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受け継いだ阿波木偶「三番叟まわし」 

芝原生活文化研究所・阿波木偶箱まわし保存会  お問合せはこちらまで:ebisuあっとme.pikara.ne.jp(あっとを@に変えてお送りください)

阿波木偶箱まわし 三番叟まわしとは

阿波木偶「三番叟まわし」とは



阿波木偶「三番叟まわし」
 
  
門付け(旧池田町にて)

 阿波木偶「三番叟まわし」

 祝福芸といえば、「太神楽(獅子舞)」「萬歳」「春駒」「鳥追」など多彩ですが、四国の代表的な祝福芸は「三番叟まわし」です。ふたつの木箱に三番叟(千歳・翁・三番叟)とえびすの四体の木偶を入れ、木偶遣いと鼓打ちの二人が家々を門付けしました。

 三番叟とえびすが「五穀豊穣」「無病息災」「家内安全」や「商売繁盛」を予祝し、新年を迎えた人びとに明るい展望と生きる勇気を運びました。

 「三番叟まわし」芸人の存在は、古文書をひもとくと江戸時代までさかのぼれます。およそ300年前から徳島ではぐくまれたと考えられています。

 徳島県の正月儀礼(習俗)として永く定着した「三番叟まわし」は、香川県や愛媛県の正月にも無くてはならない文化となりました。しかし、1960年代にはその姿をほとんど見ることができなくなりました。
 私たちは、唯ひとりとなった伝承者に弟子入りし、正月の門付けを受け継いでいます。2016年は、990軒を超える家々に福を運びました。 

阿波木偶「箱廻し」とは
※祝福芸や娯楽の芸のことを含めた表現の際は「箱まわし」、
娯楽の芸のみの場合には「箱廻し」と記載しています。

 
 
「傾城阿波の鳴門」のお弓
 
「日高川入相花王」の妲己
 
「箱廻し」
 阿波木偶「箱廻し」

 徳島の人形浄瑠璃芝居は、幕末から明治にかけ全盛期を迎えました。箱廻しは、芝居小屋や農村舞台で演じられた『絵本太功記』や『傾城阿波の鳴門』などの人気外題を路傍で簡易に演じた大道芸です。

 箱廻し芸人は、2人か3人が一組になり、ふたつの木箱に数体の木偶を入れ、天秤棒で担いで全国を移動し稼ぎました。数体の木偶を一人で操りながら浄瑠璃を語ります。
 
 全国の農山村に阿淡系の木偶文化を運び、各地の人形芝居に大きな影響をあたえました。また、箱廻しの来村がきっかけで人形芝居を始めたという例も見られます。

 ひとびとに親しまれた「箱廻し」は、昭和初期に街角から姿を消しました。
 しかし、祝福芸の「三番叟まわし」は、一部の地方で伝承され現在は阿波木偶箱まわし保存会が伝承し、元旦から旧正月が明けるひと月余りで、990軒を超えるの民家で門付けしています。2011年の元旦には、門付けの様子が「ゆく年くる年」(NHK)で紹介されました。
 
美馬市脇町うだつの街並みを練る箱廻し(2010年3月)
 



 阿波木偶「えびすまわし」「大黒まわし」「福まわし」

阿波木偶「えびすまわし」「大黒まわし」「福まわし」とは
えびすや大黒による祝福芸は全国に分布し、各地の正月儀礼や農業神事として定着しました。徳島や淡路では、木偶操りのえびすで言祝ぐ門付芸が、正月の街並みを彩りました。それらは、「三番叟まわし」と比較して簡易な言祝ぎであったため、「物貰い」と賤視されたまま1950年代に姿を消しました。そのため、木偶や詞章等の資料が極めて少なく、復活することが困難でしたが、阿波木偶箱まわし保存会が再現しました。また、2016年4月に徳島に特徴的な「福まわし」が、保存会により蘇りました。

   
    えびすまわし         えびすまわし・大黒まわし       福まわし



芝原生活文化研究所・阿波木偶箱まわし保存会

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最終更新日:2016年7月21日
hp開設:2003年
カウンター開始:2005年
    





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