中唐の書・・・行書と狂草の流行      戻る

太宗皇帝自らが書をよくし、行書の『晋祠銘』や『温泉銘』を残し、

碑に行書を入れたとして評価される。また、高宗の672年に『集字聖

教序』が作られた。これはの行書を集字したもので、行書の標準体

を天下に示した。


草書では、孫過庭の『書譜』(687)は、王羲之の書の正当性を理論と実践の

両面から表現したものである。中唐の玄宗期(開元・天宝時代)は、唐代で最

も文化が爛熟した時代で、文学では李白・杜甫の二大詩人が出た。書では杜

甫『飲中八仙歌』に詠ぜられた張旭
ちょうきょくが登場する。彼は酒興に乗じ、自由

奔放に筆を執って揮毫した。その奇行から張顛
ちょうてんと称せられるほどである。

太宗皇帝 『温泉銘』 

孫 過庭(書譜) 唐687

 その後、懐素が出て草書を大書する書風が流行した。狂草はそれまで主流であった

王羲之風の伝統的な草書と異なり、自由奔放で字径が大きい。また書かれる内容も

尺牘から詩文へと変化している。ただし、張旭や、懐素の奇行のみが強調され、

大酒して狂草を書いたかのように思われがちだが、泥酔してからでは字は書けない。

  酒により精神の開放をしたと見る方が妥当であろう。

張旭(古詩四帖)

懐素(自叙帖)唐・772

懐素(真草千字文)唐・799

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