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三国・東晋                                  中国書道史トップページに移動

三国時代と晋の統一

  漢王朝の440余年にわたる中央集権が衰えてきたのは豪族勢力の出現であり、黄巾(こうきん)の乱に
  よってである。その反乱を平定した中で次第に勢力を増していたのが曹操(155-220)であり、華北一帯
  を占領した。その子曹丕(そうひ)は洛陽で帝位につき魏(220-265)を建国した。その翌年、揚子江の上
  流域にいた劉備(161-223)が四川成都で即位して蜀(蜀漢・221-263)をたてた。その翌年には揚子江下
  流域に勢力を持った孫権(182-252)が建業(南京)で即位して呉(222-280)と称した。


王羲之と同時代の肉筆資料

  東晋の王羲之の出現である。貴族文化が盛んであったこの時代にその代表が瑯やの王氏一族であり、
  中心が二王と称された王羲之、王献之であった。王羲之以前に名を残した人に三国時代の呉の皇象
   (こうしょう)、魏の鍾よう(151-230)

 西晋に索靖さくせい(239-303)、陸機りくき(261-303)がいる。

 

鍾よう(薦季直表)・・・王羲之の師
王羲之(十七帖)



「蘭亭序」 353 王羲之 (神龍半印本)



     王羲之47才時の作で、書道史上屈指の劇作である。東晋の永和九年(353)王羲之は

     山陰の蘭亭(浙江省紹興県)に、当時の名士41人を招き、祓禊後の雅会、曲水の宴で

     成った詩集の序文の草稿である。




王献之(王羲之の第七子)中秋帖
王羲之喪乱帖


      
 王羲之、王献之の二人を二王と呼ぶ

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