Confused mind-揺れる心-

 覚醒を促したのはパチパチと空気を弾く、最も聴きなれた音だった。

 ゆっくりと瞼を開く。
 石の天井が、松明に照らされて橙がかっているのが視界に入った。
(…ここは…?)
 全く感覚のない指を曲げてみて、ようやく自分の肉体を認識する。そのまま、体にかかる布を振り払って、目の前にまで持ち上げた。
 記憶よりも少し爪の伸びた、それでもまぎれもない自分の掌。
(……ああ…そうか)
 フラッシュバックよりも柔らかく、溢れるように蘇る記憶に、エルクは額へと手をおろした。

 目の前で叫ぶ少女。舞う金の髪。胸を押した白い指。

 場違いなほど綺麗な涙。

 後はただ真っ白で、全身を衝撃が襲い、頬をぬるりと、暖かいものが滑った。

 ―――何が起こったのかは分かっている。

 再び腕を持ち上げて、松明にさらした。
 綺麗に清められた、罪深い手だ。ギュッと、爪が食い込むのを気にすることなく握りこむ。
 大切で、自分の存在を犠牲にしてもかまわないと思うほどに。
 今度こそ守ると、自由にしてあげると誓った少女が、目の前で殺されたというのに。

 吐き気もしない。
 涙すらでない。

 ただ、彼女に逃げてと、もう一度言わせてしまった。そしてもう二度と聞くことはないのだと、その事実をこの心は静かに受け入れるだけだ。
「…………壊れてんな…」
 だけど、こんな静かな壊れ方を望んだわけじゃない。
 自嘲気味に、唇を小さくつり上げる。そして、ゆっくりと息を吐いた。

 ピョコピョコピョコと、独特の足音を優秀な聴力が察知して、エルクはその方向に視線を向けた。
 若干血のにじんだ手を、自分と壁の間に隠す。
 しばらくして、闇の中から飴色の三角錘が見えた。
「目ガ覚めたノカ」
「……ヂーク」
「立てルカ?」
「………………さあな」
 どう軽く見積もっても重症だった自分を治療するには、多大な時間と労力を費やしたはず。そしてその間安静を保たされたであろう自身の体だ。自信家な自分でも、はっきり頷くことは出来なかった。
 ベッドの脇にまで来ていたヂークを少し下がらせると、意を決して、エルクはことさらゆっくりと上体を起こした。
「…………え?」
「ホレ、立ってミロ」
「あ、ああ…」
 ヒヤリとした石畳の上、足に体重を移しながらベッドから指を外してみて、驚く。
「どういうことだ…?」
 思わず全身を見渡してみるほどに、危惧した様々な障害をかすりもせず、自立してしまっている。
 困惑するエルクに、ヂークは細い目を満足げに、よりいっそう細めて一瞥し、背を向けて歩き出す。
「おい、ヂーク」
「ツいてコイ」
 そう短く言ったきり、待つつもりはないらしいヂークを、エルクはベッドの脇にあったカーディガンに、袖を通しながら追いかけた。

 清涼な空気がまとわりついてくるのを感じながら、三角錐について歩く。
 どこまでも続くような石の壁に、指を走らせてみれば、予想よりも随分と優しい手触りだ。
(神殿…とか?)
 ならば、歩いていく先には、神が祀られているのか。らしくもない考えに、小さく笑えば、少し余裕がでてきた。
「ヂーク、シュウ達は?」
「各自、自分の出来るコトをしニ行ッタ。ココにはイナい」
「へ?リーザもシャンテもか?」
「そうジャ。……ツイたゾ」
 ヂークの歩みが止まった。
 すっと脇に寄られ、進めと促される。詳しいことを聞きたいのは山々だったが、しっかりと顔を上げた。
 広い部屋の奥、シンメトリーに配置された松明の間、3段に積まれた石段の上。
 ゆっくりと、振り返る紫の姿。
 知らず息が詰まった。
 澄んだこの空気は、彼女から発しているのかも知れないほどに、人間がもつものとしては驚くほどの存在感。自分のそれより明度と彩度が高く、何もかも見通すような紫色の瞳がそれを絶対のものにしているようで。
「あんたは……?」
 声に出してみて、チリリと背中に何かが走った。
 それが何なのか、分析を始める前に、彼女は薄く微笑む。
「目を覚ましたようですね、エルク。私はククル。ククル = リル = ワイトと申します」
「!!……………ククル、だと…!?」
 先程の感覚は、欠陥した記憶回路からの警告だったのか。
 ククル = リル = ワイト
 興味のなかったアーク一味の情報を、ありったけ詰め込んだのは最近のこと。
 首謀者のアークに勝らずとも、その首にかけられた懸賞金は80万GのS級犯罪者。
 ということは、ここは彼等の本拠地なのか。自然身構えれば、その瞳に寂しそうな影がさした。
「あなたは瀕死の状態で、ここに運ばれました」
「っ、なんで」
「アークが、そう望んだから」
 その台詞に絶句した。頭の中が一瞬真っ白にすらなった。
 今、何て言った?
「オレが、生きているのは、あいつのお陰だって…そう言ったのか…!?」
 よりにもよって、復讐する対象である人間に助けられたと、そう言うのか。
 屈辱だ。
 わめき、怒鳴り、泣き叫びたい気持ちを、ギリッと歯を食いしばって耐える。
「……説明しろ、ヂークベック」
「彼女ノ顔をヨク見ロ、エルク」
 返ってきた無機質な声に、睨みたい衝動にからかわれながら、言われた通りに、彼女のいっそ恨めしいほど綺麗な顔を見る。そして、気付いて思わず視線を緩めた。
 松明に照らされても、青白い肌だ。健康的な人間の血色とは、お世辞にも言えない。
「重傷ダッたオヌシの意識ガ戻らナイ間、ずっと力ヲ与え続けてオッタ」
 治癒の力は精神と肉体の両方を疲労させる。
 助けてくれと頼んだ覚えもなければ、お前等に助けられるくらいならいっそとすら思うが、その疲労を、リーザやシャンテで見てきた。
 だけど。
 はいそうですかと納得し、感謝することなんて出来ない。
 そこまで器用に出来ていない。そんな簡単な気持ちで、追いかけていたわけではない。
 半生をかけて、あらゆる犠牲を払って、ようやく辿り着いた銀の船。
 何度も何度も確かめて、ようやく。
 製造が中止され、全機遺棄されたという情報に、諦めに似た思いすら抱いていたのに。
 それにアークが乗っていたのも、まぎれもない事実だったから。そしてそれは最後の手がかりだから。
「オレは…っ、オレは生まれた村も!親も仲間も奪われた!」
 今もまだ思い出せる、悪夢のようなあの夜。
 高い銃声、染みつくような血のにおい、くぐもった声、崩れてゆく身体、動かない腕。
 逃げまどう足音、聞こえなくなる心音、逃げろと震える声。
 火と血で、赤く染まって。
 嗅覚も、触覚も、視覚も、聴覚も。全ての感覚があることを恨んだ。
「お前らの飛行船は、間違いなくあいつ等と同じものだ」
「エルク、あなたは勘違いして」
「無関係だとは言わせない!」
 視線で殺せるなら、何度でも。ギッと今度こそ、睨み付けた。
 だが彼女はその視線をものともせず、ただ首をふった。
「私が説明したところで、信じることはできないでしょうね…」
「………質問に答えろ…っ!」
 震える右手を持ち上げる。炎をだす一歩手前で、それを堪える。
 そんな自分の様子に、ククルの紫色の瞳が小さく揺れ、そして寂しそうに微笑んだ。
「っ!な、なんで」
(そんな目で見るんだ!)
 エルクは戸惑う。
 そして急激に、自身の激情が収まっていくのを感じた。
 エルクにとって人の目を見ることは、一種の癖に等しい。
 騙し騙される世界を生きていく中で、鉄壁のポーカーフェイスを誇るシュウでさえ、瞳には感情が色づく。分析し解析することは、エルクにとって自然な行為であり、生きていく術でもあった。
 その経験が言っている。彼女は真摯に自分と向き合っていると。シュウ以上でない限り、エルクは間違えたりしない。
 唇を血がにじむほど、かんだ。自分の視界が、くやしさでにじむのを、懸命に耐える。
 そして左手で、震える右手をどうにか下ろし、ククルに背を向け歩き出す。
「……どこへ行くのです?」
 背を向けているのに、彼女の瞳が揺れるのを感じた。
「…………オレが用のあるのは、あんたじゃない。…アークだ」
 ポツリと、普段では考えられないほど力のない呟きに、背後の気配がまた揺らいだ。
 何故か居たたまれなくなって、歩みを早める。逃げるように。
 石の壁の、廊下へと一歩、踏み出したときだった。
「パレンシア城へ、向かいなさい」
「!!!??」
 バッと振り向けば、最初に見た、深い瞳に出合う。
「パレンシア城に向かうのです。私に言えるのはここまで」
 凛とした声に、エルクは反論する言葉を失った。
 すっと安心させるように、ククルが表情を和らげる。
「街へは私が送ります。いつでも声をかけて」
 その優しい声に、エルクは目を伏せた。

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 シリアススタート。
早くも原作を無視して爆走しています☆

 08/06/11