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百    遠い世界に(2003/9/28)
九拾九  夏枯れ(2003/9/21)
九拾八  後方支援(2003/9/14)
九拾七  またまたBIBLO(2003/9/7)
九拾六  伝説のDALLAS(2003/8/31)
九拾五  訂正(2003/8/24)
九拾四  リーガル・サスペンス(2003/8/17)
九拾参  南京大虐殺のゆくえ(お盆特別回)(2003/8/15)
九拾弐  米不足って本当?(2003/8/10)
九拾壱  スティーヴン・スピルバーグの「TAKEN」(2003/8/3)
九拾   美的節度(2003/7/27)
八拾九  逸材(2003/7/20)
八拾八  親は市中引き回しで打ち首に?(2003/7/13)
八拾七  ジェンダーフリーという名の精神の破壊(2003/7/6)
八拾六  やっぱりApple(2003/6/29)
八拾五  どこまで愚かに(2003/6/22)
八拾四  話が見えない附属池田小学校(2003/6/15)
八拾参  Windows2000 Advanced Server が6,000円 !? (2003/6/8)
八拾弐  ツツガムシ病と「真田剣流」(2003/6/1)
八拾壱  再就職は大変だ(2003/5/25)




百    遠い世界に(2003/9/28)
 昨日、大受けしました。
 私どもでは、いろんな訓練コースを一年間に25回プラスαほど実施しています。昨日もあるコースの修了生を送り出しました。そのセレモニーの最後の退場場面でBGMを流します。
 今まで流したのは、「いい日旅立ち」と「贈る言葉」です。どちらも定番でしょう。私自身、いいかげん飽きていたので別の曲を考慮しました。で、西岡たかし(五つの赤い風船)の「遠い世界に(1969)」を選択しました。まあ、単に私の好みだったのですけど。私のっていうことはないですね。これは名曲ですから、誰でも好きでしょう。特に私らの世代は、フォーク全盛期の熱気を肌で知っていますから。「中津川フォークジャンボリー」‥‥な、懐かしい。P.A.の故障による拓郎の2時間にわたる「人間なんて」の独演やら、西岡たかしの調子はずれの観客との掛けあい。実は未だにVTRを持っています。
 イントロはなんていう楽器でしょうか。耳に心地よい響きです。これにメローなボーカルが重なります。歌詞といい、メロディといい普遍性があり、いつまでも飽きられることなく愛唱されるでしょう。皆、喜んでくれました。一番喜んでいたのは私ですけどね。

 この曲は、今では音楽の教科書に載っているらしいですね。まさか知らない方はいないでしょう。もし、知らないという方は山の音楽(MIDI)アルバムNon Sectionフォークな思い出FOLK JAMBOREE 2000 をご覧になってください。それぞれのサイト作者の演奏バージョンを無料で聴くことができます。各サイトをながめると、他にも懐かしいあれやこれやがリストアップされています。
 しかしだ、何故「20歳のめぐり逢い」がないのだ。これぞ、My Best なのですが。最近の若い方は、“20歳のめぐり逢い”も“シグナル”も「なんですか、それ?」ですもん。悲しくなります。「20歳のめぐり逢い」は80万枚を売ったロング・ヒットです。弱小制作会社社長の小野寺明夫氏が世に送り出しました。小野寺氏は後のポリスター・レコードの社長です。京都でアマチュア活動をしていたシグナルの楽曲に魅せられた小野寺氏は、メンバーと会い、その場で契約を交わしました。この曲は息が長かったです。なにせヒットした時期は、発売後半年も経っていましたから。ちょうど私が二十歳のときでした。被ってますもんね。思い出もいろいろ被っています。おかげで今も愛聴しています。


民間委託
 九拾八  後方支援に書いた米軍の編成について調べてみました。戦争民営化のなれの果て(田中宇の国際ニュース解説)を見つけました。田中氏の記事がどこまで正確かは分かりません。やはりこういうのは、英語が堪能でないと手も足も出ません。
 田中氏の記事によると、米軍は戦場での兵站を民間に委託してしまったようです。これが本当だとすると、米軍は一部のエスタブリッシュメントにカモにされていますね。こういうのを軍サイドが歓迎するとはとても思えません。パウエルなんか、さそかし苦々しく思っているんじゃないでしょうか。
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九拾九  夏枯れ(2003/9/21)
 台風来襲とともにやっと暑さが和らいできました。先週まで、相も変わらず30℃を超す毎日でした。で、今年の夏は不作でした。いえ、米の出来じゃなく、ミステリの話です。


 「陰摩羅鬼の瑕」/京極夏彦
 期待の新作は完全な駄作でした。もともとこの京極堂シリーズは、非常識なプロット構成が売りでした※注1。その非常識さを特異なキャラクタが相殺するという構成です。キャラクタの異常さの程度というのは、もうSFかオカルトレベルです。このバランスの悪さというのは、下手をすると金を返せと言いたくなるほどのものです。ですが、非日常・非合理を受け入れるなら、その幻想的ともいえる京極ワールドに感化されます。私は第一作の「姑獲鳥の夏」で嫌気がさしましたが、惰性で読み繋いでいます。「姑獲鳥の夏」を未読の方に基本プロットだけを話せば、まず間違いなく「一体なんだ、そのバカ話は !! 」と憤るでしょう。実際に小説を読めば、効果的にちりばめられた薀蓄と状況の特異さによって納得させられるでしょうが(私は納得できませんが)。新作の「陰摩羅鬼の瑕」は、その力ずくで納得させる状況作りが成功していません。どうにも短編レベルのトリック・ネタです。それを無理やり大長編にまで引き伸ばしています。「陰摩羅鬼の瑕」は西村寿行の「症候群」と対極です。たとえ世間知がなくても、人間もまた動物としての本能があるでしょう。私は「症候群」の方が人間の本質を穿っていると思います。ミステリですからネタに触れられないので、詳しい説明はできません。

※注1:「姑獲鳥の夏」「魍魎の匣」「狂骨の夢」「鉄鼠の檻」「絡新婦の理」「塗仏の宴」


 「秘められた伝言」/ロバート・ゴダード
 私が新作を待ちわびる作家の一人です。これにも落胆させられました。死を招く伝言(手紙)をめぐる謎解きです。いつものゴダード流−知人の秘められた過去と謎に挑戦する素人探偵の物語です。今回の謎の焦点というのが、例のアレなのです。ミステリを語るのは難しいですね。ネタに触れるわけにはいきませんから。例のアレというのは、小説や映画、ドラマで何度も使われている現代アメリカの謎の一幕です。察しのいい方は見当がつくでしょう。しかしねえ、アレで殺人連鎖は起こりませんよ。仮に公表しても、それを裏づけるものがありませんから。今回は日本が舞台になっています。で、主人公を助けるヤクザの存在がらしくありません。おいおいゴダードさんよ、あまりにご都合主義だぜ。このあたり、ちょっとしらけます。誰もが怯える元特殊部隊員の殺人者は、プロの殺し屋さえも簡単に片づけます。その悪党に狙われ、絶体絶命の主人公を救うのは‥‥ そりゃあ、あんまりだぜえ。こんなトンマが、なんで凄腕の元軍人なんだよ。


 「ブレイン・ストーム」/リチャード・ドゥーリング
 この作者も現職法曹関係者です。スコット・トゥロー(シカゴ地区連邦検察局の検事補→大手法律事務所のパートナー)の成功を見て、数多の弁護士や検察官がリーガル・サスペンスを書き始めました。彼らはいずれも法律専門家だけに司法の取り扱いはさすがです。しかし、肝心の作家としてはド素人です。そんななか、スコット・トゥローは別格です。彼は作家としての才能も超一級品です。「推定無罪」は文句なしの傑作でしょう※注2
 ジョン・マーテルもなかなかのものです※注3。彼は、O.J.シンプソン裁判で弁護団の訴訟指揮を執った全米屈指の弁護士でもあります。
 ジョン・グリシャムはリーガル・サスペンスというよりムービー・ライターというべきです。ベストセラーを連発していますが、小説のできがいいとは思えません※注4
 フィリップ・マーゴリン※注5とバリー・リード※注6もまた弁護士です。この二人は、ミステリー作家として致命的な瑕疵を抱えています。三人称視点を選択していますが、登場人物の内面を叙述しています。これはミステリにおいて、やってはいけないことです。例えば、犯人探しの小説で内面描写をやってしまうとホシが一発で割れるでしょう。もし内面描写で犯行に関わる部分だけ叙述を割愛すると、不自然な描写になってしまいます。フィリップ・マーゴリンの「暗闇の囚人」が当にそれです。こういう基本的なポイントさえクリアできていない小説も存在しています。

 で、「ブレイン・ストーム」もまた小説水準をクリアできていません。私はリーガル・サスペンスが好きで、とりあえず読んで、後で後悔することが多いのです。この作品もその例に漏れません。伏線もなしに、後から後から新事実をつけ加えるなよ。こういうのは反則だぞ。

※注2:「推定無罪」「立証責任」「有罪答弁」「われらが父たちの掟」
※注3:「訴訟」「断罪弁護」
※注4:「評決のとき」「法律事務所」「ペリカン文書」「依頼人」「処刑室」「原告側弁護人」「陪審評決」「パートナー」「路上の弁護士」「テスタメント」「裏稼業」
※注5:「黒いバラ」「暗闇の囚人」「葬儀屋の未亡人」「炎の裁き」
※注6:「
評決」「決断」「起訴」
は映画化されています。


 「姿なき殺人」/ギリアン・スコット
 これはよかった。第一次世界大戦後のイギリス、しかも婦人参政権が認められた最初の議員選挙が舞台です。これに立候補した主人公の選挙活動と素人探偵を描いています。保守的な田舎で立候補した女性の選挙運動だけでも興味深いものがあります。


 「骨の袋」/スティーブン・キング
 これはどう評価していいか判断の難しいホラー・ミステリーです。死んだ妻の日常に潜む謎に気づき、徐々にこれが明らかにされていきます。謎解きの面白さは下手なミステリより上です。でも、超自然世界の構築はマンネリです。


 そろそろディック・フランシスの競馬シリーズ(文庫版の方)も出版される頃合です。フランシスには、もう何も期待していません。惰性だな。
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九拾八  後方支援(2003/9/14)
 イラク駐留の米軍兵士が辛酸を舐めています。占領地での平定任務の困難さは当然のことです。私がいう辛酸というのは、後方支援のことです。従来の米軍の展開と明らかに様子が異なっています。従来、大規模な部隊を展開するケースでは、本格的なベースを設営し、空陸から物資輸送を行ってきました。ところがイラク関係のニュース映像からは、そのような様子がまったく見受けられません。いえ、単に私が見落としているだけなのかもしれませんが。最近はあまりTVも見ませんから。でもねえ、該当映像をまったく見ないというのもおかしな話です。

 現在のイラク駐留米軍は十数万人だそうです。正確な数字は知りません。調べるのが面倒というか、米軍関係情報を読みこなす英語力がありません。ですから、以下に書いていることは未確認の感想です。

 これほどの大軍の兵站を賄うなら、次のような映像があってしかるべきです。
  • C-5やC-130などの大型輸送機がエプロンに多数駐機し、入れ替わり立ち代り発着する様(真っ先に空港の確保をしたはず)。
  • 飛行場に届けられた物資を各部隊にピストン輸送するトラック群。
  • 兵員用カマボコ宿舎の映像(仮にイラクの建物を接収利用しているにしても、これだけの大軍を収容するのは無理でしょう)。
  • 作戦展開中であればレーション(携行食料)だろうけど、治安維持の駐留なら調理された食事に切り替わっているはず。調理風景やその調理されたメニューの食事風景。
  • 部隊に随伴する輜重部隊(私はマニアでないので車両の判別がつき難いのですが、ニュース映像の隊列は戦闘車両ばかりだったのでは。英軍の地上部隊には、輜重車両が随伴していたはずです)。
 一体、米軍に何が起こっているのでしょうか。私はもう十年以上もミリタリー・ウォッチをやっていないので事情が理解できません。米軍の編成は昔と違っているのでしょうか。なんらかの事情で兵站が十分確保できないでいるとすれば、イラク復興は怪しいことになりそうです。かつての米軍は、世界で最も兵站の充実した軍隊でした。食料にしてもメインディッシュだけでなく、菓子やジュース類、はてはウォッカまで配給していました。ちなみにカクテルの「スクリュードライバ」は、一説には米軍が発祥といわれています。兵士たちはウォッカをバリャースで割り、戦場とてマドラーがわりにドライバでかき混ぜたのが嚆矢といわれています。

 今回の任務は砂漠の地、しかも警戒任務となれば一日中日なたに立っていなければいけません。日中50℃に及ぶ砂漠での消耗は如何ほどか。たしか、砂漠での任務の場合、3ヶ月で交代休養するのが基本のはずです。しかし、16万人(正確ではありません)の兵員の交代要員が確保できているとの話も聞きません。現に今回のイラクでは、後方の静養地に下げての交代がなされていないはずです。ベトナム時代のように徴兵制であれば、今頃は国内で怨嗟の声が吹き荒れてんじゃないかな。志願兵だからこそ、なんとか持ちこたえていますけど。それでも、兵士の人権をあまりに無視した今回の任務について、いずれ批判が起こりそうな予感がします。

 アメリカも多国籍軍による治安確保に傾いています。開戦に当たって国連を無視した経緯があるので、すんなり話が進んでいるわけじゃないみたいですけど。面子優先で、指揮権はアメリカによこせとか、まずは金をよこせとかとかね。

 自衛隊も参加するのでしょうか。止めといた方がいいと思うのですが。だって日本の場合、なんの準備もできていませんから。もし、自衛隊員が民間人を誤射したらどう対応するのでしょうか。自衛隊に軍法会議の制度は整備されていないでしょう。また、軍隊の機能をバックアップするシステムには奥深いものが必要です。例えば、自衛隊員が任務に誇りをもつことは、実は極めて重要なことです。家族がまがりなりにも「息子(夫)が、国家の安全保障のために貢献できることは、私たち家族にとっても名誉なことです」と言えるような社会の規範も必要です。これなくして兵士を戦場に送り出すのは、やってはいけないことだと思います。兵の後方支援は物資面だけでなく、家族のバックアップ、社会の兵に対する尊敬や期待も大切な側面でしょう。さらには、帰国兵士のメンタル・ケアも含めるべきです。残念ながら、今の日本には何もありません。

 泥沼化しそうなイラク情勢。なら、どうすべきか、私には判りません。こんな感想しか書けません。しかも想像ばかりです。間違いがあれば指摘してください。
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九拾七  またまたBIBLO(2003/9/7)
 昨日のこと、昔の教え子が新たにノート・パソコンを購入するとかで、買い物につきあわされました。大きな声では言えませんが、その知人というのはあまりパソコンが得意ではありません。率直に言って、機械オンチというかパソコン・オンチというか‥‥

 今回購入の教え子は、すでにPowerMacG4/400を持っています。モバイル用途があるわけでもなく、新規購入の必要性はありません。無駄遣いするなと散々諭しました。さらに話を聞くと、来年には転職を考慮しているそうです。それならWord、Excelの習得が必須です。そこで、どうせ買うならとWindowsを薦めました。DEODEOにはMacをはじめ国産ノート群が陳列されています。液晶の表示品質を見比べると、富士通のFMV/BIBLOのNB19Dがダントツでした。上下、左右方向の変化が最も少なかったのです。他機種はいずれも団栗の背比べです。しかしねえ、カタログ記載の視野角の数値は信用できません。数年前に比べれば広くなったとはいえ、まだまだ問題ありです。その点、FMV/BIBLOのNB19Dは他と一線を画しています。同じBIBLOでも、他シリーズは駄目でした。

 NB19Dは、Pentium4-M/1.9GHz、15型、DVD-ROMモデルです。光学式マウスも附属しています。これで20万円を僅かに切るお得モデルです。PowerBook/867MHz/15型モデルに固執していた教え子も、液晶の品質やパネル強度、価格差なんかを目の当たりにして納得しました。だってねえ、PowerBookは蓋に軽く触れるだけで液晶パネルが波打つんだぜえ。それとOSにも問題ありです。教え子−女性なのですが、UNIX(OSX)はハードルが高すぎるし、OS9はすでに1年前に開発が終了しています。なんか、今のMacは発展途上というか、中途半端です。彼女にしてみたら、本当はMacが欲しかったのですが。
 「Macを使いたければ、デスクトップがあるじゃないか」と慰めました。

 Pentium4はクロックほど速くないですね。通常のオペレーションから得られる体感速度といえば、Athlonの1.4GHzにも及びません。もっとも、特定の処理では威力を発揮してくれます。試みにPhotoshopで重いフィルタをかけてみたところ、さすがのスピードでした。私がCPUに負荷をかけての速度テストをするときは、Photoshopフィルタの「表現手法」→「風」→「激しく揺らす」でチェックします。
 不満は、ビデオメモリをメインメモリでシェアしている点です。それと富士通に限りませんが、液晶パネルのプロファイルを提供して欲しいところです。

 ノートを預かった私は、パーテーション・サイズを変更してリカバリしました。付属アプリケーションもほとんどインストールしません。インターフェイスはクラシック・スタイルに戻し、視覚効果の大半を外します。さらに不要なサービスも停止させました。その後が大変です。サービスパックや重要なパッチをあれやこれや当てました。アップデートも怖い部分がありますので、内容を確認して必要なものだけダウンロードしました。
 最近はWebに繋いでいないとセットアップも完遂できません。一体、便利なのか不便なのか判りません。

 セットアップは片づいたけど、なんだかんだとサポート要員にされそうで怖いです。まあ、女性だからいいか。
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九拾六  伝説のDALLAS(2003/8/31)
 前回、アメリカの人気TVドラマ「ダラス」について触れました。数日後、某掲示板で「ダラス」のことが話題になっているのを見かけ、確認して驚きました。なんと今も放送しているそうです。ケーブルTVやCSでのみ視聴可能みたいです。13年間にわたる全357話中の第8クールを放映中だそうです。
 アメリカ国民がどれほどこのドラマに夢中になったか、日本での放映に当たって、いろいろな伝説が伝えられました。
  • 地方選挙の政見放送の際、すべての候補者が「ダラス」の放送時間の裏に放送されることを拒否した。
  • イギリスでも大人気を博し、人口の半分にあたる2000万人が「ダラス」に熱狂。放送日の夜はパブが空になった。また、エリザベス女王も「ダラス」の大ファンで、J.R.役のラリー・ハグマンは英国王室に招待され、そこでJ.R.を演じたといわれている。
  • ダラス以前、ダラス以後といわれるほど、アメリカTVドラマに変革をもたらした。それまでのアメリカ連続TVドラマは、各回完結方式であった。それが、「ダラス」の連続ストーリー方式の大成功によって、以後のお手本となった。
  • 第2クールのラストの謎が評判を呼び、第3クールへの興味を繋いだ。おかげで、この謎が明らかになった回は、米TV史上最高の視聴率53.3%をマークした。そしてこれ以後、クール最終話は劇的な幕切れにして、次のクールへの期待を持たせるというパターンを定着させることになった。
  • 単純な勧善懲悪でなく、事業拡大に野心を燃やす悪役のJ.R.が人気を博す。

 観たことない方のために説明すると‥‥
 このドラマはロミオとジュリエットを下敷きにしています。舞台はテキサス州・ダラス、油田開発で大富豪となったユーイング家の人生ドラマです。ジョック・ユーイングは40年前、パートナーのディガー・バーンズとともに油田を掘り当てます。利権の独占を狙うジョックは、密かに陰謀を図り、パートナーのバーンズを会社から追い出しました。以後、ユーイング家とバーンズ家の確執は、子供達の世代にまで及びます。ユーイング家のJ.R.、ゲーリー、ボビー、バーンズ家のクリフ、パメラらもまた愛憎に彩られた人生模様を交錯させます。
 物語はユーイング家の三男ボビーと、バーンズ家の娘パメラとの結婚で始まりました。初回の冒頭で、登場人物の特徴は明確に描写されます。

 ユーイング家
 権力に対するあくなき渇望と傲慢さを隠そうともしないJ.R.(ジェイ・アール)
 正義感と公正さに溢れるボビー
 雄渾かつ石油王に相応しい父のジョック
 個性的な家族をまとめ上げようとする穏やかな母のエリー
 J.R.と形骸化した夫婦関係を続ける、酒に溺れる孤独なスー
 バーンズ家

 弁護士であり、ユーイングへの復讐に燃えるクリフ
 ボビーと恋に落ち、ユーイングに嫁した才色兼備のパメラ

 私がこのドラマを見たのは18年前のことです。TV朝日が鳴り物入りで放映しました。ところが低視聴率で、第1クール29話終了とともに、日曜深夜に追いやられました。第2クール25話は深夜のこととて、眠い眼をこすりながら観た記憶があります。第2クール最終話は劇的な結末でした。
  • J.R.に裏切られ、事業の破滅を招いたボーゲン・リーランド
  • 幾度かユーイング家に致命傷を与えかけるも叶わず、むしろ自身を苦しめる結果になったクリフ・バーンズ
  • すべてに絶望し、愛息とも引き離される事態に直面したスー・エレン・ユーイング
  • J.R.の意を迎えることによって、ユーイング一族に入ることを狙ったものの、J.R.の裏切りですべてを失ったアラン・ビーム
  • スーの妹。姉を押しのけ、J.R.との結婚を画策するが失敗。J.R.を恐喝するものの逆にダラスからの追放の憂き目に遭うクリスティン・シェパード
 この5者は絶望の渕に追いやられ、それぞれがJ.R.への復讐を誓います。そして深夜、事務所で働くJ.R.を凶弾が襲います。ここでエンドとなります。J.R.を撃ったのは一体誰か、全米の興味が集中しました。そして上に書いた視聴率53.3%が実現したのです。
 残念ながら日本における放送はここまででした。おかげで欲求不満になっちゃいました。連続TVドラマに興味のない私も「ダラス」には夢中にさせられました。とはいえ、現在CSやケーブルでやってるのを、新たに契約してまで見る気はありませんけど。

 「ダラス」と聞くと、あのテーマ曲が頭をよぎります。携帯の着メロに使っている方も多いそうです。あれを聞くと、何故か心躍ります。
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九拾五  訂正(2003/8/24)
TAKEN
 スティーヴン・スピルバーグの「TAKEN」に書いた内容が間違っていました。全6話でなく、10話15時間の長編でした。9月一杯まで放映されるそうです。以前、お子チャマ向け番組としましたが、いえいえ主婦向けの展開になってきました。これはもう完全なソープ・オペラ(昼メロ)です。
  • クロフォード家‥‥冷酷な野心家の軍人であり、異星人調査の責任者として非情な権力を揮うオーエンの係累。
  • クラーク家‥‥人妻サリーとジョン(異星人の変身)との間に生まれたジェイコブ、クロフォード家への復讐心に燃えるトムとベッキーらの兄弟の係累。
  • キーズ家‥‥第二次大戦中、異星人に攫われて彼らの重要なサンプルとなり、選ばれし者としての運命を引き継ぐ係累。
 この3家族3世代にわたる、運命に翻弄される人間模様です。ただ、アリー(物語のナレーションも担当)のみ4世代目の人間です。物語は未だ半ばですが、人間関係が錯綜してきました。ただ、それぞれの家族に印された運命の方向性は明確です。悪く言えば、ワンパターン、よく言えばシンプルです。鮮明な愛憎に彩られている様は、「ダラス」を思い出させます。ユーイング家とバーンズ家の確執をテーマにした「ダラス」は抜群に面白かったです。アメリカの主婦層が夢中になって、「君の名は」状態になったのも頷けます。

 第5話では、敵対するベッキーとエリックがヨロメキます。ベッキーは不幸な結婚に悩んでいるし、エリックは父親であるオーエンから疎外されて育ちました。オーエンはジェイコブの心理攻撃によって自分の死の瞬間を見てしまいました。オーエンがエリックによそよそしかったのは、死の瞬間の状況が関係していたのです。この伏線には、矛盾があります。某巨大掲示板でも指摘されていました。
 今後さらに3家族が絡み合うそうです。ちょっと関係が濃密すぎるんじゃないかな。


文明への挑戦
 国連事務所への爆弾テロに対するブッシュ大統領のコメントは、例のブッシュ語録につけ加えるべきです。
 「文明社会をたじろがせ、退却させることで自分たちの全体主義的体制を実現させたいからだ」
 勝手に文明社会とかゆうなよ。ベトナムに枯葉剤を撒き散らしたり、アフガンにクラスター爆弾をばら撒くことこそが非文明です。一体どの口で言うか、と突っ込みを入れた方は全世界にごまんといるでしょうね。

 最近、「トルコで私も考えた」を読みました。女性漫画家の高橋由佳利さんのレポートです。この作者はトルコにはまり、トルコの方と結婚しました。このマンガは食事をメインにした日常の点描ですから、政治向きのネタではありません。それでもこういうものを読むと、自分たちの考え方や価値観との大きな懸隔を確認できます。ブッシュ大統領なんかは、このような他者の価値観や歴史の意義を認められないのでしょうね。
 トルコは大変な親日国です。日本の歴史教育では、かつてのトルコとの親交を教えていません。でも、トルコでは律儀に、かつて日本人から受けた温情を連綿と伝えています。であるなら、日本でもトルコから受ける情誼をきちんと教えていないと不義理をしてしまいます。歴史教育は、なにも加害だけを教えればいいというものではないでしょう。
 この本を読んで意外だったのは、シリア人が大変な親日だということです。高橋さんはトルコ滞在中にシリアへ小旅行をしました。見知らぬあらゆる人から暖かい厚誼を受け、アイドル状態だったそうです。なにせ、日本製パスポートひとつで大騒ぎされたそうです。
 フランス料理・中国料理とともに、世界三大料理と並び称されるトルコ料理を眺めるだけでも楽しめます。
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九拾四  リーガル・サスペンス(2003/8/17)
 例年の如く盆に休暇を取ると、見事土日に被って結構な連休になりました。今年度初の連休とあって、のんびりさせてもらいました。京極夏彦の新作も読めたし、久々に親戚への挨拶もできました。そして空き時間用にレンタルDVDをどっさり借りました。

 「THE MAJESTIC」「GUILTY BY SUSPICION(真実の瞬間)」「A Few Good Men」「Midnight Cowboy(真夜中のカーボーイ)」「Heaven's Gate(天国の門)」
 5本も借りちゃったい。果たして全作観劇できるか怪しかったのですが、さすがいいシナリオの映画は飽きさせません。巧みなプロットを堪能したかったので、リーガル・サスペンスを探しました。前3作はすべて法廷(聴聞会を含む)モノです。さらに前2作は、どちらもマッカーシズムに揺れるハリウッドを舞台にしています。同様のプロットはアメリカ小説にも登場します。ジェイムズ・エルロイの「ハリウッド・ノクターン」、テレンス・ファハティ「キル・ミー・アゲイン」にもハリウッド人士の“アカ狩り”に対する恐怖が描かれています。裏切り、偽証、仲間を売ったりの人間模様を題材にしています。共産主義に対する“非米委員会”活動に加え、労働組合や労働争議にメスを入れる“マクレラン委員会”も重なってきます。

 「THE MAJESTIC」は、エンターテインメントに振り過ぎたありえない物語です。ラストの主人公のヒーローぶりは、現実世界の聴聞会に対しては無力です。それどころか、あんな舐めた口を利いたら最後、まず重罪間違いないでしょう。対して「GUILTY BY SUSPICION(真実の瞬間)」は、リアルな実相を伝えています。あのラストを救いがないと評する方が多いのですが、あれが現実なのです。戦後日本においても、いっとき公職追放の嵐が吹き荒れました。やがて朝鮮戦争勃発とともに下火になりましたが。日本のケースでも地域によって温度差はあるものの、密告が茶飯のごとく行われました。まあ、日本のケースとは区別するべきでしょうね。日本の場合は他から強いられないと、誰も責任をとりませんから。まあ、責任をどこまで問うかは難しい問題ですけど。組織の手続きに従って正当な命令を遂行するのは合法です。この場合は個人責任を問えません。問題になるとすれば道義的責任です。となると、判断の難しい話です。

 マッカーシズムがもたらす鬱々とした映画に比べ、 「A Few Good Men」はいかにものリーガル・サスペンスです。しかも軍事法廷モノときては、嬉しさのあまり失禁しそうです。かなり面白いのですが、肝心なところで躓いています。主人公の法廷弁護士としての有能さを演出していますが、あまり優秀さが伝わってきません。ここからネタに触れますので、未見の方は読まないでください。
 弁護側不利の状況が描かれていますが、本当にそうでしょうか。どちらかというと、検察側に無理のある訴訟でしょう。毒物を使った殺人事件としていますが、毒物が検出されていないのですから有罪は不可能です。軍医に対する弁護側訊問で、軍医が毒物症状を述べる都度「あなたは毒物を発見しましたか?」を問わなければなりません。さらに、吐血症状の原因に関する専門家を召喚し、毒物なしで死に至る可能性を法廷で証言させなければなりません。これらの作業は、あのケースでは必須です。でも、主人公たちは対処しませんでした。そもそも毒物が検出されないのだから、過失致死で起訴すればよかったのです。それを殺人で起訴しても、検察側に勝ち味はないはずです。アメリカの場合、正確には○級殺人とか区別するのでしたっけ。

  「Heaven's Gate(天国の門)」は3時間40分に及ぶ本格的な歴史モノです。こういう本格には目がありません。「ダンス・ウィズ・ウルブス」にも通じるアメリカ近代を描いています。映画ではありませんが、ジェイムズ・リー・バーグの「シマロン・ローズ」とも似た趣です。

 DVDの味を占めると、ビデオにはもう戻れません。「A Few Good Men」の映像は、およそ950×405(pixels)です。キャプチャした画像をそのままのサイズで下に置きます。きれいなものでしょう。なお、Photoshopで若干のレベル補正を行っています。

法廷の鳥瞰シーン

オープニングの隊列

軍曹への答礼

リンク画像は削除しています。
(C)COLUMBIA PICTURES
 借りた作品がつまらなかった場合に備え、「Midnight Cowboy(真夜中のカーボーイ)」を選択しました。この“ぬばたま帖”のネタ元の題名です。やっぱニューシネマはいい。自分の青春時代と重なっているだけに、余計心に沁みます。「イージー・ライダー」「タクシー・ドライバー」「ディア・ハンター」「わらの犬」なんか時々見直します。昨今のご都合主義のドンパチとはモノが違います。ジョン・ヴォイトとダスティン・ホフマンの演技は超一級品です。さらにジョン・バリーの主題曲がまた泣かせるんだなあ。

 個人的に好きな「大いなる勇者」や「ジュニア・ボナー」もアメリカン・ニューシネマの系譜を引きずっていると思います。当時のアメリカやアメリカ人そのものを見つめ直した映像は、きっと将来も色褪せずに伝えられていくことでしょう。
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九拾参  南京大虐殺のゆくえ(お盆特別回)(2003/8/15)
 ノンフィクション・ライターの鈴木明さんが先月22日に亡くなっています。迂闊なことに、先日やっとWeb情報で気づきました。鈴木さんといえば、台湾の228事件を題材にしたレポートがあります。228事件は光復後の悲劇的な武力衝突です。これがきっかけで、40年に及ぶ戒厳令が敷かれました。もうタイトルも忘れましたが、迫真のノンフィクションです。そしてなんと言っても「南京大虐殺のまぼろし」が衝撃的でした。今回のネタに触れるべきか、未だ迷いながら書いています。この件はあまりに生臭すぎますから。しかも政治的に利用されたり、実証といいながら恣意的な検証例が多く、素人には扱い難いテーマです。まあ、鈴木さんの仕事の意義を振り返る程度にとどめたいと考えています。

 南京虐殺は、かつては無批判に提示されていました。私にしてもガキの頃から、日本軍は20万人に及ぶ南京市民を殺したのは歴史事実と認識していました。今から25年くらい前でしょうか、知人に薦められて「南京大虐殺のまぼろし」を読みました。これで俄然素朴な疑問をもち、調べてみたくなりました。以後、関係書籍が出版されるや目を通すようになりました。
 結論から言えば、虐殺はあったでしょう。それも万単位の大虐殺です。ただ、従来から記号的に人口に膾炙されていた20万人という数字を扱うのは間違っているでしょう。


 虐殺はなかったなどという、所謂“まぼろし派”の言説は無視していいでしょう。誤解してはいけないのは、鈴木さんは「南京大虐殺のまぼろし(疑問点)」に迫っているのであり、決して南京虐殺そのものを幻とは言っていません。この派の中には田中正明氏がいます。田中氏は松井石根大将−中支那方面軍司令官(MSIMEは、支那を変換してくれません)−の無謬性を強弁するあまり、一次資料たる「陣中日誌」の改竄までしています。まあ、この件で田中氏は拓殖大学の講師も解かれましたけど。

 “まぼろし派”以外に、“20万人大虐殺派”“数万人規模の大虐殺派”がいます。“まぼろし派”も性質が悪いけど、“20万人大虐殺派”も信用できません。南京ウォッチングを止めて久しいので、現在の大虐殺派の中心的役割を果たしているのが誰かは知りません。かつては洞富雄氏(早稲田大学名誉教授)が20万人説の理論的支柱でした。洞氏は日本軍各部隊の戦闘詳報に見られる捕虜の取り扱いを精査せずに積算していました。昭和60年の「諸君」誌上で、秦郁彦氏、鈴木明氏、半藤一利氏、田中正明氏らと論争しました。戦闘状況と捕虜の取り扱いをつき合わせる中で、洞氏は20万人という数字を引っ込め、10万人程度と認めました。これは画期的なことでした。ところが、以後も洞氏は20万人説を吹聴していました。こういうところが信用できないのです。

 中国は「南京大虐殺記念館」を設立し、30万人説を歴史事実として定着させています。もはや日本と中国の間で、理性的な相互検証を実施するのは無理でしょう。中国は国策として決定し、なおかつ人民教育を強力に推し進めていますから、中国国民との間で理性的な話し合いは不可能です。加えて、日本国民の中にもこれに賛同する者がいますから、下手な試みはしない方が賢明でしょう。

 ドイツとポーランドの間にも似たような話がありました。戦後、ドイツの敗戦によって、ソ連は自国のポーランド占領地を返還せずに、替わりにドイツ領をポーランドに割譲しました。領内のドイツ国民は西に追われました。この歴史事実をドイツは「ポーランドによる強奪追放」とし、ポーランドは「本国への移送」としていました。勝手なものです。で、ドイツとポーランド二国間で、歴史認識のすり合わせが試みられたそうです。私は不明にして結果を知りません。こういうことの調整が利くとは思えませんし。
 槙枝元文氏(昭和50年代の日教組委員長)はドイツとポーランドの試みに倣うべきと、眠たいことを唱えていました。日本はともかく中国が歩み寄るわけないじゃん。中国に限らず国益に関わる点は、そう簡単に折れやしませんやな。オランダなんか、未だにインドネシアに対する植民地支配を謝罪しないどころか、被害者だと喚いていますもんね。オランダ王女が来日したとき、陛下に謝罪を求めましたね。帰国途上インドネシアに寄って同じことを言ったら、インドネシア国民の猛反発を食らいました。多分、本心から植民地支配に対して加害意識をもっていないのでしょう。


 話を戻します。鈴木氏は、それまで公に論じられることのなかった「南京大虐殺20万人説への疑問」を唱道しました。これが呼び水となって虐殺が精査・論証されるようになったのです。今後、歴史構築作業がどう推移するかは、私には見当もつきません。ひとつの結論に収斂することは永久にないと思います。いずれにしろ、論争のきっかけをつくった鈴木氏の仕事は偉業といっていいでしょう。ご冥福をお祈りします。
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九拾弐  米不足って本当?(2003/8/10)
 台風一過、我が家にも被害が出ました。あ〜余計な出費に頭が痛いです。この冷夏のおかげで、米の作況指数が低めに見積もられています。米の被害は保険で補填されるはずですから、農家自身の損害は心配ないでしょう。っても、最近の共済の仕組みを知らないので断言はできませんけど。私んちは、20年程前から農業を止めています。田圃は近所の農家に貸しています。言ってみれば地主です。ところで、誤解してはいけません。最近は農業後継者がいないので、農業の担い手は老人ばかりです。ですから地主なんて威張れません。むしろ、米を作ってくれるようにお願いしなければなりません。当方の契約では、反当り1俵の年貢で作ってもらっています。この1俵というのは町の指定数量でもあります。本当のところは、無料でもいいからとお願いしています。しかも商品券のお歳暮つきです。まあ、気を使って大変です。


 早くも一部で米不足予想が囁かれています。結論から言いますと、米不足は絶対にありえないことです。あるとすれば、特定産地のブランド米でしょう。これは仕方ないことですが、米そのものは潤沢に貯蔵されています。10年前の米不足にしても、どこまで実態が報じられていたか疑問です。あのとき政府は、韓国に対して支援米の返還を求めたり、タイ米の輸入を促進したりの対応を行いました。でもねえ、民間の買いつけ業者の倉庫には国産米がどっさりありましたもん。私自身、この目で確認しています。あの米騒動のおかげで高値がつき、古米でさえも通常年の新米並価格でした。古米を捌きにいって驚きました。あんな高値は二度とないでしょう。農協へ出荷していない農家はみんな狂喜乱舞。で、そのときの倉庫は壮観でした。米不足どころか、例年より多かったくらいです。

 私の遠い親戚に米屋がいまして、そこの若い衆が話してくれました。米は余っていたと。業者の買占めと出し惜しみで演出された嘘だと。94年に入ってからも買占めを続けた業者のなかには、結局在庫を抱えて大損をこいた者もいたそうです。

 ところで、農協に出荷するとどのような経緯を辿るか興味があるでしょう。この点については地域によって事情が異なっています。都道府県によって生産量というか自給率は大きく異なっていますから。カントリーと称ばれる貯蔵施設で在庫管理されます。最近は低温貯蔵とかで、味が落ちないとか宣伝されています。たしかに品質低下の度合いは小さいです(といっても新米には勝てませんけど)。当地の場合、カントリーから出荷されるのは2〜3年後です。農家が現金を手にできるのも2〜3年後ということになります。何故このようなことが起こるかといえば、基本的には米余りのためです。今の日本は1年くらいの不作で、米不足に至ることはありえないはずです。


 米不足が懸念されるのは特定ブランド米です。しかしこれもねえ。魚沼産コシヒカリでしたっけ。生産量より流通量がはるかに多いとか取り沙汰されたのは。ブランドなんて信用できません。カントリーに集荷された米も同様です。当地の場合、コシヒカリ、キヌヒカリ、ヒノヒカリ、コガネマサリ、ドントコイ(籾が大きく、多い)なんかが作付けされています。同品種といえども、同じ町内においてさえ味は万別です。私の住む地区は、水質や土壌が悪く、コシヒカリといえどもかなり不味いです。それがカントリーのサイロ内で他地区のものと混交されます。これでブランドを謳っても、何の保証にもならないでしょう。

 私は、年貢で頂いた米をすぐに売り払います。家族が食う米は、親戚から買っています。この親戚というのが、寒暖差の大きい山手の農家です。しかも大きな川の傍の砂地の田です。ために水はけがよく、新潟産コシヒカリにさえ劣らぬ美味です。本当に美味い米は、冷や飯になってさえ美味いものです。米なんか安いから、少々の贅沢をしてもたかが知れています。ちなみに、その親戚は出荷相場で売ってくれます(18,000円/俵程度)。現在では米の一切を農協に出荷していません。美味しい米はどこにでも売れますから。飲食店なんかと契約すれば、農協相場より高く売れますしね。今や意識の高い農家は美味い米づくりに取り組み、販路を自分で開拓しています。
 都会の方が米屋で買う米は、まず混ぜモノの不味くて高い米でしょうねえ。ご愁傷様です。
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九拾壱  スティーヴン・スピルバーグの「TAKEN」(2003/8/3)
 今夏、WOWOWはスティーヴン・スピルバーグの「TAKEN」を提供してくれています。昨夏はスティーヴン・キングの「ローズレッド」でした。WOWOWに加入していない方も、今ではこの傑作をレンタル・ビデオで見ることができます。
 「TAKEN」は、6話9時間に及ぶ大作です。まだ2話目ですが、期待はいよいよ高まります。異星人との遭遇体験を、50年以上にわたる3家族4世代の人間模様を通じて描いているそうです。複数の人生を平行して描くのはスティーヴン・キングの得意技です。スピルバーグも構成上似た手法を採ってはいますが、キングの巧みさには遠く及びません。映画づくりの癖から、テンポアップばかりが突出していて、丹念な日常というものが描かれていません。ために、面白いストーリー・テリングではあるものの、人間が生きていません。一言で言うとおこちゃま風味つけになっています。初っ端から異星人が顔出しするのにもしらけました。そんな、敢えて顔出しが必要なシーンでもなかったのですがねえ。その異星人はET風です。スピルバーグのイマジネーションもステレオタイプです。けなしているものの、お薦めには違いありません。

 で、最終話の紹介惹句−「'81年に誕生したレーガン政権による宇宙開発計画の『スターウォーズ計画』。いったんは中止されたが、'92年のブッシュ政権下で再開。これにより潤沢な予算を使った異星人の研究が進み、新事実が次々と発見されるが‥‥。」
 まあ、SFTVドラマですから「スターウォーズ計画」を宇宙開発計画に置き換えるのはいいでしょう‥‥とはいえ、おこちゃま向けだなあ。レーガン政権時代、戦略空軍が進めようとした現実の「スターウォーズ計画」は別物です。というか、あの当時のマスコミ報道そのものが現実のアメリカの意図とはかけ離れた様相を伝えていました。

 「スターウォーズ計画」の肝は、成層圏において弾道弾をレーザー・ビームで迎撃するというものでした。こんなのはマンガ以外の何ものでもありません。当時のマスコミのヒステリックな論調にはうんざりさせられました。そんな、真剣に反発するなよと。私は、「こんな法螺話、技術的にも経済的にも実現するはずない」と、議論している方々に説いてまわりました。この件は、実は新たなプロジェクトではなく、空軍がずっと継続してきた開発の流れの話でしかなかったのです。ミリタリー・ウォッチしていた人間なら誰でも知っていたことです。
 レーザーを破壊兵器として軍事転用するアイデアは、戦後すぐに米三軍が取組みました。陸軍は対人殺傷兵器、海軍は艦船の対空兵器、そして空軍は空対空兵器として。陸軍ははやばやと見切りをつけました。威力が貧弱で実用に耐えないと。比較すべき砲門の威力が指数的にアップしたのでまったく無意味だったのです。海軍にしても、防空火器の主役としてミサイルが実用になったので見切りをつけました。ところが空軍だけはしつこく研究を続け、やがて弾道ミサイル迎撃を模索し始めました。でも大した成果も上がらず、予算措置も厳しい監査に晒され続けたことでしょう。そのため、たまにレーザー研究の成果が報道されました。こんなに順調ですよとアピールする目的だったのでしょう。「スターウォーズ計画」が公になる少し前のこと、弾道弾の迎撃に成功したとのニュースが流されました。事情に詳しいアナリストによると、せいぜいミサイルを照射した程度のことだろうと言われました。迎撃成功の文言に騙されてはいけません。レーザーの実用性はゼロです。それをレーガン政権の対ソ強硬路線に上手く乗せたのが「スターウォーズ計画」なのです。当時のマスコミ連中は不勉強で、こういう流れを知りませんでした。ド素人の私でさえ知っとるちゅうんじゃ。
 少し考えれば、こんな計画は実現不可能だというのが判るはずです。戦略ロケットの外殻は強靭です。大気圏を突入してくるのですからね。これを破壊するだけのレーザーの威力を保証するには、いかほどの電力が必要なのでしょうか。識者の言によると、小都市を賄うだけの電力を要するそうです。それだけの電気をどうやって宇宙空間まで送るのでしょうか。まったく戯けた話です。さらには迎撃基地や管制基地をたくさん宇宙空間に設置しなければなりません。これを実現するには如何ほどの金が必要になるのか。アポロ計画どころの騒ぎじゃないです。あ〜馬鹿らしい。


 「TAKEN」は「ET」や「未知との遭遇」と違って、現実のアメリカの歴史事実に重ねすぎています。ためにファンタジーがファンタジーとして機能せずに、法螺話の様相を帯びてしまっています。凝り過ぎたため、逆にすべった印象です。スピルバーグらしからぬへまです。
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九拾    美的節度(2003/7/27)
 佐賀県大和町役場のHPが話題になっています。某巨大掲示板において紹介されたのが契機で、今や日本一有名な町村です。ご覧になれば判るとおり、地方公共団体らしからぬホットなサイトに仕上がっています。現時点でのアクセス数は72616(注:+50万)となっています。サイト管理者のインタビューによると、町民からのアクセスはほとんどなくて、外部からのアクセスばかりだそうです。
 サイト管理者は役場職員です。「まほろちゃん」や「大和くん」のキャラを描いているのも職員です。オタク系職員が勤務しているとは、なかなか香ばしい役場です。彼らは本来業務とは別に、兼務でこなしています。まあ、ご苦労ですけど、いうほど大変ではありません。現に私自身、2年前に職場のHPを立ち上げ、以後更新管理をしていますもん。
 このキャラクタに対する私の感想は、勘弁してね、です。地域を表現するのに、個人的趣味を剥き出しにするのは問題ありです。こんなふうに感じるのは、私が年寄りだからでもないみたいです。某掲示板に巣くう若者たちでさえ、同様の感想を書き込んでいます。


 モリサワのPR季刊誌「たて組ヨコ組」は極めて質の高い雑誌です。タイポグラフィをメインに、グラフィックデザインのあれこれをテーマにしています。その中に、名物コラム「亀倉雄策の直言飛行」が連載されていました。私はこのコラムを楽しみにし、何度も読み返しました。さすが故亀倉氏(1997年没)は、グラフィックデザイン界の生き字引です。業界の裏側を惜しげもなく披露してくれました。そんなコラムのある回で、ヘタウマ作家について語っていました。公募の審査員を務めていた氏は、若い審査員の推す作品の一体どこがいいのか理解できないと小言を書き連ねていました。これを読んだ私は、「なんと、亀倉御大も同じことを考えていたのか、俺の感性が曇っている訳じゃないんだ」と意を強くしました。
 ヘタウマ・イラストは評価の難しいジャンルです。下手なりに面白いビジュアルとして構成されていれば、広告としての価値はあるでしょう。問題は絵画的イラストです。本人は上手く描こうと意図しながらも、描く力がないため単に下手糞なだけというやつです。まあ、別にどんなイラストを描こうが自由なのですが、仕事となれば話は別です。少し謙虚になって欲しいものです。そんな下手糞なシロモノが印刷物になり、人目に触れることに対して忸怩たるものを感じないものなのかと。イラストレーターのなかにも、デザイン系学科でなく、美大出身の作家がいます。彼ら(彼女ら)の描くものはさすがです。それに引き比べ‥‥

 例えば、岡本太郎氏は下手糞です。氏は学生時代から絵がまったく駄目でした。戦前のことですから、戦後のような入試の難しさがありません。むしろ戦前の問題は学資です。平民にはとても大学は縁のない世界でしたから。岡本氏は、父親が岡本一平氏、母親が作家の岡本かの子でしたから、金持ちでした。実は、私の近所の某大家(洋画家)が岡本太郎氏と学友でした。興味深い話をいろいろ聞かせてくれました。絵が下手で、課題のデッサンを金と引き替えに描いてやっていたそうです。下手なら下手なりに練習をすればいいものを、金があるものだから遊び暮らしていたそうです。
 で、今の下手糞なイラストレーターにも同様のことが言えます。下手の自覚を持てと。そして、下手なら練習をしろと。あの天才ミケランジェロでさえ、晩年に至るも基本的デッサンを欠かさず続けていたのですから。ミケランジェロのデッサンは素晴らしいの一言です。晩年のデッサンでさえも、丁寧に面を描いています。彫刻が本業ですから、余計に面に拘っていたのではありましょうが。
 ヘタウマ・イラストレーターのなかには、そもそもデッサンをやったことがないのではないかと疑わせられる人物がいます。個性的であることがすべてというのでは哀しすぎます。

 何故こんなことを書くかというと、大和町役場のHPについて、たしかに一部の人間に受けるのは間違いないでしょう。でも、それ以前に考慮すべきことがあると思うからです。大和町の訴えるべき相が、あのような少女キャラから発せられるイメージで合っているのでしょうか。もし、フィットしているのであれば、言うべきことは別に何もありません。年寄りの愚痴です。

 お断り:私は絵が下手糞です。自覚しています。くれぐれも突っ込みを入れないように。
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八拾九 逸材(2003/7/20)
 ドジャースの野茂英雄投手が、メジャーで7度目となる2ケタ10勝目を挙げました。立派なものです。メジャーへ行った日本人選手で、トップレベルの活躍をしているのは野茂投手とイチロー外野手だけでしょう。松井はそれなりというべきかな。メジャーでそれなりにやること自体が大したことではありますが。
 野茂選手は社会人野球からプロへ転向しましたが、即戦力間違いなしでした。社会人時代のピッチングを見ると、プロ時代よりキレてんじゃないかとさえ思わせられました。入団一年目から日本球界を代表するピッチャーになりました。私は、彼のことを江夏の再来であると認識しました。彼の技量と身体能力の高さは、文句なしに日本人ピッチャーNO.1でしょう。それほどお気に入りの選手ではありましたが、2点ほど気に食わないことがあります。

 一点は近鉄時代のコンディションづくりです。毎年、春先は身体が絞れておらず、ブクブクのままでお粗末なピッチングをすることが多かったものです。夏場に近づくにつれ、身体が絞れ、球威も増していきました。これってさあ、観客を舐めてると思うんだけどなあ。プロなら銭を取る試合すべてでベストの力を発揮すべきです。早い話がランニングをもっと大切にすべきでした。鈴木さんが監督になって変な具合になりました。鈴木監督は野茂選手のトレーニング方法を批判し、ランニングをメインにすべきと訴えていました。野茂選手はこれを煙たがっていました。結論から言うと、鈴木監督の言は見識というべきでした。メジャーへ行った野茂選手は、何よりランニングを重視していますもんね。それにシーズン当初から仕上げてきています(日本を舐めてるな)。

 鈴木監督とトレーニング方法や選手起用法で対立を深めた野茂選手は、近鉄脱出を図ります。この件での経緯が、もう一点の話です。私は不明にして、未だ野茂選手の口から近鉄球団に対する感謝の言葉を聞いたことがありません。球団批判や日本プロ球界批判はずいぶん聞かされました。こういう勘違い発言を誰も指摘していません。マスコミは批判なんかしようものなら取材拒否に合うので一切書きませんでした。メジャー・プレイヤーともなれば最高の記事ネタですから、取材拒否されると商売上がったりですもんね。でもさあ、野茂選手といい、伊良部選手といい、やったことは無法・非道なんだけどなあ。近鉄にしろロッテにしろ、彼らを引退に追い込み、もしこれと契約しようという球団があれば、提訴して排除することも可能でした。実際には、そのような対処を一切せずにメジャーへ送り出しました。本来なら、メジャー球団と大型トレードも可能だったにも関わらず、彼らの身勝手から得るところのない放出でした。これは大変な契約破りです。で、それを許容した球団に、何の挨拶も感謝の言葉もないというガキの振舞いでした。

 伊良部選手の「オレは人間なんだ、土地や建物じゃないぞ。土地や建物のように契約で縛るな」には笑わされました。皆思ったでしょう。こいつホントに馬鹿だと。このときの野茂選手のコメントも、自分のことは棚に上げての勝手なものでした。正直言って、身勝手コメントを聞かされるのには辛いものがありました。

 私にしても、野茂選手がメジャーで如何ほどやれるか興味津々でした。また、メジャーのマウンドに立つ彼の勇姿をぜひ見たかったものです。でも私は、他人に迷惑をかけてまでしてのプレーは見たくはなかったです。そういう振舞いは、儲かれば何をやってもいい、売れれば何をやってもいい式の拝金主義のメンタリティと変わるところがありません。彼のことを高く評価しているからこそ、誠実に清潔に生きて欲しかったです。
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八拾八  親は市中引き回しで打ち首に?(2003/7/13)
 今回も差別表現について書くつもりだったのですが、長崎で悲劇的な事件がありました。この件について、政治家が馬鹿な発言をしたのでこれを俎上に挙げます。


 「鴻池祥肇防災担当相は十一日午前の記者会見で、長崎市の男児誘拐殺人事件について『嘆き悲しむ(被害者の)家族だけでなく、犯罪者の親も(テレビなどで)映すべきだ。親を市中引き回しの上、打ち首にすればいい』と述べた」−共同通信より

 この大臣は「青少年育成推進本部」の副本部長を務めているそうです。まったくお粗末なものです。それでなくとも、政治家は言葉で表現するのが重要な仕事なのに、この不見識、無知さ加減には呆れるというより哀しくなります。政治家の不適切発言は枚挙に暇ありません。「朝まで生TV」での政治家の差別発言は年中行事みたいなものです。「キチガイ」「片手落ち」「白痴」など、表現を生業にする人間の発言とは思えません。この無神経さで国益を背負えるのか疑問です。
 当地の県会議員選挙における立会演説会でも、私の所属する組織の推薦候補者が差別発言をしたことがあります。当地の遅れた現状の比喩として「日本のチベット」とのたまいました。私は動員聴衆として客席にいて、耳を疑いました。終了後、知り合いの専従スタッフに、今後その差別表現は口にしないように注進しました。

 未成年者の親には管理責任があります。でも、その責任は被害者に対してであり、世間に対してではありません。“市中引き回し”の文言には人権意識のかけらも見当たりません。モラルにもっとも縁遠い保守党政治家に、モラルの大切さを語られたくありません。秦の商鞅の「法の行われざるは、上よりこれを犯せばなり」を噛んで欲しいところです。

 神戸の事件でも、加害者の親は被害者の家族に対して訪問謝罪をしませんでした(ほとぼりが冷めてから謝罪したかもしれませんが)。あのケースでも、とても謝罪に伺うのは不可能だったでしょう。加害社宅をマスコミ各社のカメラの放列がずらりと取り囲んでいましたから。まあ、そこを敢えて訪ねるのが本当の勇気ではありましょうが。いずれにしても、軽々と押しつけることはできません。かつてM事件の家族が舐めた辛酸は地獄と呼ぶに相応しいものでした。父親は責任を感じて自殺し、姉は婚約解消のうえ行方知れずになりました。家族に責任を問うのは間違っています。仮に子供が未成年者であっても、人生のやり直しが利かないほどのダメージを親に与えるのは許されないと思います。

 犯罪報道は匿名、あるいは実名報道であるべきでしょうか。難しいところです。私は基本的に匿名報道であるべきだと思います。しかしながら、この論争における実名報道側の論客である柴田鉄治氏(当時、朝日新聞の論説主幹)の主張にも頷かされるものがあります。現実に実名報道によって抑止されるケースがあります。若者が軽い気持ちで犯した事件など、実名で厳しく追及されることによって収束することもあります。例えば○○県において、成人式で悪ふざけのヤンチャが多発したことがあります。このとき、刑事犯罪として毅然と対処したことと、マスコミの容赦ない報道によってピタリと収まりました(沖縄では相変わらずですが)。とはいえ一部のケースだけ実名というわけにもいかないでしょう。
 かつて府中3億円強奪事件の容疑者として、Kさんは任意出頭を求められました。Kさんはもちろん無関係です。ところが無実のKさんは、マスコミの顔出し報道によって以後の人生をめちゃめちゃにされました。実名報道ゆえの悲劇です。また名古屋の○○病院の院長は強盗事件の被害者でありながら、狂言強盗を匂わせる恣意的実名報道の餌食になりました。結果、病院は閉鎖に追い込まれました。このような社会的抹殺事例が多いから怖いのです。
 冒頭の大臣は、法治国家の大原則をないがしろにしています。刑罰の執行を世間に委ねようと広言しているわけですから。
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八拾七  ジェンダーフリーという名の精神の破壊(2003/7/6)
 別冊宝島「まれに見るバカ女」が評判で、続編「まれに見るバカ女との闘い」が刊行されました。すでに読んだ方も多いと思います。記事は何を今さらの内容ばかりですが、大笑いさせてくれます。怖いもの見たさの覗き趣味に応えてくれます。TVでお見かけする田島陽子センセ(カタカナが似合ってる)なんか、ホントに怖いというかグロというか。
 私は別段女性を蔑視するものではありません。上の本に登場する政治がらみのバカ女−田中真紀子、辻本清美、福島瑞穂−がいる一方で、サッチャーなんか燦然と輝いています。サッチャーが引退したとき、50億円くらいの年棒で日本の総理大臣をやってもらえばいいのにと妄想したくらいです。


 この本の内容はオチャラケですが、一部、ジェンダーフリー関係だけは見過ごせません。久々にマジネタに取組んでみます。
 ジェンダーフリー運動の内容は多岐にわたっています。一部は所謂“差別表現”規制とも被っています。差別表現に関する考察は、実は私の専門分野です。広告・宣伝(広報)における表現手法は、私がデザイナー指導育成するうえでの核心を成すものです。このときにあって、差別表現は絶対に許されません。相当な時間を割いて取組みます。一口に差別と言っても、その方向は多岐にわたります。同和、門地、職業、民族、人種、障害、思想、国家、地域、性差などです。イギリスやドイツにおいても、民族や人種に対する差別は、オフィシャルな場では厳しく規制されます。加えてドイツでは、ユダヤ人に対する差別やナチに関して特に厳しいハードルが課せられています。アメリカにおいてもPC(Political Correctness)による再評価が為され、オフィシャルな場面での配慮が求められています。
 差別表現規制に対しては、日本人全般の理解が得られていると思います。もちろん議論の余地は残されてはいます。
  • 対象人士によって、求められる規制レベルが異なっている。
  • 著作権の同一性保持の原則との整合性
  • その結果としての作品(文学、映画、マンガ、音楽、古典芸能など)の公開性
  • 歴史(過去)の再現性が閉ざされている
  • 糾弾行動の問題 etc.
 で、ジェンダーフリーの考え方については、その根本で確定していない部分がある思います。はたして日本人全般の理解が得られているか疑問です。TVCF「私作る人、僕食べる人」「私はこれで会社を辞めました」なんかに抗議するなよと言いたいです。あるいはミスコンに抗議したり、「直子の代筆」に抗議したりは、極めて政治性の強い、特定の団体の特定の思想の押しつけに感じられます。男らしさや女らしさに囚われず行動するのは結構、縛られずに生きるのも結構です。でも、それもまた選択の一つでしょう。男らしく生きようとするのも自由だし、女らしく生きようとするのもまた自由でしょう。男と女には厳然たる性差があるのだから、これを意識するのは自然なことです。この性差を潰そうとする小細工は、逆に人間性を否定しているのではないでしょうか。

 一方で、「男女雇用機会均等法」や「求人選考」に関わる性差差別は無くさなければなりません。また、給与格差や昇任における差別もなくすべきです。「男女共同参画社会」も目指すべきです。新入社員に対するレクチャー時に、女性社員に向かって「あなた方は男性社員の嫁さん候補です」などと広言する馬鹿幹部は厳しく指弾されるべきです。こういった差別撤廃に対する取り組みと、公教育における非人間的ともいえるジェンダーフリー運動は峻別すべきです。
 男女混合名簿は問題ないでしょう。当方では数十年前から混交です。男女で区別する意義がありませんから。でも次のようなケースに同意を示せますか?
  • 児童に対しての設問−「赤い服を着た男の子が、他の男の子から女みたいとからかわれている」−これのどこが問題であるか考えさせます。「どのような服であろうと、親が買ってくれたものであるから、大切に着るべきである。まして、他人の服装を誹謗してはいけない」などと指導するものではないそうです。「男の子色とか女の子色などというものはない。男が赤い色でもいいし、女が黒色でもいい」と教えるべきだそうです。
  • 同様に、服装や言葉遣い、役割分担についての区別を差別として教え込むそうです。
  • その他、体育、着替え、身体検査、性教育などの場における男女区別を排除していこうと教育行政に関与しています。
 さてさて、このような教育を受けた少年少女がいかなる青年・大人に成長するのでしょうか。空恐ろしくなります。男言葉で喋る少女を見ていると可哀想になります(アッ、男言葉という認識そのものが問題なんだそうです)。オレ、オマエ、〜でネエカ、〜シロヨなどと耳を塞ぎたくなります。多分、彼女たちに悪気はないのでしょう。性差を意識することを否定されて育てられたのですから。
 女権拡張運動家の中には徹底したツワモノもいます。体育の授業において、体力差を無視して同一評価軸で成績をつけろという主張です。そこまで無理をするなよと逆に同情さえします。


 89年の参議院選挙で反消費税を謳った土井社会党は大勝し、翌年の衆議院選挙でも余勢を駆って大勝利しました。このとき女性議員が大挙して国会に入りました(マドンナ旋風)。ここからジェンダーフリーが幅を利かせ始めたように思われます。三井マリ子都議が「直子の代筆」に抗議したり、ハトバスツアーの吉原歴史観光に抗議したりはニュースになりました。実は私、このとき彼女らの運動に期待していたのです。一番に取組んで欲しかったのは、マスコミが日常的に利用している性の商品化です。新聞や雑誌の見出しや記事に使われている「OL」「女子大生」「女子高校生」「女児」「主婦」などの扇情的記述です。これらの用語をニュース記事に用いることによって、性的興味を惹き、売上に寄与しようというさもしい根性が不愉快だったのです。先の用語は「会社員」「大学生」「高校生」「児童」「住民」で事足りています。ことさら女であることを強調することによって、事件に性的色合いを付加し、読む者の興味を掻き立てているわけです。これこそが、真っ先に抗議すべき点だと思うのですが。


 差別表現については言いたいことが山ほどあります。次回もやろうかなあ。
 ところで産経新聞によると−内閣府は男女共同参画は「個人の内面にかかわる『男らしさ』『女らしさ』や、伝統文化などを否定しようとするものではない」「男女の差の機械的・画一的な解消を求めているものではない」と指摘し、「ジェンダー(社会的・文化的に作られた性差)フリー」については安易な使用を戒めている−だそうです。そのためでしょうか、某県の男女共同参画のページが表示されなくなっています。今後見直しがなされるのでしょう。どうか健全な方向で発展して欲しいものです。
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八拾六  やっぱりApple(2003/6/29)
 Appleは8月に新 Power Macを発売するそうです。CPUには話題のG5(Power 4のシュリンク版)が搭載されるそうです。今のところはニュースリリースしか発表されていないので詳細は判りません。相変わらずAppleはパブリシティが上手です。HPのコピーは魅力的です。Macファンなら誰でも食指が動くんじゃないかな。Intelチップとの比較も毎度のことです。G5/2GHzは、PhotoshopベンチでPentium4/3GHzに比べて2倍速いそうです。これも毎度のことですね。PR用ベンチはどうでもいいのですが、G5が速いのは間違いないでしょう。Serial ATAやDDR400、PCI-XにFireWire 800などの最新テクノロジーも満載です。それになんといっても、無骨なアルミ筐体がクールです。以前のポリカーボネート製のポリタンクは、蹴飛ばしたくなるようなシロモノでしたから。
 これでMacも、名実ともにPCに肩を並べられるようになったのではないでしょうか。OSも実用性が高まってきたようですし。といっても、私はまだOS X を触ったことがないのですが‥‥なにぶんDTP用途なので、OS 9から離れられないのです。当方はまだましです。友人のデザイナーなんか、未だにOS 8.6も使っています。しかもIllustrator 5.5Jですもんね。出力サイドの都合で、こんな9年前のバージョンを捨てられないのです。

 その友人が悩んでいました。多分、デザイナーや印刷会社の方々は同様の懊悩に苛まれたことでしょう。Power Macは、一部モデルでしかOS 9 ブートに対応していませんでした。そのモデルが6月一杯で販売中止のアナウンスがなされ、皆さん買うべきかどうか迷っていました。友人にしても、733MHzモデルを持っており、1.25GHzじゃ大して変わり映えしません。かといって最終モデルともなれば、今買っておかなければ次はない訳ですから。友人は結局買わなかったのですが、大正解でした。なんと、Appleさんは期待に違わず大ボケをかましてくれました。G4 Macを全機種OS 9 起動サポートで、しかも大幅値引きで延長販売することになったのです。友人は大喜び。で、6月に注文を入れた方々は怒り狂っています。Appleの告知を信じて、事業所に売り込んだセールスは顔面蒼白でしょう。まあ、Apple Japan を責めても仕方ありません。どうせ本社の意向なのでしょうから。

 G5の64ビットアーキテクチャーそのものに大した意味はないでしょう。OS X そのものが64ビットに対応するのは、将来‥‥というより未来のことでしょうから。それでもAdobeはPhotoshop用のG5向けプラグインを近々提供するそうです。このプラグインには期待できるんじゃないかな。PPC 604 Macが出たときにも、3.0.5のマイナー・アップデートで対応しました。この効果は結構なものでした。G4 Mac用のVelocity Engine向けプラグインの効果はいまいちでしたが。なんにしろ、G5 Macには期待できそうです。私には無縁ですけど。私は、どちらかというとAthlon 64に心奪われています。で、タイトルの“やっぱりApple”は、なにがやっぱりなんだか。
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八拾五  どこまで愚かに(2003/6/22)
 熊本の中学で馬鹿な出来事がありました。リンクを張りたいところですが、元記事が削除されています。熊本日日新聞で報道された記事だそうです。熊本日日新聞は記事の転載利用を拒否しているので概略を記します。

 某中学の理科教師が、教材見本用に鹿の頭部を土中に埋めたそうです。その際、希望した生徒に手伝わせました。これを教育委員会は「教育的配慮に欠ける」として、校長に対して口頭注意を与えたそうです。

 記事が削除された理由を想像するに、教育委員会に批判が寄せられて、新聞社に記事取り下げを依頼したのではないでしょうか。さて、一体この件のどこが不適切だというのでしょうか。私なんかは、逆に実に有意義な教育だと思います。骨格見本がどのようにしてつくられるのかが実体験できるのですから。動物の屍骸を埋めておくと、バクテリアなんかが肉片を見事に分解し尽くしてくれます。一年くらい経って取り出すと、信じられないほどきれいに骨だけになっています。私も学生時代にやりました。美術系の学生さんたちは、少なからず経験があるんじゃないかな。静物見本に骨は最適です。私の場合は牛の骨を埋めました。一年後には、完璧に骨だけになっていました。これを念入りに洗って完成です。多分、今も大学で絵のモチーフとして利用されていることでしょう。掘り出したときの驚きはかなりのものです。理屈では判っていても、実際に骨だけになった頭部を見ると感動モノです。バクテリアの営為が実感できます。
 この理科教師の場合、教育委員会から注意を受けたとき、教育委員会の判断の愚かさにさぞかし呆れたことでしょう。あるいは、彼らの立場に同情したかな。教育委員会にはいろいろ苦情が寄せられます。その際に、いわれなき文句やピントはずれの苦情に対しては、その時点で説明をして理解を求めます。つまり、教育委員会レベルで話は収まるわけです。内容に問題があれば、学校に対して指導が行われます。普通であれば、この件は注意指導までいかないケースでしょう。一応は学校側に事情説明を求めるでしょうけど、それで納得しておしまいです。教育委員会の職員が愚かなのか、抗議した人間がよほどうるさかったかのどちらかでしょうね。このケースが駄目なら、そもそも解剖実習はできないでしょう。あるいは、学校で飼育している動物が死んでも埋葬してやれませんね。
 抗議したのが父兄なのかどうかは知りません。ただ、日本人の愚かさがどこまで進行するものなのか、暗い気持ちにさせられます。
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八拾四  話が見えない附属池田小学校(2003/6/15)
 先週、違法コピー販売のことを書いた翌日のこと、同様の案内メールが届きました。こちらはソフトによって価格を変えています。「登録はできません」の厚かましい但し書きつきです。今回の販売主は名前さえ出していません。申込み先のアドレスは外国のサーバです。ホントにロクなもんじゃないです。


 大阪教育大学附属池田小学校の被害者遺族に対して、国は4億円の補償で和解しました。この事件は理不尽であり、被害者は気の毒です。一方で、この和解にも理不尽さを感じて仕方ありません。
 学校(国立だから国)側の安全管理に落度があったといっても、具体的な内容が判りません。加害者の「門が閉まっていたら、塀を乗越えてまでは入らなかった」の言質を問題にしている模様です。この言には納得し難いものがあります。包丁を準備し、薬物使用を匂わせることによる無罪を計算してまでの計画的犯行が、門扉の開閉に左右されるものでしょうか。外部からの侵入排除を保証するなら、高い塀−しかも有刺鉄線かガラス片を埋込む−が必要です。入口には守衛室を設け、訪問者の確認と身分証明提示が必須です。さらに念を入れ、ボディ・チェックや荷物検査も必要でしょう。生徒や職員にはIDカードを配布しなければなりません。こういうやり方はひとつの見識でしょうが、私は反対です。最近の傾向としては、むしろ地域に開かれた学校が求められています。安易にセキュリティ強化に走るのでなく、学校を閉鎖空間にするか開放空間にするかについて、地域住民との間で合意を得るべきです。


 「学校施設整備指針」が改訂されるそうです。モニタによる監視、施設全体を見渡せる職員室の配置、校外からの見渡しを妨げる囲いの廃止などが盛り込まれるそうです。これを実現するには、大幅な施設改修が必要です。自治体の財政難を勘案すると、予算措置は事実上不可能でしょう。
 学校施設の整備といえば、消防法がらみの問題もあります。全国の理系大学の大半がアウトといわれています。本来は直ちにでも対処しなければいけないのを、財政上の問題からずっと放置されています。ですから、幼稚園や小中高にしても、今回の事件があったからといって、おいそれと整備できるものでもないでしょう。


 また、事件発生時の教師の避難誘導の不手際を問うています。これにも無理を感じます。現場では状況把握が難しく、下手な動きはできるものではありません。生徒を移動させるか、あるいは教室に留まらせるかの判断は難しいでしょう。後知恵でなら何とでも批判できます。まして、刃物を振回す屈強な加害者を制止せよなんていう奴は、そもそも信用できません。そういう奴こそ他人の痛みとか、他人の事情を忖度できない利己的な奴でしょう。小学校ですから女性教師中心です。彼女らにしても身が竦んで動けるものではないでしょう。これに立ち向かえなどと、とても言えるものではありません。現に二人の先生が重軽傷を負っています。何故かマスコミも、彼らの行動や後日譚を伝えません。先生はサンドバッグに甘んじろということなのでしょうかねえ。

 ところで、和解金の趣旨が新聞の記事からは読み取れません。国家賠償法を根拠としていますから、学校側の安全管理義務に瑕疵があったということでしょう。でもさあ、殺人を意図する屈強・暴力的人間相手に一体何ができるというのか。少なくとも4億円などという賠償が求められるほどの瑕疵とは思えません。これが犯罪被害補償であるなら別の話です。でも、新聞記事のどこにも“犯罪被害補償”の字句は見当たりません。加えて、それはそれで変な話ですけどね。加害者に補償能力がない場合、被害者が泣き寝入りするケースの無残さは従来から指摘されてきました。そこで、現在は見舞金的な性格をもつ給付制度として運用されており、改正案が議論されているところです。いきなりの4億円は説明できません。

 国側の瑕疵を問題にするなら、もっと明確な安全管理上の問題があり、連日被害者が生まれているケースがあります。交通事故がそうでしょう。歩道に幅の余裕がない道路は珍しくもありません。自転車の運行が危ない道路もありふれています。そして現実に、毎日のように人身事故が起こっています。こちらの方がもっと安全管理上の不手際が明確でしょう。であるなら、そこで生起した事故の賠償はドライバーに帰すのでなく、国が支払うべきです。でないと今回の池田小学校のケースと話の辻褄が合わないのではないでしょうか。

 遺族の方々にはお気の毒です。でも、彼らにも節度を弁えて欲しいです。今回の和解は異例ともいえるものです。でありながら、遺族の親たちは相変わらず国や学校に対する不満を口にしています。
 「遠山文科相の謝罪の言葉に、遺族から不満の声が上がり、女児の父の1人は『用意された文章を読み上げるだけで、誠意が感じられなかった。残念だ』と話していた。」(読売新聞)
 多分、この不満の記事はマスコミの偏ったフォーカス−ことさらに部分をピックアップした−によるものでしょうが。

 子供たちが負った心の傷は深いものです。これを癒す、あるいは支えるのは親の役目だと思います。そこで、他者に対してケアを声高に求めるのは違うんじゃないのと言いたくなります。
 この事件をもとに、これからの学校づくりを論ずるのであれば、一番に語るべきは別のところにあると思います。宅間被告のような利己的、自己中心的、暴力的人間を育てた教育を見直すことこそを核心に据えるべきです。例えば、今の「道徳」は屁理屈の弁じ合いに堕しています。こんなもので情操が涵養できるはずありません。アナクロと貶されるでしょうが、昔のスタイルに戻して欲しいところです。
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八拾参  Windows2000 Advanced Server が6,000円 !?(2003/6/8)
 ときどき訳の判らない案内が届きます。例のYahooBBのADSLモデムの案内は電話でした。一方的に説明して、最後に当然のように言いました。
 「それでは、モデムをお送りします。2、3日うちにお届けしますのでよろしくお願いします」
 思わず声を荒げてしまいました。
 「私は既にADSLを利用しています。確認くらいしなさい !!」

 昨日、怪しい手紙が届きました。数年前にも同様のものが送られてきました。「ビジネスソフトの通信販売」のタイトルのリーフレット(一応カタログ)です。“3つの安心”の文句とは裏腹の怖い内容です。曰く「インストール確認後の料金後払いシステム」「インストール&クラック作業のサポート付」「全商品インストール説明書付」
 こんな違法コピー商品でも買う方がいるのでしょうね。例えば、デザイン印刷業界はモラル面に問題ありです。「Quark Xpress 3.3J」で、ドングルなしで動作するコピーが結構出回っていました。また「モリサワOCFフォント」で、フォント・データをコピーするだけで使用可能なモノも定番で出回っていました。しかもアウトラインが取れました(CIDは最初からOK)。この両品については同情すべき点もあります。ドングルといい、インストール・プロテクトといい、正規ユーザの仕事の妨げにさえなるものです。なかには正規ユーザでありながら、利便性から違法コピー品を使用していたケースもあるみたいです。実は当方にも、これらのコピーがありました。でも、一切インストールしませんでした。もしも告発されれば、懲罰的損害賠償を免れませんからね。しかも、モリサワの営業が出入りしていましたから絶対無理ですけど。ちなみに、そのモリサワ支社も撤退し、支社員は某印刷会社の営業に転進しています。
 で、今回のカタログ販売です。著名ソフトが軒並み6,000円です。購入点数が増えれば、割引率も大きくなっています。なお、旬を過ぎたソフトは一律1,000円です。
 カタログを眺めると、興味深い商品がありました。超高価業務用3Dソフトの「MAYA」もリストアップされています。さらに興味深いのは「フォント詰合わせパック」です。Adobe日本語フォント57書体/ヒラギノ6書体/字多楽26書体に加え、モリサワの新ゴ6書体/ゴシック3書体/じゅん3書体/リュウミン3書体/太ゴ/教科書体3書体/見出明朝/見出ゴ/太明朝の22書体です。正直言ってこれは欲しいフォントです。もちろん買いませんし、無視しますけどね。
 そして驚きの「Windows2000 Advanced Server」です。お値段は定価だと70万円くらいでしょうか。一般には販売していないと思いますが、こんなのを買う人がいるのでしょうかねえ。違法なうえ、個人ユーザには無関係な代物でしょう。そもそも「Advanced Server」を必要とするケースでは、専門のサポートがシステム構築するでしょうから、こんな信用に関わるような代物に手を出すはずありませんし。

 こういう違法な商売は不愉快です。一方で、MSの阿漕な商売の対置として、存在し続けるだろうとも思います。かつてMSのOSやオフィス・ソフトは安かったものです。それが独占が完了した現在では価格が高くなっています。一方で、「Lotus 123」や「一太郎」の価格は憐れでさえあります。「一太郎13」の標準価格は20,000円となっていますが、乗換え価格(9,800円)で買えます。しかも購入時の呈示物が必要ないので、実質こちらが定価でしょう。これほどの低価格でも、もはや売れなくなっています。MSはそういった現実を踏まえ、結構な値づけをしています。
 「Internet Explorer」新版の無料提供もなくなるかも知れません。MSの関係者によると、新OSにのみバンドルされる可能性が示唆されています。この点の結論は出ていませんが、ブラウザ独占の弊害でしょう。MSのこういう振舞いが、世間の嫌悪するところの原因でしょう。
 私は今のところどうでもいいです。相も変わらず、Windows2000と98のままですし、Officeは2000ですし、IEは5.0.1のままですから。それ以上のバージョン・アップの必要性を認めていません。まして違法コピー品なんて不愉快だぞ。二度とこんなカタログを送ってくるなよ、な○わ電器 さん。
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八拾弐  ツツガムシ病と「真田剣流」(2003/6/1)
 今の話題の旬はSARSでしょう。そんな中、先週のこと「ツツガムシ病5件発生」の記事が某掲示板に紹介されていました。新潟以外でも、岩手県において今年に入ってすでに5名が感染しています。また、秋田県でも注意が呼びかけられています。この風土病の詳細は「ツツガムシ病にご注意ください」をご覧ください。

 ツツガムシ病は、かつて感染発症例が多かったものの、近年は減っていました。それが1980年代に入って増えてきています。よく使われる挨拶に“つつがなきや”があります。この“つつが”は“ツツガムシ”のことと言われています。まあ、諸説ありますが。私はこの記事を読んだとき、まっ先に白土三平の「真田剣流」を思い浮かべました。ツツガムシ病というより「丑三の術」と言ったほうがピンときます。暗夜軒という名の殺し屋が、徳川方の依頼を受けて豊臣方の大名や武将を呪殺するというものです。この呪殺法が「丑三の術」です。そして、これを阻止しようとする真田忍群や「丑三の術」の謎に挑む風魔一族の活躍を描いたものです。他にも天海僧正の手勢や柳生一族に加えて服部半蔵、松山主水、宮本武蔵らが入り乱れ、関ケ原以後の戦乱を舞台に術を競います。アッ、そうそう油屋妖蔵という商人も登場し、「丑三の術」を横取りしようとしますね。その手足となるのが白土ワールドお馴染みの四貫目です。

 私、白土三平の大ファンです。この「真田剣流」は1961年9月から1965年2月まで『少年ブック』(集英社)に連載されました。大きな声では言えませんが、小学生時代にリアルタイムで読みました。この月刊誌には、他にも「ビッグX」(手塚治虫)や「少年ジャイアンツ」(ちばてつや)が掲載されていたと記憶しています。ちなみに「真田剣流」完結後は、「風魔」が連載されました。でも、私は『少年』(光文社)シンパでした。こちらには「サスケ」が連載されていました。こんなことばかり書いていると齢が知れちゃうんだなあ。
 やけくそで続けると、『少年マガジン』には「ワタリ」が掲載されていました。“0の忍者”にはシビレたねえ。『ガロ』では、ご存知「カムイ伝」が人気を博していました。そもそも『ガロ』は「カムイ伝」を掲載するために発刊されていたのですから。当時、白土の才能と人気に嫉妬した手塚は、対抗して『COM』を創刊し、「火の鳥」を連載しました。白土全盛時、月刊誌×3、週刊誌×1の凄さでした。しかも、いずれの作品も複雑なプロットと独創性の高いストーリーで、その才能の豊かさが横溢していました。個人的には、「忍者武芸帖(影丸伝)」が一番好きです。
 若い頃夢中になった作品群ですが、むしろ齢を食ってから読み返した方がより感動が大きかったです。「忍者武芸帖」も「カムイ伝」も階級闘争をテーマにしています。世の中を斜に構えて見る私でも、問答無用で泣かされました。私自身が農家の人間であるが故の切実さからでしょう。農作業の辛さと農家の貧しさは身に沁みていますからねえ。

 「真田剣流」は、ツツガムシ病をネタに物語を構成しています。謎解きの面白さに加え、忍法や剣術合戦の目まぐるしさを東西の権力闘争に絡めています。昨今の平坦な漫画に嫌気がさしている方に是非ともお薦めします。

 PS:他にも「忍者旋風」(TV動画「風のフジ丸」の原作)、「大摩のガロ」「狼小僧」「忍者人別帖」」「死神少年キム」「神話伝説シリーズ」「女星シリーズ」「バッコス」「無風伝」「忍法秘話」「シートン動物記」と傑作ぞろいです。私、すべて捨てずに所持しています。幸せ。
 ご存知、四貫目
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八拾壱  再就職は大変だ(2003/5/25)
 今の日本は、未だかつてない高い失業率にあえいでいます。私の住む県は、全国平均に比べて低めの失業率や高めの有効求人倍率で推移しています。でありながらも、離職者や再就職を求める人たちが溢れています。
 実は私、そういった人たちへの就職支援の仕事をしています。これまでのコラムでも、離転職の厳しさについて口を酸っぱくして繰返し述べてきました。それというのも、日々の実務を通しての実感なのです。厚生労働省や都道府県もここ数年来、いろいろな手を打っています。求職者に対して、技能・技術を身につけさせるための講座をたくさん設けています。期間も3週間、2ヶ月、3ヶ月、6ヶ月、1年、2年とさまざまです。訓練コースもさまざま‥‥と言いたところですが、やはり限定されています。施設、設備、指導者の手配が難しいですから。
 一番お手軽で、設備も簡単に整うものといえばIT関連コースです。これに対する国の負担額はかなり高めであり、矛盾があります。本当はIT以外の訓練こそ費用が高くつくものなのに。言っちゃあなんですが、IT関連−早い話が、「Word」「Excel」「Access」「Internet Explorer」の操作を履修するもの−は施設や設備にかかる金は大したことありません。教室とパソコンがあれば事足ります。パソコンなんて今日び安いし、マイクロソフトのOfficeはプリインストールされてるし。対して、例えば造園の技能を学ぼうとすれば、教室だけでなく広い屋外スペース、樹木、石や岩、器工具に運搬機械まで必要となります。あるいはホームヘルパー養成に代表される介護関係の訓練を実施するとなると大変です。教室だけでなく車椅子やベッド、風呂や調理実習室などの設備まで必要になります。講師も広い分野にわたり、各専門家を準備しなければなりません。加えて施設実習といって、介護施設に派遣しての実務実習が必須です。ところが、国の補助はIT関連の方がかなり高いのです。結局、IT以外の講座は開きにくく(実施主体が引受けない)なっています。

 これは個人的感想ですが、「Word」「Excel」くらい自分でマスターしろよと言いたいです。世間のオフィス・ソフトを使っている人たちの大半は、多分独学じゃないのかな。そもそも勉強もせずに安閑としていて、求人活動のときにあたって気づくというのは間違っています。それにオフィス・ソフトを扱えるからといって、職に就けるというものでもないしね。もちろん扱えなければ鼻も引っかけられませんけど。
 ところで、当県には「○○○うどん科」というのがあります。3ヶ月の期間で、うどん製作のみならず、食品知識から販売や自営に関する講習まで行います。修了生はうどん屋に勤めるだけでなく、自分の店を持つ者もかなりいます。TVで紹介されたりで、全国的な話題になっています。でも、上に書いたように実施する方は大変です。今年かぎりの講座です。
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