誰よりも一番に
arc2|2006.07.29
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 ――その日は、思ったよりもギルドの仕事に手間取ってしまったと思う。
 ギルド組担当だったエルク達がシルバーノアに帰還した時には、照り付ける太陽もその鳴りを潜めて西の空へと沈もうとしていた。
 ともあれ、エルク達を本日も無事に回収した白銀の戦艦は、彼らの安息地クラーフ島を目指して飛行した。



 南洋に浮かぶ孤島、クラーフ島。
 アーク一行がこっそりと秘密基地として利用させてもらっている以外は、何の変哲もない、豊かな自然に恵まれただけの小さな島である。
 また、島の西にはヘモジー達の集落があるが、初めてこの島に上陸したアーク達を拒む事なく受け入れてくれただけあって、争いの心を持たぬのんびりとした性格のヘモジー達とは、未だに良い付き合いが続いている。

「あれ? ポコ?」
 秘密基地に似つかわしくない島の温泉に浸かってさっぱりした後、自室へと戻るエルクの眼に止まった小柄な体躯。
 いつもの楽隊帽子を脱帽している所為か、余計に背の低さが強調されて見えるのだが――敢えてそれには触れないようにして、エルクが聞いた。
「なあ、その手に持ってるのって何だ?」
「ああ、これ?」
 同じく自分の部屋に戻る途中らしいポコが、手に提げた紙袋の中身を広げてエルクに見せる。
「シャンパンだよ。厨房に置いてたらまずいから、自分の部屋で冷やそうと思って」
 余談だが、シルバーノアの個室には、小型ながらも冷蔵庫が設置されている。
 元が王家専用の豪華客船だけあって、ホテル並に整った設備は流石と言った所だろう――が、唯一の欠点は、どの家にも必ず付き物の台所が備わっていない事だろうか。
「今から飲むのか?」
 一人で? と問うてくるようなエルクの表情を見て、ポコが軽く苦笑いを零した。
「まさか。これは、明日の為に買ってきたものなんだから、今飲んでどうするの」
「あ、そうか」
「明日はアークの誕生日だからね。だからちょっと奮発しちゃったよ」
「えっ!?」
 言われて納得したエルクだったが、ポコの言葉に愕然として聞き返した。
「あ、明日って、アークの誕生日なのかっ!?」
「うん、そうだよ? 8月23日は、彼の生まれた日……って、もしかして、知らなかったの?」
「うっ」
 心底驚いたと言った顔で、こくこくとエルクが頷く。
 それを見て、あちゃー、とポコが情けない声を出した。
「てっきり知ってると思ってたんだけど…。ねえエルク」
「な、何?」
「恋人ならさ、仮にも付き合っている人の誕生日くらいは把握してないと、やっぱりまずいよ?」
「うっ」
 そんなの知るかっ、と内心で突っ込みそうになったのを何とか抑えて。エルクは、引き攣った顔のまま、それじゃ、と一言残して唐突に走り出した。
「あ、エルク、そっちは部屋とは逆……」
 狭い艦内の廊下をひた走るエルクの姿を見送って、何やら手持ち無沙汰気味に頬を掻きながら。
「事前に知るのと知らないのと、どっちが良かったのかなぁ」
 ポコが、ぽつりとそう漏らした。



 衝撃の事実を知って、じっとしてられなくてアークの部屋を目指してしまったものの、その足が不意にぴたりと止まってしまう。
「……俺、あいつに会って何を言う気なんだ?」
 どうして教えてくれなかったのかと、なじるつもりなのか。
 それとも、何もなかったかのように、明日の事でも聞き出そうと言うのか。
「でも……俺は」
 彼にあげられる贈り物が、無いという事に気付かされて、見る間に気持ちが落ち込んでいく。
 現在地はクラーフ島だ。今から大急ぎでヒエンを駆った所で、店の営業時間には到底間に合わないだろう。
 では、自分が持っている大切な何かを贈り物にすればどうだろうかと考える。
 自分が持っている唯一の所持品と言えば、荒鷲の羽を色取り取りの玉(ぎょく)で結んだ首飾りと、ピュルカの民の証である銀の耳飾りくらいなものしかない。
 どちらも装飾品として充分に眼を引くものだが、ピュルカの民にして炎の一族の出ではないアークに容易にあげられる代物ではない――。
「どうしよう…」
 何も、あげられる物が無いなんて。
 アークは自分の誕生日をちゃんと知っていて、おまけにその日には、心の籠もった贈り物まで用意してくれたと言うのに。
「……最低だな…俺」
 恋人失格かも知れないと、何気に浮かんだ考えに気を取られていたら、不意にエルクは、背後から伸びた力強い腕の中に攫われてしまっていた。
「うわっ!?」
「何が最低なんだい?」
「ア、アーク!? な、何でそこにいるんだよっ!?」
 突然の事に慌てるエルクを意に介さず、アークが飄然とした姿勢を崩さずに苦笑した。
「何でと言われても、すぐそこは俺の部屋なんだけど。丁度部屋に戻って来たら、通路の真ん中で無防備に立っているお前を見付けたんだよ」
「む…無防備は余計だ」
「…エルク?」
 ふと、僅かに眉を寄せてアークが呟いた。
 いつもなら、だからってすぐに抱き着くな、等と照れ隠しの罵声が飛んでくる筈なのにと、怪訝の色を露わにエルクの躰を振り向かせる。
「どうした? 一体、何があったんだ?」
「べ…別に何でも…」
「嘘はよくないぞ、エルク。何か気に病む事があるのか?」
「……」
 アークの声が、労るように優しくエルクの胸に溶け込む。自分が口を噤んでいれば、アークの事だからまた物凄く心底するだろうと思って、意を決してエルクは顔を上げた。
「アーク、今日はさ、俺があんたの所に泊まりに行く日だったよな?」
「ああ、そうだけど…」
「俺が行くまで、待っててくれるか? その時に話すから、遅くなっても待っててくれるか…?」
「お前が来るまで…?」
 微かに浮かんだ戸惑いと共に、暫し考えたように間を置いて、アークがエルクに頷き返した。
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