「アキラ・・・・・・」


呟きを聴いたのは夢だったか・・・・・。
トシマを出て、2年半の月日がたった。追われる日々にも随分慣れたし、空ろなシキとの生活も決して嫌ではなかった。
ただ。
ただもしかしてもう一度
もう一度シキが、あの美しい真紅のまなざしで
ただその姿しかうつすことを認めないというような強烈な眼差しで、
見つめてくれはしないか・・・思うときがあった。
どんな状態であれ、シキの傍にいられることが幸せだと感じていた。
けれど、名前を
せめてもう一度名前を、
呼んで欲しい。
もう一度だけ・・・・・・。
・・・・・・・・・「アキラ」・・・・・・。


季節はもうすっかり冬になり、一年ももう終わりに近づいていた。
ラジオからはトシマ近郊で再び激しい内戦が勃発したと、興奮したように伝える声が流れている。
隙間から覗く窓の外の景色は灰色に染まり
吐く息とラジオの音以外何も聞こえない静かな生活が続く。
カサッ・・と音がして、軽い緊張とともに、思わず意識を現実へと戻した。

「シキ?」
すぐに隣接する部屋へと急ぐ。
膝へかけてあった毛布が薄暗い部屋の中、たたずむシキの足元に落ちていた。
「寒いよな・・・。ごめんな・・・。」
思わず車椅子の前へ跪き、シキの手を握る。随分痩せて・・・・・細くなった腕、指・・・・・・。
その手はひどく冷えていた。もう冬だというのに、この安い隠れ家まで逃げて逃げ延びて
十分な暖房など用意できるわけが無かった。
自分が寒いことよりも、シキの手の冷たさが辛くて・・・・・。
冷え切って白いシキの手がさらに白くなったのを慈しむように両手で包む。
思わずその手を、自分の頬にあてていた。
「シキの手、相変わらず、白いな・・・。」
少しでも温まりはしないか、少しでも、自分の体温を感じ取ってはくれないか・・・。
しかし力を緩めると、するりとシキの手は落下する。全てを拒絶するように。
それでも、生きている。
シキは、生きているのだ。たとえ何を見ることも無く、何を聞くことも無かろうとも。
ただ静かに、流れていく時間。
悲しいけれど、幸福な時間。
俺と、シキだけの。
きっとこれからも、ずっと・・・・・・。



夢を見る。
いつも決まって見えるのは、青。青い、つなぎ・・・・・・。
「!!!」
はっとして、いつもそこで目が覚める。
というより、意識が無理やり、見ることを拒否しているようにも思う。
あれは、あの、青は・・・・・・・・・。
「ケイスケ・・・・・・・・っ!」
呼吸が苦しい。膝を抱え、顔をうずめる。忘れたことは無かった。忘れられるはずも無かった。
あの雨の中、遠ざかる、青いつなぎ・・・・・。俺が、殺した・・・・。
本当はそうではないのかもしれない。しかし、無遠慮な、理解しようとすることを拒絶した言葉が、そして呪われた血が、
結果的にケイスケを殺した。
それを思うと、気が狂いそうだった。
ここ数日、眠ると必ず同じ夢を見る。青、青、青・・・・・・。ただ黙って見つめる、ケイスケの姿・・・・・。
「・・・・・っ・・・・・・・。」
心が、壊れてしまいそうだった。思わず、堪えかねて嗚咽が漏れる。
傍らで静かに眠るシキが目を覚まさないように、そっとシーツに顔をうずめた。


翌朝、雨の音で目が覚める。
ブラインドを少し指で下げ外をうかがうと、霙まじりの冷たい雨が降っていた。
こんな日に出かけたくは無かった。しかし、窓からちらりと見えた男の影は、
確かに追跡者のそれだった。
「ごめんな、シキ。また移動だ。」
長剣の日本刀では室内戦は不利だ。ましてや、消えた影が何人の仲間を呼んでくるか見当がつかない。
もうすでにアキラの肌になじんだかのように思える皮のコートをはおり、ずしりと思い日本刀を手に取る。
シキが濡れないように出来るだけの装いをさせて、そっと裏口から外へ出た。
朝だというのに垂れ込めた重い雲は、雨足をさらに増して容赦なく二人の顔をぬらして行く。
「雪に・・・なるな。」



シキの手をやわらかく握る。
光を拒絶するような空を見上げて、吐いた白い息は
黒い雲に吸い込まれるように、淡く消えた。









next