建白TOPへ

百弐拾 オーディオ再燃(2004/2/14)
百拾九 後悔先に立たず(2004/2/8)
百拾八 特許権200億円也(2004/2/1)
百拾七 経歴詐称(2004/1/25)
百拾六 八尾恵という記号(2004/1/18)
百拾五 再びAthlon64(2004/1/11)
百拾四 民主主義(2004/1/4)
百拾参 のんびりするぜい(2003/12/28)
百拾弐 悪党紳士録(2003/12/21)
百拾壱 ラウド・スピーカー(2003/12/14)
百拾  自己責任(2003/12/7)
百九  社会人学生(2003/11/30)
百八  東洋の誉れ(2003/11/23)
百七  秋深し、日本の闇もまた深し(2003/11/16)
百六  “オレオレ詐欺”みたい(2003/11/9)
百五  選良(2003/11/2)
百四  起動ディスク(2003/10/26)
百参  東アジアの脅威(2003/10/19)
百弐  自分との折り合い(2003/10/12)
百壱  Athlon64(2003/10/5)




百弐拾 オーディオ再燃(2004/2/14)
 今日、ONKYOのMONITOR 2000が届きました。一本40kgのスピーカーを二階へ上げるのはこたえました。旧スピーカーを譲る知人に手伝ってもらう段取りだったのですが、所用とかで空かされました。自作ブロック台の位置決めを予め済ませていたので、セッティングに迷うことはありませんでした。同梱のケーブル(4芯)を所定の寸法に切り、剥いて接続します。MONITOR 2000もAUX-1111も端子穴が大きく、細工なしで入りました。入らない場合に備え、銀入り半田を準備していましたが不要でした。太い多芯線の場合、先端を半田で固めてカッターで尖らせます。そうすれば細い穴でもOKです。この半田は内部配線をやり替える際に使おうっと。どうやら、その必要性はありです。

 繋ぐやすかさず試聴しました。想像どおり、シャープでワイドレンジです。19年前のスピーカーとは思えません。多分、前ユーザはあまり鳴らさなかったのでしょう。へたりを感じさせません。ウーファー・エッジ張替えも効いているのでしょう。コーンの材質も強度が高く、経年変化の少ないタイプであったのも関係してるのでしょう。CDプレーヤーやアンプが滑らかで繊細タイプなので緩和されてはいます。若干低域不足を感じましたが、「脅威のコントラバス・マリンバ」(マニア定番ね)を聴いて、重低音はおろか超低域までカバーしているのを確認しました。
 旧スピーカーでの超低域再生は無理でした。重低音はそこそこ出ていたものの、音圧が段違いです。逆に中高域は旧スピーカーに負けています。旧スピーカーは徹底的に改造していましたから。内部配線材をPCOCCに、コンデンサーをVコンに、ユニットのフレームをブチルでダンプ、アッテネータをシンプルな自作スイッチに変更、ケーブルをネットワーク基盤に直結と、でき得ることすべてに手を加えていました。おかげで歪の一切ない、微細で微小な響きまで完璧に再生してくれました。そのあたりのことは、ボーカルのサ行の再生や弦の付帯音で判定できます。旧スピーカは、まったく不満のない透明な音を聴かせてくれました。

 MONITOR 2000にも同様の改造を加える必要がありそうです。内部に使用している線材はまだ確認していません。私の想像では、アッテネータがネックになっている気がします。余程の高級機でもないかぎり、まずアッテネータは手抜きされています。ここを手抜きすると、歪感や荒さ、キツさがでてきます。25年前、マニア向けに高級アッテネータ・スイッチが10万円(1ケ)で販売されていました。ペアだと20万円にもなります。いかに普及価格スピーカーのスイッチが問題かがわかるでしょう。
 旧スピーカーのアッテネータをやり替えたとき、音がまさに吹き出すように飛び出して吃驚しました。MONITOR 2000にも効果があるでしょう。今後、アッテネータのベスト・ポジションを見つけ、抵抗値を測ってスイッチなしの直結にします。いえ、私がやるのでなく、職場の電子系同僚にお願いするつもりです。 m(__)m<I さんお願いね。

 今もこれを書きながらテラークの「1812年(チャイコフスキー)」を聴いています。大砲の咆哮が凄いぜ。エッジを張り替えて間がなさそうなので、あまり無理はできません。もう少し馴染んでから、大音量で大砲を鳴らしたいと思います。あ〜待ち遠しい。
目次へ




百拾九 後悔先に立たず(2004/2/8)
 最近のこと、かつての趣味であったオーディオの虫が騒ぎ出しました。貧しい学生時代は、金をかけずいかに音質アップするか腐心しました。稼ぎ出してからはある程度の機器を購入でき、一応の満足を得ていました。ただ、スピーカーだけは学生時代に買ったものを、徹底的に改造して(改良のつもり)使い続けていました。それが先週のこと、なんの脈絡も無くスピーカーの更新を思い立ち、欲しい欲しい病に罹りました。

 そこでスピーカー製造メーカーを調べて愕然としました。DIATONE(三菱電機)は疾うの昔に生産を止めていました。悲しい〜。もし、次にスピーカーを買うとしたらDS-V3000と決めていたのですが。このスピーカーは私の理想とする音を出してくれます。どんなスピーカーも必ず不満点があるものです。しかし、DS-V3000だけは私の感性に満点フィットしました。こんなことになるなら、無理をしてでも買っとくんだったなあ。今さら後悔してもしょうがないけどさあ。

 無いものは仕方ないので、他のメーカーも調べました。で、全滅です。YAMAHA、DENON、VICTOR、SONY、ONKYO、Pioneea、PANASONIC、KENWOOD は今もオーディオをやってますが、かつてのハイファイにほど遠い製品ラインアップです。オーディオの中心はAVに移行しているため、ホームシアター向けのトールボーイばかりです。あるいはミニコンポ向けだの、車載用だの、PC用だのばかりです。仮に高級品があっても、複数の小口径ウーファーをパッシブ駆動させるトールボーイばっか。こんなのは邪道です。私が欲しいのはあくまでフラット(低域だら下がり)なワイドレンジ再生です。期待のONKYOにしても、D-77がトップ商品という淋しさです。D-77といえば、かつては普及価格商品だったのですからねえ。まったく隔世の感です。いえ、ほとんど浦島太郎気分です。PioneeaからはEXCLUSIVEブランドで昔どおりの高級スピーカーがラインナップされています。残念ながら、これはホーン型で私の好みではありません。

 となれば、中古しかありません。Yahooオークションを眺めてみると、まあ高いこと。本格スピーカーがもはや製造されていない以上、かつての銘機群に高値がつくのも仕方ありません。とはいえ、ぼりすぎだぞ、ゴルァ。次に中古販売業者を調べ、見事にゲットしました。U-STATION21にONKYOのMONITOR 2000が88,000円(1983年発売 128,000×2)でありました。このスピーカーは私のストライクゾーンに収まっています。経年変化によるやれは承知のうえです。販売店に確認したところ、コーンのエッジは張替え済みとのことでした。消費税、運送料込みで100,000円也です。
 U-STATION21の店主はオーディオ趣味が嵩じて本職になったパターンです。おかげで遠慮なく相談ができました。MONITOR 2000用のケーブルも店長お薦めのものを注文しました。S&TのOMNI-8Nとかいうものが繊細で透明感があるとのことでした。ただ、私はエネルギー感が欲しいので、これのパラレルものを頼みました。昨日、即行で入金しまして、週末の午後に届く予定のMONITOR 2000を心待ちにしているところです。

 15年間くらいオーディオ趣味から遠ざかっていたのが、スピーカー購入でまたまた泥沼にはまり込む予感がします。このスピーカーは長岡さんの批評にもあるとおり、利益度外視の力作です。34cmのウーファーは単体で9kgもあり、本来この値段のスピーカーに使う代物ではありません。40万円クラスのスピーカーのウーファーといっても通用するくらいの超強力マグネットを使用しています。いろいろ手の加え甲斐がありそうです。いずれ内部配線材も変更するだろうし、スピーカー台も作り変えそうです。あげくにCDプレーヤーまで買い替えそうで、我ながら自分が怖い。使用機はSONYのX7ESDです。それなりの品ですが、現在の一級品に比べたらしょぼいものでしょう。
 それにしても、DIATONEのDS-V3000を買っとけばよかった。あ〜あ、後悔しまくり。
目次へ




百拾八 特許権200億円也(2004/2/1)
 これはまた予想を裏切る凄い判決が出たものです。タイトルの200億円は、中村教授が請求している額であり、正当な対価は604億円としています。中村教授は残分を今後請求すると言っています。豪気だなあ。

 特許期間満了の2010年までの売上高を1兆2086億円と算定。仮に、特許の使用を他社に許した場合、少なくとも他社はこの半分の売り上げが可能で、日亜はその見返りに20%の特許実施料が得られるとして、同社の独占利益を1208億円とはじき出した。
 続いて、会社と発明者の貢献度を検討。会社の役割は、開発装置費3億円や米国留学費などの負担にすぎないとする一方で、中村教授については「小企業の貧弱な研究環境の下で、個人的能力と独創的な発想により世界中の研究機関に先んじて世界的発明を成し遂げた稀有(けう)な事例だ」と述べて貢献度を50%と認定。独占利益の半額にあたる604億円を発明対価として導き出した。(asahi.com)

 今回の判決は地裁です。控訴審では違った数字が出るでしょう。いくらなんでもこれはやりすぎというものです。突込みどころもあります。特許実施料を売上の20%としていますが、これはかなり高めの使用料です。いえ、かなりというか異常な数字です。っても、最近の傾向は知らないのですが。従来より、ロイヤリティの支払方法は3とおりに分類されていました。
 その1:利益の3分の1を取る利益3分方式
 その2:製品価格に対する比率方式。通常は3パーセント程度が多い。高額で少数生産品などでは、10%もの高額に及ぶこともある。逆に大量生産低価格製品の場合は安く、1%からそれ以下といったところ。
 その3:定額(最低保証)制。
 ところが、東京地裁は20%の実施料で算定しています。現今は、これが正当な対価として認識されているのでしょうか。私の知識は古いもので(最近の傾向を調べるのが面倒で)。以前であれば、ニュースで7%のロイヤリティなどと聞くと高い契約だなあと思ったものです。

 日亜の中村氏に対する報奨の低さが問題の出発点でしょう。その時点で青色LEDそのものの出荷価格の0.1%程度をインセンティブとして支払うくらいのことをやればよかったのでしょう。社員に対する比率方式がまずいのであれば、数千万円程度で買取(あるいは独占)契約をすればよかったのでしょう。まあ、そんなのは後知恵であり、当時の企業風土には馴染まなかったでしょうし。
 日本の各企業も今回の件をケーススタディとして、社員採用時に権利買取に関する契約書にサインさせることが一般的になるのかな。インテルなんか徹底しています。スピンアウトした元社員に対して、訴訟を仕掛けるなんてえのは茶飯。なかには勝ち負けは横において、とにかく訴えて潰してしまえなんてケースさえありました。社員に対しては、新しい会社を興した元社員の悪口を吹き込むことまでやっています。「インサイドインテル」によると、インテルの保安部門や人事部門のエグさはサスペンス映画さながらです。もし元社員がインテルを訴えたら、インテル側から事後に書き加えられた書類がわんさか裁判所に提出されるそうです。
 中村氏はアメリカの技術者から「日本の技術者は奴隷だ」と評されたエピソードを方々で喋っています。でも、アメリカ企業が社員に対して敬意を払っているようにはとても思えません。むしろ日本以上にシビアなんじゃないかなあ。
目次へ




百拾七 経歴詐称(2004/1/25)
 古賀潤一郎衆院議員がお馬鹿をやっちゃいました。スポーツマンシップを売りイメージにしていただけに、余計悲惨です。個人サイトをながめると、「ファンクラブ」なんてページも用意しています。支援者が書いた応援歌なんてのもあって、もう痛々しい限りです。「プロフィール」のページでは、わざわざテニスの優勝記録も記載しています。ここまであからさまだと、山崎拓の方がまだ幸せというものでしょう。多分、古賀問題は議員辞職で決着するでしょう。

 この件に関して、自民党や公明党からは厳しい追求がなされるでしょう。一方、社民党はだんまりでしょうね。なにせ、社民党にはある疑惑が囁かれていますから。前党首の土井さんにまつわる噂です。興味のある方は、別冊宝島「社会党に騙された!」をご覧になってください。二瓶絵夢氏のレポート『党首につきまとった“学歴詐称”の醜聞』は興味深い話です。

 学歴詐称というのではありませんが、経歴詐称について以前からとかくの疑問が呈されていた落合信彦氏の暴露本がまたまた出版されます。鹿砦社刊「落合信彦破局への道」です。著者の奥菜秀次氏には「落合信彦最後の真実」「捏造ジャーナリスト落合信彦」があります。今回のは第3弾です。なんかオルブライト留学中の知人にも取材したそうです。まあ、何が本当かは判りませんが、私自身落合氏の著作は眉に唾つけて読んだものです。例えば「アメリカよ!あめりかよ!」で、法螺話としか思えないチャンピオン・ファイトが記述されています。チャンピオン・ファイトとは、学長公認で観客を前にしての喧嘩ファイトです。これに勝った落合氏は、以後も挑戦者40数人に勝利したそうです。普通の喧嘩に至っては、在学中4年間に176回に及び、負けなしだそうです。こんなのは自伝というより、小説というべきでしょう。
 さらに、ロバート・ケネディとの交友話、オイル・ビジネス話、CIAとのコネクション話 etc. いずれも眉唾モノにしか思えないのですがねえ。きっと皆、面白いフィクションとして捉えていることと想像されます。というか、落合氏の著書に対してあれこれ言うのは大人気ないなあ。ナチス・ドイツがUFOを開発したなんてえのは、SFということでよろしいでしょうし。
目次へ




百拾六 八尾恵という記号(2004/1/18)
 先週、柴田泰弘氏(よど号事件のメンバー)と北朝鮮で結婚を強いられた八尾恵さんの娘が帰国しました。これを伝えるニュースに加え、N.ステーションでは2002年3月12日に放映されたVTRも流しました。ホテルの一室でしょうか、八尾恵さんが有本恵子さんのご両親を前に、土下座、落涙して拉致関与を詫びていました。私はこれを見ながら、「あんた、本当にマスコミが好きだなあ。昔はあんなにマスコミを非難しまくっていたくせに」と突っ込みました。

 八尾恵さんに関する経緯を知りたい方は、本人の著書「謝罪します」や八尾恵さんを応援するコーナー(略称「め組」)をご覧ください。目次中の金子恵美子さん、あなたも真実の証言をには、本人による一通りの説明がなされているので必読です。これだけだと八尾サイドの一方的な記述なので、偽ドルで逮捕された田中義三氏の八尾証言は「良心の告白」か、もご紹介します。


 私はもともと八尾さんの事件について、気にも留めていませんでした。興味をもったのは、この逮捕拘留について、マスコミのニュース報道による人権侵害として問題視されたからです。マスコミ論やメディア論が専門分野とあって、昔からウォッチングしていたからです。
 八尾さんは報道被害者として、人権と報道について長らく露出していました。もう記憶も定かではありませんが、冤罪かなにかをテーマにしたTV番組に出演しているのを見たことがあります。あのときもTVカメラを前にして、わざとらしい演技をしていました。内容は忘れたけど、八尾さんの出演は場違いだとの感想をもちました。
 まあ、人権侵害と闘う報道被害者として、いろいろ露出したり、取材対象になっていました。それが一転、実は北朝鮮の工作員だとカミングアウトしたから大騒ぎになりました。私もこれには参りました。_| ̄|○<ガックシ なにせ、マスコミ論の一部として報道被害をテーマに講義し、しかも、八尾さんの件をケーススタディとして採り上げたことがあったからです。脱力しちゃいました。上の「金子恵美子さん、あなたも真実の証言を」の最後の方にも、そのときの支援者らの反応が記されています。これは辛いことだったでしょう。で、疑問です。それほどの辛い体験であれば、まともな神経の持ち主は思い出したくもないでしょう。Webに記したり、出版したり、TVカメラの前で語ったり、よくもできるものだと感心します。いえ、皮肉なんですがね。


 報道被害とされた当時のマスコミの書き飛ばし記事をチェックすると、結構当たっているから笑わされます。明らかに公安は八尾さんの正体や行動を把握していたと考えられます。記事は公安からのリークでしょう。
 曰く「この女性は四年前から韓国、ソ連などへ計六回渡航しており、しかも接触していた相手の北朝鮮の工作員が、『よど号』ハイジャック事件の犯人グループと国外で会っていた形跡もあることから、『よど号』グループの連絡役か国内支援者の可能性もあるとみて追及している(1988年6月4日朝日新聞)」。
 サンケイ新聞の飛ばし記事「柴田と同じ乱数表持つ女性逮捕」で、柴田泰弘氏との関連を強く匂わせています。また同じく「横須賀でスナック経営/防衛情報収集か」は、結果として事実でした。

 私は決して結果オーライの報道を肯定しません。また、物的証拠がないままの自白に頼る捜査方法や拘置期限の恣意的延長は、人権面で問題があるとの考えは不変です。まあ、八尾さんの場合、拘置期限の延長はまさに適切でしたけど。後知恵で言うと、北朝鮮への逃亡はあり得ましたから。


 八尾さんの名前が持つイメージは変転しています。最初は女スパイ、次いで報道被害者、さらに北朝鮮の工作員、そして今は何でしょう。気の毒な人生であったのは間違いないですが、あくまで拉致に関わった加害者でしょう。八尾さんがやるべきはTVカメラを引き連れての土下座ではなく、ひとりで有本さんを訪ねて謝罪すべきでした。こういうところが、どうにも信用できないのです。

※今回の人名については“氏”や“さん”をつけました。刑事犯罪の被疑者や関係者にこそ配慮が必要だと考えるからです。
目次へ




百拾五 再びAthlon64(2004/1/11)
 最近はパソコン雑誌を買わなくなりました。Web情報でことが足りるし、速報性では話になりませんから。でも「パソコン批評」(隔月刊)だけは買い続けています。この雑誌はものごとのネガティブ面に絞った企画が売りです。で、その2月号にAthlon64のベンチマークが載っていました。アプリケーション起動ベンチです。このベンチを見て、1996年当時のPentiumProを思い出しました。1996年2月、発売されたばかりのPentiumProマシンを買った私は、アプリケーションの起動速度に痺れました。WordやExcelがVer.95の頃です。Photoshopは3.0でした。起動速度はCPUだけでなくHDDの速度も大きく関係しますが、HDDは横に置いときます。
 Word、Excelともに起動は1秒、Photoshopは3秒でした。そのPentiumProマシンも、アプリケーションのバージョンアップとともに遅くなっていきました。Illustrator7.0なんか、起動に30秒くらい待たされました。そしてAthlonに買い替えて、再び高速起動を味わえるようになりました。Photoshop5.5が6秒(Word、Excelは1秒)です。
 で、「パソコン批評」によると、Photoshop5.5の起動にAthlon64FXはなんと1秒の凄さです。その他のAthlon64は2秒です。他にもIllustrator9.0とかAcrobat6.0とかの重量級ソフトがとんでもない速さです。無断引用になりますので、興味のある方は原本を見てください。
 ますますAthlon64に対する期待が高まりました。Non ECCタイプのデュアル・チャンネル・メモリ版も出るでしょう。OptelonやAthlon64FXはECCですからちょっと手が出せません。私が買ったPentiumProは、メモリ・インターリーブのECC版だったので、メモリ増設に泣かされました。もうあんな苦労はご免です。メモリ増設に10数万円かかりましたから。いえいえ、この程度で文句を言ったら駄目ですね。デザイン業界の方々なんか、メモリ増設に新車が買えるような投資をなさっていますから。某デザイナーなんかQuadraに百数十万円で256MBのメモリを載せました。しかも、買った直後に大幅に値下がりして、納入業者が困っていました。「これじゃあ、気の毒でそのまま請求できないよ〜」

 昨日も仕事、今日も仕事です。土日だというのにサービス出勤。あ〜泣けてきます。
目次へ




百拾四 民主主義(2004/1/4)
 昨年はイラクがらみで、自由とか民主主義とかについて考えさせられました。自由の国といえば、文句なしにアメリカでしょう。それほどの自由の国でありながら、民主主義の国かといえば大いに疑問です。

 アメリカの一般市民(中産階級と低所得層)の賃金レベルは、今や先進国中でも低位にあります。しかも一般従業員の実質賃金は30年前をピークに下がり続けています。一方で、経営幹部の報酬レベルは馬鹿馬鹿しいまでに上がり続けています。この国民二極化の様相は、途上国か近代階級社会かとさえ錯覚させられます。未だフィリピンは戦前の日本のような土地の集中が行われています。地主と小作人の関係によって農業が営まれています。当然のこと、国民の所得上位20%と下位20%との間には大きな格差があります。実は、アメリカの格差というのが、このフィリピンと同レベルなのです。ちなみに日本の格差は、アメリカの3分の1程度です。このような現実を眺めると、アメリカの民主主義はお粗末と言うべきでしょう。

 イギリスの場合は、アメリカ追従政策を採る一方で議会が政府を厳しく追及しています。イギリス議会にはある種の権威を覚えます。まあ、幻想かもしれませんが。私は歴史好きですが、イギリスの歴史は勉強したことがありません。もっぱらイギリス小説で得た知識だけです。ですから適当なことを書きます。調べるのが面倒なので。イギリスは17世紀において議会が機能し始めています。18世紀には選挙改革が次々に進められ、有権者が増大しています。18世紀のウイリアム・ピットなんか、現代でも通用する大政治家でしょう。アメリカとイギリスは同根ながら、実態はずい分違っているのではないでしょうか。


 などといったことを考えたのは、今日トム・クルーズの「遥かなる大地へ(1992)」を観たからです。観ながら、あれっ、どこかで見た話だなあと思いました。ケン・フォレットの「自由の地を求めて(1995)」と同じプロットです。時期から類推すると、フォレットが映画に触発されたのでしょう。真似ではありますが、フォレットはさすがです。「遥かなる大地へ」はハリウッド映画らしくご都合主義のお手軽ドラマです。一方の「自由の地を求めて」は、当時(18世紀)のイギリス社会を重要な下敷きにしています。

 主人公のマックは炭鉱夫として生まれ、領主の所有物たる奴隷の身分です。自由の境遇を手にするため、法の力を借りて闘いを挑みます。孤独な闘いは圧殺され、捕らえられたマックを領主の娘のリジーが救います。ロンドンに逃走したマックは荷役夫として働きます。途中、金貨目当てのボクシング試合に出場するエピソードもあります。荷役請負人の75パーセントに及ぶピンはねに対して、組合を組織して対抗します。マックは資本家階級の脅威とされ、流刑囚としてバージニアに送られます。リジーもまた、悪辣な貴族の金目当ての陥穽によってバージニアの農園へと嫁しています。やがて奴隷のマックと農園主のリジーは互いに惹かれ合います。二人は非道な夫の追跡を逃れ、西の地に自由を得ます。トム・クルーズとニコール・キッドマンが演じた話にそっくりでしょう。この小説は、イギリス政治勢力や労働争議、イギリス本国と植民地アメリカとの課税や貿易品目争議を背景に活用しています。歴史小説としても無類の面白さです。

 こういうものを読むと、民主主義に繋がる権利がいかに獲得されたかが理解できます。王権と議会、政府と議会、資本家と労働者、選挙法など、イギリスにおける権利獲得の歴史のなんと長いことか。日本はもちろん、アメリカでさえも遠く及ぶものではありません。
 アメリカはマイノリティの権利について、60年代の公民権運動から先進的に取組んできました。でありながら、何故低所得層が浮かばれないのでしょう。きっと「勝者となるには努力しなければならない。豊かになれない人は努力していないからだ」との考えが徹底しているからでしょう。こういうのは弱肉強食というのであって、民主主義とは別ものです。そんな風に考えると、イラクに対する仕打ちが納得できます。ろくなものじゃないですね。

 今年は昨年に比べ、景気や世相も明るくなるような気がします。あとはアメリカの理性的行動を期待するばかりです。

 今回の内容の賃金データは、小林至氏(東大から千葉ロッテに入団。江戸川大学助教授)の著書「アメリカ人はバカなのか」を参考にさせて頂きました。
目次へ




百拾参 のんびりするぜい(2003/12/28)
 昨日から9連休に突入。金曜の仕事納めは朝から走り回りました。まさに師走でした。でも、仕事は片づかず、明日はがらんとした職場でしこしこお勤めです。まあ、この土日ばかりはのんびりさせてもらいます。で、DVDをどっさり借り受けました。


 「ターミネーター3」
 この手のタイム・パラドックスものは、根本的に間違っています。「ターミネーター」シリーズも「12モンキーズ」も「ゴジラvsキングギドラ」も変です。既知の過去に対して、未来世界から干渉するミッションはお間抜けばかりです。
 「ターミネーター」で未来人類が悲劇を回避するなら、未来のリーダーを護るより、“スカイネット”開発関係者、あるいは提唱者を殺すのが確実でしょう。すると機械側はそれに先んじようと試み、きりのない話になります。しかも、歴史が修正されたなら、干渉の主体たる未来が存在しませんから、ストーリィに矛盾が生じます。
 「12モンキーズ」も同様の矛盾があります。ラストで未来世界から主人公にピストルを届けにきます。そこまで詳細な状況が未来において把握できているなら、ウィルスをばら撒く科学者を早い時点で殺せばいいだけのことです。こんな明確なプロットの破綻に脚本家は気づかなかったのかなあ。多分、知ってて目をつむったのでしょうね。
 「ゴジラvsキングギドラ」も観客を舐めたタイム・パラドックスです。ゴジラに殺られたキングギドラが、機械化されて未来から現れます。それが、ゴジラに殺られた直後の時点なのです。何故?どうせなら、初代ゴジラが暴れる過去にまで遡れば被害が極小なのにねえ。意味不明でした。もっとうまく観客を騙して欲しいものです。
 その点、「Back To The Future」は過去への干渉を未来にリンクさせていました。それがスリルを盛り上げていました。といっても、時間を遡るのが物理的に不可能だというのは、数学的に証明されていますけどね。


 「ドリーム・キャッチャー」
 スティーブン・キング原作を読んでいたので、ドキドキ感がなくて残念でした。原作を2時間で表現するのはやはり無理です。かなりアレンジしています。変更について、許容できる部分と勘弁できない部分があります。基本的には手際よくまとめていると思います。でも、ダディッツをミスター・グレイ(バイラム−映画にはこの用語は使われなかった)同様の別のエイリアンに描いたのはいただけけません。ダディッツはダウン症で、しかも重度の白血病に冒されています。このダディッツは不条理な存在です。でありながら、原作では丹念にエピソードを重ねることによって確かな存在感が得られています。映画でそこまでの描写は無理です。そこでライターは、手っ取り早くダディッツをエイリアンにしてしまったのでしょう。おかげで映画のラストは、エイリアン同士の格闘に堕しています。原作におけるエイリアンは、あくまで精神的存在なのです。
 もう一点、カーツ司令官を黒人が演じていますが、原作イメージに合致していません。このカーツは白人版ゴルゴ13の趣です。映画のイメージじゃないんだけどなあ。


 「BLOOD WORK」
 これはよかった。血液型、臓器移植、プロファイリング、メッセージ、アナグラム等々ミステリのエッセンスが満載です。どんでん返しに継ぐどんでん返しで、よくできたシナリオです。


 年末も際になってパトリシア・コーンウェルの「黒蠅」(検死官シリーズ12作目)が刊行されました。昨日買ってきたばかりで、まだ読んでいません。このシリーズにはまったく期待していません。読むのは時間の無駄です。判ってはいるのですが、惰性で読み継いでいます。このシリーズを読んでみようかと迷っている方、思い直してください。時間と金の無駄遣いですから。


 この年末、NHKがアンコール放送として「映像の世紀」を再々放送しています。初回放映は1995年だそうで、もうそんなに経つかと感無量でした。1999年にも再放送されています。私もこれで3回目の視聴です。あのテーマ音楽が流れ始めると、思わずTVの前に座り込んでしまいます。「映像の世紀」は、この数十年間に放映されたTV番組中最高のモノでしょう。1999年から放映開始された「世紀を越えて」や「ヒトラーと6人の側近」も素晴らしかったけど。まあ、これに比肩し得る作品は、21世紀末に編集されるであろう「21世紀の映像」まで待たねばならないでしょう。


 この一年、多くの失業者や求職者の就職支援に携わりました。あまりにも厳しい現実が立ち塞がっています。求職者の多くもまた、現実を冷静に見据えています。果たして夜明けは訪れるのでしょうか。
目次へ




百拾弐 悪党紳士録(2003/12/21)
 囲碁ソフト群中最強の「銀星囲碁4」を買いました。バージョン3に比べ、さして強くなっているように思えません。前回のバージョン・アップでは明らかに手強くなったのですが。制作は北朝鮮で、なかなかに良心的なプロダクトです。バグ修正だけでなく、パフォーマンス・アップにも心を砕いています。Webで改良版を提供しており、安心して長く使えるソフトです。


 欲しくて仕方ないノートFMV-BIBLO/NHシリーズの現物を触りました。16.1インチの液晶(1400×1050)は最高です。ここまで精細だとEXCELのワークシートの位置を替えずに作業できます。今まで二度、Webからのカスタム注文で申し込み寸前までいきました。店頭でも買おうか買うまいか、ぐずぐずと立ちつくしていました。店員さんにしてみれば、目障りな鬱陶しい客だったしょう。この液晶は素晴らしいのですが、同社の15インチのものに比して、視野角が若干狭く感じられました。とはいえ、他社のものに比べれば充分綺麗なものです。15インチのものより劣ることを理由に、買わない自分を慰めました。後ろ向きな合理化規制ですね。自分の貧乏性が情けない。

 まあ、来年のWindowsXP 64Bit-Editionを待ってAthlon64を買います。DOS/V Magazine(今月号)で、デュアルOptelonにWindowsXP 64Bit-Editionβ版をインストールしてのベンチが載っていました。そのパフォーマンスは圧倒的です。興味のある方は本屋へGO。来年以降のCGスタジオは、Athlon64に移行していきそうな予感がします。


 フセインが拘束されました。狭い穴倉に現金と一緒に隠れていた点は、麻原彰晃とまんま同じです。毒ガスを使った点も同じですね。麻原氏のときにも思ったのですが、彼らには“汗青を照らさん”※注の意気が皆無です。悪事といえど、男子が選んだ道ならば、やり通して欲しいものです。
 ヒトラーのように自殺するのも碌なものでないにしろ、穴に隠れるよりはましです。カダフィにしろ、居所を夜間精密爆撃を受けるや、以後は鳴りを潜めました。フセインにも、親衛隊を率いて最後の突撃をやって欲しかったです。
 善悪はともかく、それであれば殉教者として青史に名を残せたでしょう。戦乱を生きる武人は、風雲に乗って運上人の地位を得られます。しかし、これは地獄と裏表の選択です。敗れれば、首を切られたり、縛り首に処せられたりが倣いです。その覚悟あっての梟雄の人生です。それを覚悟もなしに、銃列の後ろで命ずる権利だけを手にしようとするあさましさは、梟雄とさえ称ぶ価値もありません。

 フセインはまだしも、ブッシュに至っては命の心配は皆無です。法的手続き(国内法)を経さえしていれば、譬えイラク人を数万人殺しても罪は一切問われません。ブッシュを裁くには、アメリカを無条件降伏に追い込まない限り不可能です。もし、降伏させることができれば、かつて日独が裁かれたように“平和に対する罪”でブッシュを絞首刑にできます。でも、それはあり得ないことですしねえ。

 ※注: “汗青を照らさん”
 文天祥の「零丁洋を過ぐるの詩」の末節より

   人生、古より誰か死なからん
   丹心を留取して、汗青を照らさん

 赤心を尽くして、青史に評価を問わん、ほどの意です。この文天祥の生き様は、不滅と言うべき男子の志のお手本です。興味のある方は、南宋末史を調べてください。今はWebのおかげで簡単に識ることができますから。ついでに、文天祥が元に囚われ、帰順を拒み続け、処刑前の獄中で書いた不朽の傑作「正氣の歌」を掲げます。フセインやブッシュにも爪の垢を煎じて飲ませたいものです。

  正 氣 歌
       文 天祥

天地に正氣有り
雜然として流形を賦さる
下は則ち河嶽と爲り
上は則ち日星と爲る
人に於いては浩然と曰い
沛れ乎れ 蒼冥に塞つ
皇路 Cく夷まれるに當りては
和を含みて明庭に吐く
時窮まれば 節乃ち見われ
一一丹青に垂る

齊に在りては太史の簡
晉に在りては董狐の筆
秦に在りては張良の椎
漢に在りては蘇武の節
嚴將軍の頭と爲り
けい(稽)侍中の血と爲る
張雎陽の齒と爲り
顏常山の舌と爲る

或は遼東の帽と爲り
Cき操は冰雪より獅オ
或は出師の表と爲り
鬼~も壯烈に泣く
或は渡江の楫と爲り
慷概 胡羯を呑む
或は撃賊の笏と爲り
逆豎の頭 破れ裂かる

是の氣の磅はく(薄)する所
凛烈として萬古に存す
其の日月を貫くに當りては
生死も安んぞ論ずるに足らん
地の維 よ(頼)って以て立ち
天の柱 よ(頼)って以て尊し
三綱 實に命を繋け
道義 之が根と爲る

嗟予 陽九に遘い
隷なり 實に力あらず
楚囚 其の冠を纓び
傅車 窮北に送らる
鼎かく(釜) 甘きこと飴の如し
之を求むるも得べからず

陰き房に鬼火は闃かに
春の院は天をとざ(閉)してKし
牛と驥は一つのおけ(桶)を同にし
鷄の棲かに鳳凰の食む
一朝霧と露を蒙さるれば
分んじて溝中の瘠と作らん
此の如くして再び寒と暑なるに
百のれい(霊−転じて病のこと)自ら闢易す

嗟哉 沮洳の場
我が安樂の國と爲る
豈に他に繆なる巧有らんや
陰陽も賊う能わず
顧うに此れ耿耿在り
仰ぎて浮雲の白きを視る

悠悠として我が心は悲しきも
蒼天曷ぞ極まり有らん
哲人は日に已に遠きも
典型は夙昔に在り
風檐に書を展げて讀めば
古の道は顏色を照らす

あ〜しんど。残念なことにMSゴシックに異体字が含まれていなかったり、そもそも文字コードに含まれていない漢字がありました。(□)がそれです。意味の近い文字を充てています。Macで表示された方は、それ以外にもかなり文字化けしていることでしょう。ご勘弁を。
目次へ




百拾壱 ラウド・スピーカー(2003/12/14)
 ネルソン・デミルの新作に脱力していたところ、ジェフリー・アーチャーの新作「運命の息子」が出版されました。アーチャーは今年の7月に仮出所しました。収監中に「獄中記 地獄篇」を書き、先日翻訳出版されました。この「運命の息子」も収監中に書いたのでしょう。文庫の Copyright(C) は2002年になっています。まったく只では転ばない男です。

 本作はアーチャー得意のサーガ(一代記もの)です。出生にまつわる変転から「ケインとアベル」に近く、政治家を志すライバルとの闘いは「めざせダウニング街10番地」を髣髴させ、アメリカの政治を舞台にしている点では「ロフノフスキ家の娘」風です。これで面白くないはずがありません。おかげで先週は、昼間の仕事が眠くて辛かったです。惜しむらくはストリー・テリングに偏りすぎていて、状況描写を徹底的に端折っていることです。もともとアーチャーの手法は、ストーリー展開優先なのですが、本作は少々やり過ぎです。せっかくの劇的なストーリにかかわらず、味わい不足の恨みが残ります。もうちょい書き込んでくれたら、傑作に挙げられたのにねえ。


 「エノラ・ゲイ」復元機、原爆被害に触れず公開へ(YOMIURI ON LINE)
 別にスミソニアンに抗議するのは自由ではありましょうが。以前、これと逆の騒動がありました。スミソニアンが原爆展を企画したところ、退役軍人や議員から抗議を受けて中止したことがありました。どっちもどっちでしょう。いろいろな主張があるのは当然です。それを自身の意に染まない、主義にそぐわないからと圧殺してしまう人々が存在します。そういう人々をなんと呼ぶべきか。さしずめ“サイレント・マジョリティ”の反意でしょう。“フロント・ランナー”という用語がそれかも、いえ少し違うかな。個人的には“ラウド・スピーカー”がぴったりじゃないかと思います。
 航空宇宙博物館の飛行機展示に対し、歴史背景にまで及ぶ展示を求めるのは酷です。いえ、有意なことと評価する向きもありましょう。しかし、それを言い出したらきりのない話が次々に湧き出して収束できません。今回の件を例にとると、エノラ・ゲイ→原爆→広島、長崎の惨禍の線だけでなく、エノラ・ゲイ→B29→戦略爆撃(日本空襲)→日米戦争→リーメンバー・パールハーバー→対日禁輸→インドシナ進駐→対中援助(援蒋ルート)→日中戦争→満州建国‥‥どこまで触れればいいのか。両論併記と言っても、単純に片づく問題じゃありません。あるいは北海道開拓史を辿る観光資源であれば、常にアイヌ迫害を併記しなければいけません。こういうのはひとつの見識ではありましょうが、それこそサイレント・マジョリティの支持するところではないでしょう。


 かと思えば、「恋人を奪わないで(asahi.com)」なんかは勘弁してください、です。自衛隊派遣反対の意見表明は結構、署名活動も自由です。でもねえ、その理由が「恋人を奪わないで」はないでしょうが。記事中に「『隊員を辞めたら』とも言われ、ショックだった。」とありますが、この反応は当たり前の話です。例えば、「私の彼は営業の仕事でいつも車を運転しています。交通事故で死にはしないか心配で夜も眠れません。どうか彼を内勤の仕事に替えるために署名に協力してください」と呼びかけたなら、間違いなく「じゃあ、その仕事を辞めたら」との反応でしょう。この彼女には、生き様としての美意識が欠如しています。派遣反対を唱えるなら、「兵士を派遣するのでなく、中東が必要としているインフラ整備要員を送るべきだ」とか「自衛隊が紛争地域で機能できるように、整備してから派遣するべきだ」とかの眼を見開いてのアピールをすべきです。個人的都合を声高に訴求する厚顔には、読んでるこちらが恥ずかしくなります。


 かと思えば、MSはスワスティカ(ハーケンクロイツに転用の逆卍)をユダヤ団体に配慮して外字から削除するそうです。いいかげんにして欲しいです。力をもった団体ばかりが我がままを通しています。もし、ユダヤ団体がこのような行為に正当性があると考えるなら、ヘキサグラム(△と▽を重ね合わせた正六角形)を公的な場面から排除するよう勧告されても甘受していただきたいものです。ヘキサグラムはイスラエルの国旗に採用されています。所謂ダビテの星です。イスラエル国旗のもと、パレスチナの民は数十年に及ぶ迫害を受け続けています。まったく同じ構図です。ユダヤ団体がこれを認められないのなら、「己の欲せざるところを人に施すことなかれ」です。


 今、サイレント・マジョリティの存在と意見をいかに汲み上げるかが行政の課題になっています。私も仕事の上で、自分の都合を声高にまくし立てる輩にはうんざりさせられています。どなたか、上に書いたようなラウド・スピーカーのケーブルを抜いてくれないかなあ。
目次へ




百拾  自己責任(2003/12/7)
 私の勤務する職場に好漢と呼ぶに相応しい新人がいます。実に素直な男です。まあ、新人が素直でなけりゃ救いがありませんけど。その新人T君がつまんない電話勧誘に引っかかりました。先週の月曜のこと、残業中の雑談で、電話勧誘が話題になっていました。なにやらT君が乗り気になっている模様でした。どうにも様子が怪しいので、皆で追求すると白状しました。
  • 知らない相手から携帯に電話がかかってきたこと。←電話番号をどこで知ったか確認しろよ。
  • 相手はNPO法人を名乗り、その組織の○○県支部と名乗ったこと。しかし、相手の連絡先は東京。←怪しさに気づけよ。
  • 「○○県で今回選ばれた50人に限り、特典が用意されている」と話を持ちかけられたこと。←典型的なパターン、気づけよ。
  • コンピュータ関連資格取得の案内。Web利用の講座勧誘。←聞いたこともない資格名。
  • 80数万円の講座。で、今回50人に限って特典として、1級資格取得に成功すれば、50万円がバックされるとのこと。←ってことは、絶対に1級は合格しない仕組みになっているはず。
 ね、もう怪しさ満点でしょう。というか、どうみても価値のないものに大金を払おうとしているわけです。さらに追求すると、2日前に電話で入会依頼をしたとのこと。さあ大変です。
 「すぐに断りを入れろ」
 「相手が言を左右にするなら、クーリングオフを明言して拒否しろ」
 「揉めるようであれば、消費者相談室に申し出て、指示に従うんだ」
 散々諭して電話させました。相手は明らかに電話取次ぎサービスを利用していました。今まで何度も電話しながら気づかなかったのかよ、皆で責めました。さすがに相手は、せっかくの飯の種を逃がしてなるものかと粘っていました。途中で上司に替わるからと、さらに転送していました。この上司(実態は仲間と言うべきでしょう)がまた粘りました。まあ、新人君もさすがに怪しさを実感し始めていただけにきっぱり断りつづけました。←よしよし、偉いぞ。
 ずいぶんいろいろ言われたみたいです。
 「一体君は歳はいくつなんだ。周りから言われたからといって、自分で判断できないのか」
 「それで君は社会人としてやっていけるのか」
 などと罵倒されたのでしょう。この彼がまた生真面目というか、泥にまみれるのに慣れてないというか、いちいち反発していました。こういうときは甘んじて受ければいいのに。まあ、いい経験になったことでしょう。多分、今後二度とT君が勧誘に引っかかることはないでしょう。
 ところでT君の言で、一点気になることがありました。
 「こんな詐欺が、まかり通っていいんでしょうか」
 これは彼の勘違いです。今回のケースは詐欺ではありません。相手は、金額、資格内容、講座内容を明言しています。どこにも問題はありません。そもそもT君はすべて納得ずくで口頭契約に及んだのですから。自分が納得して契約したなら、そこには明確に責任が生じます。自己責任を認識することは大切です。


 で、この自己責任の希薄さを日々仕事のなかで経験しています。つい先日のこと、来年に実施予定していたIT訓練コースを中止しました。理由は諸般の都合によりとしていますが、早い話が金銭的な理由です。あるご婦人は、中止説明を聞いて「じゃあ、私は一体どうすればいいのですか」と曰いました。「申し訳ないのですが、当方では如何ともし難いので、他所の講習を当たって下さい」と返答しました。この「私はどうすればいいのですか」という台詞が、一体どこから出てくるのか不思議です。私にはこういう感覚が理解できません。パソコン講習を受けるかどうか、どういった講習を受けるかは本人の責任において考えることです。最近のガキがどうとかでなく、大人自身がこのレベルです。


 また最近のこと、ある専門学校に委託している訓練でトラブルがありました。ある生徒が駐車場の段差に躓いて怪我をしました。腕の筋の断裂で入院しました。長期治療が必要で、通常であれば退校するケースです。ところがこの方は辞めたくないとのことで、治療を受けずに病院から通学を続けました。見上げたものですが、問題はその選択を自己の責任において為したという自覚がないことです。
 「段差のせいで怪我を負ったのだから、責任は学校にある」
 「病院からタクシーで通学しており、タクシー代や入院費が馬鹿にならない。どうにかして欲しい」
 「責任が学校にある以上、まともな治療を受けられないことについて、なんらかの配慮をして欲しい」
 いかがでしょうか。自己責任というものが抜け落ちているでしょう。気の毒な話ですが、治療に専念するか学業を優先するかは本人の選択です。それぞれの選択に伴う不利益は、自分で負うしかありません。怪我に対する治療費や損害賠償に備え、災害保険への加入を奨めています。残念なことに、この方は未加入でした。
 段差に対する施設管理上の瑕疵は難しい問題です。私は法律の専門家でないので判断はできません。ただ、高低差があれば段差は必ず生じます。この専門学校の施設は、福祉関係のコースがあるだけにスロープを設けています。しかし、例えスロープであろうとも高低差があれば、段差は必ず存在します。そこまでの瑕疵は問われないと思うのですが。専門家の方で、こういった法的判断に詳しい方は知恵を貸してください。


 当方の施設は、技能習得を目指すものです。機械関係、電気関係、建築関係などの技能分野を網羅しています。そのため生徒の怪我が多いです。それ以外にも通学途上での事故や日常生活での怪我なども絶えません。この夏にも、ある生徒が階段を踏み外して半年近い治療を必要としました。当然、この生徒は退校しました。気の毒ではありますがやむを得ないのです。私の受け持ちでも、ソフト大会でのクロスプレーで鎖骨骨折で辞めた生徒がいました。補習など、できうる対応はしますがそれも限界があります。一方で上に書いたように、自己責任を認められない人間もいます。こういった風潮もまた世の移り変わりなのでしょう。
目次へ




百九  社会人学生(2003/11/30)
 少し前に誉めまくったネルソン・デミルの新作「アップ・カントリー」は駄作でした。無駄に長いだけで、紙と読書時間の浪費でした。中心に据えられた過去の謎はありきたりで、なんのひねりもない予想通りの内容でした。そこに至るプロセスというのは、だらだらと時系列に沿った展開です。主人公がかつて従軍したベトナム戦争を回想する観光小説です。デミルもヤキがまわったものです。


 IDGジャパンが刊行している「Windows Server World」に連載されている「システム管理者の眠れない夜」は人気のコラムです。「Windows NT World」から連載が始まり、「Windows2000 World」を経て今に至っています。筆者の柳原秀基氏の見識とか構成力には、毎回堪能させて頂いています。先日、1月号が発売されたので、さっそく本屋で立ち読みしました。←ごめんなさい柳原さん。単行本になったら買いますから。すでに出版されている単行本は買っていますよ。
 柳原さんは会社を辞めて、今年度から大学院に通っています。そこで見聞した現役学生のあれやこれやを、社会人学生と比べて紹介しています。この件について、私もまったく同じ体験があり、うんうんと頷かされました。


 今から12年前のことでした。ある資格取得のため、某大学の短期課程(半年)に入学しました。長期課程が4年制の一般コースです。科目によっては、一般学生と一緒に受講しました。短期課程の学生は、20代半ばから40代後半までの多様な方々でした。それぞれの専門以外の新しい分野に取組むための、資格取得を目的とした研修です。各人の専門分野も多様で、それぞれが経験した興味深い話をたっぷり聞かせてくれました。半年間、全寮制で缶詰状態の生活でした。毎夜、談話室に集まっては酒宴を開きました。翌朝には、談話室の前に空き瓶がゴロゴロしていました。面白いことに新しい分野への参入といいながら、他の者がその分野の専門であったりで、互いにフォローできました。ですから、毎夜の酒盛りが勉強の場でもあったわけです。
 で、一般学生と一緒に講義や演習課目を受講して、「こいつら、箸にも棒にもかからないなあ」と全員が共通の感想をもちました。我々社会人チームは、それぞれが異なった資格取得を目指していたため、いろんな講義に顔を出していました。で、それぞれが報告しあったのですが、いずこも似たような状況でした。

 器具現物の寸法を測り、図面に起こす実技科目でのこと−社会人同僚から聞いた話
 先生が課題説明を終えて退出した途端、一般学生は帰り支度を始めました。社会人が「実測しないの」と訊ねると、「先輩の図面をコピーして提出するからいい」との返事だったそうです。

 私が受講したプロダクト・デザインの演習科目でのこと
 最終作品完成に向け、毎回ステップアップしていきます。社会人チームはモノにしようと貪欲に取り組み、寮でも反復練習や復習を行いました。おかげでレンダリング・テクニックを着実にクリアしました。課題群も毎回必ず提出します。一般学生はというと、適当な取り組みで、課題も毎回未提出でした。途中からは、講師のデザイナーも一般学生を相手にしなくなりました。最終作品も未提出でした。だからといって“不可”にするわけにもいかず、お情けで“可”を出したみたいです。
 ちなみに私は、講義修了後に講師デザイナーのオフィスを訪問し、おまけの勉強までさせて頂きました。感謝。この講師は個人デザイナーであり、通産省グッドデザインも受賞している方です。

 消防法(危険物取扱い)の講義では、最終的に問題集への解答で単位交付となりました。で、案の定、一般学生は問題を解いてきませんでした。つまり勉強をしなかったということです。こんなじゃ自分に身につくものがないから、受講の意味がないのにねえ。

 安全工学の講義でも、一般学生はやる気が無く、教室の後ろの方で適当にやっていました。社会人チームは聞き逃すと損だとばかり、前に陣取って勉強しました。単位はレポートで交付されましたが、一般学生のレポートはショボイものでした。

 社会人にとって勉強の場を与えてくれるというのは、有難くて拝みたくなるような話です。逆に一般学生にとっては、やりたくもないことをやらされるという意識なのでしょう。きっと彼らも社会人になってから大学生活を送れば、学べることの有難さが理解できるのでしょうね。
目次へ




百八  東洋の誉れ(2003/11/23)
 スポーツにおいて、アジアの人間が世界のトップ(それもスーパー・スター)を打ち負かすというのは滅多にない話です。逆に、東洋発のジャンルでも同様のことがいえます。例えば、柔道の山下氏を打ち負かす選手は現れませんでした。もしも、山下氏全盛時に、他国の選手が勝てば、その選手は国家レベルで祝福されたことでしょう。
 東洋の選手でそれほどの偉業を成し遂げたケースといえば、思いつくところでは野茂選手がロッキーズ相手にノーヒット・ノーランを成就したくらいかなあ。他に思い浮かびません。


 で、先週のこと、ボクシングにおいて全世界が瞠目する出来事が起こりました。ボクシングに興味のない一般の方は、「えっ、そんな凄いことがあったの?」ってなもんでしょう。
 テキサス州サンアントニオにおいて、マルコ・アントニオ・バレラvsマニー・パッキャオ(ノンタイトル戦)が行われました。マニー・パッキャオはフィリピンの選手です。IBFジュニア・フェザー級王者であり、クラスNO.1の強打を誇るサウスポーです。パッキャオはアメリカ進出を果たしており、ビッグマッチに恵まれました。対戦相手のマルコ・アントニオ・バレラは、中軽量級の顔といっていいスーパー・スターです。ファイト・マネーはパッキャオが35万ドル、バレラが75万ドルです。ギャラからも判るように、バレラが数段格上なのです。パッキャオの強打がバレラを粉砕する可能性はあったものの、バレラ優位が大方の予想でした。
 試合内容は意外なものでした。パッキャオが常にバレラを圧倒し、鮮やかなダウンを奪ってのTKO勝ちでした。世界のスーパー・スターを完膚なきまで叩きのめしての勝利です。今やフィリピンの英雄であり、東洋の誉れでさえあります。パッキャオが成し遂げたことの素晴らしさを理解するため、話をヤンキースの松井に擬えます。ワールドシリーズ第6戦での松井は精彩を欠きました。マーリンズのベケット投手は絶好調で完封勝利を得ました。松井自身は4打数無安打でした。例えて言うと、松井がこのベケットから4打数4安打2ホーマー3打点でヤンキースに勝利をもたらすくらい凄いことなのです。こんな活躍をすれば、日本中が沸騰することでしょう。パッキャオのやったことがそれなのです。


 今日のボクシング界において、東洋の位置は極めて低い状況です。世界レベルで語られる東洋の王者は、ウィラポン・ナコルワンプロモーションとパッキャオの二人だけでしょう。そのパッキャオは、今後世界的スーパースターの仲間入りを果たす可能性があります。ビッグマッチもいろいろ取り沙汰されています。あくまで可能性ですが、WBCスーパー・バンタム級王者オスカー・ラリオス、WBCフェザー級名誉王者エリック・モラレス、さらにバレラとの再戦が浮上しています。一度、ビッグネームを手にすると、さらなるビッグチャンスが巡ってきます。そのチャンスをものすることによって、さらにグレードを高められます。
 ボクシングの本場はアメリカです。そのリング上で演じられるスーパーマッチに東洋の選手は無縁でした。その淋しい状況にパッキャオは見事に風穴を空けてくれました。応援してるぜ、マニー。
目次へ




百七  秋深し、日本の闇もまた深し(2003/11/16)
 秋も深まり、樹木も色づきました。私の好きなミステリ日和なのに、出版界は期待に応えてくれません。今年に入ってから、傑作と呼べるような作品に出会えていません。九拾九  夏枯れ でも触れましたが、今年のミステリは不作です。
 諦めていたところ、凄い新作が出ました。昨日、新刊売り場に陳列されていたネルソン・デミルの「アップ・カントリー」です。即行で買いました。文庫のくせに、上下巻で2,409円也でした。最近は文庫まで高くなっています。以前であれば、この価格はハードカバーのそれです。まあ、金のことはどうでもいいです。面白ければ何も文句はありません。読み始めたところですが、「誓約」を髣髴させます。さらに嬉しいことに「将軍の娘」の続編でもあります。まだ読書途中ながら、今年度のベスト・ワンに挙げます。
 今年の「このミス」のランキングが楽しみです。おっと、「このミス」のアンケート対象作品は、11月から翌年10月までだから、来年のランキングになっちゃうな。


 先日、道路公団総裁に参議院議員(自民)の近藤剛氏が内定しました。なんだか最悪のシナリオになりました。政界事情には疎いのですが、どうみても青木幹雄氏の息がかかっているとしか思えません。こうやって政治家は、傀儡を使って公団組織を操るのでしょうね。これほどあからさまな手法を見せつけられても、今の日本人には打つ手がありません。どうにもやりきれない閉塞感に包まれます。前総裁の藤井氏は、政治家の介入を排除すべしと訴えています。また、行政の中立を護るべしとも述べています。これらは正論でしょう。でもねえ、長々とごねても説得力がありません。だってさあ、道路関係四公団民営化推進委員会での氏のばっくれぶりやとぼけぶりを散々見せられていますからねえ。風邪気味だからと5分間で逃げ出しておきながら、自分の身分保証に関わる話には8時間も粘り、それでも納得できないと自ら語ること語ること。その他者に説明を求める姿勢を、自分に対しても適用しろよな、と突っ込んだ方は多いことでしょう。もし、藤井氏が民営化推進委員会に対して誠実に対応していれば、今回の解任時での氏の正論に対して世間も同調したり、同情も得られたでしょうに。

 民営化推進委員会が取組んでいる合理化案に、一定の成果は上がるでしょう。でも、道路建設の歯止めは利かないんじゃないかなあ。どうみても近藤新総裁は、青木氏の走狗にしか見えませんから。


 自衛隊派遣は実施されそうです。ただ、官邸サイドは年内派遣を希望していたものの、南部でのテロ発生で延期の模様です。日本の派遣問題は世界の耳目を集めていました。延期の決定(調査団を派遣するということは、来年にずれ込むということ)は、各国で大きく取り扱われました。軍隊を派遣している国々は、いずれも国民に対して苦しい言い訳をしている状況です。そんななか、日本の延期決定は大きなダメージを与えた可能性があります。でも、これでいいと思います。国際貢献の径は軍事面だけではないし、資金提供は重要な価値をもっていますし。

 そりゃあ、軍隊を派遣することによって得られる国際間の仲間意識の共有は大切なことだと思います。本音ではそうあるべきとも考えています。でもねえ、釈然としません。

 ついつい、大正のシベリア出兵とイメージが重なります。あのときも、日本は参加したくなかったのです。それを国際協調の観点から陸軍を派兵しました。まったく意味のない派遣でした。歴史の評価としては、やるべきでなかったと判断されています。じゃあ、話としては同じでしょう。シベリア出兵を反省するなら、イラク出兵も止めるべきです。シベリアは駄目で、イラクは可という方には、ぜひとも説明して欲しいです。
目次へ




百六  “オレオレ詐欺”みたい(2003/11/9)
 職場で利用しているプロバイダは、当地のローカル・プロバイダの草分けです。高い、遅い、サービスが限定的などのショボイ業者です。変更したい希望はあるものの、メールアドレスの変更を考えると億劫です。みんな不満を言いながらも我慢しています。
 先日、プロバイダから「ホームページのサービス容量50MBを超えたので、超過料金を払って欲しい」とのメールが届きました。まさか50MBを超える筈はないと思いながらも、画像情報や動画情報をどっさりアップしている同僚がいることもあって、容量追加サービス料を支払うことになりました。ただ、念のためにと調べてみると20数MBでした。ついでに不要ファイルの大掃除を行ったところ、14MB程度に収まりました。さっそくプロバイダに電話し、50MBオーバーなんて事実はないと指摘しました。すると、むにゃむにゃと訳の判らない言い訳をして、先日のメールを無視してくれと頼まれました。結局謝罪はなしでした。若い担当者だったけど、これが今風なのでしょうか。プロバイダからの通知をそのまま信じる方なら、無駄な追加料金を支払う仕儀になりますね。これじゃ、まるで“オレオレ詐欺”と同じです。きっと、単純ミスで、担当者に悪気はなかったのでしょう。ヒューマン・エラーは起こるものです。私だってミスばっかりしています。でもねえ、こういう他者に請求する類でのミスはあってはならないことです。信用に関わりますから。せめて、再確認すればいいのに。

 先週のこと、「THE MATRIX REVOLUTIONS」放映を前にして、「THE MATRIX RELOADED」のレンタルDVDを借りました。今頃の鑑賞では笑われちゃいますね。わざわざ映画館に足を運ぶまでの興味がなかったためです。私のこの作品に対する最大の関心は、ボクシングL.ヘビー級王者(撮影当時)のロイ・ジョーンズが出演していることです。ロイといえば、重量級屈指のスピード・スターです。キアヌ・リーブスの速回しアクションに対して、生の動きで充分対応できます。そのロイが出演してるのだから、きっと凄い見せ場があるだろうと期待して観ました。で、なんじゃこりゃ、でした。ロイはノー・アクション、出演は3シーンのみです。一体、ロイが出演する意味があるのでしょうかねえ。期待が大きかっただけに失望も大きかったです。
 マトリックスのカンフー・アクションは、重量感や強打感のない空打撃です。そのわりに、空中にはね跳ばされたり、壁まで吹っ飛んだりの矛盾シーン満載です。そこでロイ登場となれば、あのエネルギッシュなフックによって、説得力満点の映像が制作できたはずです。
(C) Warner Bros
 上の人物がロイ・ジョーンズです。ボクシング・ファン以外にはどうでもいいことでしょう。この撮影の後、ヘビー級王者になりました。もともとミドル級の選手でありながらのヘビー級戴冠は驚異的偉業です。で、今日のこと、再びL.ヘビーに落としてのタイトルマッチが予定されています。この男、一体何を考えているのかさっぱり見当もつきません。そんなに対戦相手がいないというなら、レノックス・ルイスかウラジミール・クリチコとやれよな。やらないなら、黙れ。
目次へ




百五  選良(2003/11/2)
 衆院選真っ最中です。当地は田舎とあって平和なものです。小選挙区制実施以来、立候補者が少なくなったこともあり、国政選挙との距離が遠くなりました。以前であれば、某自民党国会議員が私の住む自治会にも顔を出していました。自治会主宰の花見にもときおり挨拶に来ていました。国会議員って大変だと思います。選挙区の涵養のため、土日は田舎に帰ってきます。自宅に帰る間もなく挨拶回りです。花見の時期など、土曜の夕刻に帰り着くや、5〜6ヶ所の花見に参加するそうです。そのすべてで、返杯のやり取りにつき合わなければなりません。返杯を断るなんてことは、絶対にやってはいけないことです。しかも、世話役や顔役の名前を記憶していて、きちんと名前を呼んであげる必要があります。多分、移動の車中で予習をするのでしょうね。まったく気の休まる暇もありません。日曜もあちこちを回り、夕刻に東京へ飛びます。まあ、凡人には務まりませんわな。

 酒を酌み交わしながら、国政のあれやこれやを語ります。参加者は、議員さんに意見を述べたり、注文をつけたりで、自身も国政に参加している気分を味わえます。議員さんもそのあたりを心得ていて、実に上手くくすぐります。私なんかは横で聞いていて馬鹿くさくなりますけど。でもお年寄りの方々は大満足しています。ここまでやれば、票は固いものです。自民党が強いのにも、このように確たる理由があるわけです。その点、労組支援の議員さんは力不足です。支援労組員に対してはそれなりに対応しますが、上に書いた自民党の議員さんみたく田舎の生活の場にまでは入り込みません。入歯の爺さんの舐めた汚い杯を突きつけられ、笑顔で返杯を受けるなんて芸当ができないうちは自民党の天下でしょう。例えば、社民党の土井さんが田舎の寄合いの忘年会をはしごして、酌をして廻り、お愛想を言ってる図なんて想像できません。

 ところで誤解しないでください。当地の人間は政治家にモラルを求めています。田中真紀子さんが新潟5区で圧倒的に強いなんてえのは、当地ではありえません。正義感と言うより、悪く言えば偏狭ということでしょうか。新潟の方は、よく言えば大らかなのでしょう。事情はどうあれ、選挙で選ばれたのなら、文句を言う筋合いはないでしょう。でもねえ、比例代表制は異議ありです。名簿に記載されているにしろ、特定の人物を選べるわけじゃないですから。これでは選良に相応しい資格はないでしょう。


 今、企業経営は厳しい状況であり、行政組織もまた厳しい見直しを迫られています。これは当然のことでしょう。で、それを追求する肝心の議員さんはといえば、相も変わらず既得権益を守り、一切の見直しをしません。判りやすい例をあげると、田中康夫長野県知事は県政の見直しをアピールしています。長野県も難しい問題をたくさん抱えていて、職員は大変でしょう。ところが、それを言ってる県知事が一番でたらめをやっています。作家の大石英司さんは、昔から田中氏をウォッチングしています。少し真面目に仕事をしろよと言いたくなります。


 国政のリストラということであれば、比例代表の議員をすっぱり頸にすればいいんじゃないかな。議員連中は酷だと言うだろうけど、彼らが他者に対して求めているのがまさにそういうことなのですから。
目次へ




百四  起動ディスク(2003/10/26)
 前回、中国に対するODAについていちゃもんをつけましたが、どうもピント外れみたいです。今のODAは少額で、しかも使用目的を確定しての融資とのことです。きちんと調べずに書くのはあきまへん。反省します。

 職場の古いパソコンを処分しました。これがPCだと、古い機種は無用の長物です。今さら486時代のPCの再利用を試みる方はいないでしょう。486といえば、まずDOSかWin3.1をインストールしているでしょう。こんなのをタダで貰ってもゴミでしかありません。ところがMacだと事情が違います。68040Macは、漢字Talk7.Xとセットです。これだと、それなりに使えます。速度はともかくインターフェースや使い勝手に不満はありません。ましてPower PC601と603eはソフトのバージョンさえ欲張らなければ不満は見当たらないでしょう(細かい突っ込みは別にしてですが)。廃棄手続きが済めば捨てる予定ですが、なんとも惜しいものです。
 ついでに旧Mac用の付属品あれこれも処分します。FDも取捨選択しました。そのなかには、まったく不要でありながら、捨て難いものもありました。迷った挙句、二度と使うことはないので処分しました。その最たるものは漢字Talk7.x用カスタム起動ディスクです。いえ、付属のオリジナル・ディスクではなく、手製のカスタム・ディスクです。かつてのMacは、何かと不調というか、機嫌が悪くなるというか、原因不明の症状が多かったものです。立ち上がらなくなったり、ドライブ類をマウントしなくなったり、機能拡張に変更を加えてもいないのに突然文字化けしたりのトラブルが多かったものです。そこで、私はオリジナルの起動ディスクに「Norton Disk Dctor」「Norton Speed Disk」「Silver Lining」を加えました。Macユーザに説明は不要でしょうが、これらのソフトは以下の内容です。
 「Norton DiskDctor」‥‥Windowsの「Scandisk」相当
 「Norton SpeedDisk」‥‥Windowsの「Defrag」相当
 「SilverLining」‥‥昔のMacはSCSIインターフェースであり、これは強力なSCSIツール
 まずオリジナルをコピーし、次いでこの3つのファイルをコピーする空きをつくります。Macが起動可能で、必要最低限のファイルだけを残します。ある程度は鼻歌交じりでいけますが、やがてファイルをひとつひとつ削除しては再起動しての動作確認が必要になります。意外なものが必須であったり、あるいは無用であったりで、いい勉強になりました。
 自信を深めた私はPower Mac用にも同様の起動ディスクを作成しました。出入りの業者から、Power PCはRISCなのでプログラムサイズがでかくて無理だと言われました。そうかもしれないけど、一応やるだけはやってみようとチャレンジしました。ずい分昔のことなのでうろ覚えですが、単体で購入していた漢字Talk7.5に添付されていた起動FDを元に作成したと記憶しています。この作業には半日かかりました。なかなか空き容量が増えず、大半のファイルを削除したり戻したりと試行錯誤しました。こんなに苦心して作った起動ディスクなのに、利用したのはほんの数度です。CD-ROMがマウントされない症状以外に出番はありません。ですからCD-ROMが読めなかったとき、逆に喜んだりしちゃいました。きっと、端から見たら変態にしか見えなかったでしょうね。
 このディスク、捨てようか捨てまいか迷いました。最後には、自分の貧乏性が疎ましくなってすっぱり処分しました。いやあ、すっきりです。
目次へ




百参  東アジアの脅威(2003/10/19)
 先日、中国が米ソ(ロシアと言うべきか)に次ぐ有人ロケット飛行に成功しました。すでに中国は衛星ビジネスを成功させていますが、このニュースは軍事面での脅威も併せもっています。


 日本のニュース・メディアは昔から中国に対して好意的、悪く言えば遠慮がちな報道を垂れ流してきました。中国は文革期より、自国に対する批判的な報道に対して、支社追放の手段で封殺してきました。これに唯々諾々と従ったマスコミ各社も情けないものです。尤も、もし自分が担当者だったらと考えると、やはり偉そうなことは言えませんけど。職のために、本社と北京当局の意向に従ったことでしょう。

 大多数の日本人はご存知ないでしょうが、尖閣諸島をめぐって中国は信じ難い暴挙を為しています。日中国交回復後、日本政府は外交だけでなくあらゆる面で中国に屈し、片務的な実務協定を結んできました。日中航空協定しかり、教科書問題しかり、台湾問題しかり、宝山プロジェクトしかりです。その流れとして、尖閣諸島の領有権問題が浮上した時期のことです。沖縄の漁民は中国の武装漁船に排除され、日本政府はひたすら弱腰の対応をしていました。そんななか、「日本青年社」の大学生有志らは派遣隊として上陸生活を送っていました。そのとき中国武装漁船から銃撃を受けたことがありました。この重大事件を日本の新聞はまったく記事にしませんでした。しないどころか「右翼が尖閣諸島の魚釣島を占拠」と書いたくらいです。初耳の方には信じ難いことでしょう。

 何故かマスコミは、中国の東アジアでの脅威に触れずにきました。最近でこそ、それなりに書いていますが。日本との間の尖閣諸島と同様の問題は、フィリピンやベトナムもまた抱えています。南沙群島(フィリピン)や西沙群島(ベトナム)の支配権は完全に奪われています。かつて鈴木善幸首相がシーレーン防衛を謳ったとき、中国は「日本の再びの軍事大国化」と非難しました。マスコミはこれに歩調を合わせるように、かつて侵略したアジアに対する再脅威であると壟断しました。ところが実態は全然違っていました。アジア各国は、日本が東アジアに対するプレゼンスを増すことを大歓迎していました。中国の脅威に晒され、領有権問題のような現実の被害を被っていたからです。チベット侵略や新疆ウイグル自治区の分離独立運動に対する弾圧などは現在進行形ですしね。


 一方で中国の帝国主義的脅威に対して、楽観的見通しを述べる向きもあります。近代化の成功によって、より成熟した社会が形成されるだろうとの期待です。この点に関して、是非二つの予想が為されています。
 中国政府は昨年の経済成長率を8%としています。実態は、外国からの500億ドルの投資によって10%を超えているとする見方もあります。日本企業も大陸市場と安価な労働力を求めて陸続と参入していますしね。

 一方で、それを上回る悲観的数字も存在しています。上海に代表される沿岸部と内陸部のGDP格差は13倍の凄まじさです。さらに問題なのは、都市失業率が7%を超えていることです。都市部でこれですから、農村部は如何ほどか。一説には、農村部の余剰労働力は1億5千万人から2億人と推定されています。さらにWTO加盟によって、国内弱小事業者は次々に倒産を続けるでしょう。さらにさらに、2008年の北京オリンピック後の不透明感は不気味でさえあります。そしてさらに、元切り上げの圧力は避けようがなく、これによってもたらされる後退もまた深刻でしょう。
 私は、中国の将来は厳しいものと考えています。であるなら、中国の覇権的振舞いは強まりこそすれ、緩和されることはないと思います。


 中国の宇宙開発は、ナビゲーション衛星の打ち上げや弾道ミサイルの精密化に繋がるでしょう。国民の覇権意識もより高まり、東アジア共通の脅威として、その存在がより強大化するのではないでしょうか。その中国に対するODAは些か問題ありです。ODAの見直しは、アジア全体の安全保障に関わることだと思います。
目次へ




百弐  自分との折り合い(2003/10/12)
 変なタイトルをつけました。最近の犯罪ニュースに見られる傾向と、日々の若年者との係わりの中で感ずる共通点を象徴的に表現しました。最近の(最近の、というフレーズは好きではないのですが)世間を賑わす犯罪ニュースのひとつの傾向として、「なんでこの程度のことで犯罪を犯してしまうのか」「その程度の辛抱が利かないのか」などといった感想を抱くことがあります。事件を起こした人間の心象は想像するしかありませんが、日々若年者とつき合い、年々変化する若者気質に触れていると思い当たることがあります。

 今の若者は不幸です。自己責任とはいえ、環境のもたらす影響は大きいと思います。彼らは児童期より、等しく無限の可能性を持っているとか、自分でも気づかない才能を蔵しているとか、やればできるとか、誰であってもなにがしかの価値を認められるべきであるとかの無責任な言説を吹き込まれて育っています。これらは努力の結果として獲得されるものであり、さらには仮令努力しても報われないこともあります。というか、他から認められる価値というのは、そう簡単に手に入るものじゃあありません。この点を今の教育の世界では、気づかないふりをしています。学校の先生は、生徒個々の実力や才能やセンスを把握していても、迂闊に事実を語れません。親たちの多くは、「うちの子は、学校ではいざ知らず、本当はとてもいい子なのです」「やればできるはずなんです(教え方が悪いんじゃないですか、と言外に匂わせている)」「この子に向いている、あるいは才能を発揮できる分野があるはずです」等々の、ありもしない幻想を抱いています。そして子供自身、自分の努力や才能を横において、「自分に向いていることが、きっと他にあるんです」などと幻想にしがみつきます。
 私は逆に、自分のありのままを認めてしまえば楽になるのに、などと同情さえします。いくら幻想にしがみついたところで、現実の競争社会を前にすれば無力です。彼らは、自分自身の実相との折り合いをつけるのに苦しんでいるのではないでしょうか。当施設は業界への一歩手前ということもあって、現実を認識しやすい場です。これが義務教育や普通科高校だと先生は苦労するでしょうね。

 「私はダンサーになるつもりなんです」
 「で、あなたはそのためのレッスンやトレーニングをやってるの?」
 「やってません」
 ね、馬鹿みたいな会話でしょう。あるいは、
 「僕は声優を目指そうと思ってるんです」
 「で、具体的にどうするの?」
 「今は何も考えていません」
 あるいは、
 「就職はしません。大学へ進学しようと思っているんです」
 「大学へ行くとなると金がかかるけど、親は諒解しているの?」
 「いえ」
 「で、肝心の受験勉強はやってる?」
 「いえ」
 これらはすべて実話です。他のコースでも、悲劇的な会話が交わされています。
 「君が就職したい会社は、例えばどんなとこ?」
 「富士通に入社してSEをやりたいんです」
 この生徒はCADの訓練を受けたけど、なにも身につかなかったのです。関連職種は無理ということで、担当の先生がなんとか製造業に就かせようと相談したときの会話です。SEがどんな仕事かも知らずに、マジで強い希望を主張したものです。あげくに川崎重工本社の設計の求人に応募したいと言い出して担当を困らせました。採用の成否はともかく、受けるのは本人の自由だなどと考えないでください。もしも応募したら、当校の信用問題になって、以後求人が来なくなります。
 あるいは建築関係では、分数さえも理解していない生徒が設計の仕事に就きたいと言い募ります。分数が分からなくて、どうやって積分に対応するんじゃ。担当も頭の痛いことです。

 昔の生徒は、自分のスキルやセンスを認めていたものです。今は自分自身を認めるのに時間がかかります。こんな実例もあります。ある20歳の女性のケースです。某短大へ入校したものの、単位がまったく取得できずに退校しました。そして当科に入り直しました。やがて短大を辞めた理由が判りました。理解力がなく、何も身につかないのです。現実にこういう人間は存在します。可哀想ですがこれが現実です。人間は等しく能力をもっているわけではありません。今の教育の世界では、能力差を認めない手法を採っています。基本的には絶対評価を軸に据えています。愚行だと思います。この悪平等のおかげで、現実世界の能力主義や序列に向き合ったとき、自分の生の評価に折り合いをつけられない人間が必ず生じます。この娘も現実の厳しさに折り合いをつけられず苦しみ続けていました。ですから具体的な就職相談ができませんでした。あるいは職務を遂行するうえでの、人間関係の構築について指導するのは不可能でした。例えば、簡単な内容でも一度の説明で理解できません。何度も何度も同じことを繰り返し教える必要があります。でも、こんなことは学校ならではの対応です。
 「会社に入ったら、先輩や同僚が仕事の手順を教えてくれる。そのとき、あなたは一度では理解できないから、何度も同じ説明を求める必要が生じる。余分な手間をかけることについて、恐縮してお願いすることが大切なんだ」などといった趣旨のことを遠まわしに話します。すると、
 「私は頭は悪くない !! 人より少し理解に時間がかかるだけです !!」
 「いや、悪かった。決してあなたの頭が悪いなんてことを言っているんじゃないんです」
 「それに私は就職しません」
 「就職しないってわけにはいかないでしょう?」
 「進学するんです」
 困ったものです。一度は短大に入学させてくれた親の苦労なんかどこ吹く風です。自分の適応できないことを、外部のせいにします。自分の能力の程度を認めることが怖く、あくまで問題を避けて通ろうとしました。こういう生徒を指導するのは、する側、される側双方にとって不幸です。どうやっても習得できない人間に対して教え込むのは、本人にとって拷問に似たものでしょう。やればできる、頑張ればできるなどの言説は無責任です。時間と労力の浪費であり、絶望感や挫折感しか残りません。彼ら(彼女ら)が最後に感じる疎外感やストレスは相当なものです。それもこれも「子供たちには無限の可能性がある」式の根拠のない刷り込みが原因です。

 日本の将来に、総中流社会は存在しないでしょう。であるなら、子供たちがあらゆる階層にすんなり溶け込めるように、能力主義を意識させた方が賢明です。長きに渡り教育のテーマになってきた“個性の尊重”は中途半端です。本来、能力主義もまた重要な要素なのですから。言うまでもなく、能力は多面的です。学業、運動、芸術、コミュニケーションなど、価値観の間口を広くして受け止めなければいけません。
目次へ




百壱  Athlon64(2003/10/5)
 知人のパソコンが起動しなくなったということで、セットアップを頼まれました。BIOSでチェックしないとはっきりしませんが、HDDの不具合だと思われます。HDDが死んだか、あるいは助かるか、Scandiskを試みようと思います。そこで、CD-ROMブートができない場合にそなえ、Win98の起動ディスクを作成し、Scandisk(2).exeをコピーしようとしました。私の古いPentiumProマシンはWin98を入れています。そちらで起動ディスク作成にかかったところ、CD-ROMからのコピーができません。ずっと使っていなかったからでしょうか、どうも不調です。すると俄然、次のマシンが欲しくなりました。本当は現有Athlonマシンでことが足りているので必要ありません。要するに、欲しい欲しい病に対する言い訳です。

 で、Athlon64です。先々週に発売されました。デュアル・チャンネル版のAthlon64 FXがクールです。このマシンはさすがに高価です。某ショップのオンライン見積もりによると、ECCメモリ1GB搭載で23万円ほどになりました。今買うのは損ですね。来年にはECCなしモデルを出すそうですし。それに64ビット対応WindowsXPは、よくて来年でしょう。なんとか歯を食いしばって来年まで辛抱します。
 どちらかというとノートの方が新規購入の必要性が高いのです。使用中のノート、PentiumV/700MHzに192MBのメモリではイライラさせられること頻りです。この秋、富士通から16.1インチノートが発売されました。Pentium4/3GHzに512MBのメモリです。この液晶は、例の広視野角のモノだと思われます。う〜ん、理想的だなあ。ところがお値段も30万円を軽く越えるスペシャルです。こりゃあ、あかんわ。
 G5Macintoshも、もう少し安ければ考慮するのですが。いえ、もう少しじゃ足りないですね。1.8GHzの294.800円モデルが15万円くらいに収まってくれればマジで考えます。こんなことを書くと熱心なMacファンに叱られそうですけど。OSXには触ってみたい誘惑を覚えます。いずれにしても、Macだとソフト購入の方が高くつきそうです。

 PentiumProにAthlon、さらにAthlon64だと渋すぎますね。人は偏屈と言うでしょうけど。
目次へ