4.屋島城址(やしまきのあと)
西暦667年、「天智天皇6年冬11月倭国に高安城、讃吉国
山田郡に屋島城、対馬国に金田城を築く」と「日本書記」
にあります。これは、当時日本と朝鮮との関係で、崇神天
皇、3韓征伐以来度々起こる朝鮮半島の国々、中国の統治
者(隋・唐)の侵攻を憂い朝鮮式の山城を築造した。屋島
の南嶺と北嶺の中間を櫓ヶ丘と称し、その西側の山腹に古
城址がある。長さは南東より北西にかけて約3キロメート
ル、広さは最広部で0.5キロメートル、周囲約7.8キロメート
ルにわたる大規模な山城である。
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