たな器を要求して譲りませんでした。アルバイトの我々には、無料で別の器を渡していいものか判断できません。何とか勘弁してもらおうと謝罪を繰り返しました。やり取りを見ていたNさんは、客から器をひったくると地面に叩きつけました。
 「新しい皿を出せ !!」
 びびっちゃいました。逮捕の記事を見たときは、やっぱりと思いました。


 旅行は海を渡るとこから始まりました。船内で寛いでいたとき、先輩が唐突に別の席に移りました。見ると、胡麻塩頭の爺さんの隣に座りました。後で判ったのですが、爺さんというほどの齢でなく、単に老けていただけでした。50前でした。残された二人で一体何事かと囁きあっていると、先輩に呼ばれて同席しました。向かいに座ると、一見してそれと判る○ク○でした。両手の小指が見事になかったのです。せっかくの旅の最初からケチがつきました。先輩は純朴な田舎者でした。ヤ○○と目が合って呼ばれたとき、知らん顔をできなかったそうです。
 いろいろ話をして、事情が判ってきました。この○○ザはへまをやらかして、関西方面へ都落ちする途上だったそうです。もっとも、当地のほうが田舎なのですが。身よりもなく、知らない土地へ行くとあって不安な様子でした。我々を呼んだのは、国鉄の乗換えが判らないので同行して欲しかったみたいです。口には出せませんが、「えらいのにつかまっちまった」と、目配せし合いました。○ク○も察したみたいで、さかんに我々に対してご機嫌取りをしました。
 「まあ、兄ちゃん、タバコでも吸えや」
 差し出したのはダンヒルでした。ライターのサービスつきです。
 「兄ちゃん、このライター要るか?」
 カルチェの18金のライターでした。もちろん、ご遠慮しました。まあ、当り障りのない世間話を続けました。私の中学の同級生で、R会の準構成員になっていた奴がいました。
 「おじさんはR会ですか」
 「はん、あんなちんけな組なもんか。俺はT組の世話になっとんじゃ」
 あっ、当り障りのない会話でもないですね。ちなみにその同級生は、足を洗ってラブホテル(モーテル)を経営しています。なんやかんやあって、電車の乗り換え、さらに新幹線への乗換えまで同行することを約束させられました。断れるわけありません。

 海を渡ると、電車に乗り換えです。ここから語るも涙です。将来の不安を紛らわすためか、ヤ○○は酒をぐびぐび飲って完全にへべれけでした。乗り換え時間は10分程しかないため、乗船客は駆け出しました。私の連れの二人もダッシュしやがりました。仕方なく、私は一人で肩を貸して出口へ向かいました。急がなくてはならないのに、○○ザはお構いなしです。売店で酒の肴をどっさり買いやがります。これは私へのプレゼントだそうです。いらんちゅうのに。もはや船内に他の客はいません。船員たちが集まってきました。
 「急いでください」
 「きみ、きみはいいから、先に行きなさい」
 船員たちは遠巻きにして声をかけます。声をかけるより、肩を貸すのを替わってくれよ。誰も言うだけで、手を出してくれません。仕方なく、通路、階段とよろよろのヤ○○を抱えて歩きました。プラットフォームへ出ると、友人たちが駅員と待っていました。幸い列車は止めていてくれました。普通であれば、駅員は烈火のごとく怒ったでしょう。今のJRでなく国鉄時代ですから。でも、○ク○を見て、駅員は何も言いませんでした。

 電車に乗り込んでホッとしました。でも本当の悲劇は、この後に待っていました。朝の通勤時間帯で、周囲にはサラリーマンやOLさんたちが多勢いました。でも、なぜか我々のまわりはガラガラでした。○○ザの隣のOLはすかさず立ち上がりました。しかし、立って手すりに掴まったままでした。その場を離れるのはわざとらしく、却っていちゃもんをつけられるかと恐れたのでしょう。でも結果論ですが、距離をとるべきでした。
 相変わらず我々のご機嫌取りを試みる○ク○は、いきなり暴挙に出ました。
 「兄ちゃん、兄ちゃん。ええもん見しちやる」
 隣で立っていたOLさんのスカートを捲ろうとしたのです。OLさんは声も出せず、必死でスカートを押さえました。
 「おじさん、やめてください」
 我々は口々に懇願しました。
 「若いもんが、なにゆうとんや。しっかり見んか。姐ちゃんも、見してやりいな」
 私は堪らずヤ○○さんの肩をゆすりました。でもお構いなしです。周囲のサラリーマンは誰一人こちらを見ようともしません。車内には、我々の声だけが響いていました。三人は、心が一瞬で通じ合いました。荷物を持つと、一目散に隣の車両にダッシュしました。決して逃げたわけではありません。‥‥逃げたんだけど。
 我々がそこにいるかぎり、○○ザはやめなかったでしょう。我々がいなけりゃ、やる意味もありませんから。
 今でも、あのときのOLさんの引き攣った顔が忘れられません。ごめんなさい。でも、一体誰が悪いのでしょうか。我々にも責任の一端があるんだろうなあ。


 驚きの展開です。Opteron/Athlon64用64bit Windowsが早くもお目見えです。“Windows Server 2003 Enterprise Edition”は予想されていました。まさか“Windows XP 64-Bit Edition”までもが同時に世の中に現れるとは。未だβ版でしょうが、ここまでくれば、もはやリリースは間違いありません。
 PC Watchの記事によると、Itanium 2によるデモでは64bitアプリケーションの処理能力の高さをアピールしたそうです。予想通り、画像処理において高性能を発揮しています。私は今から胸が踊っています。
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七拾八  エヴァンゲリオン初見(2003/5/4)
 先週WOWOWで、3夜にわたって「エヴァンゲリオン」全26話が放映されました。私はすべてVTRに収録しました。実は、このアニメを見るのは初めてだったのです。録画しながらさわりだけを見ました。あまりに長いので、見直すことは多分ないと思います。

 放映当時−と言ってもいつのことやらですが−社会現象にもなりました。マニアたちが物語の設定の意味を熱心に論じ合っていました。私は見ていなかったので、一体なんのことやらでした。ただ、見出し明朝を縦横繋げたレイアウトが印象深かったです。遅ればせながら、エヴァンゲリオンがどんなものか確認しました。で、やっぱりついていけませんでした。どうにもあざとさが鼻について耐えられません。などとケチをつけるのは大人気ないなあ。

 エキセントリックな少女、シャイな少年、平静な少女と極端なキャラクタばかりです。この性格づけにもプロットがらみの理由があるみたいですけど。なにせ一部しか見ていないので理解できません。

 大規模な基地なのに、職員数のまあ少ないこと(人形劇「サンダーバード」はもっと徹底していました。ロケットや大型ジェットを扱う基地なのに、そこで働く技術者がたったの一人でした)。また、敵がいつ来るか判らないのに24時間シフトを敷いていません。なんとパイロットは学校に通っています。なんのこっちゃ。
 2千数百トンから3千数百トンはあろうかという巨大人造人間が空中に跳び上がって着地します。着地一発で脚部全損じゃん。重量はサイズから概算しました。分厚い装甲も加算しています。

 細かい突込みどころはともかく、若い視聴者の興味を惹き、夢中にさせたのは理解できます。状況説明を与えないことで、想像する余地を大きく残しています。耐えられないのは、少女キャラがやたら発育していることです。まったく年齢不詳です。かなり不気味です。
 どうにもネガティブな眼鏡で眺めてしまいます。年を食った証拠かな。こういうアニメが今風なのでしょう。


 私は、戦後日本アニメ草創期をリアルタイムで見てきました。もの心ついた頃、横山隆一さんの「おんぶおばけ」を劇場で見た記憶がおぼろにあります。「おんぶおばけ」は昭和30年の作品ですから再放映だったのでしょう。その後、東映動画に夢中になりました。「白蛇伝(白黒)」は最初の作品です。人間に恋した魔性の蛇の哀しい物語でした。次は「猿飛佐助(白黒)」でした。次いで「わんわん忠臣蔵」や「わんぱく王子のオロチ退治」なんかがありました。いずれも未だ色褪せぬ傑作です。
 そして、時を同じくして手塚治虫の「鉄腕アトム」がTVアニメに初登場しました。ここから日本アニメの悲劇が始まりました。手塚氏を日本アニメの父と称する向きがあります。実は、これはとんでもない誤解です。手塚氏こそが、日本アニメを破壊的状況に追いやった張本人だというのに。詳しいことは書きません。いろいろ差し障りがありますから。興味がある方は、「鉄腕アトム」企画時のスポンサーとの契約に関する経緯を調べてください。

 どなたもアニメ制作業界の悲惨さ、凄まじさは仄聞しているでしょう。いえいえ、そんな生易しいもんじゃないです。ペインタールームプアーライフアニメーターと老後を読んでください。これが現代日本の職務契約と信じられますか。喫茶店やコンビニでアルバイトをやった方が余程ましです。いや、比較にもならないでしょう。コンビニのバイトで命が削られることはありませんから。
 日本のアニメは世界に誇るべき文化です。でありながら、そこで働く人間が食えないというのも悲劇です。この悲劇が、ある人物によってもたらされた人災だということは知っておいてください。

 さてさて、エヴァンゲリオン全26話をどう始末しようかなあ。教え子にマニア(オタクという方が合ってる)が結構います。彼らが聞き知ったら煩いだろうなあ。高画質リミックス版だそうで、マニア垂涎の的でしょう。いい取引ができそうです。

 連休だというのに、昨日も今日もサービス出勤です。世間の行楽イベントはまったく他人事です。泣けてきます。
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七拾七  Opteronの逆襲(2003/4/27)
 先日、AMDからOpteronが発売されました。リリースが遅れに遅れていただけに心配していました。商品構成も当初の予定と大きく変わっています。デスクトップ用OpteronはAthlon64のネーミングで今年の第3〜4四半期にずれ込んでいます。本当ならこのベース・チップが最初になる予定だったはずです。理由ははっきりしませんが、製造上の不具合の関係でリリースが遅れ、デスクトップ用は後回しになった模様です。64ビットの恩恵が最も大きいサーバやハイパフォーマンス・コンピュータにフォーカスしています。
 そういったマシンは無縁です。早くAthlon64搭載パソコンにお目にかかりたいです。以前にも書きましたが、私はPentium Proマシン、Athlonマシン にすかさずとびつきました。どちらも物欲を刺激する高速マシンでした。私は貧乏性ですけど、それなりにこだわりをもっています。
 例えばパワー・アンプの増幅素子については、MOS FETにこだわっています。現在もサンスイのAU-X 1111MOS VINTAGEを愛用しています。当時、定価40万円の最高レベルのプリメインでした。実はずいぶん安く買いました。知り合いに、某量販店の店長がいまして、展示処分品を探してもらいました。残念ながら売り切れていましたが、メーカーに掛け合ってくれました。さすが量販店の店長ともなれば、メーカーも邪険にしません。広報用に開封した品があって、これを手配してくれました。単に一度だけ展示会に出品しただけです。通電もしていないそうです。新品と変わるところのないモノを○割引で購入できました。
 コンデンサは、λか岡谷のVコンに限ります。オーディオから手を引いてかなり経つので、コンデンサの今の状況は知りません。昔使っていたカセット・デッキを棄てるとき、使用されていたV コンを取り除き、スピーカーのネットワークに流用しました。
 デッキのヘッドはセンダスト命です。名前から察することができるように、これは東北大学の先生の発明でしょうね。カセット・デッキ2台、ビデオ・デッキ1台がこれです。

 で、Athlon64です。現段階でパーソナル・ユースに64ビットは意味がないにしろ、速ければいいのです。現在使用中のAthlonを購入して3年弱ほど経過しました。でもスピード不足を感じることはありません。ソフトをバージョン・アップしていないためでしょう。ですから、すぐにでもAthlon64が欲しいわけではありません。来年あたり、価格やマザーがこなれたところで買おうと思っています。さあてIntelはどう対応するつもりなんでしょう。対抗すべきタマが見当たりません。Pentium4で対抗しようとすれば、より高クロックを目指さなければいけないし。そうすると今でも問題の多い発熱や大電流がさらに障壁となってくるでしょう。Itaniumはx86と別モノだし、パソコン用途でないし。一体どうするんでしょうかねえ。MicrosoftがAthlon64版64ビットWindowsを出すかどうかにかかっているのかな。もし対応すれば、かなりのユーザが流れるでしょう。私もその腹づもりです。もっとも、クライアント版が出るのはいつのことやらですけど。

 64ビット版Photoshopなんてのが出たら、私は即行で買っちゃうでしょう。画像処理なんてのは、64ビットの恩恵が最も体感できるんじゃないかな。プリント・スプールなんかも有効そうですね。なんてことを書きながら、プログラミングのことはなんにも知りませんけど。個人的には、フォント描画の演算に期待しています。DTP 帖にも書きましたが、ヒラギノ(TrueType)やOpenTypeの描画をどうにかして欲しいです。現環境や現アーキテクチャの延長上においては期待できそうにないです。Athlon64と64ビット版Windowsの組合わせなら、克服できるかもと密かに期待しています。
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七拾六  テロリスト(2003/4/13)
 今、これを書いている横のTVで「ロビン・フッド」が放映されています。音声を断片的に聞いているだけなので、内容はよく判りません。なんか権力闘争で敗れた前領主の息子が、森の民を扇動して現領主に闘いを挑んでいるみたいです。ガキの頃なら感情移入もできたでしょうが、この齢になると素朴な疑問に邪魔されます。平和とか社会治安の面から眺めると、ロビンはテロリストに見えますがねえ。

 それに私は、民衆を扇動して「治において乱を求むる」輩が大嫌いです。ユーゴ解体時の悲劇を忘れられません。あれは典型的なアジテータのもたらした戦乱でしょう。多くの民族が混在している場合、それぞれの民族はことさら他者との差別化を強調し、他者を排除しようとします。フセイン後のイラクしかり、アフガンしかりです。ユーゴ解体後、たちまち多くの小国に分離し、戦争とテロと異民族排斥が起こりました。民族独立を唱え、自民族を戦乱に駆り立てた連中は、国家設立後は指導者に収まってふんぞり返っています。己がいいポジションにつくため、民衆を犠牲にしています。彼らは一様にアジテーションに長け、他者への憎しみを掻き立てます。
 ボスニア・ヘルツェゴビナなどは三民族が混在していて、分離独立ができない状態でした。そこでイスラム系女性に対して、大規模な強姦を指導したケースもありました。イスラム女性が異民族の血を入れると、イスラム社会で排除されるのを狙ってのことです。
 人間はナショナリズムのアピールに弱いものです。この点を踏まえ、意図的に扇動することにより、どれほどの血が流されたことでしょう。血を流すのは兵隊であり、民衆です。アジテータは屍の上で美酒を啜ります。映画のロビンのやってることは、まぎれもなくマキャべリズムです。

 以前、「マスク・オブ・ゾロ」というのもありました。私が少年時代に見たTVドラマ「怪傑ゾロ」のリニューアルです。「怪傑ゾロ」を観ていたときはガキなので、単純に喝采していましたが、大人になって観た「マスク・オブ・ゾロ」はのれませんでした。断言します。ゾロは間違いなくテロリストです。一旦そのような構図が見えてしまうと、後半の観劇には辛いものがありました。治安将兵側を応援しても、最後にはテロリスト(ゾロ)に殺されてしまうしね。まあ、当たり前だわな。
 そういえば、日本にも「鞍馬天狗」がありました。あれもねえ‥‥新撰組側から眺めると、勤皇の浪士たちはかなり性質の悪い無法者だしさあ。

 もし、ロビンの行為に正当性があるという方は、ヒトラーやナチズムをどう評価するのでしょうか。「アーリア人の優秀性」「アルザス・ロレーヌ地方の回復」「国民すべてに職を」「ベルサイユ条約の破棄と再軍備」これらのスローガンを掲げたナチスもよしとするのでしょうか。ナチス・ドイツが引き起こした民族殲滅や第二次世界大戦は別にして、それ以前のナチスは評価するのでしょうね。私はこのような、ことさらナショナリズムに訴えるセクト主義が根本的に嫌いです。ロビンが本当に王道を志す人格者なら、世が革まった以上は一市民としての人生を選択すべきです。

 本当にくだらないことを書いています。ここのところ、イラクがらみでのアメリカの所業に鬱憤が溜まっているのでしょう。
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七拾五  国民性?(2003/4/13)
 ここのところ時事ネタばかり続けました。とりたてて好きなわけでもないのに、最近のニュースを聞いていると触れずにおれません。

 近代以降、大国で全土が廃墟と化したのはドイツと日本の2国だけでしょう。広島/長崎は無論ですが、東京大空襲の死者は83,793人(警視庁調べ)と推定されています。他の都市も、奈良/京都/倉敷/金沢を除いて軒並み焼き尽くされました。ドイツも同様です。都市は次々焼かれ、なかでもドレスデンは死者約135,000人と推定されています。東京大空襲と比較すると、その凄惨さがよく理解できるでしょう。間違いなく、通常兵器による被害としては人類史上空前絶後です。ために両国民は、戦争がもたらす惨禍の凄まじさを肌で見知っています。それ以外の大国の過半も惨状を味わっています。ソ連にしても、モスクワ以西という広い範囲が戦場になりました。イギリス、フランス、イタリア、中国、東欧しかりです。小国、弱国に至っては、あらためて語る必要もありません。
 ただ一国、アメリカのみが無傷で、対外戦争による惨禍を体験していません。ですから、真珠湾空襲程度のことを歴史的イベントとしています。今後はWTCビル崩壊も語られるでしょう。もちろん、独立戦争や南北戦争を経ています。しかし、これらはいずれも外敵との戦いではありません。他国による侵略を体験していないので、無邪気な子供のような振る舞いに及ぶのでしょうか。子供は平気で小動物を虐めたり、破壊行為を行います。私もガキの頃は、蛇や蛙や蝶々などを手当たり次第に殺しました。苦しむ小動物を眺めて楽しみました。今回のイラク戦争を支持するアメリカ人を見ていると、そんな子供たちと重なってしまいます。それだけなら無邪気で可愛いのですが(可愛いわけありませんけど)、戦争指導者は冷静、冷徹すぎます。アングロ・サクソンのしたたかさというのは、日本人なんかとずいぶん違っています。といいながら、国民性として語るつもりはありません。“国民性”という言葉でかたづけるのは間違っています。言葉の問題などではなく、きちんと原因と理由を考えるべきです。


 アメリカは世界で最初に近代総合戦を経験しました。南北戦争は物流、生産、徴用、国民動員、教育(生産現場、情宣、武器操作)などが広範囲にわたって必要とされました。南北戦争によって、部品加工と組み立て加工の分離というマス・プロダクションの手法が確立されました。アメリカが世界最大の工場となったのは南北戦争が契機です。勝つためには、できうること全てを為さなければならないという合理的思考と実践力を身につけたのです。北軍は南軍を降伏させるに、最後の寸土まで追い込みました。日本においても戊辰戦争で、新政府軍は旧幕軍を函館包囲まで徹底的に追い込みました。同じ按配です。内戦という状況も同じですね。


 私は“国民性”とかの表面的な文化論が嫌いです。例えば、林望氏のベター・セラーにイギリスと日本を比較する英国滞在記があります。あの程度でイギリスを語っては駄目でしょう。ごく一部の階層の英国人とつきあって、イギリスすべてを語ろうとするのは厚かましすぎます。

 また、どこかの大学の先生が、ドイツに短期間滞在しただけで日独比較をやってました。ドイツでは旧い建物や町並みを保存し、さらには再現しようとしている。対して日本は近代的なビル群を建てている。ドイツは歴史や伝統を大切にし、日本人は新しいものに飛びつく、と結論づけています。こんなのは誰でも判る暴論です。この先生は、ドイツがモダン建築の発展にどれほど寄与したかさえ知らずに書いています。グロビウスやミース・ファン・デ・ローエくらい調べろよと言いたいです。日本にしても、歴史的遺産は大切にしています。そのあたりの事情はドイツも日本も同じです。それどころか、未だに日本の住宅なんか、中世に考案された書院造りの意匠をうまく折衷させて生かしていますしね。

 一部だけ見て、全体に敷衍しようとするいいかげんな文化論がかつて流行しました。嚆矢となったのは、山本七平(イザヤ・ベンダサン)氏の「日本人とユダヤ人」と鈴木俊子さんの「誰も書かなかったソ連」でしょう。これらが話題になったとみるや、各出版社は雨後の筍みたいに乱造しはじめました。学問としての文化論と違って、一般読物としての文化論の類はお粗末です。
 誰だったかの本では、日本人の母親と欧米の母親では、外敵への対応の仕方が異なっていると妄想を綴っていました。猛獣に襲われた際、日本の母親は背中を向けて子供を抱え込み、欧米の母親は子供を背にして猛獣に向かい合うとしていました。この本を読んだ方は皆突っ込んだことでしょう。
 「お前は日本人母子と欧米の母子を猛獣の檻に入れて、どんな反応を示すか実験したのか?」
 実はこの本、どこかの大学教授の書いたものだったはずです。脳味噌が腐っているとしか思えません。こんな妄想で国民性や民族性を語るなど、漫才レベルです。いんや、そんな言い方をすると漫才に失礼ですね。

 他国や異民族の相違点を紹介したものは、ためになるし読んで面白いものです。事実だけを提示してくれれば十分です。そこから、いきなり話が国民性に飛躍するから破綻するわけです。私自身“木を見て森を見ず”式に、全体を語らないように自戒しています。

 今週の土日もサービス出勤です。きっと来週もだろうなあ‥‥
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七拾四  人事異動(2003/4/6)
 この時期、人事異動で喜色満面の方もいるだろうし、泣きの涙の方もいるでしょう。私は泣きました。今まで避けつづけ、逃げつづけていた事務職に配置転換となりました。この年になってなんでよ、の気分です。まあ、歳を食って職階を登れば致し方のないことではあります。とはいえ、やけくそ気味のぬばたまです。一応、現場仕事も兼務となっていますが、ほんのおまけ程度です。事務担当職掌というのが雑事のオンパレードで、大雑把でいいかげんな私には不適格もいいとこです。
 昨日もサービス出勤して、仕事内容のチェックをしていました。さっぱり判らんわ。頭の中はパニック状態です。まあ、へまをしながらボチボチやっていきます。さて、今日もサービス出勤で整理をしようかな。

 いずこの職場でも3月の下旬あたりに、人事課長が大量発生するのではないでしょうか。当方でも、あちこちで訳知り顔の人事課長・部長が発生します。私は自身の異動はともかく、周りのことはどうでもいいというか、興味ありません。そもそも専門職ですから異動に無縁でしたしね。
 「おまえは、どう思う?」
 「さあ、どうなんでしょうか。私には見当もつきません」
 ってなもんです。
 人事予想の大半はピント外れが多いものです。なかには鋭い予想があります。そういうのは幹部とツーカーの連中です。それと意外なところで運転手さんが詳しいですね。毎日幹部の出張につき合うので、否応もなく耳に入ってくるみたいです。情報に敏い者から話を聞き出そうと、さりげなく人が集まったりします。あらかじめ知ったところで、どうなるものでもないのにねえ。世間では、社内メールで情報が飛び交ったりするのでしょうか。当方ではお目にかかりませんけど。ひょっとしたら、私だけが知らないのかなあ。

 金土日(3連荘)の飲み会とサービス出勤でまともに文章が書けません。というか、今はあまり物事を考えたくありません。あ〜嫌だ嫌だ。
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七拾参  仮想戦記がぶり返す(2003/3/30)
 全世界で反米・反戦デモが行われています。この「アメリカさんよ、いいかげんにしろ !!」 の感情は、ベトナム反戦以来です。若い人たちは、話に聞くベトナム反戦の空気がいかなるものであったかが実感できるでしょう。今回のイラク反戦は短期間でしょうが、ベトナム反戦は10年弱にも及ぶものでした。アメリカ国民の負った精神的傷がいかに深いものであったかが窺われるでしょう。彼の国においても、喉もと過ぎればです。あれほど産軍複合体による国家の私物化を嫌悪したアメリカ国民も、再びブッシュの理不尽な進軍ラッパを支援しています。もちろん全国民ではありませんが。なかでも戦争や復興による受益者は喝采しています。

 今回の日本の罪深さは反省モノでしょう。小泉総理には愛想が尽きました。何故、戦後復興資金をアメリカに拠出しなければならないのか? 国連、あるいはアフガン方式で中心的役割を果たせばいいことです。そして、復興請負企業は国際入札をするべきです。ところがアメリカ主導のプランでは、請負企業がすでに内定しているそうですね。当然アメリカ企業です。多数の武器弾薬製造企業、石油会社、建設、商社等のイラク利権に群がるアメリカ企業は、いずれも政府関係者や議員に連なった企業です。
 戦後復興を一手に請け負う予定のベクテル社は、前回の湾岸戦争後のクウェート復興をも割り当てられました。最近知ったのですが、原子炉や兵器を扱うあの巨大「ウェスタン・エレクトリック社」も、このベクテルのグループ企業だそうです。まさに、利益のために国家を裏から操るコングロマリットです。サイトで訴求している、公共に対する貢献アピールは偽善臭がふんぷんです。


 日本にしろ中国にしろ、あるいはヨーロッパの国々、さらには他の諸国もアメリカには愛憎ない交ぜの感情を持っています。憎く、腹立たしく、嫌悪する一方で、憧憬の念を抑えられません。その存在が巨大であるだけに、もろもろの感情を遠慮なくぶつけてしまうのでしょう。“仮想戦記”の存在もまた、アメリカなればこそでしょう。仮想戦記における敵役はアメリカとナチス・ドイツが双璧です。ナチス・ドイツはすでに存在しない国家ですから遠慮はいりません。政権が継承中の国家は素材にしにくいものです。でも、アメリカだけはどの作家も遠慮なく敵役に据えています。イラク戦争を契機に、さらなる仮想戦記が出版される予感がします。

 私は仮想戦記の大半が嫌いです。初期の檜山良昭さんは、「大和の主砲が発揮する威力に、カタルシスを味わってください」などと、エンターテインメント性を正直に述べています。そんな作家に文句をつける気はありません。不愉快なのは、「紺碧の艦隊」の荒巻義雄氏です。ずいぶん舐めたことを言っています。「私の著書を読むことによって、歴史に対する認識を深めることが期待されます」との趣旨の発言です。これって根本的に変でしょう。本当に歴史認識を深めることを期待するなら「私の著書など読まずに、きちんとした書物を読んでください」と言うべきです。「紺碧の艦隊」なんぞ、歴史を語るに、むしろ不適切きわまりないものです。ご都合主義の展開のオンパレードです。あっ、嫌いといいながら読みました。1巻だけですけど。
 歴史をつまみ食い風に、後知恵で紡ぐのはもうたくさんです。作家であるなら、オリジナリティに挑戦して欲しいところです。例えば、横山信義さんの「八八艦隊物語」なんかは、いいところに目をつけたと思います。

 嫌いといいながら、ずいぶん読みました。
 青山智樹、霧島那智、辻真先、吉岡平、日向仁、山田正紀、田中光二、秋月達郎、志茂田景樹、佐藤大輔、佐治芳彦、三野正洋、大石英司、林譲治、福田護 、馬場祥弘 、若桜木虔 、伊吹秀明 、高木彬光、子竜螢 etc.
 こんなじゃ、嫌いといっても説得力がないかなあ。

 PS:仮想戦記の if のポイントは、偶然性の変更、作戦や判断などのヒューマン・エラーの修正、戦略の変更、国際情勢そのものの変更、新兵器の登場などがあります。無理があるのは新兵器です。戦前の日本は農業国家です。重工業は国策においてのみ有効な存在だったでしょう。作家たちは機械設計・加工レベルを低めに見積もっています。電気通信技術もかなり低めに見積もっています。それはいいのですが、致命的な部分を見落としています。戦前の日本の化学レベルの低さです。これはあらゆるところに関係してきます。ガソリンのパワーオクタン価、オイルの動粘度や流動点、接着剤、被覆やケースに使用する樹脂技術、重油の動粘度などの技術格差は大きすぎます。新兵器も性能を発揮できないんじゃないかな。
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七拾弐  帝国主義復活(2003/3/22)
 3月もあと1週間余となりました。年度末はなにかと気忙しく、かつ別れや物事の終わりが待ち受けています。そのひとつとして、残念なニュースがあります。以前にも紹介した「今日の必ずトクする一言」が今月末を以って閉鎖されます。私がこのサイトを知ったのは『インターネット海戦のデジャブー(1999/8)』からです。この時期、例の東芝VTRデッキのクレーム事件が世上を賑わしていました。クレーマー扱いされたユーザのサイトでの紹介で知りました。それからの数日間、バックナンバーを読みふけりました。このサイトの管理人さんの考え方や実践していることに共感しました。オーディオ、TV画質改善、Windows風水チューニングなどなど盛りだくさんの内容です。シコシコと身の回りのモノに手を入れ、性能アップや改善に取り組むあたりは私と同類です。もっともスキル・レベルは格段に違います。私はただの文系ヤサ男です。対してこの管理人さんは、バリバリの機械好きです。私の周囲にも機械屋さんが多く、いずれも一家言をもっています。電気屋さんも多く、彼らもまたポリシーを持っています。おかげで私は、機械修理をほとんど自前で済ますことができます。彼らに感謝 !!
 私はサイト閉鎖に備え、バックナンバーをすべて保存しました。掲示板を見ると、閉鎖を惜しむ声がたくさん寄せられています。閉鎖リミットまで1週間ほどしかありません。興味のある方は、この機会に保存をお勧めします。上のリンクも来月には切れますので。なお、内容の一切は4分冊で出版されています。Webから保存すれば無料ですよ。


 ついに米英が開戦に踏み切りました。アメリカの一国国益主義にはうんざりさせられます。今日では完全否定されている帝国主義を、アメリカは21世紀においても実践しています。TVから流れるニュースを見ていると、近代に逆戻りしたかと錯覚させられます。近代帝国主義を最初に否定したのはアメリカなのですがねえ。ウィルソン大統領は第一次世界大戦後、世界平和を実現するために国際連盟結成を提唱しました。残念ながら議会の反対で加盟できませんでしたが。またウィルソン大統領は、帝国主義は前世紀までに許されたことであり、国際秩序が出来上がった今日では許容されないとの理想主義を掲げました。この理想は、第二次世界大戦後の世界秩序構築に援用され、世界の常識となっていました。これを否定し、帝国主義を復活させたのが他ならぬアメリカというのも皮肉な話です。イラク再生には、アメリカの息のかかった政権が樹立されることでしょう。そして間違いなく、イラクの原油はメジャーに独占されるでしょう。イラクの石油ビジネスは、メジャーを排して国策として成功していましたから。90年のクウェート侵攻を、さぞかし舌なめずりして眺めていたことでしょう。

 一方でフセイン政権の圧政をどう考えるかという問題があります。これは極めて難しい問題です。とても結論の出る話ではありません。私はこの点について、安易に意見を表出できません。私自身、若い頃は自由や民主主義こそ尊重すべき第一義と考えていました。ところが年を経るにしたがって、そう単純なものでもないなあと、考えがぶれ始めました。
 きっかけになったのは近藤紘一さんの著作を読んでからです。近藤さんはサンケイ新聞の海外特派員としてベトナムやタイに永く住みました。特にベトナムが長く、ベトナム女性と結婚さえしています。近藤さんは、ベトナム戦争が北の浸透を排除する戦いであることを見抜きました。ですから、アメリカの参戦を否定していませんでした。ところが戦後、政体はその国の国民自身が選択する(勝ち取る)べきものではないかと疑問を持ちます。ベトナム在住時代、彼は奥さんの実家に住み、ベトナム庶民のなかで生活しました。ですからベトナム人を肌で知っていたのです。彼らは北との戦闘をアメリカ任せにし、安逸で怠惰に暮らすことしか考えていなかったそうです。国家の存亡存続を前にして、自らを扶けようとせぬ者が望まぬ体制に飲み込まれるのは仕方ないのでは、との疑問です。アメリカの介入によって資金が流れ込み、豊かさが保証されたとて一時のことです。近藤さんは晩年、南の不幸は彼ら自身が招いたことであり、北による統一はやむを得なかったのではとの感懐を持っています。

 ニカラグアとホンジュラスの不幸もまた同様の構図です。ニカラグアの共産化に対して、アメリカはホンジュラスに支援を行い、反共闘争のベースとしました。ために両国は荒れ果て、長きに渡って国家再生の目処も立ちませんでした。このような大国の介入はそこに住む人々を不幸にし、健全な国家運営をすり潰してしまいます。政治体制に問題がある場合、外部から介入することが正しいのでしょうか。あるいは、あくまで国民が自らの血で贖うべきなのでしょうか。正解は誰にも判らないでしょう。

 かつてのポーランドにおける、ワレサ率いる“連帯”の運動には意を強くさせられました。また、ルーマニア国民によるチャウシェスク退陣と自由を求める20万人デモは世紀の映像でした。

 かつて鉄壁と思われていたソ連邦や東欧の政治体制さえ倒壊しました。そこに至るには、数十年に及ぶ血の代償がありました。1956年の「ハンガリー動乱」でも数千人の死者と20万人に及ぶ亡命者を出しました。自由と独立を希求する人々は絶えず、ウクライナやバルト諸国では運動が継続していました。

 現在でも、中国はチベットを漢人による土地に置き換えようとしています。この暴挙を前にして、やはり考え込んでしまいます。彼ら自身の問題として、彼ら自身が血で以って独立を勝ち取るべきなのかと。似たような話は世界中に山ほどあります。イラクを非難するクウェートやサウジ自身が独裁国家ですし。

 結局、アメリカの国益が価値判断の基準ということです。それに対して、何の発言もできない日本もまた同罪でしょう。
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七拾壱   産経新聞の度胸(2003/3/16)
 ここ数日来、Webを賑わしている話題があります。まずは、ZAKZAK来たりて、抗議する をご覧ください。
 リンクについては、ほぼ取り扱い上の通念ができあがっています。以前において、日弁連のサイトがリンクについて非常識な条件を付加していました−実名や電話番号などを要求する。これについて掲示板で批判的意見が相次ぎ、内部の良識ある弁護士からも異論が出され、現在は変更されています。「サイト使用条件」がそれです。内容を読むと、相変わらず高飛車です。しかも矛盾が見受けられます。東北大学の後藤斉助教授がこの点を評していますのでご一読を。

 で、今回の産経新聞社デジタルメディア局の I 氏のメールによる「警告文」です。【警告】の字句もまた凄いですね。このご時世でのこの見識には、違和感というより滑稽感さえ覚えます。私なんか、度胸があるなあなどと逆に感心さえしました。
 新聞社であればこそ、記事を大切にしたい、著作権を大切にしたいとの意識が強く、勇み足をしてしまったのでしょう。多分この I 氏は、今頃産経内部でも顰蹙を買っていることでしょう。直リンが著作権侵害などと度胸満点の言い草です。引用にからめて論ずるなら理解できます。直リンは参照を供する引用です。それも明示的でない引用でしょう。「あの本の○頁に記載されている」という風なね。アクセスの利便性(ユーザビリティ)から言うと、明示しているのも同然ですけど。

 私は、直リンを無軌道でよいとは考えていません。引用する場合と同様の配慮をすべきと考えています。つまり、マナーをわきまえるべきです。法的判断はともかく、作者の意思を尊重できるものなら尊重したいと考えています。リンクの一報を欲している場合は、できるだけ伝えるようにしています。なお、リンクお断りの記載があればURLを記述し、直リンは避けています。また、サイトによってはリンク希望者に登録手続きを課しているケースがあります。その場合、「できるだけお願いします」と下手に出ている場合は登録手続きをすることもあります。高飛車な場合は登録せずにURLだけ記述します。本当は、そんなサイトは無視したいところなのですが。今どき厳しいリンク規定を掲げ、反感をもたれるのは損じゃないかなあ。
 また、フレーム構成をとっているHPは、リンク先頁の表示形式に気をつけるべきでしょう。下手をすると、リンク先の頁が混同されかねませんから。当HPはフレーム構造じゃないので関係ありません。それでも念をいれ、必ずリンク先を新規頁で開くように配慮しています。

 リンクとは関係ないですが、明示的引用の適正判断は難しい問題を孕んでいます。卑近な例では、小林よしのりによる「ゴーマニズム」批判本に対する提訴があります。あの件でも、上級審と下級審で異なった判断が下されました。まして法律の素人には、ことの是非が理解しかねます。論述の主体に対して、あくまで引用は従に収まる必要があります。また、引用量もポイントになります。かといって分量を抑えると、引用先の意を十全に伝えきれないという問題も起こります。批判された者が「恣意的引用によって、筆者の論旨が歪められた」なんてことがよく起こっています。

 引用以外にも、意匠や商標がらみのトラブルもあります。しまじろうのホームページ も版権をもつ会社とファンクラブの悲劇的なトラブル・ケースでしょう。会社側が版権の運用強化に乗り出せば、致し方のないことではありますが不幸な顛末です。
 プリント・メディア時代とインターネット時代では、事情がまったく違います。非商用利用/個人的利用であれば問題にならなかったことが抵触するようになりました。まあ、しまじろうファンクラブの方々は、ベネッセと持ちつ持たれつの関係を築いていただけに釈然としないでしょう。


 先週、電器店チラシを課題に採り上げたことを書きました。学生の作品を拝見したいとの要望がありましたので、アップします。サイズがでかいので後日削除します。
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七拾    電器店チラシ(2003/3/9)
 電器店のチラシには興味深い面があります。特に量販チェーン店のものが際立っています。当地では、「YAMADA電器」「K's電器」「DEODEO」「PC DEPO」などが新聞をふくらませています。
 B3サイズの表裏に商品が満載です。その掲載写真点数は、両面合わせて100点を超えています。新規開店の際には、B2のモノが配布されたこともありました。新規開店する場合は、なんとしても認知される必要があります。そこで、話題を提供するため、超お買い得品を準備します。パソコンをはじめとして数万円から十数万円の商品を、わずか数千円で早い者勝ち販売します。暇な学生さんなんか、2日前から寝袋持参で行列をなします。そういった内容を告知する手法は、とにかくド派手の一言です。ある一店が派手な表現で目を引くと、次には他店が負けじとパワーアップしてきます。コピーにも扇情的な文句が使われます。曰く「他店で、このチラシより安い価格で販売していたときは申し出てください。必ず同等の値引きをします」
 まったくよくやります。感心しきりです。同じく安さを競う日用雑貨スーパーでさえ、店の品位や信用を大切にするため、ある一定の表現節度を維持します。ところが電器店だけは、天井知らずの極限デザインにチャレンジしています。それだけに面白さがあります。ただ面白いだけでなく、一方で満載された商品を整然と伝達する工夫も必要です。
 このように独自のテイストをもったデザインが求められます。以前より、是非ともこの課題を訓練でやってみたかったのです。今年、ついにやりました。先週、課題のすべてを終えました。訓練生のなかには、予想以上の力作を仕上げた者もいました。力不足で、とても水準に達しなかった者もいました。


 今まで取り組まなかったのは、やたら時間を食うためです。ベテラン・デザイナーであれば、スケッチからラフ、校正、印刷データ完成まで1週間から10日といったところでしょう。データベースからの自動流し込み処理を行っているケースでは、もっと短期間(短時間と言うべきか)で完成させるでしょうけど。その場合は、デザインも定型としていますから、若干違う話でしょう。これが、学生の制作となると、やたら時間を費消します。指導している私はイライラしますが、初めての経験では仕方ないでしょう。でも一般的に言って、昔の若者に比べ、最近の若者の手は明らかに遅いです。器用さが年々失われています。世の中が便利になるのと引き替えに、致し方のないことなのでしょうね。

 閑話休題:十数年前に聞いた話ですが、友禅の細かい仕事は、もはや日本女性には無理だそうです。中国に工場を建て、現地の若い女性を日本人マイスターが指導しているそうです。最近の若い男性で、石油ストーブの扱い方を知らないのが結構います。知らないのはともかく、知ろうとさえしないのには腹が立ちます。ホントに若い男たちよ、しっかりせえよ !! 多分、家庭で母親が世話を焼き過ぎて、なんにも身につかなかったのでしょう。

 タイトル周りの派手な意匠を可能にするため「Vector Effects(旧 Kai's Power Tool)」を購入しました。独特な価格表現のために、数字フォントもたっぷりインストールしました。「Vector Effects」は「Illustrator」のプラグインです。これを利用すると、立体化、透視図法、光彩表現、金属の質感などが実現します。実は、このプラグインは“ブレンド”※注1をバッチ処理するものです。そのため、多用すると、とてつもないデータ量になります。画面リドローにも時間がかかります。昔、友人がPower Mac 8500/150で電器店チラシの仕事を請け、あまりの処理の重さに徹夜の連続になりました。一仕事終えると、即行で新機種に買い換えました。それも2年で新機種に買い換えています。マシン購入の負担など、待ち時間の無駄に比べたらどうってことないとのことです。
 写真を多数配置する負担は大したことありません。EPSプレビュー※注2を配置するだけですから。むしろ文字描画の負担の方が大きいくらいです。生徒で、タイトルに「Vector Effects」のフィルタを二重にかけた者がいました。このリドローには悩まされていました。なにかの操作をするたび、いちいち数分間待たされていました。このデータは、最終的に完全に出力できませんでした。そこで、要は“ブレンド”機能なので、見た目で過不足ない程度に、中間データを間引きました。

 今回は「とにかくド派手でいい」「インパクトが大きくないと意味がない」などとケツをたたきました。それでも、やや訴求力不足でした。たとえモニタ上でド派手に見えても、出力物を貼り出すと弱く見えます。最終的には匙加減を理解してくれたものと思っていますが(う〜ん、本当にそうだろうか)。一方で、整然とすべきところは徹底的に揃えることにも留意させました。アイデアがまとまると、レイアウト案を原寸大用紙に割り付けさせました。なにせ、後でレイアウト変更をすると、すべてをいじらなくてはなりません。これには泣きたくなるような作業を強いられますから。

 訓練生も大変だったでしょう。まあ、いい経験になったかな。
 今回の課題の仕様
 ・ B3片面
 ・ 商品写真60点(画像解像度200ppi インクジェット出力なのでこれで十分)
 ・ テーマは、新社会人の新生活をサポートする売り出し。新入学生や転勤も含む
 ・ 特別価格セール期間 3日間

 参考までに‥‥ブレンドを使用しまくったタイトルは、ラスタライズすべきです。そうすれば、単純な画像データになるので軽くてすみます。ただ、初心者はサイズが決まらずに、いじる事が多いので、ベクタ・データのままで作業を進めました。

※注1:“ブレンド”とは、2つのベクトル・イメージの間の差を埋める中間データを生成する機能です。グラデーションもこの一種です。
※注2:EPSプレビュー‥‥EPS(Encapsulated PostScript)フォーマットは、画面表示用の粗い画像ファイルが内包されています。PICTとTIFF形式それぞれ、1ビットと8ビットが選択できます。Mac同士でやり取りする場合はPICTでよいが、MacとWin間でやり取りするのであればTIFFを選択すること。私は常にTIFFを利用しています。ただし、未だ業界内でIllustrator 5.5を使用しているケースがあり、その場合はTIFFプレビューが扱えないので必ずPICTを使用すること。
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六拾九  イベントやテーマパークのことども(2003/3/2)
 26日夜、TBSがチューリップのライブを放送しました。私はVTR録画しながらTVにかじりつきました。昨年秋から、30周年記念再結成ツアーをやっていました。残念なことに、ご当地での公演はありませんでした。解散ツアー以来、チューリップのコンサートは観ていなかったので興奮しました。TVを見ながら、一緒に歌ってしまいました。チューリップの曲は、ほとんどソラで歌えます。って自慢にもならないけど。で、今回のネタは少し危ないネタです。長くなりそうなので二回に分けようかとも考えましたが、勢いで一気に書きます。


 音楽アーチストの公演は、昔も今も変わらず安定した興行イベントとして成立しています。また、日本におけるプロ興行で、もっとも観客動員数が多いのはプロ野球です。春の連休におけるイベント集客数比較で、例年上位をキープしています。そのプロ野球でさえ、利益を出せていない球団がたくさんあります。親会社の負担でやっと成立している図です。サッカーは全滅です。一見安定しているように見える大相撲にしても、タニマチからの供与なしに部屋を維持できるか怪しいところです。イベントで利益を上げるのが、いかに難しいかが理解できます。
 アメリカにおいては、メジャー・リーグ、NBA、プロボクシングといったところが潤沢な台所を確保しています。昨年行われたルイスvsタイソン戦の興行収入は、総額で100億円を大きく超えたそうです。まあ、次元が違っています。ヨーロッパのフットボール・リーグも巨大な利権構造が成立しています。
 アメリカはケーブルTVとペーパー・ビューのシステムがうまく機能していて、プロ興行をきっちりサポートしています。上にあげたルイスvsタイソン戦の会場収入は30数億円です。収入の大半はPPV配信契約料によるものです。


 音楽やスポーツ興行以上に胡散臭いのが博覧会やテーマパークです。先週、「長崎・ハウステンボス」の破綻が伝えられました。最大の原因として、過大な初期投資と負債(利子は年額数十億円)が上げられています。これってほとんど怪談です。そんなことは最初から判っていたはずです。しかも開業はバブル崩壊後の1992年なのだから、まるで幽霊を見せられている気分です。こんなじゃ、無謀な太平洋戦争に突入した先人を非難できないと思います。いえ、昭和の先人以上に確信犯的所業でしょう。ハウステンボスの場合、2000億円を超える借入金で出発しています。これで利益を上げられると考えた人間が本当にいるのでしょうか。きっと関係者の誰であろうと、そんなことは爪の先も信じていなかったでしょう。しかも当初のプランでは、オープン後15年目に当たる2007年から無料開放する予定だったと聞いています。一体何を根拠に、こんな計画が成立したのでしょうか。
 似た話が当地にもありました。1991年にオープンした関西最大のテーマパーク「○○○ワールド」が2000年に閉園しました。初年度の来場者数は240万人で、○○県屈指の観光拠点となりました。しかし来場者は年々減り続け、1999年は約105万人までに落ち込みました。最終年度の売上げは約50億円と94年の半分に落ち込んでおり、累積赤字はおよそ250億円を超えたそうです。このレジャー・ランドも、ハウステンボス並みの借入金でスタートしたはずです(具体的な数字がみつかりません)。開園当初より我々の間でも「これじゃあ遠からず、赤字累積で倒産するのは目に見えている」と言い合っていました。

 日本各地のテーマパーク、リゾート施設、ゴルフ場は、いずれも悪戦苦闘しています。投資額と運営維持経費を勘案すれば、とても回収できるはずないのにねえ。いったいどういう計算をしているのでしょうか。1977年に安宅産業の破綻吸収が起こったときの衝撃を、日本人は忘れてしまったみたいです。1,000億円の穴を空け、解体後伊藤忠への吸収が行われました。あのとき経済人は、経営責任や経営判断の重要性をあらためて刻みつけたはずです。ところが喉もと過ぎればというか、バブル期以来、社会的責任や公正な判断力やモラルを切り捨てたとしか思えません。安宅は遠くなりにけりです。企画に携わった人たちは、おそらく将来のことなんかこれっぽっちも考えていないのでしょう。
「とりあえず、今の自分が大きな金を動かして余禄を得ればいい、後始末は後任の経営者に押しつければいい」
 その程度の意識でやってんじゃないかな。


 テーマパーク以外にも、博覧会を始めとしたイベント類が数多屍を晒しました。私はこの件に関して、昔からずっとウォッチングしてきました。
 「東京オリンピック」や「大阪万博」は文句なしの成功例でしょう。多額の財政投資に見合うだけの効果が評価されています。それは、まだケインズが通用した発展プロセスだったからでしょう。←ケインズが何かは知らないけど。それが1975年の「沖縄海洋博」あたりで、すでに限界が見えたと思います。

 1980年代より、日本全国で博覧会がブームとなりました。私が地域博覧会に疑問をもったのは、当地で開催された「○○太陽博」がきっかけです。これは当時の通産省がポスト石油をテーマにした「太陽発電プロジェクト」を実施し、発電所施設傍らで開催したものです。国家的プロジェクトであり、反核運動に携わっていた女優のジェーン・フォンダさんが見学に来るなどのトピックスもありました。ですから、全国的知名度があるものと勝手に思い込んでいました。ところがどっこい、関係者は別にして、当地の人間以外には誰も知りませんでした。当時、全国の人間が集まる研修に参加した際、全員に確認しました。結果、誰もが初耳とのことでした。私は脱力しました。と同時に、私自身が他県の博覧会について、まったく無知であることも自覚しました。つまり、地域博覧会の集客力は、狭い地域限定であることが理解できました。

 大分県の博覧会事業も当然赤字になりました。この件では知事の進退問題になりましたね。税金の投入は行わないという当初の約束を、補填のためにやらざるを得なくなって、議会で揉めたのを覚えています。
 仮に全国的規模の博覧会であっても収支は怪しいものです。例えば、「つくば博」や「神戸ポートアイランド博」は、全国的な広報活動を行いました。「つくば博」など、全国NETでのTVスポット、クルーザ船を全国の港に派遣してのPRと巨額の予算を投入しました。結果、税金の無駄遣いでした。「神戸ポートアイランド博」は、イベントの経済波及効果を説明する際のケース・スタディとしてよく引用されています。こんなの絶対間違っています。経済波及効果を語るとき、土建屋が喜ぶハコモノの原資は税金と企業の協賛金です。なんでこの投資額を波及効果に計上するのでしょうか。逆でしょう。税金にしろ、協賛金にしろ、大切な公有の財産です。これが使われるということは、むしろ借入金と考えるべきです。
 この点が露骨に表れたのは「長野五輪」(1998/2)です。以前、弐拾七  ワールドカップ開幕 にも書きましたが、あれは史上空前のアコギなイベントでした。興味深いデータを集めていますが、未だ生々しいので怖くて書けません。公になっている数字だけを書き記します。
 五輪に向け、インフラ整備がなされました。以下のような凄まじさです。
 「上信越道」−6,200億円
 「オリンピック道路」−3,000億円
 1997年度末での自治体の借金は以下のとおりです。
 長野県−1兆4,156億円、196万円/世帯
 長野市−1,925億円、154万円/世帯
 白馬村−116億円、400万円/世帯
 この財政破綻を前にして、地域への経済波及効果などと、どの口で言うのでしょうかねえ。まさに、五輪のおかげでぺんぺん草も生えないといったところです。なお、数字はおよそであり、間違いがあれば指摘してください。


 必要もないのに、ブームともなれば猫も杓子も地方博に手を出しました。地域の要望であれば理解できますが、次のような博覧会に必要性なんてとても認められないでしょう。博覧会のための博覧会の典型です。
 「食と緑の博覧会 いしかわ'88」
 「飛騨高山 食と緑の博覧会」
 「世界 食の祭典」(北海道)
 「全国菓子大博覧会」(島根県)
 「'89 新潟食と緑の博覧会」
 「'89 おかやま 食と緑の博覧会」
 食い物をテーマに、都道府県レベルでバックアップすることに意義があるのですかねえ。上記該当県の方には、気を悪くなさらないでください。
 なかでも、北海道のケースは最悪でした。実行委員会は、東京の企画会社に依頼したそうです。なまじ規模が巨大であっただけにダメージも大きくなりました。たかが食べ物のために、遠くから人が集まるなどと考える方が変です。ましてリピータなど期待できるはずもありません。当時のニュース映像で見た、ガラガラの会場風景は憐れでさえありました。


 上に書いたイベント類は、いずれも広い会場スペースを整備し、巨大なハコモノを必要としました。当然のこと、経費が過剰なものとなって赤字を招きました。
 イベントを成功させるには、なにより地域のニーズが大切です。ニーズがないなら、そもそも開催することもありません。でありながら、地域自治体のイベント準備委員会に任命されてしまうと、なにかをやらざるを得なくなります。「必要や要望がなければ、開催しなくてよい」という正論は、まずつぶされます。下手をすると、解任の憂き目にあうでしょう。地域振興目的のイベントを遂行する際、お手本としてよく参考にされたのは、湯布院の若者たちの文化活動です。彼らの場合は、“地域に映画を”という切実な理由があったのです。町に映画館がなく、別府まで出て行くには遠すぎます。そこで、フィルムを借りて映写会を催すようになったのです。私がこの話を知ったのは昭和52年頃です。地域ニーズに合致した、実に地道な活動だったのです。こういう本質こそを真似ればいいのに。
 小さな自治体は金がありませんから、ハコモノはやりません。金をかけないので、大きな失敗につながることがありません。そのかわり、町民に大きな負担をかけます。私の住む町を例にあげます。

 数年前まで、「桃源郷マラソン」という、地区対抗町民駅伝大会を行っていました。これ、大迷惑でした。選手選出など、苦労の連続でした。そんな都合よく長距離ランナーがいるはずないじゃないですか。選出過程で、人間関係が悪くなることもありました。当日は、交通規制と応援への駆り出しで不都合を強いられました。北朝鮮の人海演出を笑えません。
 これは不評で、今は「地区対抗町民運動会」をやっています。これも駅伝同様の問題を抱えています。金をかけない代わりに手間をかけます。手間とはつまり、町民の協力を得るということで、言葉を変えると迷惑をかけるということです。皆ぼやいています。「いいかげんにしろ」「もう止めてしまえ」「誰に断って始めたんや」 これらの怨嗟は当然です。町民に図ることなく、実施要領だけ下りてくれば、勝手なことをするなの反応になるのも仕方ありません。
 駅伝の前は「おじょも祭り」という、民話に材を取ったイベントが実施されていました。このイベントには私も関係していました。関わりたくなかったのですが、義理というか、騙されたというか、ロハ要員として利用されました。ポスターやパンフレット、ロゴタイプ制作を無料でやらされました。ロゴは、私のコネで某著名書家に無料で書いてもらいました。当たり前に依頼すれば、請求30〜50万円といったところでしょう。まあ、このイベントは建設省の「水辺の風物詩百選」でも高い評価を得られたので、甲斐はありました。


 もういいかげんに、テーマパークや博覧会、イベントの類はやめましょう。地域における高い必要性が認められないかぎり、勇気をもって撤退しましょう。出展を求められる企業にしても、本音では迷惑がっています。バブル以前において、すでに企業は嫌気がさしていました。大企業などは、常時50件くらいの依頼を抱えて、断るのに腐心していたくらいです。
 1990年代、創業100周年、あるいは50周年を迎えた企業が多かったものです。でも、意外にPRされませんでした。いずこも経営が苦しくなり、経費削減のため大げさな周年記念事業に取り組まなかったのです。まして、外部のどうでもいいイベントに関わるのなんかご免だったでしょう。

 今回のネタは関係者にとって不愉快でしょう。記述に間違いがあれば、ぜひとも指摘してください。訂正します。
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六拾八  故障率(2003/2/23)
 今から20年ほど前、初めてCDプレーヤーが発売されたときの笑い話(うろ覚えです)。
 某メーカーの発表会、開発技術者は自信満々。
 「CDプレーヤーが読み取りエラーを起こすのは、演奏○万回に一回の割合です」
 ところが、記者や招待客を前にしてのデモで見事に読み取りエラーを起こしてしまった。すると、参加していた口の悪い連中が聞こえよがしに。
 「そうすると、この後○万回はエラー無しなんだね」

 当方所有のG4Mac17台の内訳は、3年半使用が3台で2年半使用が14台です。このMacが怪しい状況になってきました。
 導入後すぐ、1台にスイッチの不具合が出ました。これはAppleも告知した不具合ですし、保証期間内なので無料修理となりました(ボード交換)。
 ビデオカードがらみの不具合も1台にありました。これもAppleのサポートに出ていました。まあ、症状が軽微なので放置しています。知人デザイナーの不具合はひどかったです。カーソルの下にかなりの非描画エリアが出ていました。当方のは、カーソル右方に短い線様の非描画です。知人は仕事で使っているため、修理に出すこともできず、結局我慢し通しました。
 ハードディスクの不具合は2台に起こりました。以前書いたように、1台はPCに繋ぐことによって復旧しました。もう1台は完全に駄目になっています。現在、起動に30分かかる状況です。HDDを買い替える段取りをしています。
 さらに1台がネットワークに接続できなくなっています。繋がることもありますので、接触不良の類でしょう。ボード上のチップ周り、あるいはインターフェース周りでしょう。
 このような事例をどう評価すればいいのでしょうか。故障は起こるものです。でもねえ、ちょっと多いんじゃないかなあ。5/17≒30%ですもんね。当方の施設で現在稼動中の機器の故障率を以下に記します。なお、本体に限定しています。

  • 富士通 FMV-6500TX3‥‥20台、3年半使用
    FDD2台故障のみです。この機種はPCワークステーションなので、廉価パソコンとはモノが違っています。完全サポート契約のため無料交換。
  • DELL OptiPlex GX110‥‥20台、2年半使用
    HDD1台不良.。マザーボード1台不良。保証契約込みなので無償交換。
  • CONPAQ DESKPRO 6400‥‥20台、4年使用
    HDD2台故障。NICカード不調1台。
 いかがなもんでしょうかねえ。この数字は、まあそんなものと言ったところでしょうか。しかし、Macの故障率は普通とは言えないでしょう。普通というのがどの程度なのか難しいところですが。冒頭に書いた笑い話のように、出現率というものは、母集団が大きくなってはじめて有意な意味を持ちます。わずかな事例で故障率を語ると誤解を招きかねません。
 例えば、私の周辺でSOTECのPCを購入した者が4人います。そのうちの1台は買って3ヵ月後にHDDが不良セクタだらけになり、刻々と増加し続けました。すぐに無償交換しました。この場合、1/4=25%。同様にiiyamaのユーザも3人います。このうち1台のHDDが2ヵ月後に死にました。これは1/3≒33%。こういう数字で全体を語るのは不適切です。
 当方のG4Macについて言えば、運が悪かったと諦めるべきなのでしょうね。意外なことに、やたら多いDESKPOWERユーザからは故障の話を聞いていません。品質面でとかく評判の悪かった時期があった筈なのですがねえ。これなんかは、たまたま運がよかったのでしょう。

 かなり以前に買ったMacには、故障歴がまったくありません。昔のMacの品質は高かったと思います。Aciなんかデザイン、設計・加工も優れモノで、しかもタフでした。LC475もよくできていました。それらのMacを使っていたときは、故障の心配なんかまったく頭をかすめたこともありませんでした。実は私、幸か不幸か未だに Sad Mac の現物を見たことがありません※注1。一度は見たいというか、見たくないというか。そのかわり、一昨日とんでもないものに対面しました。HDDが死にかけているMacをいじっていたときのことです。Boot ROM を読み出せないという事態になりました(いえ、読み出せないのかどうかは判りません。Boot ROM がなんちゃらのメッセージでした)。そのときの画面はコンソールで、コマンド操作を要求されました。いんやあ、初めて知りました。旧MacもUNIXライクだったとは。まあ、Macらしく、ユーザがコマンドを知らないのを前提にしています。入力コマンドをご丁寧に表示して、このとおりタイプしろと指示されました。なんぼ私でも “shutdown” くらい判るわ。

※注1:Macユーザには説明するまでもないのですが。Macは起動時、「にこにこMac」の顔アイコンが表示されます。ハードウェアの障害で起動できないときには、泣き顔の「Sad Mac」アイコンが表示されるそうです。
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六拾七  哀しみのスパイダーマン(2003/2/16)
 平井和正の書評(狼のレクイエム)をしたところ、俄然「スパイダーマン」について書きたくなりました。「スパイダーマン」は『別冊少年マガジン』に昭和44年から連載され、一部の読者に熱狂的に受け入れられました。高橋留美子さんも小学生時代に「スパイダーマン」を読んで、漫画家を志したそうです。
 マーヴェル・コミックスの翻案
  第一話  「スパイダーマン誕生」
  第二話  「犬丸博士の変身」
  第三話  「強すぎたヒーロー」
 作画担当の池上僚一のオリジナル・ストーリー
  第四話  「にせスパイダーマン」
  第五話  「疑惑の中のユウ」
  第六話  「狂気の夏」
  第七話  「おれの行く先はどこだ!?」
 原作/平井和正
  第八話  「冬の女」
  第九話  「ストレンジャーズ」
  第十話  「狂魔(くるま)」
  第十一話 「スパイダーマンの影」
  第十二話 「金色の目の魔女」
  第十三話 「虎を飼う女」

 私は『COM』に連載されていた小野耕正の「海外コミックス紹介」でスパイダーマンのことは知っていました。スーパーマンやバットマンのようなクラシック・ヒーローと違って、スパイダーマンの主人公は悩める青年でした。この異色のヒーローが大人気を博していたそうです。ですから、昭和44年に講談社が版権を買って『別冊少年マガジン』で連載を始めると知ったときから楽しみにしていました。
 第三話までは、何てこともない話でした。異能に戸惑う高校生−程度です。第四話から池上氏オリジナルの話で、主人公の疎外感が柱に据えられます。第五話以降からこの点が強調され、主人公の小森ユウと読者との間の距離が縮まります。あの頃の世相というのは、ベトナム反戦、ポップ・カルチャー、反公害、欠陥問題、食品添加物、大学紛争などの社会を斜に見るメンタリティが浸透していた時代です。ですから読者はユウに感情移入したのです。そして第八話の「冬の女」から、平井和正がシナリオを担当します。ここからが「スパイダーマン」を伝説として確立した本番です。回によっては、スパイダーマンのアクションがまったくないこともありました。ユウの苦悩はいっそう深まります−思いを寄せるルミの死、去っていく友人たち、能力者としての使命感と自己嫌悪の二重拘束。下のコマは第五話「疑惑の中のユウ」のラストシーンです。親友の友情を自ら切り捨てる寂寥を表現しています。
 第九話「ストレンジャーズ」−ユウに命を助けられた女が、スパイダーマンを非難する場面は哀切きわまりないです。非道な加害者に対して、逆に無力な存在として同情を寄せます。スパイダーマンは絶望の叫びを上げます。下のコマは絶叫の後に続くシーンです。池上氏は見開き頁を多用しています。
 第八話「冬の女」、第十一話「スパイダーマンの影」、第十二話「金色の目の魔女」、第十三話「虎を飼う女」は平井氏の原作で、名作の声名高い傑作群です。これらのアイデアは、後に“ウルフガイ・シリーズ”にも転用されています。

 本作は池上氏の出世作でもあります。連載を通じて構成や作画に工夫を凝らし、実験的な手法も試みています。下のコマは、当時のポップ・ビジュアルを取り入れたものです。ちょうどアメリカにおいて、リキテンシュタインやピーター・マックスウェルがもてはやされており、日本でも横尾忠則や粟津潔が若者の人気を得ていた時代です。
 閑話休題:1970年、「少年マガジン」は数号だけ表紙デザインを横尾忠則に担当させました。星飛雄馬が泣きながら駆け寄って来るコマのアップ、鉄腕アトムの「人工太陽球」の一コマのアップ号は、今でも語り草になっています。実は私、この2号を長い間保管していました。将来必ず高値を呼ぶ確信があったからです。でも友人に貸して返却されませんでした。○○の馬鹿〜

 また、光文社の月刊誌「少年」の昭和38年分通巻12冊を別冊付録込みで保管していました。「鉄腕アトム」の『地上最大のロボット』が連載された年です。別冊マンガは「鉄腕アトム」「鉄人28号」「サスケ」「ストップ ! にいちゃん」(関谷ひろし)+もう一冊ついた号もあった。これは将来、絶対にお宝になると確信していました。価値を高めるため、折り目をいれずに読んだくらいです。まったく小学2年生のガキがとんだ胸算用をしたものです。残念なことに、長い間保管していたのを従兄弟に強奪されました。年下の従兄弟が欲しがるのを断ったところ、母親が「ぬばたまは兄ちゃんなんだから、あげなきゃ駄目だ」などと無責任なことを言って与えてしまいました。当然、従兄弟はすぐに捨ててしまいました。今、所持していれば50万円は下らないでしょう。従兄弟の馬鹿〜

 他にもお宝本を所有しています。以前書いた四拾四  NETの猥雑さの原点は『ウィークエンド・スーパー』もそうですが、石森章太郎の「ファンタジーワールド ジュン」(昭和43年/虫プロ商事発行)を大切に保管しています。これを手放す気はありません。豪華な布製装丁で、720円という高価本でした。当時小学6年生であったぬばたまは、母親に「今、投資しておけば、必ず将来モトを取れるから損はない」などと屁理屈をこねて無心しました。ホント、我ながら可愛げのないガキだったなあ。


 当時私が「別冊少年マガジン」を愛読したのは、「スパイダーマン」ともう一編「ジロがゆく」(真崎守)に夢中になったためです。中学生が主人公の「ジロがゆく」もまた、伝説の名作の評価を得ています。
 1970年前後、「別冊少年マガジン」と同様に、「少年マガジン」もまた異彩を放っていました。この時期、内田勝編集長が両誌をかけ持ちしていたはずです。「巨人の星」と「あしたのジョー」が大人気でしたが、私は他の連載に痺れていました。どうも読者対象の中心軸を大学生に据えていたと思われます。
 「光る風」(山上たつひこ)‥‥インドシナ紛争が長く継続している設定の近未来SFです。日本が軍国化したなかで、主人公が政府に疑問をもって迫ってゆく話です。きわめて時事性と政治色の強いストーリーで、今日の少年誌では考えられない内容です。また、奇形が多発するという、少年誌に相応しくないテーマも扱っています。
 「ワル」(影丸譲也/原作:真樹日佐夫)‥‥不良キャラクタを教育に絡めて提示しています。途中で大学紛争も描かれています。この件には、三島由紀夫の割腹自殺も重なっているように思われます。従来の番長/不良といったスタイルでなく、救いのない悪の魅力を描いています。
 「アシュラ」(ジョージ秋山)‥‥平安期を舞台にした極限モノです。子供が主人公でありながら、殺人、食人をさえテーマにしています。人間の本能と正義を真っ向から問いかける衝撃の問題作でした。
 「天才バカボン」‥‥赤塚不二夫は他の誰であっても許されない実験を自在に試みていました。白紙、擬音だけ、ネーム段階の絵、作品を墨で塗りつぶしてしまうなど、これらは他の作家には決して許されることではありません。赤塚にしても、この作品だけに許されたことです。毎回、どんな仕掛けや表現にチャレンジしているか楽しみでした。
 この時期の「少年マガジン」には、青年文化を主導する自信と自負が感じられました。ときに前衛的で、ときに挑戦的で、いくつものタブーに挑みました。私は多感な時期に、リアルタイムで体験できて幸福でした。


 現在「スパイダーマン」はメディアファクトリー社からMF文庫、朝日ソノラマからマーヴェルコミックスが全5巻で発売されています。
 なお、3点の画像を掲載していることについて‥‥商用利用でなく、作品を論じるための引用ですから著作権を侵していないことと思います。ただ、マナーとして著作者の諒解を得るべきです。出版社に確認します。
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六拾六  スペース・シャトルとイラク空爆(2003/2/9)
 先日のスペース・シャトル「コロンビア」分解から1週間が経ちました。7名の乗組員は無念ともいえる殉職をしました。彼らを悼む集会が執り行われたり、関係者の追悼メッセージが後を絶ちませんでした。同時に、アメリカはイラク空爆に向けて着々と手を打っています。すでに空母5隻が向かっていますし、米国人の退去が勧告されました。国連安保理の意見は未だ一致をみていませんが、アメリカの強行を止める力はどこにもありません。私はこの二つの光景に違和感を覚えて仕方ありません。
 イラク攻撃は空爆と巡航ミサイルの地ならしから始まるでしょう。その際に多数の死傷者が出るのは折込済みなのでしょう。7名の予期せぬ事故は悼むけど、数百名に及ぶであろう確信犯的殺人は問題なしとしています。この点に納得のいく方はいるのでしょうか。


 中東世界は不幸を背負い続けてきました。なまじ石油という配剤に恵まれたばかりに、西欧−特にアメリカに翻弄されつくされました。アメリカ以前はイギリスとフランス、その前はオスマン=トルコによる支配を受けていました。オスマン=トルコ時代は平和な部族時代でした。部族間対立はありましたが、国際的な利害に左右されるようなことはありませんでした。それが、第一次世界大戦で同盟国側の一員であるトルコを排除するため、イギリスはアラブの部族を教唆して反乱させます※注1。 彼らを利用しながら、裏ではフランスとの間でサイクス・ピコ協定(1916年)によって分割協定を結びます。定規で引いたようなアラブ諸国の国境線のベースはこれによるものです。

 第一次大戦後、イギリスはシオニズムやドイツとの対立から、不用意なユダヤ人帰還入植を認めてしまいます。これが五拾八  平静だった12月8日に書いたイスラエルとパレスチナの悲劇のきっかけです。このような事態が推移すれば暴力的対立が避けられないのは自明です。ところが、イギリスは管理責任をほぼ放棄してしまいます。結果、1947年に国連が勝手にパレスチナ領土をユダヤ人居住地域として割譲してしまいます。しかもこの割譲案は、少数のユダヤ人にパレスチナの豊穣な土地の大部を割り当てるという理不尽なものでした。当事者であり、領土の持ち主であるアラブ人に何の相談もなしにです。以後の経緯は今回の話に関係ないので省略します。

 欧米は中東世界に民族自決の政権が樹立されることを徹底して排除してきました。ナセルによるスエズ運河国有化に対して、英仏はイスラエルと共謀してエジプト攻撃を行いました。このときはアイゼンハワーが激しく批判したため、英仏は国連の停戦決議を受け入れました。以後、英仏の影響力は完全に失われ、替わって米ソが介入を始めました。
 中東や地中海へのプレゼンスを確保しようと考えたソ連は、大規模なエジプト支援を行いました。アメリカはイスラエルに最新鋭の武器供与を行ってこれに対抗しました。結果、イスラエルは第三次中東戦争や四次中東戦争で勝利します。さらにイスラエルにエネルギー支援したのは、親米パーレビ王朝のイランでした。アメリカはイスラエル支援を通じ、長きに渡って中東の悲劇を裏で演出してきました。そもそも、イスラエル建国そのものが無理に無理を重ねたものでした。これを維持するため、周辺諸国がどれほどの悲劇に見舞われたことか。もちろん、周辺諸国それぞれに不手際と身勝手があってのことですが。

 親米パーレビ政権の親イスラエル政策がイスラム原理主義の台頭を招き、ひいてはイラン・イラク戦争を惹起しました。この泥沼の戦争によって、イランが自立する端緒ともなる可能性をもっていた石化プロジェクトも廃墟と化しました。イラクもまた戦争によって、国有ルメイ油田の操業停止を余儀なくされ、油脈の変動を招いてしまいました。一説には、これがクウェート侵攻の理由とも言われています。

 もしアメリカが中東に対してなにもしなければ、いかなる歴史を辿ったか興味があります。
 多分、イスラエルは解体され、パレスチナの民は本来の場所を得たことでしょう。エジプトやシリアは親ソ政権としてのプレゼンスを維持していることでしょう。PLOはその存在価値がありませんから、早い時点でサウジの支援を打ち切られて消滅したでしょう。その他のアラブ諸国は自立した経済基盤をつくりだすために努力し、さしずめ日本などは技術協力に貢献しているんじゃないかな。


 今回のアメリカのイラク攻撃にどのような名分があるのでしょうか。フセインを追い出したいのであれば、10年前にやればよかったことです。イラク国民やクルド人の10年間の塗炭の苦しみはなんだったのでしょうかねえ。

※注1:イギリス軍とアラブ側の連絡将校として派遣されたのが考古学者トーマス・エドワード・ロレンスでした。彼の活躍を描いたのが映画「アラビアのロレンス」です。
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六拾五  ルイス・C.ティファニー(2003/2/2)
 暗い話題ばかり続けてきましたが、やっと明るい話ができます。先日、島根県にある「ルイス・C.ティファニー庭園美術館」を訪ねました。
 下の写真は記念ポスターです。受付で申し出れば、記帳と引き換えに配布してくれます(残があればですが)。今どき金のかかったポスターです。「二十一世紀は、この芸術を超えられるでしょうか?」のメイン・キャッチは銀の箔押し、美術館のロゴは金の箔押しです。ドームのデスクの金飾りを再現するため、特色インキも使っているみたいです。
 この美術館は花の溢れる庭園とセットになっており、宍道湖を借景にした贅沢な佇まいです。
 久々に感激しました。今まで写真でしかお目にかかれなかった傑作群を間近で鑑賞できました。見惚れるようなステンド・グラス群に圧倒されました。この「鹿の窓」は絵画的な表現の傑作です。個人的には、他の構成的なものの方が好きです。残念ながら館内での写真撮影ができないので、他の作品の紹介はできません。ここに掲げたものは、すべてパンフレット掲載の写真です。ランプも各種、いずれもアール・ヌーボーの特徴的な曲線をあしらっています。
  
 ティファニーだけでなく、ドーム兄弟の名品も展示されています。ガラス器に限らず、下のデスクのような家具類も目の保養になります。
 エミール・ガレのサイドボードの逸品もあります。信じられないような精密な細工がなされており、ご覧の際はディテールを鑑賞してください。
 女性の来館者が夢中になるのは、ジュエリー類でしょう。気品とゴージャス、繊細な意匠を実現した精密工作のハーモニーに魅せられることでしょう。でも、こんなネックレスやペンダントを手に入れても、似合うドレスがあるかどうか。
 花瓶に代表されるガラス器は、私がティファニーの作品でもっとも好きなものです。ここで紹介できないのが残念です。ため息が出そうな傑作のオンパレードです。
  
 下の写真は、美術館のエントランスです。いかにもアール・ヌーボーをコーディネートした美術館に相応しいですね。アール・ヌーボーの作家たちは、植物の茎や蔓草をモチーフにした意匠を好んで用いました。この意匠を巧みに使いこなした作家にエクトール・ギマールがいます。ギマールの作品パネルも展示されており、これには参りました。ギマールの作品はパリでしか見られないと思っていたのが、予期せぬ出会いを得ました。見事なものです。パリの地下鉄降り口にあしらわれた錬鉄工作と同様のデザインです。
 その隣には、バーン・ジョーンズの作品も並んでいます。ジョーンズは、ウィリアム・モリスが提唱したアーツ・アンド・クラフト・ムーブメントにおける同士です。ジョーンズのこの作品を見ると、モリスに劣るところのない作家だなあと実感させられました。

 入館料は2,000円(団体1,800円)です。これには500円の買い物券がついており、館内で利用できます。私は、下の喫茶室でアイスクリームを注文しました。たっぷりの量で食べかねました。
 
 山陰方面も自動車道が充実しているので、簡単にアクセスできるようになっています。時候がよくなったら、また訪問しようと楽しみにしています。
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六拾四  亡国の言論人(2003/1/26)
 いつもは日曜の午前の早い時刻にアップしますが、この土日は所用で完全に潰れたので夜になりました。今回のコラムは、手元に引用元が一切ないので記憶のみに頼った記述です。正確さは欠きますが、概要は間違ってないはずです。


 元東京学芸大学助教授を勤めていた殿岡昭郎氏の著書に「言論人の生態」(高木書房)があります。未だこの本が出版されているかどうかは知りません。私がこの本を読んだのは20年前のことです。あまりにも面白い内容です。二段組の大冊で、とてつもないボリュームです。でありながら、私はノンストップで読んでしまいました。

 大戦後、フランスから独立したベトナムに対して、フランスは再介入します。ホー・チミン率いる共産主義勢力は反仏武力闘争を繰り広げました。極東での戦乱に嫌気がさしたフランスは手を引きますが、替わってアメリカが介入しました。インドシナに生まれた共産主義国家が周辺に赤化を及ぼすのを怖れたためです。いわゆるドミノ理論ですね。このベトナムへの介入から、南北の本格的戦争、パリ和平、そして中越紛争に至るまでの間、日本の言論人がいかなる発言を行ったかを網羅した労作です。
 新聞記者、大学教授、文化人、評論家等あらゆる人士が対象となっています。結論から言うと、大方の意見はピント外れです。ベトナム戦争も後半ともなれば、大半の者が実相を穿っています。それでもなお一部の言論人は、相も変わらずベトコン(民族解放戦線)vsアメリカの構図を描いています。
 これってなんなのでしょうか。ベトナム戦争の早い時期、当時小学生だった私でさえ、アメリカが闘っていた相手の実態を認識していました。北の正規軍が介入してないなんて、子供でさえ信じていなかったというのに。最終的にサイゴンを制圧したのは、北ベトナム正規軍の戦車だったのには笑わされました。←笑っちゃ不謹慎ですが。
 サンケイ新聞の近藤紘一氏や毎日新聞の徳岡孝夫氏なんかはいい報道をしています。最前線で取材をしてれば当然のことでしょう。一方で他の連中の馬鹿さ加減には呆れてしまいます。A新聞系列やI書店系列なんかは亡国モノの報道、評論のオンパレードです。初期の段階では同情すべき点もあります。情報がないうえ、アメリカの介入は理不尽なものですから、判断を誤るのも仕方ないと思います。しかしただ一人、福田恆存氏のみは、この初期の段階(ケネディ時代)において、その後の歴史が辿る様相を完璧に予言しています。やはり福田氏は知の巨人です。

 この労作をものした殿岡氏は筋の通った生き方をしています。大学を辞めたのは、A新聞の本多勝一氏との軋轢が遠因です。簡単な経緯は「自分の文章への反論に、非常識な嫌がらせで応じた元朝日記者」を読んでください。このHPの作者はご存知ないようですが、本多氏の大学への抗議は遠因ではありますが、直接の原因ではありません。殿岡氏は当時、インドシナ情勢を研究しており、統一ベトナムの共産化後の現地情勢をウォッチングしていました。共産化を嫌って国を逃れるベトナム人が後を絶ちませんでした。ハノイ政権自体が、彼らの脱出を黙認したことも一因です。当時、海上に逃れた難民を狙った海賊が横行し、彼らの悲劇がニュースになりました。ところで、元南ベトナムの軍人や政府関係者は再教育キャンプに送られ悲劇的な人生を余儀なくされました。殿岡氏は、彼らを助けようする国際的な救援組織と関わりました。これは政治的な行動であり、公務員のモラルに抵触しかねません。大学に迷惑をかける惧れがあることから、殿岡氏は辞職の道を選択したのです。当時、「諸君」誌上で詳細な経緯を書いています。


 ここまでは前書きなのです。なにやら前置きが長くなりすぎました。タイトルの「亡国の言論人」と称びたいのは長谷川慶太郎氏のことです。前回までのコラムは、日本の悲惨な現状を嘆き続けています。何故、このような状況になったのか。原因はいろいろあるでしょう。ここで言論方面の影響を考えると、長谷川氏の名前に行き当たらざるを得ません。まず誤解しないでください。私は学生時代から長谷川氏のファンでした。石油が日本経済に及ぼす影響の分析やコストの分析、勤労観と経済発展の相関性の分析など見るべきものがありました。また早い時点で、コンピュータを実務に応用することによる効能の提案など先進的なものでした。氏の著作はずいぶん読み(全部捨てたけど)、熱心な長谷川シンパでもありました。それが昭和60年あたりのバブル全盛突入前夜あたりの著書を読んで首を傾げました。ちょうどNTT上場前でもありました。本のタイトルは忘れました。

 都会の土地が値上がりを続けていて、土地への投資が大きな価値をもっていると分析していました。また、株の運用が効果的で、本業の利益などたかがしれているので、財務部門を重視しないと儲けを損なってしまうと強調していました。確かにこれは事実でもあり、目先のことといえ、利益獲得に走るのは悪いことではありません。以後、長谷川氏は拝金主義を肯定する文章を量産し始めました。企業は自己責任において利益を追求すればいいし、利益に繋がることを機敏に取り入ればければならない。それができない経営者は無能であると。さぞ、経営者は勇気づけられたことでしょう。それまでの日本人のメンタリティとしては、金儲け至上主義を表に剥き出しにすることを憚る気風がありました。だけでなく、このころようやく企業文化が語られだしたり、ハウス・スタイルを重視し、イメージを資産価値とする考え方が根づき始めた頃でもありました。もちろん長谷川氏一人の責任ではないにしろ、氏の著作は膨大であり、ベストセラーとして多くのビジネスマンに読まれました。氏の著作は、根づき始めた企業の社会的責任に対する麻痺剤の役割を果たしたのではないでしょうか。私はそのような氏の意見に嫌悪感を抱き、以後一切読まなくなりました。

 で、私が“亡国の言論人”とまで貶すのは、バブル崩壊後の「サンデー・プロジェクト」に出演した氏の発言に驚いたためです。資金が回らなくなり、銀行や保険会社、ゼネコンなどが抱えた資産が不良債権になったことを問題視していました。そこで郵貯に集まった金を市中に回るように手立てしなければならないと訴えていました。また公的な介入をして助けないと大変なことになると脅迫的な言辞を弄していました。この発言内容自体は正論といっていいでしょう。でも、長谷川氏の口からは聞きたくなかったです。

 以前の同氏は、なりふり構わぬ利益追求を薦めていました。その結果としての株の暴騰と暴落です。また土地投機についても同様です。それが失敗となると泣きついて、公的な支援を要請しました。せめて、自分のそれまでの評論が誤っていたとか、日本社会をミスリードしてしまったとかの反省をしてから発言して欲しかったです。氏の著作を読まなくなっていたので、ひょっとすると自己反省の弁があるのかもしれませんが。少なくとも「サンデー・プロジェクト」においては、無謬の高みから語っていました。

 他にも「さよならアジア」なんていうトンデモ本がありましたね。この本にも首を傾げさせられました。
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六拾参  縮小の嵐(2003/1/19)
 今、日本全国の市町村で「平成の大合併」が検討されています。合併特例法の期限が平成17年3月ということもあって、期限内実現を目指して大きな動きを見せています。特例法に見られる財政措置は手厚いもので、各市町村が血道を上げるのも頷けます。現在3000を超える市町村数を1000を切るところまで整理するのを目標としています。戦後にも昭和の大合併が実施され、三分の一にまで整理されました。いずこの市町村にも、このときの地の雨が降るような骨肉の争いの後遺症があり、簡単に実現できることではありません。そこで政府は手厚い優遇措置を配して促進を図っています。
 この合併再編は絶対に必要なものです。介護制度に代表されるような地方の運営には、大きな基盤が必要です。さらに職員、議員の定数見直しについても前提条件として必要なものです。

 私の住む県では、昨年4月より5町が合併して6番目の市が誕生しました。それでも人口約5万8千人で、いかに以前の町勢が非力だったかが窺われます。さらに今年の4月から、新たに東○○○市が誕生します。これは3町併せて約3万8千人の市です。どうなんですかね、4万人に届いていないので、市の要件は満たしていないはずなんですけど。
 で、私の居住する町も、1市2町の合併の予定で協議されています。今年中には結論が出ることでしょう。他にも県内に合併構想がいろいろあります。総務省の目標は達成できるかもしれません。

 このことが、私の関係する印刷/デザイン業界に影を落としています。合併吸収された町の広報誌や町勢便覧の類が一切必要なくなります。大手にとって、このようなことはさしたる痛手ではありません。でも田舎の小規模の事業所には大きな影響を及ぼしています。

 また、グラフィック・デザインの面白さを代表するポスターの仕事が減っています。中でも大判の観光ポスターが作られなくなりました。都会はいざ知らず、地方公共団体では数年前から制作をストップするケースが増えています。私の地元の観光ポスターは、全国的にも高い評価を得ていました。受注実績の多い某地元広告代理店は、日本観光ポスター・コンクールで金賞も受賞しています。観光ポスターを作る余裕さえ無いとなると、なんだか世も末の印象です。

 地元某印刷会社は、Win版一太郎からのフィルム出力に対応しています。通常、モノクロ印刷については品質を問わないことが多いでしょう。そのような場合、企業は経費削減のため、外部への制作依頼の必要性を認めていません。今日ではワープロを利用することにより、担当者の下書き時点ですでに完成品に近いものに仕上がっています。そこで内部制作した一太郎文書をそのまま印刷しています。また、当方の部署でもワードにエクセルの図表を貼り込んだものをそのまま印刷しています。印刷会社は持ち込まれたデータを印刷するだけです。こういうやり方があらゆる企業に浸透し始めています。素人が組んだ文書は見苦しいものですが、専用アプリケーションを使えば、ソフト側がうまくこなしてくれます。また素人といえども、できのいい印刷物を参考にしたり、経験を積むことによってスキルは上がっていくものです。

 ただでさえ受注価格の叩きあいで経営が苦しいところに、上に書いたような状況が重なっています。つい先ほどまで、個人デザイナーや印刷会社勤務のデザイナーと飲んでいました。話を聞くと、明らかに仕事は減っているそうです。個人でやってる奴なんか、今メインで受けている仕事が無くなれば、廃業を余儀なくされると暗澹たる面持ちです。新しい仕事を開拓しようにも、業界そのもの、あるいは商業基盤そのものが冷え込んでいます。打つ手なしの閉塞状況です。

 年が明けてから連続で暗い話ばかり書いています。明るい話題を探してはいるのですが、思い当たることがありません。
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六拾弐  私儀(2003/1/12)
 私が定期的に訪問するサイトに「素晴らしきこの世界」があります。このHPの中の「それでも明日はやってくる」の展開を注目していました。この作者はプログラマで、つい最近会社を辞めました。昨年あたりからいろいろな問題に耐えかね、退職を模索していました。会社側と交渉を重ね、互いに妥協して勤務を続けていました。作者は大きな開発に関わっていて、勤務状況を克明に書き記しています。ときには経営幹部を罵倒したり、無能扱いしたりで度胸が据わっています。作者のHPは会社の同僚に知られています。それでありながらの記述は、大物というか神経がぶっ飛んでいるというか、私にはとても真似ができません。どうもヤケクソ気味の趣もあります。その作者は昨年末に体調不良でぶっ倒れ、洒落ですまなくなって退職しました。なんといっても命あってのものだねですから。先週、その経緯とともに「円満退社の儀」の一文をものしています。これを読みながら、私自身の過去の体験が思い出されました。


 私は今まで二度「辞職願」を書いています。一度目は円満退社‥‥ってこともないのだけど。そこに至るに、具合の悪いことが多々ありました。転職の経験がある方はご承知のことと思います。自分が辞めた後の仕事の引継ぎや人事の手当てのこと。あらかじめ再就職先を確保するための隠密就職活動の気まずさ。再就職先の身上調査が現職場に及んだときの恐怖。などなど冷や汗モノでした。普通は上司にあらかじめ相談をして内諾を取ったりしますが、再就職先が内定するまでは秘密にしておきたかったのです。おかげで針の筵の場面がありました。とてもよくしてくれた上司であっただけに心が痛みました。こういうのは上司にとって、面目丸つぶれの管理不行届きですから。ごめんなさい、K課長。

 二度目は「辞職願」が返ってきました。まあ、よくあるケースでしょう。上の「素晴らしきこの世界」と似たような展開になったのです。こちらの希望を容れるということなので、私も辞職願を引っ込めました。退職を申し出るにはずいぶん悩みました。私は結構楽天的に物事を考えるタイプですが、さすがにこのときは胃が痛みました。退職についての労務関係のことどもも調べました。バブル崩壊後のこととて、将来の展望も成算もありませんでしたしね。それでも年齢的に、人生をやり直す最後のチャンスと認識していました。退職を撤回したのが良かったのか悪かったのか、その判定はできません。身分保障や経済的な面から言えば、間違いなく辞めなくて正解だったでしょう。でも人生それだけでもありません。
 前回のコラムにも書きましたが、私の場合は何があろうと飢え死にすることだけはありませんから。米があるし、野菜は自家製で賄えます。その他もろもろの諸経費くらいであれば、爪に火をともせばどうとでもなります。いい服を着て、うまいものを食ってなどと馬鹿げたことさえ考えなければノープロブレムです。問題は世間体とかでしょうね。まあ、うちの家族は理解を示してくれました。一家揃って貧乏性が身についていますから。それでも、現在のような酷い経済状況下であれば、退職までのことは考えなかったでしょう。

 宮仕えの身であれば、誰もが転職を一度は考えて、眠れぬ夜を過ごしたことがあるでしょう。前回も書きましたが、現今の状況下では転職によって物事が好転するなんてことは期待できないでしょう。人に抜きん出た才能があるとか、どうしても他にやりたいことがあるとかでない限り後悔することでしょう。私の場合は、とことん嫌気がさしたのと他にやりたいことがあったからです。今でも、あのとき辞めていればひょっとして道が拓けたかも、と考えることがあります。まあ、都合のいい妄想ですけどね。むしろ思い止まらせてくれたことを感謝しています。
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六拾壱  新春の心構え(2003/1/1)
 もはや日本人は、新たな心構えと覚悟を持つべきでしょう。今の日本は、かつてのサッチャーを必要としていた頃の英国と変わるところがありません。いえ、周辺状況はそれ以上に悪化しているでしょう。もはや浮かれポンチが許される余地は寸土も残されていません。

 つい最近のニュースですが、どこかの中小製造業者が事業を継続できなくなり、設備機器を中国に売ってしまったというのがありましたね。また一昨日のこと、中国はペイロードの大きなロケット打ち上げに成功しました。その一方で、日本は膨大な借金漬けになりながらも中国への援助を続けています。
 散々言われてきたことですが、もはや日本は国家の態を為していません。かつての余裕ある日本ではないのです。でありながら、相も変わらず赤字道路建設に対する歯止めも効きそうにありません。あからさまな財政破綻を前にしながら、なお国会議員たちは道路公団事業見直しの答申を無視すると公言しています。まるで1970年前後のアメリカみたいです。あの当時、ベトナムに介入したアメリカは、無益なことと知りつつ巨大な軍事予算を計上しつづけました。国民の間に蔓延する厭戦気分は全土を覆っていました。同時に公民権運動も激しさを増し、これに対処するには各州とも教育や福祉に多大な予算が必要とされました。そんななか、あくまで軍部と連邦政府は国家予算を垂れ流す戦争を止めようとはしませんでした。ドミノ理論など、なんの説得力もありません。極東に共産主義国家が生まれたところで、なんの実害があるというのでしょうか。これが中東やアフリカのように、貴重な戦略資源が埋蔵された国なら理解できます。石油といいレア・メタルといい、その価値は血で贖うだけの理由があります。しかし、インドシナ半島に何の価値があるというのでしょうか。当時から言われていたことですが、産軍複合体と称される利権構造が国家の方針を歪め、ひいてはインドシナに悲劇をもたらしました。アメリカのベトナム介入は、単にベトナム一国だけでなくカンボジア、ラオスにまで悲劇を呼び込んでしまいました。いかがでしょうか。ことの理非を知りながら、なお破滅に向かっての歩を止めようとしない様は、まったく変わるところがないでしょう。

 ここで日本国民のネジレが問題になります。国家財政に限ったことでなく、一般的に“総論賛成、各論反対”のメンタリティが顕著です。かくいう私自身、忸怩たるものがあります。皆さんも同様ではないでしょうか。国家再建を語るとき、であるなら自身の不利益を甘受するかと問われたなら、言葉が詰まってしまいます。しかし、もはや逃げ道はないでしょう。否応もなくこの命題を各人が突きつけられると思います。

 ここで、私ができる覚悟がひとつあります。収入の大幅減です。例えば、ある大企業が2千人のリストラを実施するとしましょう。もはや2千人の頸切りなど珍しくもありませんから。この場合、労働組合も含め、社員全員の間に給与の大幅カットの合意がなされれば、人員整理は回避できるでしょう。もちろん、数パーセントの賃金カットで済む話ではないでしょう。多分、3割カットくらいの思い切ったことをやらなければ間に合わないでしょう。50万円の給与をとっている者は、35万円に引き下げるくらいのことです。私は、いざともなればこれを認められます。もはや日本の生み出すGDPでは、かつての給与水準を維持するのは物理的に不可能でしょう。この点に手をつけずして、雇用を語るのは無理でしょう。逆にあくまで効率を重視し、給与の高水準を維持するのも一つの考えです。ひきかえに高い失業率と社会のアノミー状況がもたらされるでしょうけど。これをよしとするのであれば、それはそれでひとつの見識でしょう。私は賛成しませんけど。一年前に九 一日契約社員でも書きましたが、すでにその選択を迫る時代に突入していると思います。

 なにもこのような話は今に始まったことでなく、局所的にはあらゆる職種で起きたことです。エネルギー政策が石炭から石油に転換したときの炭鉱労働者(イギリス映画の「ブラス」はこの状況を見事に描いています)、繊維工業が海外移転したとき、昭和50年代初頭の構造不況にリンクした造船不況、農産物価格などなど、そのときどきで賃金水準の不適合に対応を迫られました。今や、パソコン製造でさえ、日本の賃金水準は国際競争力に見合わなくなっています。製造拠点の海外移転が必ずしも唯一の解ではないでしょう。そこで、上のワークシェアリングの話になるわけです。もう、日本人もこの現実を受け入れて、低水準の生活スタイルに回帰すべきです。それ以外に途はないと思うのですが。


 評論家なんかで「先のない企業にしがみつくのでなく、飛び出して新しい道を切り拓くべきだ」などと戯言を垂れ流す輩がいます。無責任極まりないです発言です。中には成功した人士もいるでしょう。しかし、そんなのごく一部です。死屍累々の涙と絶望の荒野に生えた一輪程度のケースでしょう。むしろ言うべきは「なにがあっても、現在の職場にしがみついておけ。外にはペンペン草しか生えてないぞ」でしょう。皆が幸せになるには、皆で低水準を引き受けるしかないと思います。

 新年の挨拶は抜きにします。とてもおめでたい年になるとは思えないからです。去年に続いて暗い話になりました。新しい時代にどう対応するかは、一人一人が考えなければならないでしょう。私なんかは、いざともなれば食うのだけは困りません。米と家庭菜園がありますから。
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