第5.5話 風雨の日
強い雨だ。
制服が重く、身体にへばりつく髪に不快を感じる。
傘の意味はまったくもって、ない。
恵みの雨というたとえがあるけど、限度というのがあるんじゃないか?
“・・・・たくない。”
左ブレーキを思いっきりかけた。スリップしそうになったが、なんとかバランスをとる。
そして辺りを見回した。“コエ”が、きこえた。
それは今まできいたなかでも、弱々しくて消え入りそうで。自転車を降りて、捜索する。
どこだ?
道路の脇に目をやると、それはいた。
髪からしたたり落ちる雨粒をぬぐいながらそれに近づく。
黒い小さな体。暗くなった景色に溶け込んでしまいそうなほどに。
「カラス・・・か」
その体の下には、赤い液体が広がっている。血、か。
おそるおそる体に触れると、微かだけど胸が上下しているのが分かった。まだ、生きている。
“死にたくねぇ。”
自分のバックのチャックを開け、念のために入れておいた乾いた白のタオルをとりだし、傷つけないように優しくカラスをくるんだ。その時、確かに深い闇の色の目と視線があった。
「大丈夫。絶対助ける」
決意したように呟くと、バックに丁寧に入れて自転車のペダルを強くこいだ。
「じいちゃん!!」
ガラガラと乱暴に玄関が開かれた。
孫がズブ濡れで帰ってくるだろうと予想できたのだろう、タオルを持った老人は玄関へとやって来る。
「やっぱり、ズブ濡れじゃな。コレを使え」
そう言って、老人はタオルを宗に投げた。器用に宗は受け取ると、少し苛ついたように言った。
「ありがとう。でもそうじゃなくて!」
宗は両手で守るように抱えていたバックを開けると、中にある白いモノを指さす。
「コイツを、助けてくれ!」
切実な頼みに、老人は白いモノを優しく取り出すと中身を見た。
「コレは、カラスじゃないか!」
「ああ、ケガしてるんだ」
泣きそうな宗の顔を見て、老人は鍵かけから2つ鍵をとると、1つを宗に放り投げる。
「替えの服を取ってきて、家の鍵を閉めとけ。ワシはその間に車を出すから」
宗は意味が分からずしばし呆けると、ハッと理解し微笑んだ。
「ありがとう」
「・・・早くしろ」
ポンと宗の頭に手をおいてから、老人は雨の降る外に出た。
手術中の赤いランプが点る。
車の中で服を着替えた宗と老人は、手術室の扉から1メートルも離れていないところにあるソファに、並んで腰掛けていた。
現状は悪い。
春とはいえ、長い間雨にうたれていたのもあるのだろう。
全力を尽くしますと、険しい表情の医者は言った。
救えなかったら、隣に座っている孫はどうなるのだろう。それだけが、心配だった。
「宗」
俯いている彼を少しでも安心させようと、声をかけた。しかし宗は顔を上げるどころか、返事すらしない。よく見ると、その体は小刻みに震えている。
「宗?どうしたんじゃ」
顔を覗き込んだ老人は驚愕する。
「お前、真っ青じゃないか!」
彼の孫の顔は青く、目の焦点はあっていない。
「宗!大丈夫か!?」
すると宗は、その声に反応するかのようにソファへと倒れ込む。呼吸は荒く、瞼をきつく閉じて苦痛に顔を歪めている。
体を丸めて、右目を手で押さえると呻いた。
「カ・・・ハッ・・・ツ・・・」
汗を拭きだし、歯を食いしばるその様に、老人は血相を抱えた。風邪じゃ、ない。
宗の苦しみ方は、そんなものじゃない!
と、老人は何かに気付いたように手術中のランプを見上げた。
まさか・・・。でも、確信はあった。
「宗!それは、お前のモノじゃない!」
急いで小柄な体を抱き上げて、手術室とは反対方向に走った。
すると数メートル走ったところで、腕の中の孫が潤んだ瞳を老人にむけた。
「じい・・・ちゃん・・・」
汗でその体は火照っているが、顔に褐色がもどっていく。それを確かめて老人が足を止めると、待合室まで来たのだと気付く。
幸い他の人は居なくて、受付の女性が心配そうにこちらを見ているのが分かった。
「あ、大丈夫です」
女性に会釈し、空いているソファに宗を横たわらせた。
「大丈夫か?」
こくりと宗は頷いた。まだ弱々しくあるが、いけそうだ。
「オレ・・・どうしたの・・・?」
「お前はあのカラスに同調してしまったんじゃよ」
「・・・同調?」
「ああ。苦しみと痛みを“コエ”として聞いてしまったんじゃ。あたかも自身のものだと思ってな」
それはお前の能力が強いからと呟く。
「そう・・・だったんだ・・・」
どこか安心したように、宗は微笑んだ。
「弟切さーん」
「!」
体を起こそうとした宗を片手で止めさせ、老人は呼びかけてきた看護士と医者を見る。
2人は宗の傍までやって来た。そして看護士は、両手で大切そうに持っていた白い布を開ける。
「命は助かりました。でも、右目はもう手遅れで・・・」
宗と老人の顔を伺いながら、医者はそう告げた。
「失明という事ですか」
「そう、なります」
「・・・ありがとうございました」
老人は深々と頭を下げた。
宗も会釈し、タオルの中に眠る黒い体を見る。
“もう、大丈夫だから。あの苦痛はなくなっているだろう?それにオレがいるから、ゆっくり眠りな”
そう“コエ”をとばしたのを、老人はきいた。そして、宗が瞼を閉じるのを見た。
彼の孫は身体の苦痛だけではなく、孤独という痛みもきいたのだろう。
目頭が熱くなるのを感じた老人は、もう一度医者と看護士に礼を述べた。
反作用で眠ってしまった孫に代わって。
数日後。
「これで飛べるな。風斗」
包帯を取り終えて嬉しそうな少年に、カラスがカァと返事をした。
それを見守っていた老人は、首を傾げた。
「カザト?」
「うん、そう。コイツの名前」
宗はカラスと戯れながら言った。
「“隻眼の風斗”。かっこよくね?」
けらけら笑う孫の姿に、老人は苦笑した。風、か・・・。
「風斗もそう思うって?ん、それは良かった」
一見、独り言のように聞こえるそれは、能力を使っていると知らなければ怪しいモノ。
「あ、そーだ。じーちゃん!」
「ん?」
「手術代、オレの給料払いにしておいてな。絶対返すから」
「そんなこと、気に」
するなと言おうとしたのだが、
「する」
宗の声に塞がれた。勝ったといわんばかりの宗に、老人はまた苦笑した。
「分かった。待ってる」
「そーしてくれ。約束な」
ニコッと笑って、小指をたてた右手を老人にむける。
老人も微笑んで、それに自分の小指をからめた。
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風斗と宗の出会いをもう少し詳しく書こうと思いましてできた作品です。
中1の頃の宗なんですが、今より素直な感じで。
というより、じいちゃんの前ではよく笑いますなぁ。
それと、弱った子を書くのはなんか楽しいです(ぇ
ARCでも書きたいなぁ。
04-10-13