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弐百   「カンフー ハッスル」とブルース・リャン(2005/7/23)
百九拾九 ホラーというか怪談(2005/7/17)
百九拾八 高畠華宵と中原淳一(2005/7/10)
百九拾七 今夏はSF映画で(2005/7/3)
百九拾六 成熟、未だ途遠し(2005/6/26)
百九拾五 女の祈りに死で報いる男(2005/6/19)
百九拾四 駄作「戦国自衛隊1549」(2005/6/12)
百九拾参 帝王降参(2005/6/5)
百九拾弐 フィリピン戦の悲劇(2005/5/29)
百九拾壱 演歌でチェック(2005/5/21)
百九拾  原作モノ(2005/5/15)
百八拾九 ケーブル新調(2005/5/8)
百八拾八 第三次国共合作(2005/4/30)
百八拾七 情報の裏側(2005/4/24)
百八拾六 亡国の政治家(2005/4/17)
百八拾五 孫子の代(2005/4/10)
百八拾四 音圧微調整(2005/4/3)
百八拾参 名画(2005/3/27)
百八拾弐 お恥ずかしいチョンボ(2005/3/20)
百八拾壱 困った隣人(2005/3/19)




弐百   「カンフー ハッスル」とブルース・リャン(2005/7/23)
 「カンフー ハッスル」は文句なしの話題作だったのに、当地では劇場公開されませんでした。見逃した私は、DVDが販売されるのをひたすら待っていました。そしてついに販売され、レンタルも開始されました。本日レンタル屋を訪ねたものの、すべて貸し出し中だったので、思い切って購入しました。

 私がこの作品で楽しみにしているのは、あのブルース・リャン(梁小龍)が出演していることです。実は高校以来のリャンファンなのです。うろ覚えのプロフィールを記します。
 リャンは空手とテコンドーを学び、19歳でショー・ブラザーズにアクション(武術)指導者として入社しました。リャンの指導演技が素晴らしいものだから、いっそ俳優になれと薦められ撮ったのが「必殺ドラゴン 鉄の爪」です。旧日本軍将校が悪役で、ラストでリャンがこれと20分近く闘います。この作品は、アクションこそ評価されたものの、映画としては三流でした。リャンがトップスターになったのは、第2作「帰ってきたドラゴン」の成功によってです。この作品こそ、香港カンフー映画史上最高のカラテ・アクションを活写しています。下の写真がそれです。このシーンは冒頭のアクションです。この映画はVTRに録っていて、ときどき観返しています。ストーリーはしょうもないコメディで、真面目に見るのが馬鹿くさいくらいです。ところがアクションだけは超一級品なのです。監督は呉思遠(ウー・セイエン)で、彼は他の監督にない感性を持っており、新しい演出を試みています。ちなみにジャッキー・チェンの「酔拳」を撮ったのも呉思遠です。
 
 ところで、こういうアクションは相手あってのものです。競演しているのは倉田保昭で、彼のダイナミックで、むしろ堅くて腰の据わった空手がアクションに説得力を持たせています。マトリックスの軽い打撃感とは対照的です。ラスト20分間は息もつかせぬ激闘の連続です。伝説ともなっている見せ場がたっぷりで、初見の方は「これが人間業かいな」と呆れ返ることでしょう。倉田の登場シーンが次の写真です。主演のリャンと互角の扱いを受けています。
 この作品で一躍トップに踊り出たリャン/倉田/呉のトリオは、続編ともいうべき「ドラゴン世界を征く」を撮りました。これもくだらない映画ですが、ラストのカラテ・アクションだけは値打ちがあります。リャンは出演した映画の中で、必ずトリックなしで人の頭上を飛び越えます。CGやワイヤー・アクションなしの時代には、本物のスーパーマンが存在していたのです。

2008/1/12 画像追加 見事に跳び越えています。





 この映画もまたVTRに保存しています。下のシーンは、ラストの遺跡での激闘のひとコマです。
 で、「カンフー ハッスル」です。リャンも55歳くらいでしょう。もう激しいアクションは無理だろうし、どんな具合なのか興味津々でした。加齢からくる衰えは致し方ありませんね。でも、こんな禿げた頭は見たくありませんでした。



(C) COLUMBIA
 アクションも手技中心で、足技は低いカメラ・アングルとCGでごまかしています。火雲邪神(梁)が真上に足を蹴り上げる場面がありますが、あれはリャンの得意業だったのですがねえ。CGでレンダリングした足を上半身に合成しています。

 2008/1/12画像追加 下図がそれです。



 「カンフー ハッスル」もくだらない映画ですが、私はたっぷり楽しめました。ギャグも冴えているというかぶっ飛んでいますし。
 ところで、おかまの仕立て屋に扮した趙志凌(チウ・チーリン)は、「怒れるドラゴン 不死身の四天王」の剛金(カム・カン)にそっくりに見えるのですが。まあ、歳が合わないですね。「怒れるドラゴン 不死身の四天王」は32年前の映画なのですから。
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百九拾九 ホラーというか怪談(2005/7/17)
 私は日々若者とつき合っています。そんななか若者気質に触れ、ときには感心したり、ときにはげんなりしたりです。おもしろいのは昔に比べて、霊とか占いとかのオカルト好きが多いことです。

 毎年必ずこんな会話が交わされます。
 私「霊なんかいるわけないじゃん」
 生徒「なにゆうとん、霊はいても不思議ないわよ」
 私「そりゃあな、俺も実際にこの眼で見りゃあ信用するけどさあ」
 生徒「私の友達が見たのよ」
 私「ふうん、その友達は眼が悪いんだよ」
 生徒「先生、嫌い」

 こうやって、日々生徒に嫌われています。
 私にしてもガキの頃は臆病で、夜が怖かったものです。原因ははっきりしています。小学1年のとき、祖母に連れられて映画を観ました。
 その映画というのが新東宝の「東海道四谷怪談」だったのです。四谷怪談映画は数あれど、倒産前の新東宝がヤケクソで作ったかとさえ思わせられるこの映画は別格です。様式的な映像美はあくまで端正です。であればこそ、ショッキングシーンがより際立っています。加えて、お岩の復讐の怨念の徹底ぶりもまた最右翼です。私がこの映画をきちんと観たのは大人になってからです。小学生のときは、お岩が毒によって悶絶するシーンで我慢の限界を超え、映画館の座席の下に潜り込んで耳を塞いでいました。もう、映画が早く終わってくれ、なんでこんな怖い映画を見る気になったかと後悔しまくりでした。この映画のトラウマは長く尾を引きました。夜や闇が怖くて、「お岩が出てくる」などと臆病なガキでした。
 国産怪談映画の最高傑作はと問われたら、迷わずこの作品を挙げます。


 小説で一番怖かったのは、スティーブン・キングの「シャイニング」です。シャイニングについては以前にも触れています。アル中治療が必要な父親が、ホテルの怪異にたぶらかされ、意志の弱さゆえ望まぬ影響を受けて破滅する話です。ホテルと一体化している霊たちは、その息子のもつ輝く力を手に入れようとします。父親は息子を愛しているがゆえ、ホテルの影響で変わってゆく自分が危険なものであるのを自覚しています。愛する息子を救うため、ラストで父親はある選択をします。このように父子の情愛の深さをテーマにしています。明確な化け物が登場するのでなく、あくまで人間そのものの怖さを描いています。
 小説を読むのが嫌いな方には、ジャック・ニコルソン主演の映画版でなく、キング自らメガホンを取ったTV映画版を見て欲しいな。ちなみに、このTV版のラストは、ダニー少年が大学を卒業するシーンです。それを父親が優しく見守り、力をもつダニーもまた父親の存在を認識しているというものです。小説とはラストの構成が異なっていますが、父子の触れ合いの濃密さが伝わってきて、むしろ感動的です。

 一読、あるいは一見を。
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百九拾八 高畠華宵と中原淳一(2005/7/10)
 昨日、砥部動物園を訪ねるべく、車を松山へ走らせていました。朝からぱらついていた雨はやがて大雨に変わりました。仕方なく動物園は諦め、引き返すべく直前の川内ICで降りました。小用を足すためにコンビニへ立ち寄ったところ、駐車場脇に「高畠華宵大正ロマン館1300m先」の看板を見つけました。私は不明にして、高畠華宵氏が愛媛県出身だとは知りませんでした。正直言って、動物を見るより華宵の絵を観る方が性に合っています。大雨に感謝し、大正ロマン館とやらを訪ねました。
 山腹の脇に立つ、こじんまりしたモダンな建物です。入館料は500円です。ところで高畠華宵をご存知ない方のために、下に作品を掲載しておきます。
  
 ある程度以上の年齢の方なら漏れなくご存知でしょう。私の祖父母や父母の世代が夢中になった挿絵画家というかポスター作家です。単なる挿絵画家でなく、彼の描くところのモダンガールと云われる女性像が、当時の女性たちのお手本というか理想像として捉えられたのです。さらに当時、欧米列強の租借地として東西文化の折衷として発展していた上海は、日本人の憧憬の地でした。華宵もまた、中国女性や中国の文物を参考にしていた模様です。ちなみに「高畠華宵大正ロマン館」において、「上海モードと華宵」展も開催されています。当時の上海において、広告の手法として多用された“双美人”の構図を採ったポスターが多数展示されています。

 私はガキの頃から絵と活字が好きで、大正から昭和初期、さらには戦後の雑誌まで手当たり次第に読んだものです。そんななか、華宵のクラシカルな(当時はモダンだった)女性像に魅せられました。その華宵がご近所の愛媛県の宇和島出身だったとは知りませんでした。ついでに、中原淳一氏が香川県の白鳥町出身ということも初めて知りました。中原淳一氏は昭和58年の逝去まで、現役で仕事をこなしていたので若い方でもご存知でしょう。中原氏は人形作家としても超一流で、19歳のときに創った人形が評判になって、画家としての活動を開始しました。単なる挿絵作家でなく、少女のファッションを長年月にわたって提案リードしてきました。その活動歴は、およそ50年間にも及ぶものです。私もファンなのですが、同郷の方だとはうかつにも知りませんでした。

 ついでに私の大好きな、大正から昭和にかけて活躍した挿絵作家を紹介します。

私の一番好きな小松崎茂氏です。


ペン画の第一人者、樺島勝一氏です。


れっきとした男性です。藤井千秋氏。


伝奇読物の挿絵画家の伊藤幾久造氏。武者画では山口将吉郎氏や伊藤彦造氏と並ぶ大家です。


 昔の挿絵の大家は例外なく画家としても一流です。それぞれ竹内栖鳳や伊藤深水、あるいは結城素明らの弟子です。最近のまともに画が描けないイラストレーターとは器がちがいます。
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百九拾七 今夏はSF映画で(2005/7/3)
 「スター・ウォーズ エピソード3」の公開が迫っています。いちファンとして待ち遠しいかぎりです。昨日は先行公開されもしました。
 ただ、この日は「宇宙戦争」を観ました。こちらも見応え充分でした。SFXの見事さはけちのつけようがありません。スピルバーグは昔からギニョールを多用し、CGだけの表現に比べて実在感を高めています。しかも、そのギニョールというのが大掛かりです。残念なのは、異星人の戦闘車輛のサイズが、CGとギニョールとではスケール感が大幅に異なっていることです。年をとると、こんなつまらないことばかりに気を取られてしまいます。
 また、子供たちの自我の肥大っぷりには鼻白むこと頻りでした。こんなガキが身近に居ると、きっとうざいことこの上ないでしょう。あるいは冒頭とエンディングにナレーションが入り、映画全体の顛末の説明となっています。これはスピルバーグらしからぬヘマでしょう。ナレーションで説明するのでなく、本編内で納得させるべきです。

 帰宅後、WOWOWで「宇宙戦争」の特集をやっていました。番組中で映画の数シーンが流されました。以前から気になっていたのですが、近頃の劇場の映写機は輝度が低いのではないでしょうか。昔の映写機はもっと明るかったと記憶しています。私は“ワーナー・マイカル”で観劇したのですが、ずいぶん暗くてコントラストの低い、つまり諧調レンジの狭い映像でした。WOWOWで観た映像は、同シーンでもコントラストが高く鮮やかです。異星人は地球を自分たちの生存に適した環境に作り変えようとします。赤い植物群がそれです。WOWOWではその赤みがきっちり再現されていましたが、劇場の映像は暗いためにそのあたりのことがまったく伝わってきませんでした。ですから、ラストの白く枯れた植物が一体なんであるのか意味不明でした。
 「スター・ウォーズ」はDVDを購入してブラウン管で観ようかな。今や劇場で見る映像はクォリティの低いものです。ホームシアターに走る方々の気持ちが理解できました。


 待ち遠しい「スター・ウォーズ」にそなえ、下のレコードを飽かず鳴らしています。
 このレコードは東芝EMIのプロユース・シリーズの1枚です。45回転の贅沢なレコードです。おかげで東芝らしからぬレンジの広さが確保されています。ってもテラークの33回転盤にも及びませんけど。
 マルチマイクであるため、小音量の楽器も鮮やかに浮かび上がります。マルチマイクは好みでないものの、それぞれの楽器がクリアである点に文句はありません。演奏はNHK交響楽団です。この盤のポイントは金管楽器の迫力です。立ち上がり、厚み、レンジの広さが心地よく、目の前の空間にブラス奏者たちが林立して見えます。金属の質感あふれるサウンドが、噴水の幕のように室内に張り巡らされます。
 書きながら、またまた聴きたくなってきました。
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百九拾六 成熟、未だ途遠し(2005/6/26)
 先日、中国の河北省で武装集団が村を襲撃し、住民6人が死亡、48人が怪我するという事件がありました。この件はワシントン・ポストに映像が届けられ、全世界に配信されました。おかげでその実態に触れることができ、また当局も市長の責任を問うています。海外メディアに晒されなければ、なんの対応もなされなかったでしょう。映像は衝撃的であり、かつ感慨深いものでした。かつて大陸において、日本人居留民虐殺事件が多発しました。その際の襲撃がこのようなものであったかと。

 中国においては暴動、襲撃、武装鎮圧などが頻繁に起きています。ケ小平による経済の自由化以来、党幹部による私腹肥やし、組織の私企業化、法の適用拒否などが全土で横行してきました。税務職員が暴行されたり、極貧のために嫁が来ない村が、女性を攫ってきて摘発を逃れるために武装し、200名の武装警官隊と銃撃戦をやったこともありました。
 北京当局も頻発する暴動に恐れをなし、今後は反日暴動を許さないでしょう。農民らにとって“反日”などさしたる意味はなく、“反党”こそが生活に関わることでしょうから。


 ところで、私は今回の映像を見て、中国の後進性を笑えません。日本にしても、つい最近まで似たようなことをやっていたのですから。九州での炭鉱闘争で、当局はスト破りに暴力団やゴロツキを金で雇って走狗としていました。また、中国で問題となっている大気汚染、河川汚染、土壌汚染も、日本自身が長きに亘って改めることのできなかった課題です。中国の公害問題での住民不在、開発優先、僅少補償など、かつての日本そのものです。河北省定州市の襲撃事件と同様の話は日本にもありました。足尾銅山鉱毒事件での政府の対応は、今回の定州市どころの騒ぎではありませんし。参考までに、足尾銅山鉱毒事件を読んでください。いかに明治政府が無法の府であったかが窺われます。関係ないけど、古河グループは足尾銅山鉱毒事件を社史において、どのように記述しているか興味があります。おそらく、触れていないというか、タブーになってんじゃないかな。


 足尾にかぎらず、日本中に有害物が満ち溢れ、住民の生命を脅かしていました。今の中国と同じです。さて中国が日本のように、環境や住民の権利に目覚めるのはいつのことでしょう。悲観的にならざるを得ません。貧富の差が余りに大きすぎるので、今後も開発優先を緩めるわけにはゆかないでしょう。そんなことをすれば、貧しい者の不満が爆発しかねません。北京の幹部にしても、分かっていてもどうしようもないことなのでしょう。
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百九拾五 女の祈りに死で報いる男(2005/6/19)
 「殺人小説家」デイビッド・ハンドラー著/北沢あかね訳、講談社文庫がついに刊行されました。
 アメリカでは1997年に刊行されています。日本での出版に8年も要したのは、このスチュワート・ホーグシリーズが売れないためです。旧作なんか廃刊にさえなっています。同じ講談社文庫のミステリ本でも、あの世紀の駄作”検死官シリーズ”は1,000万部も売れているというのに。


 ホーギー・シリーズのリストは次のとおりです。「邦題」の後に(原題)を記しておきます。邦題について、ファンの間では異論が多いからです。
 「笑いながら死んだ男」(The Man Who Died Laughing)訳/北沢あかね 92年10月第1刷
 「真夜中のミュージシャン」(The Man Who Lived By Night)訳/河野万里子 90年3月第1刷
 「フィッツジェラルドをめざした男」(The Man Who Would Be F.Scott Fitzgerald)訳/河野万里子 92年1月第1刷
 「猫と針金」(The Woman Who Fell From Grace)訳/北沢あかね 93年10月第1刷
 「女優志願」(The Boy Who Never Grew Up)訳/北沢あかね 95年9月第1刷
 「自分を消した男」(The Man Who Cancelled Himself)訳/北沢あかね 99年5月第1刷
 「傷心」(The Girl Who Ran off With Daddy)訳/北沢あかね 01年6月第1刷
 「殺人小説家」(The Man Who Loved Woman To Death)訳/北沢あかね 05年6月第1刷


 ここに掲げたリスト順が本来の出版順であり、物語の展開上大切な点です。参考に記した刷りの年月を見てください。講談社は物語の展開を無視して出版しました。旧作はもはや買えません。図書館などで借りて読む際には、上のリスト順を参考にしてください。
 また、リンク先の「女優志願」の書評でも書いているのですが、邦題には腹が立ちます。せっかく作者が「〜の男(女)」に統一しているのに、勝手にしょうもないタイトルをつけています。編集さんの見識を疑います。チャンドラーの巧みな比喩にも比肩しうるハンドラーのウィット、完璧なプロット構成、キャラが立っている脇役群、登場人物の独白によって過去を再現する手法などなど。90年代を代表するミステリに対して、こんな平板なタイトルをつけた責任を感じて欲しいところです。
 で、新作のタイトルもいただけません。「殺人小説家」なんて、どうでもいい新人作家の作品につけるタイトルです。今回のコラムのタイトル「女の祈りに死で報いる男」は、私なりに内容に応じて意訳したものです。本文中に“愛のために殺す”の記述が出てくるので、「愛のために女を殺す男」でもいいのでしょうが。現実に起きた殺人事件の内容を再現する小説がホーグの元に送られてきます。その小説中の殺人鬼の意図は、むしろ私が意訳したタイトルに適しています。

 これを読むのに、前作から4年待ちました。まあ、待った甲斐がありました。昨年から読んだミステリは駄作ばかりで、憂鬱になっていました。憂さを一掃する出来栄えです。さすがハンドラー、さすがスチュアート・ホーグシリーズです。まったく期待は裏切られませんでした。この作品はミステリなので、内容には触れられないのが残念です。

 D.ハンドラーは新シリーズに取りかかっているそうです。するとホーギー・シリーズは打ち止めなのでしょうか。いえいえ、単なる休憩なのを願っています。
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百九拾四 駄作「戦国自衛隊1549」(2005/6/12)
 「戦国自衛隊1549」は腹立たしいまでにくだらない映画でした。こんな駄作に1,700円もの大枚を払ったのが悔しくて仕方ありません。
 まず、映像の画質の悪さは半端じゃないです。意図的に彩度を下げ、粗くくすんだ映像にしています。これは多用しているCGのクォリティと関係しています。高解像度のCGを制作するには、実は大変な手間暇がかかります。高品質のCGといえば、「タイタニック」が最右翼です。「スターウォーズ」は、それなりに見切ったCGです。ところが「戦国自衛隊1549」のCGは、それなりどころかゲーム・ビジュアル並みの低品質CGです。確信は持てませんが、2K(横方向のピクセルが2,000pixel)をクリアしていないのではないでしょうか。当然のこと、細部描写を省略しています。その粗さをごまかすために、実写映像をくすませてCGとの整合性をとっているのだと思われます。Vシネマなら許せますが、劇場放映レベルをクリアできていません。

 シナリオのいいかげんさは、あらためて書くのも憚られるほどです。タイム・パラドックスの矛盾はといえば、そもそもの根本のところで無理があるので仕方ないでしょう。でも、タイムリミットが72時間って、一体なにを根拠に。前回の揺り戻しが72時間後だったから、次もそうだって言われてもねえ。あるいは同じ時代にトリップする根拠が、前回と同程度の規模の太陽活動があるからっていう説明だけじゃあね。

 で、最大のなんじゃこりゃは登場人物に対する違和感です。富士山を望む駿河が舞台でありながら、織田信長や斉藤道三が地付きの領主として登場します。駿河から伊豆、小田原を領していたのは北条氏康です。わざとなのか、無知なのか、意味不明です。
 さらにはラストの場面で、数時間で天皇の詔勅が下りてきます。いくらヘリを使っても、駿河と京都間で間に合うはずがありません。それに、当時の武士団に檄をとばしたのは、あくまで足利将軍です。
 また、信長(的場)が「軍勢を京へ送れ」と言った直後に、戦闘車両と軍勢が西上を始めました。おひおひである。兵士の徴募や呼集からでしょう。同時に輜重の集積が必要でしょう。長期遠征のための準備となれば、数日はかかるところでしょう。
 それに過去に飛んだ実験部隊は補給がないのですから、弾薬がとうに尽きているはずだし、車両の整備部品がなけりゃ、戦車だってただの鉄屑です。特に戦場ではキャタピラの交換が必須です。長い距離を移動した戦車なら、いくら燃料を精製したところで動けないでしょう。

 あ〜あ、なんでこんなくだらない映画を観てしまったのか後悔しまくりです。「ミリオンダラー・ベイビー」にしときゃよかったのになあ。放映開始時刻の都合で、待ち時間の最も少ない作品を選択してしまったのです。俺って馬鹿。
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百九拾参 帝王降参(2005/6/5)
 本日の午前中、イギリスのマンチェスターでIBF世界S.ライト級タイトルマッチが行われました。チャンピオンのコンスタンチン・ズー(33戦31勝《25KO》1敗1無効試合)に、世界1位のリッキー・ハットン(38戦全勝《28KO》無敗)が挑んだ一戦です。
 戦前の予想の大方は、ズーのKO勝利でした。ところが試合開始後の実況によると、ハットンが積極的に距離を詰めて打ち合いを挑み、ズーを後退させていた模様です。実況はボクシング系BBSを運営している“拳闘部屋”によるものです。とても有名なサイトであり、私もビッグマッチの際にはいつも繋ぎっぱなしにしています。管理人さんはアメリカ在住の方で、学生さんのように見受けられます。試合展開をリアルタイムで書き込んでくれるため、ボクシングファンは皆注目しています。しかも管理人さんはボクシングを見る眼が確かなので、採点も参考になります。少なくとも評論家のジョー小泉氏よりは目が肥えています。
 1Rからハットンがラウンドを制したので、期待は高まりました。それでも最後にはズーが勝つだろうと眺めていたのですが、試合は一進一退を繰り返し、ハットンが若干有利で終盤に入りました。11Rは凄まじい打撃戦だったみたいです。ポイントは僅差なので、両者ともに最終ラウンドで決着をつけるべく壮絶な12Rを期待していました。
 ところが、突如実況は劇的な幕切れを伝えてきました。

 試合終了!!! 投稿者: 管理人  投稿日: 6月 5日(日)11時03分5秒
  ジューが最終ラウンドを待たずにギブアップ!!!!!!!!!!
  リッキー・ハットン、TKO勝ちで新王者に!!!!!!!!!!!!!!!!」

 一瞬、管理人さんが冗談を書き込んだのかとも疑いました。競った内容で、次のラウンドで試合が決まる展開なのに試合放棄は考えられません。しかもズーなのですから。スーパースターというものは、ボクシングが強いだけでなく、スピリットもまた超一流です。ズーは実質的にS.ライト級の統一王者です。ジェイク・ロドリゲス(米)−IBF世界J・ウェルター級王座 獲得、ロジャー・メイウェザー(米)、ビンス・フィリップス(米)−IBF世界J・ウェルター級王座 陥落、ラファエル・ルエラス(米)、ディオベリス・ウルタド(キューバ)−WBC世界S・ライト級暫定王座決定戦 獲得、ミゲル・A・ゴンザレス(メキシコ)−WBC世界S・ライト級王座決定戦 獲得、フリオ・C・チャベス(メキシコ)、シャンベ・ミッチェル(米)−WBA世界S.ライト級王座 獲得、オクタイ・ウルカル(独)、ザブ・ジュダー(米)−IBF世界S・ライト級王座 獲得、ジェシー・ジェームズ・レイハ(米)などなどの強豪と闘い、ビンス・フィリップス以外には勝ちを収めています。そのズーがまさかの試合放棄です。よほどハットンの強打に痛めつけられていたのでしょう。Webの実況では、ダメージの具合までは正確に伝わってきません。録画放映の本番を待つしかありません。幸いなことに、WOWOWは明日の番組で早速流してくれるそうです。もう明日が待ち遠しいことです。
 しかも明日は、WBC・WBOライト級王座統一戦であるカスティージョvsコラレスも放映されます。実は個人的には、こちらの対戦の方がより見たい気持ちが強いのです。コラレスは私の贔屓のボクサーです。この一戦もまた凄まじい打撃戦だそうです。“拳闘部屋”の管理人さんによると、今年のベストバウトはこの試合で決まりだそうです。あ〜明日よ早く来い。
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百九拾弐 フィリピン戦の悲劇(2005/5/29)
 旧日本軍の兵士が発見されたそうですね。終戦後も各地に兵士が残ったり、置き去りにされたりしました。ビルマやインドネシアでは、あえて居残って戦後の独立戦争に協力したり、指導したりした者が多数いました。大陸においても、国民党軍に合流して八路軍と戦った兵士が少なからずいました。

 ところがフィリピンでは若干様相が異なっていました。インドシナの旧日本軍と違って、フィリピンの日本軍は現地人との間に軋轢がありました。アメリカ軍のフィリピン制圧後、フィリピン全土に散らばっていた兵士たちは四散して山中に逃げ込みました。食料の補給が途絶えているため、畑を荒らしたりして現地人の敵ともなりました。部隊によっては組織としての規律が破れ、また生きるために逃走した兵士も多かったそうです。彼らは終戦後の帰還呼びかけに対しても、軍規違反で罰せられるのを怖れてより奥地に逃げ込んだりしました。そのため、とうとう日本の土を踏むことなく人生を終えた方もいました。帰還呼びかけは何度も行われ、幸運にも帰れた方もいました。そういった方々の手記をずいぶん読みました。当時の彼らの心理として、日本人の声が聞こえたら、あわてて逃げ出したそうです。見つかったらどんな目に合うか、あるいは恥にまみれた帰国を余儀なくされるかと惧れたそうです。

 今回発見された兵士も、似たような経緯をたどって島奥へと逃げたのではないでしょうか。彼らがそのような行動に及んだのも、旧陸軍の指導や教育の故です。彼らはまぎれもなく被害者であり、失われた60年間を取り返す権利を持っています。日本政府としては、彼らに対してできうることを尽くして欲しいと切に願っています。
 先週のこと、さっそくタイガースの「ヒューマン・ルネサンス」を買いました。このアルバムを聴いたのは高校生以来です。記憶にある音とかなり違っています。高校時代はお下がりのモジュラー・ステレオで聴いていました。当時はそれなりのバランスの録音と思っていましたが、今聴くとレンジが狭くくすんだ音です。リードギターなんか水の中で弾いているみたいにぼんやりしています。「あれっ、こんなだったっけ」ってなもんです。当時の若者のオーディオ装置に合わせての録音だったのでしょう。
 録音はともかく、名アルバムには違いないです。国産ポップでは初のテーマ・アルバムでしょう。ビートルズの「サージェント・ペッパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」を意識したものと思われます。破壊・滅亡・再生をテーマにした曲が並んでいます。
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百九拾壱 演歌でチェック(2005/5/21)
 ボーカル・チェックを楽しんでいます。オーディオ系某サイトで、「ボーカルのチェックには、演歌が最適」との記述を見つけ、なるほどと得心しました。オーディオ・マニアがボーカルのチェックに利用するのは、えてして海外アーチストやらオペラだのが多いと思います。しかし、どうなんでしょうか。その人間の声質を的確に把握しているとはいえないんじゃないかなあ。その点、演歌であれば歌手の声が確実に耳に馴染んでいることでしょう。TVやAMラジオ、あるいはFMラジオやコンサートなどのあらゆるメディアで聴き込んでいるでしょう。加えて歌曲ばかりでなく、生放送での生声もいやというほど聴いているはずです。しかも日本語ですから、感応の度合いが海外歌曲を凌いでいると思います。
 そこで、以前であれば絶対買うことのないCDを購入しました。
 
 石原裕次郎とクールファイブのベスト・アルバムです。裕次郎のディスクには本人のナレーションもたっぷり入っています。裕次郎についてはLPディスクも持っており、比較もできました。どうやら音源は同じみたいです。比較結果は言うまでもなくアナログの勝ちです。深々とした響きや声のつやは、CDでは得られないものです。どうにもCDでは、情報が削がれているとしか思えません。

 クールファイブはオーディがどうとかでなく、純粋に歌を楽しめました。「愛の旅路を」や「恋唄」、「逢わずに愛して」、「この愛に生きて」なんかは、私が中高生時分によく口ずさんでいた懐かしい曲です。

 演歌は決して録音がいいとはいえません。Dレンジ、Fレンジともに狭いし、鮮度も瑞々しいとはいえません。でもボーカルだけは丁寧に録らえていると思います。
 ついでにタイガースのベスト盤まで買ってしまいました。
 メンバーが若い !! 収録曲に合わせ、岸部シローは写っていません。このアルバムにはヒット曲が網羅されていますが、「青い鳥」と「廃墟の鳩」が入っていません。私はこの2曲が好きです。なんか無性に聴きたくなってきました。明日、別のアルバムを買ってこようっと。できたら「ヒューマン・ルネッサンス」が欲しいな。このアルバムは、かつて友人が持っていたLPを借りて飽かず聴いたことがあります。文句なしの名盤でしょう。前述の「青い鳥」と「廃墟の鳩」もこのアルバムに収録された曲です。人気絶頂時のタイガースに対して、人気先行だとか、録音時の演奏はスタジオ・ミュージシャンが担当しているのだろうとかのバッシングがなされました。ザ・ジャガースのメンバーの後年のインタビューにおいても、タイガースの音楽性や演奏技術について馬鹿にしたコメントを読んだことがあります。しかし巷間言われる以上に彼らは音楽に対して真摯でした。同業ミュージシャンらの非難に対する回答がこのアルバムです。GS史上最高の内容といっていい傑作に仕上がっています。あ〜自分で書きながら、欲しくなってきた。


 カルダスのピン・ケーブルは優れものでした。以前使っていたケーブルに比べ、分解能が後退したと感じたのは誤解でした。むしろ分解能は上がっています。緻密な再現です。その結果としての滑らかさやしなやかさなのでしょう。十数年の技術の進歩を実感しています。
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百九拾  原作モノ(2005/5/15)
 小説と映像、それぞれに味わいと楽しさがあります。原作モノの場合は、一粒で二度美味しい悦楽を楽しめます。がしかし、一度でもうたくさん、あるいはあえて両方に眼を通す意欲が湧かないこともあります。
 スティーブン・キングで映像化されている小説を例に取ると、次のパターンです。思い出せないモノも若干あります。
 映像→小説
 「キャリー」「デッド・ゾーン」「ザ・スタンド」「IT」「シャイニング」「ペット・セマタリー」「ミザリー」「痩せゆく男」
 小説→映像
 「ドリームキャッチャ−」「図書館警察」「トウモロコシ畑の子供たち」「呪われた町」「浮き台」「地下室の悪夢」
 小説のみ
 「ゴールデンボーイ」「グリーン・マイル」
 映像のみ
 「スタンド・バイミー」「クリステーン」「アトランティスのこころ」「トミーノッカーズ」「ニードフル・シングス」「ドロレス・クレイボーン」「ランゴリアーズ」「秘密の窓」「バトルランナー」
 キング本でがっかりさせられたことは、そうそうありません。それでも小説を読む意欲が湧かないことがあります。上の“映像のみ”がそれです。まあ、暇になれば、そのうち読むんじゃないかと思いますが。


 ところで、キングのライバルたるディーン・R・クーンツに関しては、そのほとんどが“映像のみ”です。クーンツもまた作品の大部が映像化されています。私の読んだクーンツ本は「ストレンジャーズ」のみです。これで失望してしまいました。前半は素晴らしいサスペンスです。理由も判らないまま、不可思議な記憶に悩ませられる人々があるモーテルに惹き寄せられます。一堂がそこに見たものは‥‥ ラストは、なんじゃこりゃでした。「ストレンジャーズ」のおかげで、以後クーンツを読む気が失せました。
 で、今日のことレンタルDVD「生存者」を借りて観ました。クレジットにクーンツの名があり、期待こもごもで楽しめたりがっかりしたりでした。「生存者」はTV映画用に製作された3時間の大作です。やはりクーンツらしく、前半のサスペンスフルな展開が、後半では安直な超能力話に転換してしまいます。もうクーンツは、観るのもやめようかなあ。最高傑作「ウォッチャ−ズ」も、映画版は二流の作りだったしなあ。原作は極めて評価が高いので、一度は読もうと思っていますが、「ウォッチャーズ」で最後でしょう。


 要するに、映像版を観るのは苦にならないけど、小説を読むにはそれなりにエネルギーが必要です。若い頃はそのエネルギーが満ち溢れていました。あるいは、とりたててエネルギーを要しないくらい読む意欲に溢れていたのでしょう。こういう変化にも老いを感じてしまいます。俺もそろそろ老人なのかなあ。
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百八拾九 ケーブル新調(2005/5/8)
 ボーカルの不満をなんとかしようとRCAケーブルを新調しました。それまで使っていたのは、20数年前に拵えた古河のOFCリッツコードです。6Nのもっと解像感の高いケーブルも持っていますが、これは以前使用していた機器用に長さを最短にしていたので、現在のCDPとアンプ間には届きません。


 当地のオーディオ店は全滅なので、連休に隣県まで買付けに行きました。徳島県の「オーディオ昭和」という店で、海外高級ブランドが林立しています。試聴も自由なので助かります。こういう店舗が身近にあればいいのですがねえ。
 私の希望は安くて繊細感のあるケーブルです。店長のお薦めは、カルダスというブランドのG-Master(3,780円/m)でした。RCA端子はOrtofon(1,100円/ヶ)を勧められました。ケーブルを2mと端子を4ヶ買いました。さっそく拵えたのが下図です。
 店長の本当のお薦めは、4万数千円のケーブルでした。あるいはWBTの1個数千円の端子を強く推薦されましたが、ブルブルと顔を振ってお断りしました。肝が冷えるような価格です。一度は使ってみたいパーツではありますが、私のしょぼい機器とは釣り合いが取れないでしょう。

 試聴してみると、たしかにしなやかな音です。刺激的な部分を丸めた印象です。そのかわりダイナミックさや分解能は後退しています。でもこれが気に入りました。CDのきつさが嫌でたまらないからです。


 オーディオ昭和では、ついでに最新のCDプレーヤーを試聴させていただきました。私の手が届きそうな限界価格では、ESOTERICのX-30が気になっていました。ちょうどこれが試聴機としてセットされていたので好都合です。聴いてみた感想はがっかりでした。新しいCDPなら、CDの欠点であるところの粗さを克服できているかとも思いましたが、現用機と大差ありませんでした。ところがその隣に置いてあったCDPを聴いて打ちのめされました。聞いたこともないメーカーの100数十万円のSACDプレーヤです。完全にノックアウトされました。まるでアナログのような滑らかさ、しなやかさ、透明感で、さすが超高級機はモノが違いますねえ。とはいえ、私には縁のない話です。
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百八拾八 第三次国共合作(2005/4/30)
 台湾人は、日本人に近い成熟に達していると思います。台湾が置かれている状況が他国であれば、民進党が掲げる“一辺一国(それぞれの国)”を熱狂して受け入れるはずです。現実の歴史として、台湾は中国本土のまともな統治を受けていません。日本敗戦後に国民党の統治を受けた時期がありますが、国共内戦で敗れた国民党が大陸を逃れて以来、分断の歴史を刻んでいます。その国民党の李登輝政権が1991年、中国共産党を反乱団体と定めた憲法付属条項を廃止し、内戦終了を宣言した時点で大陸反攻の妄想は消滅し、本土と訣別したというべきでしょう。ただ、中共側は認めるわけないでしょうけど。

  台湾側の観測では、連戦氏と胡錦濤氏は会談で国共内戦の終結を宣言する可能性がありました。さすがに政権与党でないので、「中台の敵対状態を終結させ、台湾海峡の平和と安定、中台対話の促進に向けて努力する」共同声明に留まっています。 いずれにしても中共の狙いは、反国家分裂法に対して台湾側の人間に同意を求めることでしょう。李登輝氏なんかはその点をひどく危惧していましたが、見事に連氏ははまり、“台湾独立反対”で意見の一致をみています。一方の連戦氏の狙いは、現状維持を求める国民の意見を背景にして、ミサイル撤去を求めることでしょう。そしてなにより、第三次国共合作という歴史的幕あいに立ち、その存在感を演出することによって次期総統選挙で国民党の返り咲きを狙うことでしょう。ですから北京大学で講演した連氏は、統一にも独立にも賛成しない立場を表明しています。


 これは冗談ですが、国共合作が成ったなら、もはや国民党は台湾にいる必要がありません。共産党も同意しているのなら、さっさと大陸へ帰ればいいのではないでしょうか。
 もし国民党が政権を取ったなら、日本は厳しい状況になるでしょう。中台間でFTAが成立するようなことにでもなれば、東シナ海の領土問題もさらに難しい話になります。中台間の航空路線についても、中国側が国内線として取り扱おうとして民進党が拒否した経緯があります。国民党だと一体どうなることでしょう。


 土曜早朝の「朝まで生TV」は見所たっぷりでした。意外だったのは、中国の言論の自由が相当進行していることです。以前の生TVでは、中国の大学教授の発言は完全に官製のそれでした。今や自由に学問の正当性で語っていたのが印象的でした。もっとも中国国内で同じ発言ができるかは疑問ですけども。少なくとも今の韓国での学問の自由のなさに比べたらマシかもしれません。
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百八拾七 情報の裏側(2005/4/24)
 夕刊フジによると「米紙ウォールストリート・ジャーナル(電子版)は22日、米政府当局者の話として、北朝鮮が核実験の準備を進めている可能性があると警告する文書を米政府が中国に送り、これを阻止するよう要請したと報じた。同様の警告は、日韓両国にも行われているとされる」だそうです。

 アメリカは相も変らぬ情報操作を行っています。正式な政府間要請において、私が言うようにいいかげんな情報の提示をするはずがないと疑う向きもあるでしょう。北側に動きがあるのは事実みたいです。でも、北朝鮮は昔から同様の撹乱行動を取ってきました。昨年9月の北部における大爆発なんか、明らかに核実験を匂わせることを目的にしていたのでしょう。ところがあっさり通常火薬による爆発と見透かされてしまいました。金正日は落胆したでしょう。あるいは、今年に入ってから、ヨードを大気中に流したこともありましたね。あれなんかも核開発に対する信憑性を高めるための苦肉の策だったのでしょう。まあなんと涙ぐましいというか、いじましいというか。いずれにしても現在の北朝鮮には、この程度のことしか交渉で何かを得るための手段が残されていないのです。冒頭の北の動きというのも同列でしょう。


 ここで整理します。間違いがあれば指摘してください。
  • 北朝鮮に核兵器は存在しない。その事実を証明するものはなにもない。
  • 弾頭にセットした核兵器を起爆するための起爆技術はない。
 以前、北のTV放送で「東京を火の海にする」旨のアピールがありました。一体どうやって火の海にするのでしょうか。是非ともうかがいたいです。北朝鮮が狼少年のような言動を多用するのは、それによって交渉で譲歩を引き出したり、開発停止と引き換えに援助を貰うためです。

 いかがでしょうか、北は末期症状というべきでしょう。このような裏づけのない脅しに頼るしか選択が残されていないのです。我々は情報の真贋を見抜きましょう。そして情報が流されていることそのものの裏を読み取って、踊らされることのないように自戒しましょう。
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百八拾六 亡国の政治家(2005/4/17)
 前回、対中利権を握る田中角栄氏以降の政治家を批判しました。その末席に連なる野中広務氏が致命的ともいえる馬鹿発言をしました。その発言は日中友好交流会議におけるものです。日中友好協会名誉顧問の野中氏は公演において、日中間の問題は日本政府側の無理解に起因する旨の批判(毎日新聞)をしました。

 ちょっと信じられない内容です。交流会議の場には、中国側関係者が居並んでいます。その前で日本サイド批判をやると、中国に誤ったメッセージを与えてしまいます。今までこのようなことを、嫌になるほど繰り返してきました。中国利権に群がる政治家たちは、中国べったりの発言を繰り返し、日本国内向けには懸案事項を隠しつづけてきました。言ってみれば、中国側はミスリードされてきたともいえます。そりゃそうです。日本の実力政治家たちが中国サイドに立って理解を示してくれているのですから、勘違いするのも当然でしょう。
 これに加え、外務省の親中国グループは、中国の問題行動が政治課題として顕在化するのを抑えつづけてきました。さらに、社民党(旧社会党)関係者は、中国の御用聞きの役回りを勤めてきました。さらに田中真紀子氏なんか、今回もさっそく「日中間の対話を」などと宣っています。

 中国のまずい対応は、ひとえに日本サイドのいいかげんさがもたらしたものでしょう。小泉首相は頑固です。その頑固さは、日中関係においては重要な資質として評価していいでしょう。中国の反日運動の結果として、日本側が何らかの譲歩をするようであれば、今後に禍根を残しかねません。宮沢喜一氏が官房長官時代、氏は原則を無視してあっさりひよってしまいました。そのために日本側教科書について、中韓が公的に口出しする道筋を拓いてしまったのです。他にも宮沢氏と同タイプの人物が多いように見受けられます。例えば、河野洋平氏なんか典型でしょう。あるいは加藤紘一氏なんかも信用できません。彼らが対中問題について発言していると、変なことを喋りはしないかハラハラしてしまいます。


 今後の対韓関係の方針について、再構築する必要がありそうです。もし次期大統領が替わり、盧武鉉政権以前の方針に修正されれば必要ないのですが。盧武鉉政権が推し進めている民族主義は、どうやら半端なものでなさそうです。すでに韓国軍の将官クラスが相当数辞任しているそうです。彼らは韓国防衛のために対北シフトを敷いてきました。それが根本から否定されたためです。最近の状況をながめてやっと、昨年秋に公開された「自由と民主主義を守るための時局宣言文」の意味が判ってきました。軍人が辞めるのも当然です。かつての反政府共産ゲリラを愛国者として顕彰するというのですから。にわかに信じ難い話ですが、盧武鉉政権は民族同根の親北政策を本気で推し進めているそうです。米韓関係にもすでに影を落とし始めています。当然のこと、日韓関係も再構築する必要があるでしょう。すでに“反日”を国是とすることが、民族統一とセットで本流となっている模様です。対話だなんだは手遅れです。すでにそういう地点は通り過ぎています。仮に盧武鉉氏以外の大統領が出ても、少なくとも“反日”の国是は修正が効かないと思います。


 対中、対韓と、両国とのつき合い方について、今後政治家や外務官僚は多大なストレスに晒されるでしょう。国民の側には、彼らを無責任に批判するだけでなく、支援する体制が必要です。これがないと政治家にしても対外的に渡り合えないでしょう。幸いなことに、眠っていたマジョリティたる意見がネット時代には明らかになっています。私も一助として、書くだけのことは書いていきます。
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百八拾五 孫子の代(2005/4/10)
 現在の日韓関係や日中関係は、憂慮すべき段階にまで至っています。私の知るかぎり、日中関係は昭和50年代半ばより悪化してきたと思います。それまで、日中双方に戦争の惨禍を克服し、友好的な未来をつくり上げようとの合意があったと思います。

 ところが中国は反日教育を徹底し、戦争記念館を各地に建築し、子供たちが“日本憎し”に血涙を搾り出すまでの影響を与えています。このように対日感情を捻じ曲げた原因は、実は日本側にこそあるのではないでしょうか。

 そのひとつは対中ODAです。もともと中国は文革期より、四人組のような先鋭的な分子はともかく、毛沢東や周恩来らの重鎮は中国再生に西側との国交回復が必須であるとの認識をもっていました。特に毛沢東は、自身が唱導した“自力更正”が致命的な間違いであったことを知っていたことでしょう。西側と国交を回復し、西側資本と技術によってのみ再生が可能との方向性を定めたとき、不可欠な位置を占めていたのが日本です。それほど毛沢東らは日本を重要視していたのです。それを反映しての日中平和条約における賠償放棄でしょう。が、現実に資金は必要です。そのために日本財界の後押しで田中首相をはじめとした歴代政権及び政府は手厚い対中援助を実施してきました。中国にしてみれば、打出の小槌たる日本からの資金引出しは重大な懸案事項です。やがて日本の政治家たちの金蔓ともなり、また日本企業の受注案件ともなりました。つまり、中国が金を得るために日本にプレッシャーをかけるネタとして反日が機能し始めました。それもこれも日本側にそれでよしとする勢力があってのことです。一体、国家や国民の将来をどう考えていたのでしょう。きっと何も考えていないのでしょうね。自分の金儲けさえ上手くいけば、後は野となれ山となれなのでしょう。ですから、私は田中角栄氏や大平氏や野中氏らが嫌いです。


 日韓関係についても、古くからの経緯を知るものとしては残念です。今日まで韓国歴代大統領が来日したり、首相の訪韓のたびに“過去を克服して、新しい日韓関係を”が唱えられました。が、現実には悪くなる一方です。面白いことに韓国は、過去を克服しようとの発言の裏で歴史資料館の類を造り続けました。そこではグロテスクなまでに扇情的な残虐シーンを掲示しています。言ってることとやってることが違うじゃないかと思いますがねえ。

 中曽根政権と全斗換(チョンドファン)政権は、確実に両国の架け橋を築いたと思います。ところが以後の両国政権は政権が脆弱なだけに、国民というよりマスコミ論調に迎合して関係悪化をきたしたのではないでしょうか。韓国政権においては反日、日本政権においてはやらずぶったくりを許すという悪しき対応をです。これらはその場しのぎの対応です。結果として、我々が今眼にしている状況が現出しているわけですから。

 盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領の行き過ぎたポピュリズムは論外としても、日韓の歴代政権が後代に残した傷は深いものです。現在の我々の対応のまずさで、孫子が苦労するというのも悲劇です。いえ、歴史は連綿と繋がっているものですから、我々自体が祖先の対応のまずさに苦労しているともいえますが。
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百八拾四 音圧微調整(2005/4/3)
 スピーカー・ネットワークのエージングが完了したのを受け、スコーカとツイータのレベル調整を試みました。多分、レベルに問題はないのでしょう。それでもボーカルに満足できません。以前使っていたLo-DのHS-530のボーカルが忘れられないのです。オリジナルのHS-530の中高域は繊細感や透明感に優れているものの、線が細めです。そこで徹底的に手を加えました。内部配線材を古河のPCOCCに替え、電解コンデンサをVコンに替え、アッテネータを抵抗をかましただけのシンプルなスイッチに変更、スピーカー・ケーブル(LC-OFCのキャプタイヤ)はネットワーク基盤に直結、ユニットのフレームをブチルでダンプ。ここまでやると音は別物になります。で、一番の変化がボーカルでした。まるで広帯域のフルレンジ・ユニット(そんなモノは存在しないけど)が鳴っているみたいでした。HS-530はすべての振動板がアルミ単板なので、音調がまさしく均一でした。また、位相特性が取り沙汰されていた時期だったので、定位や音場再現性に優れています。結果、ボーカルはこれ以上ないといっていいほどの生々しさで、低音から高音まで均質そのものでした。手前味噌でなく、これを上回るボーカルは、他で聴いたことがありません。

 その音が耳に残っているだけに、現スピーカーのボーカルに満足できないのです。そこで少しでも理想に近づけるため、スコーカをアップ、ツイ−タをダウンさせました。同僚は、0.5Ωと1Ωの抵抗を直列に挿入してくれています。二つの抵抗の途中をバイパスさせることにより、0Ω、0.5Ω、1Ω、1.5Ωの4段階のレベルが得られる工夫です。下図がそれです。

 ファストン(接続子)でバイパス経路をつくったり、外して抵抗を生かしたりする要領です。スコーカの抵抗を0.5Ωに、ツイ−タの抵抗を1.5Ωに変更しました。それが下図です。ファストンが遊んでいるのは、ツイ−タのバイパス経路をなくしたためです。
 変化はごく僅かながら、意図した方向に近づきました。これ以上のことは無理かもしれません。そもそもユニットの材質や特性が異なっているのですから、ないものねだりなのでしょう。

 あるいは同僚さえその気になってくれたら、抵抗構成を再設計して別のバランスを試みる手はあるのですが。さて、引き受けてくれるかなあ‥‥
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百八拾参 名画(2005/3/27)
 昨年後半より、映画は旧作ばかり観ています。新作には、これといったものがありません。例えば、「アイ,ロボット」はできのいい作品だと思います。それでもテンポが性急であるとか、博士が後に託した伏線や仕掛けのこじつけに興がそがれました。対して、旧作でセレクトした名作群は、いずれも期待に背きませんでした。


 「チャイナ・シンドローム」
 この作品を観るのは何度目か。劇場封切りとスリーマイル島原発事故との時期が前後していた記憶があります。それもあって、単なるフィクションを超えた話題作でした。この映画より後、チェルノブイリでは究極のメルトダウンが起こりましたし、日本でも東海村で放射能漏れが起こりました。決してフィクションですませられることではありません。映画中、事故原因として溶接不良と検査の手抜きが想定されています。検査のいいかげんさは日本においても同列です。実は、私の従姉妹の旦那が原発のメンテを下請けでやっています。さすがに検査の詳細については口を噤んで喋りません。でもいろいろあるみたいです。いまや、このような社会に警鐘を鳴らす作品は作られなくなりました。


 「アラモ」
 またリメイクされるみたいですね。ジョン・ウェイン主演のオリジナルは傑作です。古きよきアメリカの大作は実に丁寧に作られています。
 ただ、映画の面白さはともかく、アラモをアメリカ人が称揚するのは不快です。メキシコの土地に住み着いたアメリカ人たちは武力で独立しようとします。要するにテキサスを奪ったという話です。ハワイ併合と同じ構図です。あるいは、中国がチベットに漢人を送り込んで、他国を我が物にするのと同じだからです。


 「大いなる西部」
 グレゴリー・ペック主演のこれまた大作です。主人公の器の大きさをペックは嫌味なく演じています。これに敵意を向ける牧童頭のチャールトン・ヘストンがガキにみえます。ヘストンが若造なのも当然、1958年の作品でした。今、封切り年を調べていて気づいたのですが、「THE BIG COUNTRY」のタイトルデザインはソウル・バスが担当していたのですね。どうりで隙のない完璧なロゴのはずです。


 「ジャイアンツ」
 これまた1956年の大作です。出演は、エリザベス・テイラー、ロック・ハドソン、ジェームズ・ディーン、デニス・ホッパー、キャロル・ベイカーなどの錚々たる俳優陣です。こういう映画を観ると、最近のドンパチではとうてい太刀打ちできないと痛感します。

 「悪い奴ほどよく眠る」
 1960年の黒沢独立第一作です。若い頃の黒沢明の演出はパーフェクトです。ちょうど初期のスピルバーグの演出が完璧なのと双璧です。冒頭の結婚式のシーンで、主人公の妻となる女の不幸が痛いほど伝わり、式を眺める新聞記者たちの噂話で登場人物のアウトラインと汚職事件の闇が語られます。この冒頭で物語の構図が見事に描かれ、観客を没入へと導きます。うまいものです。晩年の黒沢とは別人というか、晩年の作品とは次元が違います。


 「天国と地獄」
 1963年、誘拐ものの金字塔。「悪い奴ほどよく眠る」と同様に、冒頭の導入シーンで登場人物の性格や位置づけが明確に描かれています。場面はそのままに、誘拐と身代金要求へと一気呵成に物語が展開します。やがて刑事たちの執念の捜査が開始され、見る者をミステリの世界へと招いてくれます。こんな傑作、最近の作品ではお目にかかったことがありません。


 これらの名画を観ている時間は至福のときです。まだまだ名画は数多いです。当分楽しめそうです。
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百八拾弐 お恥ずかしいチョンボ(2005/3/20)
 ネットワークのエージングはほぼ完了した模様です。ここ6週間というもの、休日は朝から夜中までCDをかけっぱなしにしていました。家を空けるときは大音量で、所用をこなす場合は小音量で、というふうにいろんなタイプのディスクを演奏しつづけました。その結果、見事に高域のうるささやきつさが取れました。スイーブ信号でチェックすると、その変化は僅かです。ところが聴感上では、実にしっとりしたバランスが実現しています。コンデンサのドラスティックなまでの変化には驚かされています。スコーカとツイータの音圧レベル調整を考慮していたのが嘘のようです。3ヶ月間にわたるエージングの苦行からやっと開放されました。辛抱と我慢が報われ、今は純粋に音楽を楽しんでいます。

 ところで先週のこと、あるチョンボに気づきました。
 以前からアナログ再生に不満を覚えていました。じっくり時間をかけ、アンプが温まった状態でなら不満もなかったのですが。それでも定位の悪さ、ボーカルが中抜けしたような鳴り方、あるいは本来であれば重低音が唸るはずのポイントでスカスカの低音など。これらの症状は、逆相接続したときのものです。私もチェックディスク(CD)で何度もテストしました。でも問題ありませんでした。
 そんななか先週のことですが、下のレコードを所有していること思い出しました。
 このディスクは、1975年にコロンビアから発売された日本初のディジタル(PCM)録音レコードです。コロンビアとしても、PCM録音を大々的に宣伝したかったみたいで、1,000円という戦略価格でした。貧しい学生であった私は即行で買いました。このB面にシステムチェックのパートがあるのです。さっそくアナログ再生して愕然としました。想像どおり、Lchが逆相になっていました。
 考えられる原因は、プレーヤーのフォノ・ケーブルを付け替えたときにヘマをやらかしたとしか思えません。フォノ・ケーブルのチェックは面倒です。そこでカートリッジのリード線のホットとコールドを差し替えました。そのうえで再生すると、今までで最高の素晴らしいサウンドが鳴り響きました。
 フォノ・ケーブルをモンスターに替えたとき、音質が向上したと思えなかったのも当然です。なんせ逆相だったのですから。おかしいと思いながらも、スピーカー・ケーブル変更も一緒だったので音の変化が大きすぎました。そのため、違和感の原因を特定することができなかったのです。それも片chだけの逆相だと、それなりに再生されるので確信が持てなかったのです。まあ、私の耳も知れたものです。

 おかげでネットワーク大改造の恩恵をアナログも享受しています。CDの方が音がいいと感じたのは、プレーヤー・ケーブルのチョンボの故でした。あらためて宣言します。アナログの方が優っています。今日は聞き慣れたレコードをあらためて聴き直していました。スピーカー改造とそれに伴うエージングが完了したおかげで、すべてのレコードで新しい発見がありました。やはりアナログは、汲めども尽きせぬ音の宝庫です。
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百八拾壱 困った隣人(2005/3/19)
 島根県の「竹島の日」制定をめぐって韓国が荒れています。ここで日韓関係というフレーズを使うべきではありません。この件に関して、日本政府及び日本国民は極めて冷静です。竹島の領有権問題をこじらせているのは、ひとえに韓国側です。盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権は、内政において政権地盤が脆弱です。そこで徹底的に反日政策を打ち出して、国内統一と政権批判をかわすことに利用しています。もともと金大中大統領の側近であっただけに、前政権の“太陽政策”を継承しています。その流れで拉致問題と大戦中の徴用をリンクして対日批判演説もやっています。

 かつてアルゼンチンのガルチエリ大統領は、内政の行き詰まりをフォークランド諸島を制圧し、領有宣言することによって英雄になりました。もっとも、そんな手法がサッチャーに通用するはずもなく、島を奪還され、現地部隊は降服して大統領を辞任する羽目になりました。
 盧武鉉大統領のやっていることは、ガルチエリのやったことと同じです。それに熱狂する韓国国民は、成熟に程遠いお粗末さです。
 竹島問題とは、常に韓国側による横紙破りです。日韓間の取り決めを韓国側が破ったり、守らなかったりによって起っていることです。そもそもは日本側に明確な領有権がありながら、武装駐留を行いました。しかも、海上保安庁艦船の接近に対して銃撃までして排除し、現在にまで至っているわけです。日本側はこのときに、サッチャーのような断固とした行動を取るべきでした。当時の政治家や外務省は問題を後送りする方途を採りました。竹島をグレーゾーンとし、日韓協議で中立的扱いをすることになりました。ご存知のように、漁業操業権も日韓共同漁場になっているものを、島根漁民は排除され今日に至っています。先日も、TV朝日のチャーター機の竹島接近に対して、韓国は空軍のスクランブルで示威排除しました。本来なら、首相や外務大臣による最大級の韓国非難及び、抗議があってしかるべきです。ところが小泉総理の例のコメントは他人ごとです。まあ、小泉さんでなくても、誰であっても似たようなものでしょうけど。

 いずれにしても、韓国による実効支配と事実の積み重ねは深さを増すばかりです。やがては日本の領有権の法的正当性も失われてしまうでしょう。政治家や外務官僚にとって、国家の権益より自己の保身の方が大切なのですからどうしようもないです。

 韓国国民の熱狂ぶりは、まるで近代国家のそれではなく途上国並です。彼ら自身がわが身のグロテスクさに気づくのを待つしかないでしょう。それがもっとも難しい点なのですが。

 かつての日本統治時代を体験している韓国人は、もはや70歳以上の老人ばかりです。彼らは日本統治時代の事実を知っています。日本人官吏の勤勉ぶりや清廉さに尊敬の念さえ覚え、また日本人教師の公平な対応や熱心さを生で体験し、日本統治時代を高く評価してくれていました。そういった実体験としての事実を知る者が少数となり、観念的に反日を植え付けられたハングル世代ばかりになってきました。
 ただ、救いは日本国民の冷静さです。二国間関係において、すくなくとも一方が冷静であれば致命的問題は起こりえないでしょう。いずれ韓国人にも日本人に対する感謝の念が生まれればよいのですが‥‥まあ、ありえないか。
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