がた、と音がする。


「ケイスケ?」
随分遅かったな、と思う。
大丈夫だから・・・・といっていたが、やはり手伝えばよかったと後で後悔した。
もう少し遅ければ、様子を見に行こうと思っていた。
物音がして・・・・やっと帰ってきたと安堵する。

「・・・?」
ケイスケだと思っていたのに、扉がなかなか開かない。
ケイスケではなかったのだろうか?
少し不安になり、様子を見ようと立ち上がった。

バン。

変な開け方で、ドアが開いた。

「・・・・・・・・・・・アキラァ・・・・。」


聞きなれた声なのに、なぜかひどく違和感を覚える。
ケイスケのつなぎが見えた。
「随分かかったんだな、ケイス・・・。」
ほっとして声を掛けるが次の瞬間、声を飲み込んだ。
アキラの鼓動が激しく音を立てる。
全身血だらけのケイスケが、呆然とそこに立ちすくんでいた・・・・・・・・・。


「ケイスケッ・・・・どうしたんだ!?」
叫んだ瞬間、ケイスケはアキラの腕にドサリと崩れ落ちた・・・・。





ケイスケを襲ったのは、トシマから逃げ延びこの町に住み着いたライン中毒者だったらしい。
今となっては大変希少なラインを監査から隠し持ち、服用していたらしかった。
幸いなことに通り魔は死んでは居なかったが、
ケイスケに喉を切られかなりの重症だった。
またそこには通り魔に襲われたと見られる、恐ろしい死体があった。



通り魔がライン中毒者だったことで、ケイスケが罪を着せられることは無かったし、
それどころか逆に、通り魔を打ちのめした凄腕だと評判になった。
しかし人々の賞賛の言葉とは裏腹に、あの事件以来、どこか表情が暗く、塞ぎこむようになったケイスケをアキラは知っていた。
それに夜、以前にも増してうなされるようになり、事件以来ほとんど眠ってない様子だった。


「・・・・・ケイスケ、やっぱり今日は休めよ。」

ひどくやつれた顔をしても、何があっても工場へ行こうとするケイスケに声を掛ける。
「あ・・・はは。大丈夫。心配ないよ。それにほら、あと一日したら休みだし・・・。」

無理して、心配かけないように笑っているのが解る。

「心配ないわけ、ないだろ?今日は俺がケイスケの分もするから、休みを貰って、少し眠れよ。」
空ろな顔で、ケイスケが見つめる。
「大丈夫だから、ほんと・・。あ、はは。起きてるほうが、いいんだ。俺、仕事していたいんだ。・・・ごめん、アキラに心配かけて。」

(お前は、いつも俺に遠慮する。)
胸の中に、いらいらとした激しい感情が起こるのがわかる。いけないといつも思う。しかし、やはり変わらない、苛立ち・・・。
それはトシマを出ても、やはりアキラに気を使う自信の無いケイスケの態度だった。

ケイスケが扉を開けようとする。
思わずケイスケの腕を掴んだ。
「ケイスケその体じゃ、本当に今日の仕事は無理なんじゃないのか。」
「アキラ・・・。」
にっこりとケイスケが笑う。
「ごめん・・・・でもどうしても仕事に行きたいんだ。本当に大丈夫だから・・・。」
不器用に笑う。精一杯、アキラに心配をかけまいとしているのが解って、言おうとした言葉を飲み込んだ。
仕方なく、アキラは荷物を持った。



どういえばいいのだろう。
アキラは黙ってケイスケの後を自転車でこぎつつ思う。
本当に、言葉にするのは難しい。
お互いに気を使いあって、どう言葉にして伝えればいいのかわからなくて。
ため息をついて、前を行くケイスケの背中を見た。

「おい」
声を掛ける。
「・・・何?アキラ」
ケイスケが肩越しに振り向く。随分、やつれてしまっている。痛々しい・・・・・もう何日眠ってないのだろう。
「弁当・・・・作ってるから。昼に一緒に食べよう。」
「えっ?ア・・・・アア・・・アキラ・・・・・・・・がっ!俺のために・・・?」
あ、と思う暇もなく、ケイスケの自転車がもんどりうって転んだ・・・・・・。




結局そのままケイスケは堰が切れたように倒れこみ、結局監督の気遣いで俺は付き添いでケイスケと一緒に休みを取ることになった。
家につくと、ケイスケの静かな寝息に、安心する。

「弁当・・・・無駄になったな。」
俺は二人分の弁当を机の上に置いた。
日に日に痩せていくケイスケに、何か出来ないか・・・と思って初めて作った弁当だった。
自分でも信じられない。誰かの為に、一生懸命に弁当を作るなどということは。しかしそれは、相手がケイスケだからだ。
ケイスケでなければ・・・・・そこまで想うことはないと確信する。


「ぐ・・・・・・がは・・・・・っぐは・・・!」
突然ケイスケの体が大きく痙攣する。
「?・・・・・ケイスケ?」
「ぐは・・・・やめ・・・・出てくるな・・・・お前は・・・・。」
「・・・・・・・」
「お前の・・・・・好きに・・・・・させ・・ない・・・!」
思わずケイスケの方へ手を伸ばす。
刹那、
強い力で抱きしめられた。

「・・・・アキ・・・・ラ・・・!」
ひどい汗をかいている。夏だというのに、ケイスケの体は冷え切っていた。
肩で息をしている、呼吸が荒く、ひどく苦しそうだ。小刻みに体が震えているのが解る。

「・・・・・・・おいっ、大丈夫か?ケイスケ?」
医者を呼ぼうと、少しもがいた。
「おい・・・・ケイスケッ・・・・!」
手を離さない。
「・・・・・・アキラ・・・・。」


・・・か細い声が聴こえた。
泣いているのか・・・・・?
「ケイスケ・・・・・・。」
思わず、丸くなったケイスケの背中に手をまわした。

「・・・・・・・俺はここにいるから。」

「・・・ごめん。」
いつものケイスケの声がして、強く抱きしめた力を緩められる。
「あ・・・はは・・・ごめん、もう大丈夫。大丈夫だから・・・・・。」
照れたように、笑う。大丈夫だなんて嘘だ。顔が青ざめて、まだ体が震えている・・・・・・。


「・・・いいかげにしろよ。」


俺は思わず怒りで叫んでいた。
「大丈夫だなんて、嘘だろ?なんで俺に遠慮するんだよ。もっと・・・・もっと話せよ。」
「・・・アキラ・・・。」
「・・・・言い過ぎた・・・これじゃ・・・・トシマに居た時とかわらない。」
どうしたらいいのかわからない。
俺はどうしたらいい?
「・・・・・ケイスケ・・・お前一体どうしたんだよ。本当のことを話してくれ。」
ケイスケの目が悲しそうに細まる。
静かに目を伏せた。
「・・・ごめんね・・・アキラ・・・。」
「ごめんって言うな。謝らなくてもいいっていってるだろ、いつも。お前はお前で、俺に遠慮することなんてないんだって。
俺は好きで、お前と一緒にいるんだから。」
「・・・・・好きでって・・・・アキラ・・・・。」
「いや・・・それは、ただ一緒にいるのが嫌じゃない、という意味で・・・。」
また抱きしめられる。今度はもっと強い力で。
「好きだよ、アキラ。」
「おい、何言って・・・。」
「アキラは?」
「!?・・・・・言え・・・るか、そんなこと。」
間近にあるケイスケの視線から思わず目を逸らす。
「答えて。」
「ケイスケ、いい加減に・・・。」
「俺はいつも何度でもそういってる。アキラは・・・今もっと話せよっていったけど・・・アキラはどういう気持ちなのか、知りたい。
どうして・・・・・俺を受けいれたの?アキラにとって俺は・・・・・・何?」

少し力を緩めて、ケイスケは俺の顔をすぐ傍で見つめている。思いつめた顔をして。
観念して、目を閉じる。

「・・・・この気持ちが・・・・好き、だとか、どういう言い方をしたらいいのか、良くわからない。
けど、俺は何度も言ってる。お前と一緒にいたい、だから、ここに居る。お前以外の誰かと、暮らしたいとは思わない。」

くす、とケイスケが笑った。

「それじゃ・・・・俺と同じってこと・・・だよね。」
「?」
「じゃぁ・・・言って、アキラ。」
「・・・・・何を・・だよ。」
「俺のことが、好きだって。それが、好きという気持ちだから。」
「ばっ・・か・・言えるか・・!」
「アキラ・・・・・・・」
ケイスケが真剣な顔になる。
「アキラ・・・・好きだよ・・・・・・。」
「・・・ケイスケ・・・。」
この感情が、好きというのかどうか、わからない。けれど・・・・・・
ケイスケのこの想いは・・・・俺よりも強く、深いものだと思う。それに答えたいという気持ちが、好きだということなら・・・・・。




「・・・・・・・・・・・・好き・・・なんだと思う。」


ケイスケが・・・・幸せそうに、微笑んだ。

「聞いて・・・・アキラ。」
静かなまなざしで言った。
「・・・・・・あの日、あの、通り魔にあった日・・・・・。」

俺はなぜか、ひどく胸騒ぎがした。
なぜだろう・・・・この動悸は?

「・・・・俺、意識がなくなって・・・・・通り魔に、ナイフで襲われて・・・・そこまでは記憶があるんだけど・・・。」



「意識が無いって?」


「・・・・・・のっとられていたんだと思う。あいつに。」
血の気が引き体がこわばるのが解る。あいつとは・・・・・。


「・・・・人殺しの、俺・・・・。」
「・・・・ケイスケ・・・・。」

「あの日以来眠ると、やつが来るんだ。お前は何、幸せそうな顔をして生きているんだって。人殺しのくせにって。
死ねって言うんだ。・・・死ねって。そしたら俺が、アキラのことを、自由にしてやるからって。」

「・・・・・・・。」
「怖い・・・・?怖いよね・・・・・。俺、たくさん、数え切れないほど、トシマで人を殺している。
ラインの力で人格が変わったっていうのは、言い訳に過ぎない・・・・。俺は負けんたんだ。俺の手は、血で汚れている。」
「ケイスケ、それは。」
「・・・・・・俺、俺、アキラに、幸せで居て欲しい。俺・・・・・アキラが・・・・アキラが・・・・・
好きだから・・・・・アキラが・・・・・・好きだから・・・・・、今度こそ、やつには・・・・・負けない・・・・・・絶対に何があっても・・・アキラを渡したりはしない。」
ケイスケがアキラを強く抱き寄せた。
「だから・・・・・俺、眠るよ。アキラがいるから・・・・・俺を好きだといってくれた、アキラがいるから。
だから・・・・・・信じて。」
震えている。ケイスケが、勇気を振り絞って、立ち直ろうとしている。逃げずに、向き合おうとしている。

「俺の血を飲むか・・・もう一度。」
しずかにケイスケが首を振った。
「もうラインは抜けているよ。これは・・・・俺が立ち向かわなきゃならない問題だったんだ。今まで目を逸らし続けてきたけど。」
ラインでもたらされた強烈な人格の乖離は、無意識のどこかに、精神の負担として蓄積されていたのだろう。
そうして、ライン中毒の通り魔の事件をきっかけに、一気に噴出したのだ。
もうひとりの、ケイスケとして。


「アキラ・・・・。」
ケイスケが微笑む。
「もし・・・もしも、だけど、俺が負けてしまったら。」
「・・・・・・」

「アキラ、俺を殺して。」

「・・・ケイスケ?」
「正当防衛だって。俺はトシマでライン中毒だったって。警察にはそういって。」
「馬鹿なこと、いうなよ。出来るわけ・・・・ないだろ!」
「ごめん・・・・・アキラにこんなこと頼むの、酷だとわかってる。だけど・・・・・やつは間違いなく、アキラを襲う。
アキラを、殺してしまう・・・・・。」
「そうなったら、そうなったでいい。」
「だめだよ、アキラ。」
ケイスケが強く首を振った。
「アキラ、好きだよ・・・・。アキラが死ぬなんて・・・嫌だ・・・・・それに俺もう・・・誰も殺したくない・・・。」
「・・・っ・・・!」
ケイスケを抱きしめた。強く。
「ケイスケ・・・・・俺を置いて・・・行くなよ。絶対に、やつに・・・負けるな。」
「・・・アキラ・・・。」

「何度も言わせるな。俺は・・・・・お前がいるから・・・。」
青白く緊張しているケイスケを掻き抱く。
「生きているんだって忘れるな。それが好きだっていう言葉で表現できるものだったら、何度だって言ってやる。
・・・・俺はお前しかいない・・・。好きだ。」

ケイスケが目を閉じ、笑った。
ケイスケがこんなに・・・・・大人びて見えるとは思わなかった。
いつの間に、こんなに優しく笑うようになっていたのだろう?

「俺も・・・・・ずっとずっと昔から。俺、アキラだけ見てる。・・・・・・・・愛してるよ・・・・・・アキラ・・・・・・。」
そしてアキラの胸の中で、崩れるように、眠りについていった・・・・・・。












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