第9話 能力を使った日8

「宗、入るぞ」
 ノックと同時に、少しくすんだ白い扉は開かれた。
 入ってきたのは老人。腕には扉とは違う清潔な純白の布で包まれたものを抱えている。
 その顔はこころなしか強ばっていて、ベットに腰掛ける少年を見る。
 少年は無機質な目を窓から老人へと移し、軽く首を傾げた。
「この子が―」
 老人は少年へと近づきながら、抱えているものを少年に見せる。
「お前の妹…優だ」
「オレの…いもうと…」
「そうだ。触れてごらん」
 老人に促され、少年はおそるおそる白い布の中で眠る乳児に手を伸ばした。
 乳児特有の暖かみのある柔らかな頬。
 そっと少年が触れると、乳児は軽く身をよじってから瞼を開いた。
「え、あ……お、起きた」
 慌てて少年が手を引っ込めようとすると、乳児の腕が求めるように少年に伸ばされた。
 少年が困惑して老人を見ると、老人は微笑みを浮かべながらゆっくりと頷いた。
 大丈夫。そう伝えるように。
 引っ込めかけた腕を、少年はまたそろそろと乳児に近づけ、向けられているその手を壊さないように握った。
 すると乳児は満足そうに―笑った。


 突然鳴り出した黒電話に、宗は口をつぐむ。
 鳴り終わるのを待つのかと思われた、ほんの少しの時間の後。
「悪い。ちょっと待ってて」
「あ、おう―」
 返事を待たずに、宗は廊下に出て受話器を取る。
 なんてレトロな黒電話。この家だからこそ違和感がないのだが。
「はい、ど―」
 どなたですか?そう尋ねる前に、電話の相手は声をかぶせてきた。
『優はっ!優はどこなの!あんたの所に来てるんでしょ!早く出しなさいっ!!』
 その金切り声に、顔をしかめた宗は意味が分からず問い返す。
「母さん?優がどうかしたのか?」
『しらばっくれんじゃないわよ!優を、私の優を早く出せっつってんの!分かんないの!?』
 とんでもない大声で、いやむしろ叫び声で、心配そうに見守っていた仁の耳にも届くほどであった。
 宗は視線に気付いたのか軽く仁に大丈夫と手を挙げて見せてから、母を宥めるために電話へとむき直す。
 正直頭ごなしにむしゃくちゃな癇癪を聞かされ腹はたっている。
 だけど、こちらも冷静さを失っては駄目だ。あくまで冷静に。オレなら出来ると宗は内心自分を元気づけた。
「優は、こっちに来てないよ」
『は?何言ってるの?あんたこの私に嘘ついていいと思ってるの!?』
「嘘じゃ―」
『いいから早く出せ!私の優を、私の優を返しなさいよ!!』
 聞いてない。
「落ち着けって」
『あんたが正直に言ったらね。だから私は反対したのよ!こうなることは前から分かってた!嗚呼、優…あんた何が目的なのよ?』
「だから―」
 違うと言おうとした受話器を、突然奪われた。
 驚いて振り返ると、仁が険しい顔をしていた。苛ついている…というより…怒っている?
「ジン…」
「すいません、宗くんのお母さんですか?」
 戸惑う宗に何も言わず、仁は電話の向こうに冷静に尋ねた。
 唐突に変わってしまった仁に、母も動揺し、不信感をあらわす。
『…だれ?』
「宗くんの友人の木下仁と申します」
『…その友人が何のよう?これは私とあの子の問題なの。部外者が口だし―』
「そのことですが、ここにあなたの優ちゃんはいませんよ。それに宗も私も優ちゃんを誘拐してはいません」
『はっ、何を言っているの?それを信じられるわけ―』
「信じてください」
『!』
「お願いします、信じてください」
 仁の態度は冷静そのもので。電話に向かって直角に身体を曲げてお辞儀をする姿は、電話越しにも伝わるものがあった。
 呆然とその様を見ていることしか宗には出来ない。
 そしてまた母もそうなのだろう。
『……』
 どうやらやっと落ち着いてきたのか、電話の向こうは静かになった。
 また、落ち着いたことにより取り乱してしまっていたコトへの羞恥が表れたのだろう。
「あの、詳しく教えていただきたいのですが…」
『…いいわよ』
 どこまでも冷静な仁に母は頷いた。
「あ、でも宗に代わりますんで少し待ってください」
 そう告げると、仁は宗を見た。
 ほらと優しく笑って受話器を差し出す。
 宗はサンキュと小さく呟いて、受話器を受け取った。
「…代わったよ」
『…優が居なくなったの』
 察しがついていた母の言葉だが、どくんと心臓がはねた。
 先刻、喫茶店で見た優らしき人物を思いだしたからだ。
『私が保育園に迎えに行ったときには、もうとっくに帰りましたって保育士が言うの。気分が悪いとかでお昼に早退したんですって。ほら、保育園からうちまでそう離れて無いじゃない?だから、1人で帰らしたって言うのよ。それで家に帰ったんだけど…いないの。どこにもいないのよ』
「父さんには?」
『連絡してないわ。あの人の仕事場にはいかないでしょう?優は場所を知らないから』
 なんだかずれてる母の言葉に、宗は溜息をついてしまう。
「警察には?」
『届けてないわ。あんたのとこに行ってるんだと思ってね。でも、あんたの所にいないとすれば、早く警察に連絡しなきゃ』
「分かった。じゃあこっちも近所を捜してみる。もしかすると迷っているのかもしれない」
 ガチャリ
 一方的に電話は切られ、宗は受話器を置いた。
 自分でも驚くぐらいに落ちついている。優が、行方不明になっているというのに。
 それは、やっぱり。
「なんて?」
「優の…優の行方が昼から分からないんだって」
「だってって…一大事やんか!はよ捜さんと!」
「ああ」
 独りじゃないからかもしれない。
「ほな、行くぞ。どっか見当つかんのか?」
「うん…」
「そっか…でも大丈夫や。オレもおるしな。はよ、捜してやろう!」
「ああ!」
 なんとなくだけど、優は誘拐はされてないと思った。そりゃあ優は可愛い。この辺は兄馬鹿である。
 けど、大丈夫だと。なんでかは分からないけど、そう安心できた。


「シュウ、はよ後ろ乗れ!」
 鍵をかけて、表へ出ると、仁が愛車(注:ちゃり)に乗って後ろを指さしている。
 宗はためらうことなく荷台に乗った。
 そして、玄関にとまっていた漆黒のカラスに向かって呼びかけた。
「風斗!」
 クワッ!
 ひとこえ鳴いて風斗は飛ぶと、宗の右肩へと着地する。
”何だ?お出かけかよ?”
 興味津々の風斗に、宗はまあなと頷いた。
 驚いているのは仁。
 その仁に宗は笑ってみせると、風斗に言った。
「お前が鳥目なのは十分知っている。それでも悪いけど、サフを捜してくれるか?きっと近くまで来ているはずなんだ」
 頼む、そう告げると風斗は軽く首を傾けて羽ばたき、夜空にとけて見えなくなった。
「あのカラスって…」
「ああ、保健室に飛び込んできたヤツだよ」
「…知り合い?」
 そのなんとも仁らしい質問に、宗は吹き出した。
「まあ、そんなところ。さ、行こうぜ」
「って、オレがこぐんやけどなー」
 やれやれと思っていないのに肩をすくめてみせると、仁は自転車をこぎだした。

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 緊迫感ねぇー!!
 ありゃりゃりゃ、困ったなあ。ま、仕方ないことにしておこうっと。
 なんだか仁大活躍。勝手に喋ってくれたような気がします。
 うん、いい傾向だ。
 さてさて、少し本文について触れておこう。
 仁といい宗といい、TPOで口調が変わります。
 敬語ができている…はず。
 仁に至っては一人称変わっているしねぇ…あはは。

 05-03-30