第1話 じいちゃんとの別れの日

“覚えておけ。おまえの能力(ちから)はだれにも知られてはいけない。そう、だれにも・・・”
 これがオレのきいた、じいちゃんの最後の“コエ”だった。


「なんまんだぶつなんまんだぶつ・・・・」
 やっと坊さんが経をとなえ終わった。
 そろそろ足のしびれが限界にちかかったから、オレはほっと息をはいて正座をくずす。
 今日は5月だというのに、肌寒い日だ。冬の制服を着ておいて良かったと思う。
「ありがとうございました」
 そう言って坊さんに頭を下げるのは母親の静子(しずこ)だ。
 その隣では、4才になる妹の優(ゆう)が母親の真似をして頭をぺこりと下げている。
「宗(そう)、行くぞ」
 さっきまで目の前に座っていた父親の学(まなぶ)が、いつのまにかドアの前に立ってオレの名を呼んでいる。
 今から焼くのか・・・。
 オレはゆっくりと腰を上げた。

 ――― じいちゃんが死んで3日たった。
 オレは中1の春から、じいちゃんと2人で暮らしていた。
 当時生まれたばかりの優と別れて暮らすのは、多少寂しかったが、それが一番良いと決めたからだ。
 幸い、じいちゃんちからもぎりぎり通える範囲だったから、転校する必要もなかった。
 今思うと、その決断は正しい。
 4年間のじいちゃんとの生活はホントに楽しかった。
 じいちゃんとはうまがよくあって、ケンカすることはあまりなかった。
 そしてなにより、何より生きていくことのすべてを教えてくれた。
 父や母、優には一ヶ月に一度くらいは会ってたし、 離れていたけどよくオレになついてくれている優は、時々泊まりに来ていた。
 本当に幸せだった。
 そのじいちゃんが、死んでしまった・・・・。

 もくもくと煙突から煙が出ている。
 じいちゃんの身体が焼かれていく・・・。
 複雑な気持ちで煙を見ていたら、優がそばにやって来た。
「おにーちゃん」
「ん?・・・どうした?」
 オレの質問に答えず、黙って優はオレの右手へと手を伸ばしてくる。
 ピンときたオレは、覚悟を決めてその手を包み込むように握ってやった。
“おにーちゃんは、いなくならないよね。”
 オレの右手をギュッと握りかえしてきた優の“コエ”だ。
 この子が、こんなことを考えているとは思わなかった。
 優なりにじいちゃんの死を受けとめたのだろう。
「大丈夫だよ、優」
 そうオレが言うと、優は安心したのか手の力をゆるめた。
「うん」
 オレを見上げてくる優はいつもの笑顔だ。オレもつられて微笑んだ。
「宗、優」
 母がむこうで手を振っている。終わったようだ。
「行こう」
 オレは優にそう言って、軽く手をひっぱりながら母のもとへ歩いていった。

*

「お前はこれからどうするんだ?」
 葬式も終わり、夕食をすませて仏壇の前で優と座談していたオレに、父が声をかけてきた。
 傍らには母もいる。
「オレはこの家に残るよ。1人暮らしをする」
「・・・本気で言っているのか?お前はまだ16歳なんだぞ!」
「ああ、本気だ」
 父の目を睨むようにじっと見ながらオレは言った。
「私達と一緒に住むのはイヤ?」
 母がそっと言う。そしてオレの手をとった。
 オレは、あわててその手をふりはらう。
“一緒に暮らすのがイヤなのは私のほうだっつーの、このクソガキが。でも無駄に顔と頭が良いから、こいつのことを気に入ってる近所のババアどもがうるさいのよね。”
 この女は、やさしそうな外見と口調とは裏腹に、こんな事を考えてやがる。
 オレは、この女の“コエ”を聞ききたくなくて家を出たのも同然だと、この女に教えてやりたい。
「イヤなわけじゃないけど、オレの病気のこと知っているんだろ?1人のほうが楽なんだ」
 オレは精神的な病気を持っているコトになっている。
 じいちゃんがでっちあげたウソだ。
 それを守って笑顔で言った。
 オレのネコかぶり度はこの女と同じぐらいかな。
 自分で思って吐き気がするけど。
 母はオレが振り払った手を合わせて寂しそうに言った。
「そうだったわね・・・でも、心配だわ」
 黙れ!そう叫びたいのをぐっとこらえる。
「大丈夫だって。オレ一人で生きていけるから」
 そうオレはにこやかに笑って告げた。母は、ため息をひとつついた。
「わかったわ。何かあったらすぐに連絡するのよ」
 うっしゃあ!!心の中でガッツポーズをとる。
 さあ早く出て行け。
 優のことをこんな女の元においておくのは、やっぱり心配だけど、早く帰ってもらわないことには、オレは誰にも触れられないように、ずっと神経を張らなければならない。 
 それにさっき母に触れられたせいで、一回“コエ”を聞いちまったから、そろそろ反作用がおこるだろう。
 だから早く、帰れ!!
「えっ!?何!?何なの!?」
 突然、母が声を上げた。キョロキョロと何もない天井を見上げている。
「どうしたの、ママ」
 優が心配そうに母を見やる。
「声がしたの!帰れって!」
「そんな声聞こえなかったぞ」
 父が眉をひそめて、言った。
「でも・・・たしかに聞こえたのよっ」
 あっちゃー。オレは小さく舌打ちをした。やっちまった。あ〜あ、後の祭りだ。
 まだまだ、能力を操ることができない自分に不甲斐なさを感じる。
 ちょっと感情を込めすぎて、自分の“コエ”を飛ばしてしまったらしい。
「気のせいだって!母さん疲れてるんだよ。早く帰ったほうがいいって」
 明るくオレは言った。早く立ち去ってもらうことにしよう。
「そうかしら・・・。ああでも、そうなのかもしれないわね。じゃあ、帰ることにするわ」
 その言葉に、優と父は頷いた。
「じゃあな、宗」
「バイバイ、おにーちゃん。また来るね」
「おう。いつでも来いよ」
 外で車のドアを閉める音がした。つづいてエンジン音。
 それは、少しずつ遠ざかっていき、やがて聞こえなくなった。
 ふぅっと息を吐いた。さ、明日から学校。準備するか。
 しかし立ち上がった瞬間、瞼が急に重くなる。
 強制的に眠りの中に引き込んでいく、この感覚。
 ああ、アレがきたのかと呑気に思っている間にオレの意識は暗い闇へと落ちていった。

*

「・・・・ん」
 瞼を開けた。電気がこうこうと点いている。静かだ。
 この静けさ。3日ぐらいじゃ慣れそうもない。
『やっと起きたか。気をつけろよ』
 笑いながら、じいちゃんは言ってくれたのに、もう・・・居ないんだ。
 泣きそうになったけど、どーにかこらえて玄関へと向かう。
 途中で時計の針を見ておいた。今は8時半。優達が帰ってから8分過ぎている。
 はぁとため息をつき、扉を開けた。
「にゃー」
 オレが外に出ると、待ってましたと言わんばかりに黒に近い灰色のネコが、こっちを見て鳴いた。
 街灯に照らされているその姿は、端から見ると結構恐いと思う。
 まあ、オレには慣れ親しんだ姿なのだが。
「サフ、今日はメシ食ったのか?」
 トコトコとオレに近づいてくる。
 こいつは野良猫で、目が澄んだ青色をしていたことから、勝手に「サファイア」とオレは呼んでいる。
 しゃがんで、オレはそっと頭をなでた。
“なーんも食っとらんのだ。何か食わせて、ソウ”
 オレは動物が好きだ。人間の言葉で、しゃべらないから。
 それに、彼らの“コエ”を聞いても、さっきのように反作用が起きることはない。
「またか。しかたないなぁ。おいで」
「にゃー」
 サフは頭がいい。人間の言葉を理解できる。
 歩き出したオレの横を急ぎ足でついてくる。かわいいヤツ。


「ホレ」
 ご飯にかつおぶし、少量のしょうゆを混ぜただけの単純な「ねこまんま」。それをサフの前に置いてやる。
 小さい体で、もぐもぐ食う。そんなに腹が減っていたのか。
「よく食うなあ」
 そうつぶやくと、サフが顔を上げて、首をかしげた。
 “コエ”を聞かなくても分かる。
 まあね、とでも言っているのだろう。
「みゃあ」
 食べ終わったらしい。満足そうだ。
 そして、オレの前にまで来ると自分の足元をちょんちょんと前足で叩いた。
「はいはい」
 それが何を意味しているのか知っているオレは、足を組んでその場に座った。
 すると、ちょこちょことやって来て、オレの膝の上に座った。
 そう、さっきの動作はオレに座れと言う意味だ。
 サフはオレの膝に座るのが好きらしくて、なにかと乗りたがる。
“眠いなぁ。眠っちゃおうかなぁ。ソウも眠らないの?”
 あごの下をかいてやる。のどがゴロゴロとした。気持ちよさそうにサフは目を細めた。
 サフの重さがどこか安心する。安心して緊張の糸がほどけたのか、うとうととしてきた。
 サフに言われたとおり、少し早いけど眠ることにする。
 ひょいっとサフを抱き上げて床に下ろすと、オレは横になった。
 サフはオレの隣で身体を伸ばしてから、ごろんと添い寝する形になる。
 サフはきっと、オレが起きるまで側にいてくれるだろう、じいちゃんのように。
 そう考えて、瞼を閉じた。

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04-07-25
 修正 05-01-10