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殷・周・秦 (BC1400頃〜BC206頃)                     中国書道史トップに移動

  漢字の始まり

  漢字の起源については、黄帝の臣蒼頡(そうけつ)が鳥の足跡を見て作ったという伝説があるが、実証的には、
   新石器時代の陶器に彫り付けられた符号、(刻画符号とか陶文と呼んでいる)を取り上げて説明することが多い。
  ただ、その大部分は符号であって、文字とは言いがたい。

      【亀甲獣骨文字】
亀の甲羅
牛の骨
    

    
占いの文字 甲骨文

        甲骨文字は、亀甲や獣の骨に彫った文字である。河南省安陽市の西北郊外河南省安陽市の
        西北郊外から多量に出土した。甲骨文字は約三千字あまりあり原始的な、象形の文字が少し
        残ってはいるが、すでにし残ってはいるが、すでに会意や、形声の文字が相当に多く、本来
        の意味から離れて別の意味に仮借している文字もある。

   祭祀の文字 殷の金文
        殷時代は、青銅器の製作技術がすでに十分に発達している。その銘文(金文)は、かならず
        あるというわけではない。殷時代の金文は、周時代に比べると字数の多いものは少ない。

散氏盤


  周の武王は、殷の紂王(帝辛)を滅ぼして周王朝を建て、周公、召公らが活躍して、
  封建制度を推進した。周は王朝と諸侯との関係を明示するものとして青銅器を作り、
  これを諸侯に与えた。その事情を述べたものが、周初期の金文に見られる。

   文字の用途と書体の分化 春秋戦国時代
          春秋戦国時代には、秦・晋など西北系(金文・石鼓文)の文字には西周以来の書きぶりが比較的強く残り、
          これに対 して、斉など東方系の国々には、西周以来の旧書風のほかに、懸針または等質の線で書かれた
          長脚の金文が特徴的 に見られる。また、楚を中心とした南方系(金文・木簡・帛書)には、旧来の書風
          に基づくものは少なく竹簡帛書に似た刻文、あるいは著しく装飾化した鳥書の剣銘などが目立っている。

   篆書と隷書の発達 秦の文字統一と八分
          秦は、始皇帝が天下を統一すると、すぐさま郡県制をしき、度量衡、貨幣や車軌を統一し、中央集権国家を目指
          した。文字の統一も行った。文字の統一は篆書の名家という伝承のある李斯(りし)が関与したと言われている。
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