月の物語 ~土佐の中秋の名月~ ~十六夜の月~
○古来より月の名勝地として名高い桂浜。 「古くは嘉列浜、嘉津浦浜、勝浦浜などと記され色の浜ともいわれた。 いつの頃よりカツウラがカツラと転化し、月の名所であることから月に生えると言われる桂の字が当てられ、桂浜となった。土佐藩五代藩主、山内豊房公の命名ともいわれる(竜王岬の石標から)。
○古来より月の名所として名高い桂浜。今でも、中秋の名月の頃には「桂浜観月会」が行われている。
○桂浜の沖からの登る月は、波静かなときには、海面を照らし光の道が現れ幻想的な世界へと誘う。
○大町桂月記念碑には「見よや見よ みな月のみのかつら浜 海のおもよりいづる月かげ」 と記されている。終生酒と旅を愛し、酒仙とも山水開眼の士とも称されたとも。
竹取物語 ~紀貫之~
日本に伝わる竹取物語。
○誰もが知る竹取物語。「いまはむかしたけとりのおきなというものありけり・・・」仮名による最古の物語。竹取の翁が竹を切ると中から女の子が生まれてきた。女の子は成長し五人の貴公子から求婚を受けるが月へと帰っていった。
○この著者が土佐の国司であり日本初のかな文日記として知られる土佐日記の著者紀貫之ではないかと。
○そうだとすれば、紀貫之がみた同じ月を土佐で愛でるのも楽しけりかな。
土佐日記 ~紀貫之~
○平安時代初期の歌人でもある紀貫之。934年、土佐国司としての任期を終え、高知市大津から浦戸を経て、京への帰路となるが、年の瀬押し迫り12月21日に見送りを受けるが、舟を待ち送別の宴、八木氏なるものが現れ送別の宴、次の日もまた送別の宴と26日まで送別の縁が続く。その後も土佐の寄港地で送別の縁や見送りが続いたとのことだ。これらの当時の土佐人の気質や人情は土佐日記で知ることができる。宴会好きは千年の歴史を有する!?
○紀貫之が見たであろう桂浜。浦戸湾を経て外海へと漕ぎ出し京への帰路に。
古今和歌集 ~紀貫之~
○紀貫之らは、醍醐天皇(だいごてんのう)の命で、約1100首からなる日本最初の勅撰和歌集を編集。いくつかの和歌は、任期を終え土佐から京への帰路の様子、月や海を歌ったものがみられる。