建白TOPへ

九百八拾   ラスベガスで大波乱(2020/10/18)
九百七拾九  ラスボス『ヒトラーの戦い』(2020/10/12)
九百七拾八  ネジ山潰し(2020/10/3)
九百七拾七  最強チャーロ兄弟(2020/9/27)
九百七拾六  新型コロナ、舵を切るべし(2020/9/20)
九百七拾五  北斎が流行りなのか(2020/9/12)
九百七拾四  窓サッシに格子を後付け(2020/9/5)
九百七拾参  大阪万博ロゴ、勘弁してください(2020/8/29)
九百七拾弐  11年前にも似たようなことがあったね(2020/8/23)
九百七拾壱  寂れゆく地方(2020/8/15)
九百七拾   山口県が大健闘「奇才 江戸絵画の冒険者たち」(2020/8/8)
九百六拾九  感染拡大、心ある人々が思うところ(2020/8/1)
九百六拾八  “美術館女子”問題とは(2020/7/26)
九百六拾七  悪い方向に流れています(2020/7/18)
九百六拾六  『小学生 半沢直樹くん』(2020/7/11)
九百六拾五  感染者再びの拡大(2020/7/4)
九百六拾四  今年は残念なことばかり(2020/6/27)
九百六拾参  地球以外に知的生命体は存在するのか(2020/6/20)
九百六拾弐  Google Chrome への移行で汗をかく(2020/6/13)
九百六拾壱  日清戦争備忘録(2020/6/7)


九百八拾   ラスベガスで大波乱(2020/10/18)
 本日ラスベガスにおいて、4団体ライト級王座統一戦が開催されました。WBA、WBC、WBOの3団体王者ワシル・ロマチェンコ vs IBF王者テオフィモ・ロペスです。3階級制覇のロマチェンコ選手が勝てば4団体統一となります。

 ロマチェンコ選手が325万ドル、ロペス選手が150万ドルで、無観客試合ながら異例の高額報酬です。ゲート収入なしのメディア側ESPNの予算で興行を打つという思いきったものです。
 ロペス選手は15勝(12KO)で、昨年12月にIBF王者リチャード・コミー選手を2回TKOで破って戴冠しました。鮮やかなカウンターで勝利しただけに一気に声望が高まり、今回のカードへの期待が高まったものです。
 3週間前のチャーロ兄弟、来月のテレンス・クロフォード vs ケル・ブルックに並ぶ今秋最大のイベントです。

 結果は大差判定でロマチェンコ選手の勝ちでした、とばかり、リングアナの発声前に予想で書き込んでいたのに、驚きの結果でした。119-109、117-111、116-112 と、3者ともにロペス選手の勝ちで、しかも結構な大差なんです。こんなジャッジでいいんでしょうか。ロペス選手の勝ちもアリかとは思いますが、119-109 はないでしょう。

 無観客試合なので、静謐な中でのファイトです。コーナーも試合中の声かけを禁止されています。おかげで、ジャッジは打撃音を正確に聴き取ることができます。ロペス選手がボディに打ったパンチの強烈さが、ロマチェンコ選手の軽い顔面ヒットより優先されたものと想像します。ロマチェンコ選手はボディで身体を折ったり、圧し下げられていたので、より重視されたのも仕方ないでしょう。
 下図のようなボディ攻撃が多々あったので、ここに注目するとロペス選手に振るラウンドが多いのも頷けます。



 TV解説者がそのあたりを無視し、ロマチェンコ選手の軽いヒットにばかりポイントを与えていたので、見る者に予断を与えたものでしょう。それにしても、10ポイント差でロペス選手の勝ちは無かろうと世界中のファンが突っ込んだことでしょう。

 多分、再戦はあるでしょう。次はロマチェンコ選手も最初から攻撃的に出てくるでしょう。その場合には、危険性も高まりますから、どのような結果が生じるか、まさにやってみなきゃ判りません。

 取りあえず明日の再放送に際しては、現場のジャッジたちが打撃音を明確に聴き取っていることを前提にして、自分なりの判定をしてみたいと思います。
目次




九百七拾九  ラスボス『ヒトラーの戦い』(2020/10/12)
 老後の楽しみに取っておいた積読書籍も佳境に入ってきました。
 ついに、先日から児島譲氏の『第二次世界大戦 ヒトラーの戦い』(文春文庫 全10巻)に突入しました。これぞ、児島版歴史シリーズの決定版です。児島氏の大作は数多あれ、本作は最大分量ともなっていて文句なしの労作です。

 奥付を見ると、1992年半ばから1993年初頭にかけて刊行されたものです。他の書籍類と違い、本作については刊行時にすべて購入していました。思えば、本作が「週刊ポスト」に連載されたのは、1980年代後半から1990年代頭までの8年間で、連載中も興味がある事績については眼を通していました。連載終了後に刊行されるだろうから、そのときに買って読めばいいと考えていました。それを30年近く経ってやっと読み始めたわけです。

 現在、第1巻を読み終えたところです。誕生からヒトラー絶頂までが描かれています。政権を奪取し、ラインラント進駐からベルリン五輪成功までの栄光のときです。
 ヒトラーと彼が率いるナチス党があそこまで極端な政策を実行し得たのは何故か。憲法が根本的に内包していた不備が挙げられています。そのあたりを整理してみようかと思いましたが、なにぶん法律の素人だし、巷間よく語られているので止めます。ただ、よく言われるナチの暴虐が適法とされる経緯だけ記しておきます。

 1933年2月28日、前夜の国会議事堂炎上事件を受け、すかさず温めていた「民族と国家防衛のための緊急令」を成立させました。なお、緊急令には、「ドイツ民族への裏切りと国家叛逆の策謀防止」のための特別緊急令が添付されていました。この二つの法律により、ドイツ国民は法の保護を失い、1945年の敗戦まで恒常的な戒厳令下に置かれたわけです。

 この緊急令のもつ、ことの重大性を当時のドイツ国民、あるいは世界中の誰もが気づきませんでした。もちろん、緊急令にサインして即日公布させたヒンデンブルグ大統領が気づくよすがもありません。

 ヒトラーの無茶ともいえる政治思想や国家目標は、『我が闘争』において記されています。それでありながら、なぜ最高指導者にまで就かせてしまったのか。要因はいろいろあり、人口に膾炙されているところです。そこで、私はあまり語られていない点だけ書いておきます。

 アメリカ大統領選でも、最も重要なのは景気だそうです。当時のドイツの事情も同じで、極右、極左の極端な政党が票を取るのは経済状況が悪化した場合です。ベルサイユ条約下において、とんでもないインフレが進行した中、ヒトラーの極右というか極左の発信が一部の住民に受けて政界に進出する端緒となりました。しかし、アメリカの支援によってドイツの経済状況にも光明が見え、中道路線の政党が政権を確保します。

 そこから一転、世界恐慌が状況を覆してしまいました。そうなると、政権側は何をやっても上手くいきません。そして、ヒトラーの無責任なアジテーションが国民の心を捉え、選挙ごとに勢力を拡大していきました。

 たしかに、雇用の有無、失業保険の保障、年金の額などは、一人一人の生活に直結していて、その苦しい生活状況をネタに政府を攻撃することによって、国民の支持が拡大したのも当然でしょう。もし、世界恐慌がなければヒトラーが政権を取ることもなかったと想像します。日本においても、軍部の暴走を許した背景として、世界恐慌の影響を無視できないかと思います。

 加えて、ヒトラーはベルサイユ条約破棄を正面から訴え、再軍備だの失地領土回復だのを公約に掲げていましたから、国民の眼が眩んだのも仕方ないでしょう。
 過去の失敗に学ぶべしとかよく聞きます。しかし、人間は同じ過ちを繰り返すんですね。願わくば、ヒトラーの仕出かしたことが繰り返されないことを。
目次




九百七拾八  ネジ山潰し(2020/10/3)
 先月初旬に防犯目的でサッシ窓に格子を後付けしました。しかし、+ネジで止めているだけなので、簡単に外せます。泥棒側の心理的障壁以上のものではありません。そこで、気が向いたらネジ山を潰して、ネジが回らないよう処置するつもりでした。

 まず、先のちびた+ドライバーで十字溝を舐めて潰そうとしました。刃がちびた一回り小さめのドライバーでグリグリやれば普通は溝を潰せます。ところが固いネジを使っていて、まったく歯が立ちませんでした。普通なら喜ばしいことなんですけど、今回だけは品質の低いネジを使ってほしかったです。

 そこで、細い鉋を買ってきて溝山を削り落とそうとしましたが、これも失敗でした。とにかく固いネジで、ひとつ目のネジ山だけで刃がボロボロになってしまいました。ネジは全部で24ケもあるので諦めました。

 残る手立ては溝を埋めてしまうことです。手持ち材料を探すと、2液硬化型のエポキシ系接着剤がありました。さっそく混合してネジ溝を埋めたうえ、念を入れて盛り上げておきました。時間を置くと下図のとおりカチカチに固まり、とてもドライバーを受けつける余地はありません。最初から、こうすればよかったのにと後悔しきりです。



 取りあえず、これで安心です。まあ、取り敢えずです。本気で侵入を企図する相手には無力ですから。こんな格子程度なら、バールを使えば簡単に壊せます。というか、鍵だって、本職のピッキング泥にかかれば無力です。あるいは、ガラス戸を破ってもいいしで、やろうと思えば、侵入方法はいくらもあります。

 格子の後付は、言ってみれば心の平安料です。僅かな平安が得られれば、それでいいんです。なんてつましいんでしょう。
目次




九百七拾七  最強チャーロ兄弟(2020/9/27)
 本日、コネチカット州のカジノで開催されたビッグマッチに興奮させられました。SHOW TIME主催のPPV興行です。時節がら無観客試合とあってゲート収入がありません。そこで、PPV集客を狙って贅沢なカードを並べてくれました。

 WBC ミドル級タイトルマッチ 王者 ジャモール・チャーロ(米国)3-0判定 1位 セルゲイ・デレビャンチェンコ(ウクライナ)
 WBA S.バンタム級タイトルマッチ 王者 ブランドン・フィゲロア(米国)10回TKO 14位 ダミアン・バスケス(米国)
 WBO バンタム級タイトルマッチ 王者 ジョンリエル・カシメロ(フィリピン)3回TKO 11位 デューク・マイカー(ガーナ)

 WBC、WBA&IBF S.ウェルター級王座統一戦 WBC王者 ジャーメル・チャーロ(米国)8RKO WBA&IBF王者 ジェイソン・ロサリオ(ドミニカ共)
 WBC S.バンタム級王座決定戦 1位 ルイス・ネリ(メキシコ)3-0判定 6位 アーロン・アラメダ(メキシコ)
 WBC S.バンタム級挑戦者決定戦 3位 ダニエル・ローマン(米国)3-0判定 WBAバンタム級2位 ファン・カルロス・パヤノ(ドミニカ共)

 上3試合と下3試合での二部構成とし、ほとんど2興行分を1興行にまとめた贅沢な内容です。なかなかこんな興行はお目にかかれません。ケーブルTV局のSHOW TIMEとしては、春以降まともな興行を打てていないのでボクシングへの予算割り当てが余っていたことでしょう。ただし、ゲート収入がゼロなので、その分をPPV契約で稼がなければいけません。そこで、問答無用でファンが契約したくなるカード編成を行ったのでしょう。そのような背景があったものと想像します。

 日本向けには、我がWOWOWがネット経由で一挙中継放映をしてくれました。朝8時に放映が開始され、二部のメインエベントが終了したのが午後2時というもので、ボクシング三昧の一日が堪能できました。

 一部、二部ともにメインエベントを務めたのがジャモール(兄)とジャーメル(弟)双子のチャーロ兄弟なんです。双子とあって、パッと見には区別がつかない瓜二つぶりです。リーチが長い長身のスタイリッシュなボクサーながら、アウトボクシングじゃないんです。どちらも倒し屋なんです。特に九百四拾壱  ミドル級の現役最強選手は(2020/1/19)にも書いたとおり、ジャモール選手が凄いんです。

 今日の相手は、WBC1位のセルゲイ・デレビャンチェンコ選手で、現ミドル級のトップ選手です。2018年にIBF ミドル級3位のダニエル・ジェイコブス選手と王座決定戦を行い、1-2(114-113、2者が112-115)の判定負けを喫しました。どちらが勝ってもおかしくない接戦でした。2019年にはIBF、IBO ミドル級王座決定戦をIBF3位のゲンナジー・ゴロフキン選手と行い、0-3(2者が113-115、113-114)の判定負けを喫しました。このときも接戦で、ゴロフキン陣営が3者ともにゴロフキンの勝ちになったのを意外に思ったそうです。

 そのデレビャンチェンコ選手に対して、ほぼ横綱相撲と言っていい強者ぶりでした。ラストにはさすがに疲れて攻められていましたけど。強さの理由としては、やはりその強打です。真っすぐ系に加え、フック系が左右ともに強く、アッパーも左右ともに強いんですね。となると、距離の短いデレビャンチェンコ選手はどうしようもなくなります。
 ジャモール選手の強さを見せつけた内容で、これを見たらアルバレス選手は絶対に対戦しないでしょうね。ゴロフキン選手はファイトマネー次第ではやるかもしれませんが、大金が見込めるアルバレス戦を優先するのは間違いないでしょう。まして、村田選手は絶対に対戦しないでしょう。

 弟のジャーメル選手が闘ったジェイソン・ロサリオ選手もまた文句なしの強豪でした。WBAスーパー、IBF S.ウェルター級王者のジュリアン・ウィリアムズ選手を一蹴した新鋭で、大きな身体に堅固なガード、そして若さと力強さがありました。

 近間のボクシングを狙うロサリオ選手とこれを嫌って距離を取ろうとするジャーメル選手の構図で、下るジャーメル選手はダウンを奪っているといえ、ある程度ポイントを失っていたかと思われます。しかし、8Rに意外な決着を迎えました。長いジャブを鳩尾に打ち込まれたロサリオ選手が仰向けに倒れて呼吸困難な様子を見せたのです。鳩尾へのフック、アッパーでダウンするシーンは何度も見ましたが、ジャブでKOというのは珍しいかと思います。きっと、呼吸のタイミングが悪かったのとジャーメル選手のジャブがフォローの効いた押し込むパンチであったものと想像します。

 兄弟ボクサーで同時世界王者というのは、これまでにも結構います。現在はチャーロ兄弟だけなんかな。そして、二人ともがハードパンチャーという見せ場を持った王者なんですね。それだけに見応えがあり、人気の高さも格別なんです。
 村田選手もSNSで発信する暇があるなら、こういう本場の本物に挑んでいただきたいです。負けてもいいじゃないですか。ファンは強き者に挑む姿を見たいのですから。
目次




九百七拾六  新型コロナ、舵を切るべし(2020/9/20)
 新型コロナもその実態が不明なうちは、机上の理論で対策を考えざるを得ませんでした。しかし、今やいろいろデータで明らかになってきました。指定感染症に関する法だとか、学校閉鎖だとか、移動制限などの対応が実態にそぐわないのでないかと疑問も呈されています。ならば間違いを認めて修正すべきです。もう二度と8割おじさんなんかに耳を貸したら駄目です。

 南北米大陸でのコロナの猖獗ぶりは半端ないものの、日本をはじめとしたアジアとは区別すべきです。
 日本国内の重症者数は、9月19日時点で161人で、4月から5月のピーク時でも300人を超えていません。東京都の場合、夏場の重症者数は20人から40人くらいで推移し、5月あたりのピークが100人くらいでした。感染者数が増加しているものの、対処が必要な重症者数は極めて少ないんです。
 しかも、症状それぞれへの対処療法や効果的な投薬も分かってきたので、もはや恐れる状況にありません。

 オーストラリアでも現実的な分析が為されています。オーストリアの平均寿命は、男性80.7歳、女性84.9歳で、新型コロナ死亡者の平均年齢81.1歳、女性85.2歳との実態が判明しました。これって、新型コロナを加重で恐れる必要がないということでしょう。
 当のオーストリアでは、この点を「新型コロナに感染するかしないかがオーストラリア人の死亡率に与える影響は、アイスクリームでチョコ味が好きかイチゴ味が好きかの違いと同等である」と譬えています。

 基礎疾患のある方や高齢者が予防行動に配慮すればいいんです。若年者に行動制限して経済を殺なんて、まったく角を矯めて牛を殺す行為です。大学が今も閉鎖してテレワーク授業を継続しているのなんか無意味もいいとこです。

 死者には、糖尿病など基礎疾患罹患者が多いのでしょう。死亡者の病歴が公にならないので本当のところは判りません。こういう情報を公にすることが重要だと思いますけどねえ。また、高齢者の死亡が多いことは、新型コロナが原因で高齢者介護施設で亡くなった人の割合に如実に表れています。フランス49%、スウェーデン47%、アメリカ45%、イギリス41%、ドイツ39%、日本14%だそうです。
 日本の高齢者施設では、適切な対応が行われているんですね。逆を言うと、外国の高齢者施設のスタッフは相当に無神経なんでしょう。

 現在、国が指定感染症の取り扱いについて妥当性を議論しています。現在の二類相当としての指定感染症とした取り扱いをどうするかです。結論から言うと、簡単にいかない難しい問題があるそうです。

 新型コロナの「指定感染症」の期限は、来年2021年2月6日です。今後どのような形でこの感染症と付き合ってゆき、どのような措置をとるべきかを検討しなければいけません。現行の指定感染症の枠内では上手く収まらないようです。現行法の範囲内での整合性を検討するのでなく、新型コロナ感染症として、新しい法的根拠が必要な模様です。専門的なことは解りませんけど。
目次




九百七拾五  北斎が流行りなのか(2020/9/12)
 本日より地元美術館で「世界が絶賛した浮世絵師 北斎展」が開催されます。ひょっとして、初日セレモニーへの出席で無料になるかと開場に合わせて訪ねました。残念ながらセレモニーはなしで、入場料を払いましたよ。

 サブタイトルが「師とその弟子たち=北斎からアンリ・リヴィエールまで」となっていて、数多い弟子たちの作品も紹介されていて、これが目玉ともなっています。フランス人版画家のアンリ・リヴィエールの方は、取り立てて興味も湧きません。
 北斎の影響を受けたヨーロッパの芸術は数多あります。3年前、国立西洋美術館が主催した「北斎とジャポニズム」において、これでもかと紹介されていました。「八百弐拾九  運慶の強烈なオリジナリティ(2017/11/25)」の後段に記したとおりです。どうしても、あの展覧会と比べてしまうんです。

 一方で北斎自身の画業については、今回の展覧会は満足できるものでした。青春時代の「習作期」、浮世絵「忠臣蔵」と広重に先んじた「東海道五十三次」をものした「修行・壮年期」、「富嶽三十六景」と「百物語」を据えた「完成期」、多彩な技法に挑んだ「摺物・戯画・鳥羽絵」、貴重な「肉筆画」と、どこまでも成長を続けた北斎を概観することができました。

 また、弟子たち27人の作品も展示されていて、眼を楽しませてくれました。ただ、弟子たちの作品は、北斎に比べたら明らかに格落ちです。技術や構成力がまったく及んでいないんです。完成度が段違いです。
 こうやって弟子と並べると、あらためて北斎の感性の凄さを再認識させられます。間違いなく天才です。

 漫画家の山田芳裕氏は、独特な感性を持っています。デビュー作は「大正野郎」で、大正浪漫と芥川龍之介をこよなく愛し、大正レトロなスタイルで生活する現代大学生が主人公です。よくも、こんなストーリーを19歳で描けるものと感心しました。また、「度胸星」は超ひも理論をネタにしてるんですね。そして、「へうげもの」は古田織部を中心にして、織田、豊臣、徳川三代史を美術工芸を軸にして描ききっています。私は、山岡壮八や司馬遼太郎や吉川英治版より山田版を推します。

 そして、小粒ともいえる「考える侍・やあ!」がよい味わいなんです。富嶽十蔵というアナーキーな浪人が主人公で、西洋哲学を摘み食いする無頼者です。プラトンやソクラテスの台詞を引用して、周囲を煙に巻くんです。江戸時代の人間にとっては、意味不明のたわごとでしょう。掴みどころがないながら、巨きな人間であることだけは間違いありません。
 第七話で北斎との邂逅を描いています。神奈川の浜辺でスケッチする北斎と十蔵とが出会い、プライドの高い両者が角突き合わせる中、十蔵が「神奈川沖浪裏」の構図に手を加えるんです。あの波濤を圧倒的に大きくし、「在ることの二乗を描けば、事実に匹敵する」と諭すのです。また、「赤富士」か「黒富士」かは判らないものの、独特なあの縦筋が十蔵による描き込みがインスピレーションの元になったと匂わせています。
 十蔵によって北斎が開眼したとわざとらしく描いているんですけど、嫌味がないんです。そのあたりの匙加減が山田芳裕氏の力量なんですね。などと、山田氏の漫画が思い起こされること頻りなんです。それだけ、北斎のセンスが頭抜けているんですね。
目次




九百七拾四  窓サッシに格子を後付け(2020/9/5)
 我が家の北面のサッシ窓には格子が入ってませんでした。以前は旧屋に連なっていたため、この北面も家屋内部とあって必要なかったのです。下図のとおり、右から、台所、トイレ、浴室の並びです。むしろ、格子があると邪魔だったんですね。ものの出し入れができないし、なんといっても掃除がし辛いんですね。

 今年は9月に入ってからも猛暑が治まりません。どころか、熱帯夜のひどさといったら真夏以上です。しかし、窓が外部に面していて不用心なので開けっぱなしにできなかったんです。夜間就寝時の施錠が必須ですし、短時間の外出であっても安心できません。
 なので、先月から暑さに耐えられず、従兄弟に格子の後付をお願いしました。依頼したのが3週間ほど前で、窓サイズに合わせた加工完了を待っていました。業者の都合もあり、本日のことやっと取り付けとなりました。

 ただ、格子を設置しても安心できません。ネジ止めしているだけですから、その気になれば簡単に取り外せます。単に5分間の足止めの役割を果たすだけです。ただ、その5分間が泥棒に対して心理的障壁となるそうです。



 若い職人さん二人が作業してくれていて、手慣れたものだと安心していたらアホなことをやらかしてくれました。台所の外開きドアを考慮していないんです。下図のとおり、開閉途中で格子フレームに当たるんです。

 指摘しても、言い訳しかしないんですね。こういうときに知り合いが噛んでいると具合が悪いんです。個人的な注文であれば、格子幅を短くするよう責めるんですけど、従弟の顔もあって折れなきゃならんのですね。

 ドア開口部が開かないわけでもないので、仕方ないと妥協しました。



 ドアが格子にぶつかるので、下図のとおり格子フレームにスポンジクッションを貼付しました。ああ、ウゼェ。



 今夜から安心して窓を開けることができます。特に浴室については、湿気を除くためにも通風が必要です。これでやっとすっきりしました。
目次




九百七拾参  大阪万博ロゴ、勘弁してください(2020/8/29)
 大阪・関西万博のロゴ最終候補は次の5作品です。公益社団法人2025年日本国際博覧会協会公式ホームページの「PUBLIC COMMENT 意見募集」からの引用です。この頁は近々消えるでしょうから、後世への記録として作品画像を引用しておきます。

A  B  C

D  E

 E案に決定したわけですけど、苦しい審査であったろうと邪推します。
 本体がシンボルマークで、そのシンボルと「EXPO2025 OSAKA,KANSAI,JAPAN」のロゴとをセットにしたロゴマークという整理ですね。シンボルを考案するとき、テーマである「いのち輝く未来社会のデザイン」と、コンセプト包摂キートワードに対してどんな切り口でアプローチするかがポイントです。つづいて、世界博覧会に相応しく、さらに大阪(日本)開催が色づけされていれば言うことなしです。

 技術的な面で大切なことがあります。あらゆる場面への適合を可能としなければいけません。例えば、モノクロ表示の可否も重要です。すると、Bはありえません。そもそも、こんなのが最終案に残ること自体まともじゃないです。
 また、モノクロ表示に際して、モノクロ2値から幅を広げて諧調まで可とするなら、A、C、DもなんとかOKとなります。とはいえ、Aを許容するのは難しいかと思います。4諧調が必要となり、煩雑な構成となります。カラーでこそ生きている立体感が殺されて判り辛いデザインとなります。

 次に、拡大縮小に耐えられなければいけません。特に考慮すべきは小さなサイズへの適応です。例えば、五輪関係者の名刺に入れ込む際には、極小エリアで表示することとなります。すると、Dのマーブル模様は潰れてしまいます。ミノルタのシンボルは複数用意されていて、光線を模した横線の太さを使い分けています。小さなサイズで表示する際は、太目の線を用います。Dが不適切なのが理解できるでしょう。

 Cは表示要件をクリアしているものの、どうにも面白みのないデザインです。今日び、これで世界的イベントのシンボルにするのは情けないです。

 で、残ったのがEなんですけど、個人的には勘弁していただきたいです。初見、“妖怪 百目”の印象でした。たしか、大昔の黄金バットに登場した悪役もこんなであったような。

 シンボルというのは象徴ということで、なにものかを象る意です。対象物とか目的とするコンセプトとかをいかに象るかです。
 今回のキーワードは、次のとおりです。
  ・さまざまな個(一人ひとり)が輝く
  ・個と個が繋がり、共創が生まれる
  ・共創が連続することで、持続可能な世界が創り出される
  ・日本らしさ、大阪・関西らしさを発信する
  ・今までにないアプローチに挑戦する
 決定作品は、シンボルとしての強さや固まり感などが、候補作中でもっとも達成されているかと思います。セルの繋がりで以って「個と個が繋がり、共創が生まれる」を表しているのでしょう。

 しかし、私には蛙の卵が連想されて仕方ありません。どうにも気持ち悪いんです。関係者の皆さん、ご免なさい。
目次




九百七拾弐  11年前にも似たようなことがあったね(2020/8/23)
 11年前にもインフルエンザ狂想曲がありました。どんなだったか思い出したくて、過去の項目を探すと書き込んでいました。四百弐拾九  インフルエンザに罹るべし(2009/10/31)です。

 中身を読むと、見事に今回の新型コロナ狂想曲と似ています。勿論違っている点もあります。当時のことは忘れたものの、書き込みによると「大人の感染が少なく、もっぱら子供ばかりです」となっています。そうだったんですね。新型コロナだと、子どもから青年までは、ほとんどが無症状、あるいは軽症だそうで、子どもへの感染を問題視する話ではありません。最近では幼児の感染が多く、感染仲介の中心になっているとか報じられていますね。

 文中で引用した「小児科医の思うこと」は、リンクが切れていて読むことができません。幸い、ポイントをまとめているのであらためて紹介しておきます。

 内容のポイントを整理します。
 現在、厚生労働省のガイドラインでは、発熱、咳などの症状が出たなら、直ちに医療機関で受診するよう記しています。

 このガイドラインによって
 ・診療リソースが費消され、医療現場が崩壊寸前である。
 ・発症直後でも簡易検査を希望する患者が多く、簡易検査キットが無駄になる
 ・インフルエンザごときで夜間受診をするな。翌日の受診で十分間に合う。
 ・発症している子供を病院に連れて行くことにより、余計に症状を悪くする。

 PCR検査拡大は必要です。ビジネス再開に向け、特に海外との行き来には陰性証明が必須となるでしょうし、来日者に速やかな検査実施が求められます。経済活性化にはインバウンド消費が重要で、今後大量の検査実施体制を構築しなきゃならんでしょう。
 それだけに、上のインフル検査みたいな受診は抑制すべきです。国内対応でも、病院関係者や高齢者施設関係者、妊婦や高齢者あるいは基礎疾患のある方などへの対応が優先されなければならず、TVを利用して声高に訴えるPCR検査拡大論者はむしろ有害です。

 新学期が始まり、学校生活が再開されました。まことに結構なことです。子供たちは罹患しても、そのほとんどが無症状なんですから、二度と学校閉鎖なんかやっちゃあ駄目です。気をつけるべきは先生、特に高齢の先生と家庭生活です。こどもから家庭内で高齢者が罹患しないよう各自が配慮すべきなんです。

 重症者数が増加しているそうです。しかし、肝心なことが判らないんです。その重症者の年齢構成や疾患の有無などが重要なポイントなんですけど、明らかになっていません。
 そこを明確にすれば、今後の方針策定に際して役立つと思うのですけど。
目次




九百七拾壱  寂れゆく地方(2020/8/15)
 参百弐    地方の衰退(2007/6/3)でも触れました。秋田市へ出張した際、哀れさえ誘う悲惨な状況に驚いて採り上げました。
 また、地方の消えゆく風景 は、地方衰退の問題に正面から向き合ったものです。更新の方は止まったままなんですけどね。

 先週のこと山口県を訪ね、やはり同様の感想を持ったのです。山口県立美術館は山口市にあり、山口市は県庁所在地です。山口県の最大都市は下関市で、人口は約28万人です。山口市は県庁所在地ながら第二の都市となり、20万人弱です。その他10万人を超えているのが、宇部市、周南市、岩国市、防府市の4市です。地方にしては立派なものです。

 とはいえ、山口市を訪れての感想は、曰く言い難しの残念なものでした。まず、玄関口となるJR山口駅が典型的な田舎の寂れ具合なのです。まるで無人駅の一歩手前の趣で、まさか、そこまでの寂れ具合とは予想もしていませんでした。

 そして、駅舎の前に広がる風景が、県庁所在市とは思えない田舎の風景なのです。バスやタクシーのロータリーがあり、歩行者との交差のための信号があるものの、そもそも信号機が必要なのと疑義を呈したくなるくらい人気がないのです。私が立ち寄ったのは昼前ながら、ほぼ無人の上、車が一台も通っていないという信じられない状況でした。

 駅から市庁舎や県有施設に通じるメインストリートも車の通行がまったくないという空き具合でした。新型コロナの影響もありましょうが、それにしても人気がなさすぎです。

 おかげで県立美術館での絵画鑑賞は、ガラガラの館内を独り占めみたいな贅沢を味わえました。職員やガードマンと観客の数とが同じくらいのガラガラ具合だったのです。

 出張で鳥取県を訪ねた際にも似たような印象を受けました。鳥取市が19万人弱、米子市が15万人弱、倉吉市が5万人弱、境港市3万人強で、これでベスト4なんです。以下は、すべて2万人以下なんですね。
 懇親会場を訪ねるため、17時過ぎに鳥取駅前を歩いたとき、駅前を走る車がないことに驚きました。人通りもほぼ途絶えていたし、車が通らないことが信じられませんでした。

 山口市も寂れているだろうと予想していたものの、想像以上でした。現職総理の出身県で、県庁所在市なんですよ。東北とか日本海側ならありそうな話ですけど、瀬戸内側に近い平野部なんですから想定外です。
 念のために調べたところ、昭和に入って以降人口が増え続けています。平成に入ってから20万人に迫り、現在は人口ピーク状態の模様です。問題なのは、老齢者比率が上がっていて、若年者比率が下がっているんですね。全国いずこの地方でも見られる人口態様です。

 地方衰退は必然であるにしろ、少しでも緩和して孫子の暮らしが立ち行く手立て必要です。日本人みんなが考え、手を携える必要があります。その手立てというのが、決してふるさと納税みたいな邪道ではいけません。あれは税に求められる重要なポイントである“公平性”を、国家自らが毀すというトンデモ税制です。一部の人間が恣意的に取り組んだのでは駄目なんです。やはり、地方再生はみんなで考えなければいけません。
目次




九百七拾   山口県が大健闘「奇才 江戸絵画の冒険者たち」(2020/8/8)
 つい4日前の火曜日、山口県立美術館が7月7日〜8月30日の会期で開催している「奇才 江戸絵画の冒険者たち」を堪能してきました。昨年2月から4月にかけて東京都美術館が開催した「奇想の系譜展 江戸絵画ミラクルワールド」にも似た展覧会です。

 結論からいうと、鄙には珍しい良質な展覧会でした。重要文化財が10点もあり、期待以上の嬉しい誤算でした。さすがに東京都美術館には及ばないものの、立派なものです。ちなみに、東京都美術館「奇想の系譜展 江戸絵画ミラクルワールド」は、国宝1点、重要文化財21点でした。
 それと、東京都美術館の場合は、“奇想”に合致した作家に焦点を当てていて、伊藤若冲、曽我蕭白、長澤蘆雪、岩佐又兵衛、狩野山雪、白隠慧鶴、鈴木其一、歌川国芳の8名に絞っていました。

 山口県立美術館は、上以外にも俵屋宗達、丸山応挙、池大雅、与謝蕪村、谷文晁、葛飾北斎ら奇才を発揮した作品を網羅して楽しませてくれます。そして、なにより特記すべきは“諸国”をテーマに、地方で活躍した作家にも焦点を当てているんです。松前藩から四国九州まで、珍しい作家作品をピックアップしています。当然のこと、土佐藩の絵金も4点展示されていました。

 地方の美術館がここまでの名品を集めるのは滅多にないことです。読売新聞社が主催に名を連ねていてバックアップしたものと思われます。もちろん、山口県が総力を挙げて取り組んだのでしょう。同じ地方に住む人間として拍手を送りたいです。

 平成2年8月27日追加
 この展覧会は山口県企画でなく、東京都が企画したものでした。山口県は巡回展として手を挙げたんですね。


 山口県立美術館も質実剛健というか実用タイプの美術館です。いえ、褒めているんです。コストを抑えながら、できるだけ内容積を大きくするなら、マッチ箱スタイルになるのは必然なんです。

 しかし、装飾やらの正面ビジュアルには、もっと工夫というか華やかさが欲しいところです。下図を見ると、ヒエヒエというか、寂しい雰囲気が伝わってくるでしょう。展示内容の素晴らしさ、華やかさに似つかわしくないんです。



 なお、入場に際してはややこしい手続きが課されます。自己申告ながら、問診票にプロフィールと健康状態を記して提出します。その後、入館して体温測定、手指消毒をしたのち、初めて入場チケットのチェックです。



 今はどの展覧会でもチケットは事前販売となっています。入場者数を限って時間指定の上発行されるシステムです。

 私は12:30入場で申し込みました。その時間に合わせてJRの便を選びました。こんなご時世なので指定席は不要です。ソーシャルディスタンスも糞もなく、新幹線はガラガラでした。まばらな乗客とあって、絶対に赤字でしょう。Go to がどうしたでなく、皆さん遠慮なく旅行に勤しむべきです。妊婦や高齢者、あるいは病症者だけが大事を取ればいいんです。まして、若者が遠慮するなんて馬鹿げています。

 感染者が増大しているとかで、まことに結構なことです。感染者というのは、つまり免疫を獲得する、あるいはウィルスに触れて馴染む人間なんです。そういう免疫に近づく人間を増やすことこそが必要なんです。
 何度も言いますが、この肝心な点を言わず、恐怖心を煽るマスコミや関係者は猛省すべきです。
目次




九百六拾九  感染拡大、心ある人々が思うところ(2020/8/1)
 本日の東洋経済ONLINEに掲載された「政府は「新型コロナの恐怖」政策を見直すべきだ」は、必見の内容です。書かれていることは、私が何度も書いていることと同じです。ライターの枩村秀樹氏は日本総合研究所 調査部長だそうで、エコノミストらしく経済損失、消費マインドの委縮や財政事情にも触れながら論を進めています。

 枩村氏の議論の進め方には好感が持てます。専門外のことについては、推測等の口出しをしていません。山中氏がファクターXと呼んだ「日本(アジア)で死亡、重症者が少ない要因」については踏み込まないんですね。感染症の専門でないとあって、未知の課題については、明らかにすべきと指摘するに止めています。

 日本の死亡率が低いのは幸運だったかもしれないと書いた。いま新型コロナに関して取り組むべき課題が2つあると思う。1つめは、幸運の理由を調べること。2つめは、理由はさておき、幸運を所与としたら、いま何をすべきかを考えること。いつ答えが出るかわからない1つめの問いにこだわるより、国民がいちばん必要としている2つめの問いに全力で取り組むべきではないだろうか。指定感染症の解除を早期に行い、日常生活を取り戻す努力が必要なのである。

 枩村氏の論考は、あまりに秀逸です。この記事がいつまで掲載されているか不明だし、できるだけ多くの方の目に留まってほしいので、結論部分を引用させていただきます。

 社会・経済活動を再開させ、軌道に乗せていくために、政府が国民に向けて次の3つのメッセージを発信することが求められる。
 @「若年・壮年者にとって新型コロナは脅威でない」
 まず、新型コロナへの恐怖感を拭い取り、国民に安心感を与えることが必要である。死亡率データから言えるのは、日本では米欧諸国より死亡率が大幅に低いこと、なかでも若年・壮年の死亡率がゼロに近いことである。若年・壮年者にとっては、決して世間で喧伝されているような「恐怖のウイルス」ではない。これを客観的な事実として国民に伝えたうえで、新型コロナの低い危険度を認識させることが求められる。

 A「感染者が増えるのは心配ない」
 次に、新型コロナの感染に一喜一憂・右往左往しなくていいというメッセージが必要である。7月に入って、感染者が増えているという報道が毎日繰り返されているが、この実態は低リスクの若年・壮年が大半である。こうした感染増は、社会活動の再開とPCR検査数の拡大の結果であり、陽性反応が出た感染者の大半は、自然経過で治癒していくものである。若年・壮年者にとっては、新型コロナに感染すること自体を過度に恐れる必要はなく、行きすぎた感染予防も不要と考えられる。感染を極度に恐れる社会的風潮は変えていくべきだ。

 B「日常生活を取り戻そう」
 最後に、国民の不安感を払拭したうえで、活動再開を一段と進めるというメッセージを打ち出すことである。特に、ほぼゼロリスクといえる若年・壮年者に関しては、早急に新型コロナ流行前に近い生活スタイルを復元すべきだ。「新しい生活様式」を全年齢一律に無理強いするのも見直したほうがいい。その中には、必ずしも科学的根拠に基づかないのに実施されているものもある。漫然と多くの制限を導入すればするほど、社会・経済が回復する際の足枷になる。また、危機管理の観点からどうしても行動が慎重になりやすい企業の活動正常化を政府が後押しすることも必要である。


 現時点で提示されているデータ類を参照するなら、誰であっても上記枩村氏の論に行きつくはずです。実際には、かけ離れた主張をする方々がTVなどに溢れています。彼ら、彼女らは日本にとって有害でさえあります。
 枩村氏に代表される論が広く行き渡ることを願っています。冷静に検討したなら、間違いようもないと思うのですけど。
目次




九百六拾八  “美術館女子”問題とは(2020/7/26)
 すでに旧聞に属する話題ですが、少し違った視点を持っているので記しておきます。

 「美術館女子」は、先月中旬の読売新聞オンラインと読売新聞に掲載されたものです。美術館連絡協議会と同紙によるプロジェクトで、「AKB48のメンバーが各地の美術館を訪れ、写真を通じて、アートの力を発信していく」予定でした。

 第1弾として、小栗嬢が東京都現代美術館を訪れる様子を画像メインで伝えていました。ところが、企画開始早々SNS上で大きな批判に晒され、ウェブサイト公開が中止されました。

 指摘された主な問題は2点です。「○○女子」という言葉に含まれるジェンダーバランスへの意識の欠如と、美術館が「映え」のみの場所として捉えられかねない見せ方をした点です。

 難儀な話です。映えは美術館に限らず、今やあらゆるシチュエーションが対象にされています。美術作品や美術館をアピに利用するのは珍しくもありません。そんなことにまで文句を言いたいんですかね。心が狭いというか、暇なんだなあの感想しかありません。

 昔から美術番組に若い女性タレントが起用されています。「美の巨人」でもナビゲータとして数多起用されています。女性タレント起用になんの問題もありません。美術鑑賞にむさい男は似合いませんもの。
 むしろ、私が不快感を覚えるのは、賢しらげな文化人を起用するケースです。「日曜美術館」での姜尚中氏やら中沢新一氏(だったっけ)やらウザかったものです。美術の専門知識もなく、制作経験があるわけでもなく、あるいはテーマに採り上げている作家や作品に関する知見も持っていません。それでいい顔をしようとするものだから、見てる方は不快感しか湧きません。
 本格的ナビゲータ役なら、「ぶらぶら美術・博物館」の山田五郎氏レベルでないと務まりません。普通の文化人には無理です。そうであるなら、賑やかしキャラで出演すればいいんです。ところが、得てして文化人たちはプライドが高いので、色モノ扱いが我慢できんのでしょう。そうして、語るべき中身がないにも係らず勿体ぶるんですね。中身のない、歯の浮くような、どうでもいいことを喋っていましたから。

 そんな利口ぶった文化人に比べたら、アイドルタレントの方がビジュアル的にも花を添えてくれるのでなんぼかマシです。「美術館女子」に文句を言う方は、ええかっこしいの文化人を駆逐してからにしてほしいです。

 「美術館女子」のネーミングに、ジェンダーバランスの偏りが看取されるとの指摘には頷かされます。私も安易なネーミングだと思います。「刀剣女子」も同じだし、「艦これ」や「戦車道の女子高生」も同根だと思います。
 女性タレントに美術館巡りのナビゲーター役を割り当てることは、なんの問題もないでしょう。なまじ盛り上げようと、「美術館女子」などと性差を際立たせたのが敗因でしょう。企画に係った関係者たちは、うまいこと考えたと自賛したでしょうが、少し浅かったかのでしょうか。
目次




九百六拾七  悪い方向に流れています(2020/7/18)
 先々週にも書いたところですが、よろしくない空気が横溢しています。いえ、実のところ、国民全般は冷静なのかもしれません。単にマスコミが危機感を煽っているだけなのかもしれません。それがため、よろしくない空気に染まっているやに見えるのでしょうか。

 日本国内の感染者数(NHKまとめ)を見ると実相が明らかです。この頁を辿ってゆくと、「日本国内の感染者数(NHKまとめ)」に加え、「PCR検査 全国の実施件数」と「日本国内の死者数(NHKまとめ)」の推移が把握できます。
 よく言われる陽性者数の増加は、検査数の増加に応じたものというのが一目瞭然です。それどころか、感染者数は4月中旬のピーク時より少ないです。一方、検査数は同時期に比して1.3倍に増えています。なら、騒ぐほどのことでもありません。
 むしろ、注目すべきは死者数です。4月下旬から5月初旬にピークがあり、一日当たり15人から30人で推移しました。で、6月下旬以降は、0人から4人なのです。しかも、7月に入ってからというもの、2人以下での推移なのです。

 また、東京都の感染状況(年代別・感染経路)には、内訳が記されています。もうね、30代以下が圧倒的なんですね。ただし、10代及び10代以下は、高齢者より少ないんですね。ここから、いろいろなことが窺われます。若い世代に感染が多いのは、活動量に比例しているのでしょう。否応もなく仕事で移動しなければならないし、繁華街で憂さ晴らしもするでしょう。
 若い世代の中でも、青少年は罹患さえしないんですね。すると、インフルエンザより感染力が弱いものと思われます。インフルエンザは誰でもた易く罹りますからね。
 老齢者の感染が少ないのは、外出を自粛しているからでしょうか。これもまた、インフルエンザへの対応と同じです。インフルエンザ流行に際し、妊婦や老人に警告が発せられ、各人が自粛するじゃないですか。

 上記事実を踏まえれば、マスコミの煽る「オオカミが来るぞ」が的外れなのが解ります。マスコミが都合よく利用しているのが、コロナ脳な先生方です。先週にも、山中伸弥氏と西浦博氏の対談が公開されていました。
 山中氏は日本の流行状況について、「対策をしなければ今からでも10万人以上の死者が出る可能性がある」とし、西浦氏も「野球でいうとまだ二回表で新型コロナウイルス側が攻撃している段階」としたそうです。そして、数年間にわたる長期戦を想定した対応が必要と話したそうです。

 この先生方は科学を語るくせ、上の客観事実と整合性が取れていません。「数年間にわたる長期戦を想定した対応」もなにも、インフルエンザと同じだとウィルス研究者が早くから解説しています。根絶できるウィルスとできないウィルスがあり、新型コロナは今後長く付き合う必要があると説明されているじゃないですか。山中氏もなんかピント外れです。ウィルスや感染症の専門家に意見発信を任せるべきなんです。やたら、しゃしゃり出てウザいです。

 来週にも梅雨明け予想で、紫外線が強烈に降り注ぎ始めます。湿気も高まるとあってウィルスにとって厳しい環境となりますから、沈静化が期待されています。もし、変化がなければ新しいタイプのウィルスといえるでしょう。一筋縄ではいかず、さらなる研究が俟たれることとなります。果たしていかなる仕儀となるか、梅雨明け以後の状況が注目されます。

 ところで、GoTo キャンペーンで高齢者を除外するのは結構なことです。対して、若年者は問題ないと思いますけどねえ。なんで若年者が駄目なんでしょうか。むしろ、若者には積極的に罹患していただきましょう。それが感染ストッパー生成の王道というものです。
目次




九百六拾六  『小学生 半沢直樹くん』(2020/7/11)
 大人気の“半沢直樹シリーズ”はダイヤモンド社の出版物で、文庫本は文春文庫です。次に、いずこがコミカライズするかと思っていたら、講談社が権利を得て週刊誌に連載中です。

 以前、書店の店頭で『半沢ニャオ樹』なるコミックも見かけました。きっと、スピンオフものなんでしょう。加えて、ネコを擬人化するというあざとさ満点の企画です。講談社さん、いろいろやってくれています。

 本日のこと『小学生 半沢直樹くん』を見つけ、ついつい買ってしまいました。読み終え、それなりに楽しませていただきました。権謀術数に満ちた小学校生活なんて羨ましくもありませんけどね。

 忘れ物貸出係を務める小学4年生の半沢くんの一日を描いています。半沢くんは有能というか、頭の回転が速くてシャープなんです。あるいは、涓介な性格ともいえます。そのために恨みを買い、知らぬうちに敵をつくり出していたんです。そして、上に書いた権謀術数が横溢する一日が繰り広げられるわけです。

 笑っちゃいますよ。小学校生活の中で「稟議」を通さなければならず、「粉飾」まで生起するんですね。当然のこと、「不正流用」が起こるべくして起こっています。
 担当係の「島流し」が恐れとともに語られてもいます。さしずめ原作の「出向」を擬えているのでしょうね。

 もうひとつ笑っちゃうのが、キャラデザインです。どう見ても、連載中の本編キャラを象っているとしか思えないんです。浅野支店長の真ん中分けの髪型はまんまです。また、悪党の東田は、中年オヤジ風の老け顔です。竹下はんは、チョビ髭を生やしています。念のために言っておきますけど、彼らは小学4、5年生です。

 ラストのコマの人影が生徒会長の大和田くんなんですね。次巻の展開がなんとなく想像できます。楽しげながら、次巻は買いません。さすがに、馬鹿馬鹿しいです。十分に面白いんですけど。
目次




九百六拾五  感染者再びの拡大(2020/7/4)
 新型コロナ感染者数が再び増加しています。かといって、4月初旬から中旬にかけて発した緊急事態宣言なんぞ最早やれんでしょう。社会生活の相当部分を滞らせることとなり、問題が大きすぎます。

 すでにウィルスの特徴も明らかになってきました。京大の宮沢先生などは、普通のウィルスの振舞い以上のものでないと言いきっています。季節性インフルエンザで、症状がきついウィルスくらいに考えるのが妥当かと思います。

 過去にインフルエンザが猛威を振るった際、国民に周知してたじゃないですか。老齢者、妊婦、病症者などは重症化の恐れがあるので、人混みの中に行かないよう注意喚起されました。今回の新型コロナでもまったく同じでしょう。

 最近の感染では、若者が過半を占め、無症状あるいは軽症者ばかりだそうです。夜の繁華街の濃密な空間で感染したそうです。それもまた、いいんじゃないでしょうか。若者は重症化しないのですから、むしろ積極的に罹患してもらい、抵抗力をつけてもらうのが正解です。いわば、感染ストッパー役を担ってもらうのです。
 ただ、罹患した際には、治癒するまで他人にうつさないよう留意していただきたいです。いえ、若者同士ならいんです。妊婦、老人及び病症者への接触だけを避けてくれたらいいんです。

 発熱外来を病院内に設けると具合が悪いんですね。韓国は1月の時点で病院外に発熱外来を設置しました。これは見習うべきです。病院に加え、老人介護施設へのウィルス持ち込みが問題です。EU各国の介護施設がいいかげんな対応で被害を極大化させました。

 新型コロナの危険性をことさらに煽る方々が問題です。ただ、そのような煽り人間がTVでは重宝されるんですね。彼ら彼女らが問題をより大きくした印象を持っています。某岡○先生なんかはここ4か月間、毎日TVに出ずっぱりで、コロナ遮断を訴えていました。PCR検査拡張を唱え、感染者隔離政策を唱え続けてきました。ああいうのは、むしろ有害です。

 新型コロナウィルスが消滅することはあり得ないでしょう。季節性インフルエンザと同じで、長く付き合っていくしかない話です。
 流行の兆しがあれば、マスクをして人混みを避けるよう心掛ければいんです。それでも一定数の罹患はあるでしょう。毎年インフルエンザで数千人が亡くなっているのと同じです。むしろ、新型コロナについては、国民総出で衛生や接触に気をつけたおかげで、季節性インフルエンザの死亡者数より少なくて済んでいます。
 この事実を前にして、なんで全国一斉自粛、あるいは都市部自粛をしなきゃならないのか。理屈に合わないんですよ。季節性インフルエンザが猛威を振るった際、社会活動自粛が俎上に上ったでしょうか。
目次




九百六拾四  今年は残念なことばかり(2020/6/27)
 昨年末に従妹が亡くなり、その一か月後に母親が後を追いました。
 そして、先月のこと叔父さんの嫁さんが子宮癌で亡くなりました。葬儀に駆けつけて驚きました。一か月前に長男が亡くなっていたのです。千葉の方で働いていて、アパートで人知れず亡くなっていたのを会社の人間が発見したそうです。現地で簡便な葬儀を済ませたとのことで、家族以外には誰も知らせなかったそうです。加えて、癌で末期状態であった嫁さんにも教えなかったそうです。
 無常を味わっています。不幸は重なるものなのですね。

 新型コロナのせいで今年の予定が狂ったというか、予定はすべてご和算です。4月にアメリカ西海岸を訪ねるつもりで数多あるツアー内容を検討し、1月時点で申込みツアーも決めていました。ところが新型コロナが取り沙汰され始め、ツアー自体がキャンセルになることを確信して諦めました。

 また夏頃に、従兄弟たち総勢での北海道旅行を企画していたものの、2月時点で中止しました。従弟がプランを練っていて、参加者も決定した中での中止で残念至極です。

 また、10月辺りでヨーロッパ旅行も考えていました。イギリスかドイツかの二択で、楽しみにしていたものの諦めました。やってやれなくはないものの、無理しないのが正解です。PCR検査による陰性証明が鬱陶しいし、入出国時に待機を強いられる可能性が高いとあっては、避けるのが賢明です。

 これでは欲求不満が募ります。海外旅行のハードルが高いなら、涼しくなったところで東北あたりでのんびりしたいです。美術館巡りも再開したいです。今年に入ってからというもの、全国の美術館は軒並み閉館、あるいは展覧会中止を決定していました。6月からボチボチ再開され始めましたが、会期が中途半端だと結局中止のままなんですね。例えば、東京都美術館の「ボストン美術館展 芸術×力」は、会期が4月16日から7月5日ながら、再開ということもなく中止です。

 一番残念だったのは、国立新美術館の「ブダペスト国立西洋美術館 & ハンガリー・ナショナル・ギャラリー所蔵 ブダペスト―ヨーロッパとハンガリーの美術400年」です。今年一番の目玉でしょう。「ルネサンスから18世紀まで」と「19世紀・20世紀初頭」の2部構成で、出品作品130点だったそうです。ハンガリーが所有する最上級の作品を気前よく貸し出してくれたんですね。

 楽しみにしていたものの、コロナ騒ぎで自粛しているうち、会期途中での閉鎖となりました。いえね、新型コロナが取り沙汰され始めたあたりで、すでに諦めたんですけどね。私の肺は死んでますから、無理ができないんです。

 今後は全国の展覧会をチェックして、観たいのがあれば迷わず足を運びます。ブダペスト展のようにウジウジしているうちに機を逃してはなりませんから。
目次




九百六拾参  地球以外に知的生命体は存在するのか(2020/6/20)
 宇宙ニュースを扱っているsoraeの6月16日の記事が目に留まりました。「天の川銀河には高度な文明が36以上存在している可能性」です。

 Christopher Conselice氏とTom Westby氏(いずれもノッティンガム大学)は、通信技術を得るに至った人類が登場するまで地球の誕生からおよそ50億年かかったことを念頭に、誕生から50億年以上経った恒星の割合、適度な惑星がハビタブルゾーンに存在している恒星の割合、他の知的生命体との通信を可能とする技術を獲得した文明(以下「高度な文明」)が存続する期間などの複数の条件をもとに、天の川銀河に存在する高度な文明の数を12のパターンごとに求めました。

 その結果、最もきびしい条件における「高度な文明の数」は天の川銀河全体で約36以上、「最寄りの高度な文明までの距離」は約1万7000光年以下と試算されています。きびしい条件とはいえこれだけの数の高度な文明が天の川銀河のどこかに存在する可能性が示されるものの、互いの距離が離れすぎているために、信号を受信するのは現時点ではほぼ不可能だろうと両氏は考えています。


 標題について、誰もが一度は考えたことがあるでしょう。多くの科学者たちも、知的生命体、あるいは高度な文明を持つ生物の有無をテーマに考察しています。その考えは様々で、まさに百家争鳴の様相を呈しています。
 私は、昔から「人類の存在は宇宙の奇跡なんだ」が持論です。そのため、この話題が上る度に周りから総スカンを食らってきました。曰く、「人類が存在する以上、他にもいるはず。むしろ、居ない方がおかしい」というものです。

 なにぶん、証明しようもない話ですから、それぞれが傾倒する説に思いを寄せるということでよいかと思います。専門家からして仮定に仮定を重ねた考察です。ちょうど、現在の新型コロナウィルスに対する考察と同じです。未だ、その実相が掴めていません。

 そんな中、若い頃に読んだ学説というか所感が説得力があり、今も思い入れがあるんです。概ね次のような考えです。うろ覚えのうえ、専門的なことは解らないので適当に読んでください。
 有機物が育まれ、多様な生物が生育する環境を得るには、恒星の放射エネルギー量と距離とがバランスしなければいけません。極めて限定された位置関係となり、この最初のハードルだけで、ほぼすべての星が脱落します。そして、該当星が水の惑星でなければいけません。地表を守るオゾン層生成には必須なんでしょう。

 特に、地球は宇宙の玉の輿といってよいほど恵まれているんです。一体どれほどの好条件であるのか。

 ≪太陽との距離≫
 ハビタブルゾーンと呼ばれる居住適正を保証する恒星との距離が重要です。近いと金星のように灼かれるし、遠めの火星は平均表面温度が-63℃、最低気温が-140℃、最高気温が20℃と温度差が大きく厳しい環境となっています。地球の場合は太陽との距離が絶妙で、豊富な水に恵まれています。

 ≪水の惑星≫
 ハビタブルゾーンは、実は水が失われやすいそうです。遠ければ失われないものの、氷となってしまいます。地球が水の惑星なのは、太陽系の歴史の中で木星がイレギュラーな動きをしたおかげで、特異な例外だそうです。

 ≪公転軌道≫
 ほぼ正円に近いため、寒暖差が小さくて済んでいます。地球以外の太陽系惑星は楕円軌道です。もし、地球が楕円軌道であれば、太陽に近づいたとき火で炙られたような高温となり、離れたときに氷結するでしょう。

 ≪適切な大きさ(重力)≫
 地球より大きいと宇宙空間のガスを取り込んでガス惑星になってしまいます。また、小さいと大気を維持できません。

 ≪月の存在≫
 月がフライホイールの役割を果たし、自転を遅らせています。月がなければ自転周期が6時間に短縮されます。そのとき、地表は生育に適さない暴風が吹き荒れることとなります。

 ≪大型惑星が外側に位置している≫
 土星は地球の100倍、木星は320倍の質量を持っているので、系外からの隕石を引きつけてくれています。いわば、地球は門番に護られているようなものです。

 ≪ヴァン・アレン帯≫
 高エネルギー帯が取り囲んでいて、宇宙線から守ってくれる障壁の役割を果たしています。地磁気が関係していて、地磁気は地球に含まれる鉄に因るんですね。磁場の変動によって電子エネルギーを得るそうで、その電子や陽子は太陽や宇宙線由来だそうで、私にはよく解りません。

 上のように地球が豊かな生物相を育む環境を与えられた幸運を、ディスカバリー・チャンネル「解明・宇宙の仕組み」で、常連科学者さんが面白いことを言ってました。
 「ポーカーで5カードが成立したようなものだ」と、あり得ないような偶然の重なりだと例えていました。

 次に、進化のハードルが立ち塞がります。今はゲノムで説明されているんでしょうか。そのあたりのことはよく分からないのですが、無限の枝分かれの中、ヒトが生まれたのは神の摂理ともいうべき奇跡なんでしょう。
 とにかくハードルが高すぎるんです。確率として、どう捉えるべきか解りませんが、私は「人類の存在は宇宙の奇跡なんだ」が一番しっくりきます。
目次




九百六拾弐  Google Chrome への移行で汗をかく(2020/6/13)
 WOWOW は民放各社に先駆けて正規ユーザーへのオンデマンドサービスを開始しました。10年ほど前のことだったでしょうか。これによって、番組表外でのボクシング生中継が観戦できるようになりました。また、見逃した映画も好きなときに鑑賞でき、しかも繰り返しての視聴が可能となりました。

 最初は IE での視聴だったものの、セキュリティ重視のため、IE がサポート対象から外され、Google Chrome と FireFox のみとなりました。そこで、Google Chrome を WOWOW オンデマンド視聴用に利用していました。
 次に Windows7 サポート終了に伴い、最近のことついに Windows7 が対象外となりました。幸い、ノートPC が Windows10 に移行済みなので、もっぱらそちらをWOWOW オンデマンド視聴に使っています。ノートPC といえど、17インチモニタなので不満もなく、しかもハードウェア・キャリブレーションを行っているので、色バランスも文句なしです。おかげで映画鑑賞も十分楽しめています。17インチで映画鑑賞に耐えられるかとの危惧もありましょう。違うんですね。映画の世界に没入するとサイズ感は関係なくなります。

 そんな具合にデスクトップとノートを使い分け、デスクトップでは IE を主ブラウザとしていたものの、IE 切り捨てが進行しています。まずは YouTube です。かなり前から、次のメッセージが表示されています。



 現時点で YouTube は使えます。問題は Twitter です。つい先日より表示されなくなりました。



 Twitter をSNS利用することはないものの、必要な Web 情報が Twitter 上に掲載されていることが多々あります。仕方なく、先週からデスクトップの Windows7 環境でも Google Chrome へ全面移行しました。

 で、問題に気づきました。私のサイトのフォント表示がおかしいんです。例えば、「弐百拾六 無主の地 (2005/11/6) 」な具合です。
 私はブラウザの表示フォントとして MS の「メイリオ」を指定しています。昔はデフォルトで「MSゴシック」が充てられていて、そのひどさは皆さまご承知のとおりでした。
 やがて、若干マシな「MS UI ゴシック」が搭載され、すかさず変更しました。
 次にどのOSからだったか忘れましたが、「メイリオ」が使えるようになり、やっと満足できました。

 IE だといろいろ変な不具合があります。今回、Chrome 移行によって、サイトの各所大部分が上で例示した「MS ゴシック」表示なのに気づいたのです。IE では、何故かすべて「メイリオ」で表示されていたのにです。

 該当箇所のソースを確認すると、「<FONT face="MS ゴシック">」が記述されていました。フォント指定なんぞした覚えがないにも関わらずです。想像するに、かなり昔に元ファイルを間違って削除したか、壊したことがあります。その際、Web で表示したファイルを取り込んで手直ししました。原因として、それしか思い当りません。その当時はブラウザ表示が「MS ゴシック」だったので、ブラウザのフォント指定(MS ゴシック)がそのまま取り込まれたものと考えられます。その取り込んだ頁を元に新しい頁を作成したことから、「MS ゴシック」表示ばかりになったものでしょう。
 IE だとなぜか HTML のフォント指定が無視され、「メイリオ」で表示されていたんです。一方、Chrome だと HTML が正確に反映されるんですね。

 今日び、ブラウザ上で汚い「MS ゴシック」なんぞ許されません。覚悟を決め、ソースから「<FONT face="MS ゴシック">」を削除する作業にかかりました。
 苦行です。大変な作業量なんです。昨夜は遅くまで修正作業に励みました。肩が凝り、目がかすんで焦点も合わなくなりました。それだけ苦労しても、修正できたのはほんの一部だけです。これから、暇を見つけては手直しを進めてゆきます。なんか不毛な作業で哀しくなります。
目次




九百六拾壱  日清戦争備忘録(2020/6/7)
 2か月前に九百五拾弐  日露戦争備忘録(2020/4/4)を書きました。児島譲氏の『日露戦争』を読んでの感想を兼ねてのことです。
 従来より、司馬遼太郎氏に代表される日露戦争時の国家指導者を称揚する向きに疑問を持っていたためです。特に昭和の指導者と比較して、いかに素晴らしいかを語る方々です。そういうのを苦々しく眺めていました。昭和も明治も同類との思いからです。

 リンク先の記述は、もっぱら日露戦争に至る経緯や背景に焦点を絞っています。しかし、これでは不十分なんですね。本当は日清戦争から語らなきゃ駄目なんです。ただ、煩雑になるため省略しました。
 この雑文を目にした方が、大陸への干渉しはじめが抜けている不備に気づくでしょう。そこで、日清戦争の経緯やその後の日露対立が露わになった要因あたりに触れておきます。

 朝鮮は海を隔てた日本と違い、中国王朝との苛烈な軋轢の歴史があります。時には中国と正面切って戦いました。高句麗は隋に対して敵対関係を選び、結果として隋滅亡の一因にさえなっています。
 中国の歴代王朝は、周辺国に臣礼を取らせる冊封体制を採ることが多かったものです。実は、この朝貢関係というのは周辺国にとってメリットが大きかったんです。中国と貿易関係を結べますし、多大な礼物を受け取ることもありました。日本でも足利義満が臣従して貿易を行いましたね。朝鮮も同様で、長く臣属してきました。おかげで、秀吉の朝鮮出兵に際して、李氏朝鮮は明の救援を仰ぐことができました。
 例外はモンゴルです。彼らは征服=略奪と捉え、世界中で奪う政策だけで生きていました。中華の土地に根を下ろしたフビライは例外です。しかし、細かく見ると中国北方を帝都とした元は、南方の米と塩を北送して経済を成立させていて、やはり奪うスタイルでした。朝鮮など、苛烈な収奪を受け続けました。

 明が清に倒された際、明に服属していた朝鮮は、儒教の教えよろしく清を認めず明への忠誠に殉じました。このとき、清朝はむしろ朝鮮の忠義を高く評価したくらいです。やがて清の威令が東アジアを覆うと、朝鮮は清国との冊封体制に組み込まれ、近代を迎えました。

 先週にも書いたアヘン戦争は、周辺国の危機感を募らせて日本の鎖国体制を転換させました。李氏朝鮮も混乱期を迎えます。26代王の李熙は、実父“大院君”と妻の閔妃一族の政治介入を抑えることができず、加えて政策対立に翻弄されました。
 清国を宗主国として列強との交わりを忌避する「事大党」と、清国との関係を断って列強の援助を受けて改革しようとする「開化党」の対立です。さらに「開化党」の中にも親日派と親露派がいました。複雑な経緯があるので略しますが、所為「壬午の軍乱」が起こって日本が朝鮮に賠償を求め、清国は紛争始末に大軍を入れました。そのさ中に親日派の金玉均が日本の支援を背景にクーデーターを起こしたものの、清軍によって鎮圧されました。これが「甲申の変」です。ちなみに、このときの日本公使の竹添進一郎が下衆な屑っぷりを晒しています。

 事件の後始末として、日本と清は「天津条約」を結びました。条約に、一方が派兵するときは、一方に照会(通知)することが定められていて、これが日清戦争のきっかけともなったわけです。

 1894年、金玉均暗殺と東学の乱が起こり、数万の大勢を誇った東学軍は政府討伐軍を全滅させました。ここにおいて、朝鮮政府は清国に派兵を求め、李鴻章が北洋軍出兵に踏み切ったわけです。李鴻章は派兵が日本軍介入を招くことを恐れ、慎重に日本側の感触を確かめています。
 日本側は朝鮮介入の口実を得るため、あらゆる謀略に手を染めています。朝鮮の日本公使たちは、朝鮮に派遣されていた袁世凱に対し、居留民安全のため派兵を望んでいるかのような印象を与えました。これは意図的にやったものでしょう。
 当時の陸奥外相が暗躍したものと考えられ、日本側は同時派兵の手筈を参謀本部が整えていました。
 宣戦布告に至り、明治天皇の「このたびの戦いは、大臣の戦いであって、朕の戦いでない」の言葉には強烈な嫌悪が滲み出ています。また、伊勢神宮への開戦報告の勅使派遣を拒否さえしています。宣戦布告に至る経緯について、つぶさな報告を受けていた明治天皇にとって、「不本意ながらの義」であったのです。

 戦争は日本勝利となり「下関条約」が締結されました。条約に対してロシア中心の干渉があり、遼東半島が還付されました。

 その後、山東省で義和団の乱が起こり、山東の支配者である袁世凱が徹底的に弾圧したため、北上して北京に入り、“扶清滅洋”の主義で清朝に容認されました。このとき義和団の勢力は20万人ともいわれ、これを背景に北京政府は列強外国に宣戦布告をしました。

 八国連合軍の主力となったのは、本国が近い日本です。日本軍の大量派兵に反対したのはロシアです。日本とロシアは極東での対立が鮮明になっていて、互いに牽制し合いました。ただ、義和団の勢力が北方に浸透したため、ロシア勢力地の鉄道を始めとしたインフラが破壊されたため認めざるを得なかったのです。

 このような背景があったため、後に李鴻章全権がロシアとの間に露清(秘密)協定を結び、東北部のロシア権益を認めました。清国としては、ロシアによって日本を牽制することと、ロシアの資金資本を得るためでした。この秘密協定がロシアの侵略を呼び込み、日本権益と衝突して日露戦争へと繋がったものです。

 日露戦争の原因を求めてゆくと、朝鮮に対する領土的野心が出発点であるのが解ります。その手段は明治天皇も嫌悪した謀議に依るものでした。その権益を守るため、さらなる戦争に打って出、最終的には日中戦争にまで至りました。
 こんなロクでもない話を、明治の先人たちの英明なる壮挙などと持ち上げているのが『坂の上の雲』などが描く歴史劇です。昭和の国家指導者たちと変わるところがないじゃないですか。
目次